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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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参の五「いいよなあ、子どもは。何も知らないから何も考えなくて良くて、何でも言える」

烏帽子から零れる短い髪。釣り上がった眉に、笑んだままの口元。真っ直ぐに向けられた視線。
それに引き寄せられて、ぼうっとなった瞬間に。
「大学寮は楽しいか?」
史琉が口を開く。
瞬くと、火照りは風に攫われていき、口から飛び出したのは素直な言葉だった。
「楽しい」
倖奈は笑い返した。
「書庫で、都の【かんなぎ】の方に会ったの。その方にいろいろな事を教えていただいわ」
そのまま、この五日で読んだ本の中身、泰誠と交わした言葉を告げる。
倖奈が喋り続ける間、史琉はずっと微笑んでいた。
「…楽しいっていうのがよく分かったよ」
言葉が漸く途切れた瞬間に、彼はゆっくりと口を開いた。
「知識を得るのはいいことさ。それがなきゃ知恵も生まれない」
「知識と知恵…」
知らず瞬いて、倖奈は目を伏せた。
「いろんなことを知るのは楽しいけれど… でも、結局知らないことも多いままで。何もできないでいる」
「何を知らないままだっていうんだ?」
問われ。
「相変わらず、花を咲かす以外にできることが分からないとか」
倖奈はぎゅっとお下げの髪を握った。
「美波が思っていることが分からない… とか」
掠れかけた声で言う。すると、相手が小さく吹き出すような気配がした。
不思議に思って顔を上げると、史琉はどこか困ったような笑みを浮かべていた。
「だってね」
と、その彼に向かって先ほどの出来事を掻い摘んで伝える。
聴き終わった彼は、ますます苦笑した。
「喧嘩っていうのは、殴り合いだけを云うんじゃないんだぞ?」
倖奈は首を傾げてみせたが、彼も首を振るだけだった。
史琉の云わんとするところが思い当たらず、瞬く。
そのまま暫く二人、黙ったままでいたが。
不意に、川原の子どもの声が高くなった。
何事かと顔を上げると、宙高くを鞠が飛んできた。
その鞠は、ぽおん、と弾んで、二人の座る草叢近くに落ちる。
それを見てから、史琉は立ち上がった。
「おじさーん。その鞠、取ってー!」
草叢の外、砂利の上で、格子模様の小袖を着た男の子が叫ぶ。
「ほらよ」
史琉は軽やかに笑い、鞠を放った。
鞠は一度跳ねて、子どもの腕の中に納まる。
男の子と、その向こうにいた他の子ども達が、有難う、と叫ぶのに史琉は手を振る。
それを見上げて。
「おじさんって…」
と、倖奈は小さく吹き出した。
確かに彼は自分から見ても年上だ。だからといって、まだ『おじさん』なんて呼ばれるような年ではないだろうにと思ったのだが。
「子どもから見たら、大人の男は皆おじさんだろ」
と、当の本人はからっと笑った。
「いいよなあ、子どもは」
軽い声のまま、彼は呟いた。
「何も知らないから何も考えなくて良くて、何でも言える」
倖奈は目を丸くした。
――子ども。
そういえば、今日は大学寮でも同じようなことを言われた気がする。
――子どもではありませんの。遣り方は考えられましてよ。
確か、天音という女性は余裕の表情でそう言っていた。
彼女の云う、史琉の云う子どもとは何だろう、と倖奈はお下げ髪を握る手に力を込めた。
――何も知らないから何も考えられない。
己の為す事も決められない、それを為し得るだけの知識も知恵もないことを。
――それが子どもだと言うならば。
「わたし、大人になりたい」
ぼそり、と呟く。
「…は?」
史琉が目を丸くする。
その顔を見上げて。
「子どもは嫌。だから、大人になりたい」
倖奈は眉を寄せた。
「…どうすれば、成れるかしら」
すると、彼はまた吹き出した。
「また… びっくりするようなことを言うんだな」
倖奈はむっとした表情で見上げた。
「史琉は大人だから、そういう風に思うんだわ」
すると、史琉は首を振って、もう一度倖奈の隣に腰を下ろしてきた。
「おまえから見て俺は大人か?」」
「…大人よ」
迷いなく答える。
「だって… 初めて会った時から、あなたはいろいろなお役目を負っていたわ」
そして、それをこなし続けていたのだ。その裏にはきっと、彼自身が持つ知恵や知識が支えとしてあったのだろう、と思い。
「だから、大人でしょう」
そう続けて。
「…そういう史琉は、わたしをどう思う?」
上目遣いに見上げ、問う。
「やっぱり子ども?」
「…子どもだな」
と、彼は苦笑いしながら言った。
「やっぱり…」
倖奈はぶうと頬を膨らませた。それを指先でつつきながら。
「…悪かったよ、むくれるなよ」
史琉は笑い直す。
「じゃあ、俺は、倖奈が大人になるために、何を手伝ってやればいいんだ?」
「何をって…」
倖奈は視線を宙に泳がせた。
――手伝ってもらうの?
様々な知識と知恵をもとに自らのことを自ら決められるようになることが大人になることだとしたら。
そうなるために手助けしてもらうというのは何か可笑しな気がした。
だが、それをそのまま言うのも何か可笑しくて。
「…史琉は、大人になりたいと思ったこと、なかったの?」
わざと違うことを言ってみたのだが。
「あるよ」
至極あっさりと答えが返ってくる。
倖奈は瞬いたが、史琉は笑みを深くした。
「早く一人前と認められたいと思ったことが、あるよ」
それがなぜか不思議で。
「その時、どうした?」
と重ねて問うてみる。
「聞いてどうするんだ? 男と女じゃ訳が違う。参考にならないぞ?」
「それでもいい。聞かせて」
体を真っ直ぐに彼に向けて座り直す。
すると、史琉は、手元にあった草を一つ引きちぎって。
「そうだな…」
と遠くを見遣った。
「まず、髪を伸ばした」
「髪を?」
倖奈は声を上げた。
「でも今は…」
「軍に入った後、なんだかんだで短いほうが楽だって気づいて、それからはこの髪なんだよ。その時――十二の時は伸ばしたの」
史琉は笑い、手元の草を放り。
「それから袴をつけた。それまではつんつるてんの小袖に裸足で駆け回っていたのが、きちんと髪を結って、衣装を整えた。結構、背伸びしたんだぞ?」
そう言って、視線を川原を駆ける子ども達に向けた。
「格好から大人になろうとしてな」
倖奈も子ども達を見遣る。
歓声を上げて鞠を追い続ける彼らの姿と、今目の前に座る男性と、全く重ならない。
「…でも、今は格好だけでないでしょう。それ以外にも変わったのはどうして?」
言うと、史琉は苦笑いの顔で振り向いた。
「それは… 一気には変わらなかったさ」
「そうなの?」
「十年かかって、こうなったんだよ」
「じゃあ、それを教えて」
すると、史琉の笑いがますます苦味を帯びた。
「…十年分の俺の行動を一気に話せというのは無理がないか?」
――確かにそうだ。
しゅん、と項垂れる。だが、伸びてきた指がふわと顎を掬った。
「…また今度な」
誘われるまま、顔を上げる。すると、思いの外近くに彼の顔があって、倖奈は肩を揺らした。
「そんなに驚くなよ」
史琉は笑う。それから、指先を頬に滑らせて、じっと顔を覗き込んできた。
「確かに、俺から見ても、おまえは子どもさ。知らないことが多い」
聞こえた言葉に、倖奈は眉を寄せた。
「だが、何も考えていなかったわけじゃないだろう? おまえなりに考えて、花を咲かそうとしてきてたんじゃないのか? 着る服にしたって、美波や茉莉様が勧めてくれたというのはあっても、着ることを決めたのはお前自身だ」
だが、史琉は話し続ける。それにつれて顔の強ばりは解れて、倖奈はぼうっと彼を見つめた。
「俺の十年分の経験から言うと… おまえのいう大人には、一気には成れないさ。だけど成りたいと足掻かなきゃ、成れない」
と、史琉は笑みを深くした。
「見て、聞いて、精一杯考えろ。足掻け。それしかないさ」
倖奈は僅かに口を尖らせてみせた。
「…難しいのね」
「仕方ないさ」
笑われ、倖奈も笑った。
「でも、頑張るわ」
史琉は頷いた。
それが嬉しくて、頬に添えられたままの手に擦り寄った。
荒れて、硬くなった指先。それが不意に頬を滑り落ちる。
びっくりして、その行く先を追うと、彼は両手で倖奈のお下げ髪を掬った。
「…史琉?」
裏返った声で呼ぶ。だが、彼は何も言わずに、結い紐を解いてしまった。
「考えてもらうことを一つ、増やそうかな…」
小さく、だが楽しげに彼は呟いて。
「俺は倖奈のこの髪が好きだよ」
ゆっくりと編込みを解いていく。
細くて柔らかい髪が広がる。それを硬い指先が梳いて、ふわりと揺らす。
「だから、結って隠してしまうのは嫌だ… と言ったらどうする?」
両手で、頭のてっぺんから緩く巻く先の方まで、梳いて撫でて、彼は笑った。
「どうするって…」
倖奈は瞬いて、首を振る。だが、史琉はますます笑った。
「おまえ、この間、飾り布を買っていただろう? あれはどうした?」
「…お邸に置いているけれど?」
「じゃあ、戻ったら飾ってみるか」
言って、史琉は立ち上がった。
「ほら、戻るぞ」
すっと右手が差し出される。
倖奈は恐る恐る、自分の右手を載せて、立ち上がった。
その瞬間もまた、髪がふわりと揺れる。
史琉は手を引いて歩き出し、引かれるまま、倖奈も夕陽の濃くなった道を歩き出した。
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