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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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四の一「同じ話をぐるぐるぐるぐる繰り返すばかりで… 発展も進展もあったもんじゃない」

ざわめきが通り過ぎる間、額が床に付くすれすれにまで頭を下げていた。
皮膚が全ての気配を感じなくなるまでそのままでいて、さらにもう十数えてから顔を上げる。
がらんどうになった室内を見回してから、史琉は息を長く吐き出した。
その隣で、もう一つ溜め息が響く。
「もう飽きた」
溜め息の主は時若で、眉間に深い皺を刻んで腕を組んで座っていた。
「飽きたって…」
史琉が苦笑する。
時若は盛大に舌を鳴らした。
「なんなんだ、この会議という場は。延々延々、御偉方の話を聞くだけの場か」
浅緑の袍の袖を揺らして、彼は冠をむしり取り、放った。
「しかも同じ話をぐるぐるぐるぐる繰り返すばかりで… 発展も進展もあったもんじゃない」
冠はかさついた音を立てて、木の床を転がっていく。
「…予想はしていただろう?」
史琉は苦笑いを深め。
「していたから腹が立たないということはない」
時若はさらに苛立った声を上げる。
「しかも、北の地に関しての会議のはずで、そのための使者で来た俺たちに発言の機会がないというのはどういうことなんだ」
肩をいからせて彼は振り向いた。
「この状況で、おまえは何でそんなに平然としているんだ。この会議が同じことを繰り返している間中ずっと北への援助は得られない。俺たちは帰れないんだぞ」
「分かっているさ…」
史琉はもう一度ゆっくりと笑った。
「だが、ここで俺たちだけが喚いたら、得られるものも得られなくなる」
だが、時若は首を振って、勢いよく立ち上がった。
「得られるか否か――奴らにとっては送ることが是か非かの判断だけだ。それすら出来ぬなんて、奴らの腰は重過ぎる…」
「重くもなるさ。彼らは切羽詰まっていないんだから」
それを見上げ、史琉はまだ笑んだ。
「奴らは、目の前で理不尽に人の命が尽きていくのを見たことがないんだ。だから、悲しみも悔しさも何も知らない」
時若は一瞬だけ眉を顰め。それからガンと床を蹴った。
「戻るか?」
史琉が問うと、時若は振り返らずに言った。
「大学寮に寄っていく。倖奈と美波も来ているだろうからな」
「そうか」
荒々しい足音が去っていくのを聞きながら、史琉は目を伏せた。
「…俺はもう御免だ」
溜め息が消えてから。彼は立ち上がり、己の体を見下ろした。
薄緑の袍に包まれた体、左腰に普段あるはずの太刀はない。宮中に上がるのには不要、と入口で預けるのが決まりになっているからだ。
すかすかの腰に手を当てて溜め息をついて、それから懐に手を入れる。だが、史琉はまた溜め息をついた。



浅緑の袍を着たまま冠だけ懐に仕舞って、都の大通りを下る。
北の奥にある内裏から見れば遠くにある一角の、茅葺きの、古ぼけた奥に細長い棟。
そこのがたついた引き戸を開けると、中からは背の低い男がギロリと睨んできた。
男は、沓脱ぎ石を上がった直ぐにどっかと腰を下ろしていた。小さい窓から差し込む初夏の日差しは少なく、男のきつい空気と相まって、中は薄暗い。そんな部屋の床には所狭しと刃物が並んでいた。
ぐるりと中を見てから、史琉はにこりと笑んで。
「頼んでいた物を取りに来たんだ」
と言った。
すると、対する初老の男は史琉を頭のてっぺんから爪先まで見遣ってから。
「あんたみたいなお役人に頼まれた物なんてないね」
ぷい、と横を向く。
史琉は苦笑した、
「…修正。頼んだのは俺じゃない」
そう言って、懐から取り出した書付を手渡す。それをじっと見てから、初老の男はにっと笑った。
「なんだ… 律斗坊の遣いか」
それを早く言え、と彼は人懐っこい笑いを向け直してきた。
書付を放ると衝立の奥に引っ込み、すぐに変哲もない太刀を持って現れる。
「これだ」
史琉はそれを受け取ると、すらりと鞘から抜き払う。真っ直ぐにそれを壁に向けて、じっと見つめ。ぶん、と一回だけ振るう。
「有難う」
それから史琉が微笑むと、男も笑った。
「律斗坊は北の地でも上手くやっているのか?」
ニヤニヤと男は言い、史琉は笑みに苦味を加えた。
「…まあ、ね」
「あんたみたいなお役人を顎で使うくらいなんだから、上手くやっているんだろうな」
男は呵々と笑った。
「頼むのも、自分で来るんじゃなくて、文一通で済ませやがった。ガキの頃から面倒見てやっているっつーのに、この不義理っぷりだ。あんたも結構苦労させられてるんじゃないか?」
「お遣いを頼まれたり、とか?」
史琉が返すと、男はますます笑った。
一頻り笑った後に、男は放った書付を拾い。
「もう一つの頼まれ事もあんたに話していいんだよな?」
と表情を引き締めた。
「探し人の件…だよね?」
史琉も頷く。男は書付をひらひらと動かしながら溜め息を吐いた。
「年の頃は十六、七。短身痩躯の少年… そんなもんうじゃうじゃいるぞ」
どかり、と框に腰を下ろして、男は言葉を続けた。
「つい最近、三条の大殿が拾った中にもそんな奴がいたらしいが…」
「…それが当たりだといいんだけど。やっぱり、そう簡単には捕まらないかな」
「そう思ってくれ。そもそも俺は人探しは嫌いなんだ」
そう言って、男は手を振った。
「さあ、用が済んだら帰った帰った」
「親爺さん」
史琉はにっこりと笑った。
「頼まれついでに。俺の分もお願いしていいかな?」
「なんだ?」
男は首を傾げ、にっと笑った。
「律斗坊に免じて、何でも手配してやるぞ?」
史琉も笑みを深くした。
「…今、懐剣の在庫って持ってないかな?」
「懐剣…? あんたみたいな、武士処の役人さんでも使うのかい?」
「無いと落ち着かないんだ」
史琉が苦笑いを浮かべると、男は体をひねり、並ぶ刃物の中からすっすっと短刀を取り出して、框に並べ始めた。
やがて揃ったのは十口。
「こんな、味も素っ気もないのしかないぞ?」
「切れ味は抜群なんだろう?」
史琉が問うと、男は大きく頷いた。
「任せろ」
史琉は、並ぶ中から一番小ぶりな黒い鞘の一つを取り上げる。
刃を抜くと、先を自らの手の甲にちょんと押し当てた。
そこから、ぷくり、と血の雫が浮かぶ。
史琉はゆっくりと笑った。
「充分。これを頂きます」
すると、男も満足げに頷いた。
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