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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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四の二(美波はわたしと一緒にいたくなかったんだと思うの。)

開け放たれた格子の間から、近づく夏の匂いを含んだ風が吹いてくる。
その風に乗って。
「倖奈」
低く呼ばれ、顔を向けた。
「…時若」
外の陽の光を背に立っているのは、北の地から共に来た【かんなぎ】。
浅緑の袍を着た姿に、そう言えば今日も内裏の会議に出ると言っていたなと思い出しながら。
「今日は、もうおしまいなの?」
問うと、不機嫌なのを隠そうともせず、彼は頷き、鼻を鳴らした。
「…あれに出るよりも、ここで書を読んでいたほうが余程有意義だ」
ぐるりと彼が部屋内を見回すので、倖奈も見回す。
大学寮の書庫のこの一角、今日もいるのは倖奈と時若、それに泰誠だけだった。
【かんなぎ】に関する書が集まっているという此処は元々そう人が集まるところではなかったらしい、とこれで十日通って、倖奈は思い至った。
だが、棟の中を間仕切りせず、一面を書の詰まった低い棚と僅かな数の文机で埋め尽くしたこの場所は、もともと読書好きな時若にとって魅力的な空間であるのに間違いはないだろう。
その証拠に、彼はさっさと棚から二、三冊引き抜くと倖奈が使っていた文机の向いに腰を下ろした。
最初の巻物を解きながら。
「美波も来ているのだろう?」
視線を向けずに、どこにいる、と時若が言う。
それに倖奈は首を横に振った。
「美波は… お邸でゆっくりしていると言っていたわ」
すると、今度は舌打ちが響いた。
「こんどはあいつがサボりだしたのか」
倖奈はそれにも首を振った。
――美波はサボりたいというよりも。
出かける直前、光の届かない部屋の奥から見つめてきた美波は、艷やかさも華やかさも何もなかった。
ただ、黒い眸を向けてくるばかりで。
その奥に拒絶の光を見て、倖奈は何を言うのも止めた。
――わたしと一緒にいたくなかったんだと思うの。
それを時若に告げるわけにもいかない、と俯く。
だが、時若はすっと顔を上げた。
「…おまえはよく来ているようだな」
倖奈は微かに顎を引いた。
「どうした?」
「…どうしたと言われても」
ただ、知ることが、読むことが楽しかったからここに来ていたのだとすんなりと言えず、倖奈は目を伏せたのだが。
「倖奈は本当に熱心ですよね」
いつの間にか傍に寄ってきていた泰誠が朗らかに言った。
「本当にそう思う。毎日毎日朝早くからやってきて書を読んで… もう殆ど読み尽くしたでしょう?」
「いいえ…」
倖奈はまた首を振った。
ふわふわと頼りなく髪が揺れる。結わなかった髪の先には握る場所が無いので、指先は着物の上から懐に忍び持った懐剣を掴んだ。
「まだ、知らないことが多くて…」
読んでも読んでも足りない。それも言いたくて、言えなくて、倖奈は唇を噛んだ。
すると、時若がまた鼻を鳴らした。
「だからと言って、手当たり次第読んでいても仕方がないだろう」
と言った。
倖奈は瞬いて、顔を上げた。
すると、泰誠も笑って言った。
「僕もよくあります。調べ事をしていると、あっちもこっちも知りたくなって収拾がつかなくなるんですよね」
「目的を忘れるからそうなるんだ」
時若が目を細める。
「全く、そのとおりで」
泰誠はおっとりと顔を綻ばせ、二人の傍に腰を下ろした。
「この間からここに来ているのは、仕事に絡んでの調べ事だったんですけどね。ついつい、前読んだ本を読み直したいとか、思っちゃうんですよね」
だから、全く進まない、と頭を掻く。
「今、都で話題になっている魔物がいるんですよ。その魔物の正体の手掛かりが欲しくて来ているんですけど… いやあ、終わらない」
「都にも魔物が出ているのか?」
時若が瞬くと、泰誠は表情を引き締めた。
「出ているらしい、なんですけどね。住民の目撃情報は上がっているのですが、衛士で見かけた者がいなくて、当然捕まってもいない」
そうして、手にしていた帳面を繰って話し続ける。
「ただ、人と同じような姿をしていたという話ですからね。奇妙過ぎるということで近衛の府に話が回ってきて、今、行方を追っています。僕らは魔物というと、人とはかけ離れた姿かたちのものを思い浮かべます。人型の魔物、というのが有りうるのかというのを知りたくもあるのですが… ここの書を読んだ上での僕の解釈は、瘴気の中から通常生まれる魔物は四足の獣であることが多い。次いで鳥や鮫。僕らが恐怖を感じやすい形に生まれるようですね」
「件の魔物を見た者は、よくそれが魔物だと気付いたな」
時若が口を挟むと。
「気付いた、というか、それ以外に表現できなかったというのが正解でしょうね」
泰誠は帳面を指先で叩いた。
「目撃談に共通しているのが、その魔物は体全体は人の形をしていても、顔を見ると目が無く、その奥から黒い渦が湧いてきているという点です」
「…そういうのって」
倖奈が瞬く。泰誠は首を傾げた。
「何かご存知ですか、倖奈?」
「いえ… わたしが知っているというよりも」
と倖奈はそっと視線を時若に送った。
「都に来る途中、東の国府で…」
そう言うと、時若が口を曲げた。
「あれ、か」
東の国府で。瘴気の篭っていたという社の神体を持ち出して、そのまま瘴気に飲み込まれたらしい男が居た。
その男はそのまま魔物と化して、最後、史琉が倒した。
その場に時若と律斗もいたが、彼らは別の魔物の群れと戦っていた。だから、男と直接向き合ったのは史琉とシロだけだったが、二人は男の様子について同じようなことを言っていた。
その話を告げると、泰誠はほう、と息を吐いた。
「人が魔物と化す… ですか。そんなことが… いや、起こりうるのか」
一人頷いて、泰誠は帳面にすらすらと書き留めていく。
「参考になります」
一頻り書いた後に。
「また、話を逸らして申し訳ないのですけど」
と笑った。
「今の話で気になって… 時若。あなたの力は炎を熾すことなんですか?」
時若が頷くと。
「【かんなぎ】の力の使い方は二つに大きく括れて、一つは神気を何かしらの道具に込めてそれを用いること、もう一つは浄化の力を直接発揮することです」
泰誠は頭を掻いた。
「時若のは後者ですね。炎でもって瘴気を焼き払う… よくある力ではありますが、直接的に魔物と渡り合える大事な力だ」
「…そうだな」
心無しか口元に笑みを浮かべて、時若が呟く。
「僕は人の刀に――たいてい、相棒の葵のなんですけど――何かに力を預けてでないと、それが役に立ちませんからね。直接発揮できるというのは少し羨ましかったりする」
そう言ってから、泰誠は、ぽん、と手を打った。
「ああ、そうだ… この間聞きそびれたんですよね」
にっこり笑って、彼は倖奈に向き直った。
「倖奈。僕はあなたが何ができるのか聞いていません」
倖奈はは目を丸くした。
「わたし…?」
「そうです」
泰誠が頷く。
「倖奈は? 何かを作る部類? それとも時若と同じ?」
笑顔をじっと見つめ返してから、倖奈はそっと視線を下げた。
それを何ととったのか、泰誠はますます笑った。
「教えてください、是非」
倖奈はもう一度衣の上から懐剣に触れてから、声を絞り出した。
「花を…」
「え? なんですって?」
声が小さ過ぎたらしい。泰誠が僅かに高い声を上げる。
だが、倖奈は俯いたまま。
「花を」
ともう一度言った。
泰誠が瞬く。
時若がふん、と鼻を鳴らす。
倖奈は黙って、立ち上がった。
そのまま棚の間を抜け簀子に出て、階から庭に下りる。
背中に彼の視線を感じたまま、大学寮の庭先、季節が過ぎた躑躅の傍に立つと、ゆっくりと右手を差し出す。
一つ残っていた萎れた花びらに指先がかすった瞬間、そこに淡い光が浮いて。
ぽん、と一つだけ赤い花が咲いた。
「…これしかできないんです」
と倖奈は振り向いた。
だが、泰誠は部屋の入口に呆然と立ち尽くしていた。
「本当に、これしか」
できなくて、と言いかけた瞬間。
「なんですか、今のは!」
甲高い声が上がる。
倖奈は肩を揺らした。泰誠は目を見開いて、拳を握りしめて。
「こんなの… 見たことも聞いたことも…」
どんどん蒼ざめていく。
それから、泰誠はだっと身を翻して部屋の中へ駆け戻っていった。
倖奈はその背を見送ってから、俯いた。
――やっぱり、他にない力なんだ。
泰誠が最後に飲み込んだ言葉は、「ない」だろう。
彼――都の者でも、見たことも聞いたこともない力。
そうだとしたら、これ以上書を探しても、同じ力を持った人間の話など見つからないだろう。
それを知って、次のことを決めようなどと思っていたのに。
――それはできない。
次はどうしたら良いだろう、と倖奈はまた懐の懐剣を掴んだ。
顔を上げると、揺れる御簾の奥からは、早口の泰誠の声と低い時若の声が聞こえた。
今のことを話しているのだろうな、と思うとそちらに戻れずに。
ざわざわと風が鳴くのに耳を傾けた。
そのざわめきに人の足音が混ざる。
ゆっくりと視線を動かすと、隣の棟からの渡廊を人が二人、歩いてきた。
そのうちの後ろ側を歩く影に、倖奈は、あ、と声を上げた。
それに向こうも見向き。
「おや」
と声を上げた。
「倖奈ではないか」
「…シロ」
身体の細い少年は、ぴょん、と簀子から飛び降りて、庭を突っ切ってきた。
「こんなところで何をしておったんじゃ?」
「書を見せていただいていた…の」
「ほほう?」
翠色の眸に光を浮かべて彼は笑った。
「成程… 【かんなぎ】の力を知るためにということか」
「…そう、よ」
「ここの書が確かに役立つと思われても仕方ないかのう… それで? 読んだのか?」
シロがニヤニヤ言うのに、倖奈はゆっくりと頷いた。
「まだ分からないことだらけだけど」
それから真っ直ぐに少年を見つめる。
「シロは?」
「わしか?」
彼は左右に首を曲げて。
「わしは… わしも書を見せてもらうこと、かのう?」
と振り向いた。
その視線の先には、彼と共に来た男が居た。
恰幅の良い男が纏う袍は、形こそ史琉や時若がここのところ纏っているものと同じだが、その色は深い紫。
地位の高い男なのだろうな、と倖奈はゆっくりと頭を下げた。
「ほほう」
と男が笑う。
「…驚いた。そなたが北から来た【かんなぎ】の一人か?」
倖奈は目を丸くした。
男は笑い。
「ここのところこの棟に出入りしているのはそなたたちが多いと聞き及んでいる故、推測したまで」
「…はい」
掠れた声で頷く。男は、はっはっは、と声を上げた。
「警戒されるな、北の巫女殿」
そのまま、鷹揚な足取りで彼はすぐ近くの簀子まで歩いてきた。
「巫女殿はともかく、お主はどうするのだ、シロよ」
んー、と気の抜けた声を上げたシロに男は僅かに眉を寄せた。
「本当に書を見ていくのか?」
「そうじゃのう… 見ていくかのう」
背中をボリボリと掻いて、シロは溜め息をつく。
「…あまり興味がないみたい」
と倖奈はまた目を丸くした。
「当たり前じゃ。書いてある内容を全て知っておるからな」
シロが肩を回す。だが、倖奈はさらに目を見開いた。
「…どうして?」
すると、シロは振り向いて、にやっと笑った。
「どうしてだと思う?」
倖奈は瞬いた。
「どうしてって…」
何も思い浮かばず、呆然となる。だが、そこに。
「お喋りはもう良いか?」
簀子の上に立つ男が言う。倖奈はぱっと振り向き。シロは、間抜けな声を上げて背伸びした。
「そうじゃのう… 見てみるか」
ひょこひょこと、シロは階を上っていく。
その姿は真っ直ぐに御簾の向こうに吸い込まれていく。
「では、またな」
男も笑い、踵を返す。
その後ろ姿をまた頭を下げて見送って、倖奈は、あ、と呟いた。
――この人。市で見かけたことがある。
牛車でやってきて、そこから降りて人々と言葉を交わしていた男。
三条の大殿、とシロは呼んでいた。
――どうして、シロとあの方が一緒にいるんだろう?
だが、首を捻っても理由となるような事柄は思い出さない。思いつかない。
この世には考えても分からないことが存在するのか、と吐き出した溜め息はじんわりと宙に溶けていった。
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