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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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参の四「じゃあ、どうして怒鳴るの? 何か苦しいの? 悲しいの?」

大学寮を出て、大通りを南へ。西の山の端に近づいていく陽に急かされるように歩く人波に乗って、美波はずんずんと進んでいく。
薄紅の裾と濃い山吹の袖、市女笠の垂れ衣を揺らし、どんどん遠ざかる背中を、倖奈は小走りで追いかけた。
ずり落ちそうになった水色の被衣を両手で押さえながら。
「怒っているの?」
そう声を掛けると。
「怒ってない!」
低く、それでいて大きく、美波は返してきた。
倖奈は眉を寄せた。
「じゃあ、どうして怒鳴るの? 何か苦しいの? 悲しいの?」
そう喋る間も、美波は足を止めない。だから、倖奈も息を切らしながら。
「美波。あなたが何を感じているのか、わたしは分からない」
必死に言いつのる。
「分からないから、何もしてあげられない」
それでも、美波は振り返らない。倖奈はますます眸を揺らした。
「ねえ、何を考えているか教えて」
すると、美波が突然足を止めた。ぎっと鋭い視線で振り返り。
「煩い!」
彼女は叫んだ。
倖奈は目を見張った。
そのまま二人、人の流れの真ん中で、向かい合って立つ。
倖奈はそろりと右手を動かして、お下げ髪の先を握り締めた。
美波は僅かに垂れ衣を持ち上げて、鋭い視線を向けてきた。
「自分のことは何も話さないくせに、人のことは聞きたがるの?」
その言葉に瞬く。
「わたし…?」
「何も話さないじゃない。砦で花を咲かせていたことも、史琉のことも…」
美波の目元が赤くなる。倖奈は頭を振った。
「それは…」
――美波が聞いてきたことには答えていた、けれど。
それでは足りなかったのだろうか、と何度も瞬いた。
その倖奈を、美波は頭の天辺から爪先までじろじろと見てから。
「着物も藍にしておけって言ったのに」
奥底を揺らして、呟く。
「目立たないようにしとけって言ったのに。いつの間にか着物の色も変わって、都の人と知り合っていて… みんな、勝手にやって…」
一度、息を小さく吸って、美波はまたぎっと見向いてきた。
「全部、勝手に…」
倖奈はひりつく視線に口を閉じた。美波はばさり、と垂れ衣を下ろすと何も言わずに歩き出した。
それを今度は呆然と見送って、ざわざわいう人波に気付く。波の中に取り残されて、倖奈は俯いた。
見えたのは、都に来てから初めて身につけた、梔子色の小袖に水色の被衣。
――確かに、今身につけているのは茉莉様からの借り物だから。
元々の自分の姿では確かにないかもしれない。それも美波は嫌なのだろうか。
――何がいけないんだろう。
美波が言うことの、字面での意味は分かったが。その奥底に潜むものがわからない。
どうしたら良いかも思い浮かばない。
胸の底に鉛を抱えたような感触が体を支配する。
その感覚に導かれ胸元に手を寄せれば、衣の裏に冷たく硬い何かが本当にあるのを思い出した。
――史琉に懐剣を借りているんだった。
そう思うと同時に、無性に彼の顔が見たくなった。
――今の話を、聞いてくれる?



かなり大股で歩いてきたから、息が切れた。
打掛の襟も乱れているし、おそらくは朝施した化粧もぐちゃぐちゃだ。
笠の垂れ衣で必死に顔を隠しながら、そのまま門を潜ろうとしたのだが。
「美波」
低めの声音で呼ばれ、足を止める。
垂れ衣越しに見れば、門の脇に、北の地から共に来た男が立っていた。
「史琉」
烏帽子の隙間から短い髪がぱらりと落ちてきたのを指先で掻き上げながら、彼はゆっくりと体ごと向いてきた。
その髪と、若竹色の直垂、腰に下がった太刀をゆっくりと見てから、美波は顔を隠したまま、意識して朗らかな声を出した。
「ただいま。あなたももう戻ってきていたの?」
「…まあ、ね」
笑ったような気配の相手から体を逸らし、邸の中へ入ろうとしたが。
「美波」
今一度呼ばれ、美波はまた立ち止まった。
「一人で帰ってきたのか?」
「…そうよ」
揺れそうになる声を無理矢理固めて答える。
「今日は倖奈と一緒じゃなかったのか?」
「そうだったけど」
「一緒に帰ってこなかったのか?」
「…そんなの、わたしと倖奈の勝手でしょ」
すると、史琉の大きな溜め息が辺りに響いた。
「何よ」
思わず、叫ぶ。
「私の勝手じゃない」
「その勝手の結果で、おまえや倖奈に何かあったら、俺も困るんだ」
「どうして!?」
思わず垂れ衣を上げて、きっと睨みつける。
史琉は、苦笑いをしたまま、美波をまっすぐ見つめてきた。
「一緒に北から来たんだ。全員で無事に戻りたいだろう?」
その声と視線を受け止めきれず、美波は視線を逸らす。
「無事に… ね」
呟いて、頭を振る。
「できるなら、元の状態に戻りたいわ」
すると、今度は史琉が首を傾げた。
「元の状態…ってなんだよ」
「いろいろよ」
美波はさらに首を振った。
「ううん… いろいろってのは嘘ね。主にあの子とのことだわ」
「…倖奈がどうした」
訝しげな声に、美波はそっと向き直った。その瞬間、彼の困りきったような表情が目に入り、胸を鷲掴みにされたような感触に陥った。
「…あなたはあの子の心配しかしない」
美波はぐっと唾を飲み込んだ。
「目立たない、何も出来ない、そのはずのあの子なのに」
言うと、史琉の表情がゆっくりと冷めていった。
「それはおまえがそう見ているだけだろう。ついでに言えば、時若もそうだろうし、北の砦でのあいつの評判もそうかもしれないが」
「じゃあ、あなたにはどう見えるというのよ」
つい、噛み付くような声になる。だが、史琉はまったく動じずに。
「俺が見たままさ」
そう言う。美波はぐっと一度唇を噛んでから。
「史琉」
相手を呼んだ。
「…なんだ?」
返ってきた返事は固さを残したものだったが、構わずに。
「わたしはどう見える?」
と問うた。
すると、史琉は瞬いた。
「美波は美波… だろう」
「そうじゃない」
美波は小さく叫んだ。
「もっと… 言い様があるでしょう。印象とか雰囲気とか」
「そういうことで良いのなら」
と、史琉はゆっくりと目を細めた。
「お洒落もお喋りも好きだろう、普通の女だよ」
言われ、美波は肩を落とした。
「…そう。他には?」
「…おまえは何が聞きたいんだ?」
「わたしだけへの何かはないの?」
じっと見つめながら問う。
「わたしが一番の何かは?」
だが、彼は首を振り、しっしと手も振った。
「とっとと中に入れ。ここで言い合っていたら、芳永様にも不快な思いをさせる」
かっと頭が熱くなる。その勢いのまま戸を潜る。
五歩進んだところで振り向けば、彼はまだ門の脇に立っているようだった。
「…倖奈を待ってるの?」
形こそ問いかけだが、気持ちは断定していた。
そして、そうする彼にも、される倖奈に対しても、胸の底から熱が沸いてきて仕方がなかった。



どうにかこうにか、のろのろと歩いて、芳永の邸に帰り着く。
のんびりと暮れていく陽はまだ西の空にいて、その光を受けながら、邸の門の前では桂次が例によって掃き掃除をしている。
そのすぐ近くにもう一つ、立つ人影があり。
二人はほぼ同時に振り向いた。
「お帰りなさいませ」
桂次が笑い。
「一人、遅かったんだな」
今一人もくすりと笑う。倖奈は瞬いて。
「史琉」
その相手を呼んだ。
その瞬間に、胸の底が少しだけ軽くなる。
「もう… 今日のお仕事は終わり?」
「ああ」
問いに返ってきた答えに、倖奈は微かに笑んだ。
――話をする時間あるのかしら。
そう思い口を開きかけたが、先に言葉を発したのは史琉で。
「美波は先に戻ってきたぞ」
「…うん」
それには頷き、そのまま俯いた。
「おまえたちは喧嘩でもしているのか?」
だが、どこか呆れたような声が聞こえ、また顔を上げる。
「…喧嘩?」
そのままじっと史琉の顔を見つめ、首を傾げる。
「別に叩いたりしてなんかいないわ。美波だって」
すると史琉は何度か瞬いて、それから苦笑した。
「…まあ、いいさ」
そして、史琉は烏帽子の紐を少しずらすと、体ごと桂次に向き直った。
「少し出かけてきます」
すると、相手も心得ているとばかりに頷いた。
「はい。夕餉にはお戻りくださいね」
「ええ、勿論」
若竹色の直垂の袖を揺らして、彼は倖奈の前に立つと、ぽんと頭に掌を置いた。
「ほら、行くぞ」
言って、ざっと土を踏んで歩き出す。
倖奈は瞬いて、桂次の顔を見た。
「行ってらっしゃいませ」
皺だらけの顔で穏やかに微笑まれ、倖奈は慌てて史琉を追いかけた。
史琉は、邸の前から続く川沿いの道を迷いなく歩いていく。その背中を倖奈は追いかけた。
「…どこに行くの?」
「適当に、その辺」
振り返って笑われ、倖奈は目を丸くした。
「まあ… 時間も時間だし、そう遠くには行けないさ」
川下に行った先には、土手の下に砂利の川原が広がっていて、夕陽を浴びて子どもたちがはしゃぎ声を上げている。
緩やかな坂になった土手の中程には柳の木。その根元につかつかと寄って行って、史琉は振り返った。
「のんびりできればいいのさ」
そう言って、手招きする。
倖奈がそうっと近寄ると彼は座るように促してきた。そのまま二人、柳を背に腰を下ろす。
夕暮れの涼しい空気の中を小袖一枚で駆け回る子どもたちをぼんやりと眺めてから視線を横に動かすと、隣の人は微笑んでこちらを向いていた。
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