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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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参の二「何代か前の【みかど】に関係する方が集めた蔵書がそのままここに寄贈されたんだとか」

大学寮は、都の真ん中の大通りを北に進んだ、内裏にほど近い所に在った。
門のすぐ横の小さな番小屋の男は、書状を見ると何も言わずに顎をしゃくって「通れ」と示してきた。
「あなたはどうするの?」
倖奈が問うと、次郎はゆっくりと首を振って、道をのそりと歩き去っていった。
――頃合を見て戻ってきてくれる… のかしら?
白い犬が人混みに紛れていくのを見送ってから、中に向き直る。
築地塀の内側には、木造の大きな棟がずらりと並んでいた。
その中を、時若は常と変わらずに背中で一つに括っただけの長い黒い髪を揺らして、ずんずんと歩いていく。
待って、と小声で呟いて、慌てて走る。
だが、すぐにその背中に勢いよくぶつかった。
「ごめんなさい…!」
はっとして体を起こしたが、時若は振り返らない。
倖奈は瞬いて、爪先立って時若の肩越しに前を向いた。
すると、塀と建物の間、土の上に小石が敷き詰められた通路でこちらと行き合うように人が立っているのが見えた。
小袖と袴の上に、深い土色の羽織を着ている彼は何度も何度も瞬いて、それから。
「ああ… ご機嫌よう」
と笑った。
「おまえは、この間、秋の宮様の屋敷で会った【かんなぎ】だろう」
時若が低く問う。
「そうです。北の地の【かんなぎ】殿」
対する彼は、頬と目元を人懐っこく緩めて。
泰誠たいせいです。改めて、よろしくお願いします」
腰を折った。
時若はむすりと立ち尽くしていたが、倖奈は慌てて頭を下げた。
「…そう、女性の方もお見えだったのでしたね」
対する彼は、背は高くなく、肩や腕の線は丸っこく、ぽっちゃりとした印象だ。
それが余計に彼に柔らかい空気を纏わせていて。
「よろしくお願いしますね」
言葉もふわりと響く。倖奈はまた目を見開いて、小さく頷いた。
「今日はどうなさったんですか?」
泰誠が問う。時若は不機嫌そうな声で。
「秋の宮様を通じて、ここへの出入りの許可を頂いた。書を借りに来ただけだ」
答える。だが、泰誠は気にしていないのか、また微笑んだ。
「こちらにどうぞ。僕が知る限りではありますが、書庫の中の本をご案内しますよ」
泰誠が二人を手招きする。
一瞬の躊躇いの後、時若はずんずん歩き出す。倖奈も早足で二人に付いていった。



案内された建物は、敷地の東端にあった。
中は、さして高くない棚が所狭しと並べられ、その全てにぎっしりと冊子や巻物が詰め込まれていた。
「これ全て… 【かんなぎ】に関する物?」
倖奈が呟くと。
「そうですよ」
泰誠が嬉しそうに笑う。
「何代か前の【みかど】に関係する方が集めた蔵書がそのままここに寄贈されたんだとか。僕もまだ全てに目を通せていないほど沢山あります」
その言葉を聞いているのかいないのか、時若はずいと棚に寄っていって、端から一冊抜いてはさっと眺めて返すということを繰り返し、やがて一つの巻物をじっと見たまま動かなかくなった。
それに微笑み、それから、泰誠は振り向いた。
「倖奈さん… でしたね」
「…はい」
小さく応えると、泰誠はゆっくりと笑った。
「あなたはどのようなことに興味があるんですか?」
「え…?」
倖奈は瞬いた。
「どのような…」
「ええ」
彼は頷き返す。倖奈は黙りこくって俯いた。
――何も考えていなかった。
まただ、と倖奈は唇を噛んだ。
泰誠は気を悪くした風はなく。
「特に決めていないのなら、この辺りはどうですか?」
そう言って、少し先の棚にあった、冊子を取り出した。
「ああ、でも、基本的なことすぎてつまらないかも…」
「いいえ… そんなで大丈夫です」
倖奈は言って、真っ赤になって手を出した。
泰誠は瞬いて、だが、すぐに笑い直した。
「神気とは何か、瘴気とは何か。そんなことを先程お話した方が自身の考えを書き留めたものです」
頷いて、その冊子を開く。
中は細くて頼りない字が、泰誠が言ったことをするすると記していっている。
「瘴気とは何か…」
倖奈が呟くと、泰誠がまた口を開いた。
「その方は、瘴気の正体を突き止めたかったようですね。瘴気の正体が分かれば、その発生が人の手で自在に操れると考えていたようだ」
「…そうなの?」
倖奈が書から顔を上げると。
「この方自身の書何冊かを僕が読み解いた限りでは、ですが」
彼は頷いた。
「さらに僕自身の見解を加えると、瘴気の発生を食い止めて、魔物の発生を無くそうと考えていたのではないかと思います」
「そんなことができるの!?」
上ずった声を上げる。
その声が思いの外、部屋の中に響く。倖奈ははっとして口元を書で隠し、見回した。
部屋の中には、倖奈自身に泰誠、時若ともう一人居た。
泰誠はにこりと笑んだまま。時若は巻物から顔を上げる気配もない。
残りの一人だけが。
「あら」
と言って、振り向いた。
「よく通るお声だこと」
倖奈はじっと相手を見た。
曙色の小袖に淡い黄の上に豪奢な刺繍が施された打掛を来た女性。豊かな黒髪が縁どる顔には白粉が塗られ、唇にも紅が刺されているのが薄暗い部屋の中でも分かり。
その唇がゆっくりと弧を描く。
倖奈は頬がかあとなるのを感じて、目を伏せた。
「…天音あまね殿?」
泰誠が怪訝そうな声を上げる。
「なぜ、あなたが此方に?」
「あら、私の勝手でございましょう?」
彼女は嫋やかな指先をすっと自らの頬に添えて、微笑んだ。
「こちらに出入りを許されているのは、【かんなぎ】だけではございませんわ」
「そうですけれど…」
泰誠は眉尻を下げた。
「あなたのような官女が、【かんなぎ】の知識を必要とされるのかな…なんて思ったんですよ」
「あら、そちらのお嬢様だって…」
「この方は【かんなぎ】です!」
泰誠はますます困ったように声を荒げた。
だが、天音と呼ばれた女性は莞爾と微笑んで。
「私にもここにいる権利がございましてよ。でも、お邪魔のようですから、今日は退散いたしますわ」
また来る、と言って彼女は何も持たずに部屋の外に出ていった。
その軽やかな足音が聞こえなくなってから、泰誠は溜め息を吐き出した。
「別に追い出したつもりなないんだけどなあ…」
そう言って、倖奈に笑いかける。倖奈も曖昧に笑い返した。
それから泰誠は、彼女が立っていた辺りに歩み寄った。
「この辺りは、魔物が発生した場合に対する対処にどのようなものが考えられるか…を件の方が纏めた物があるんですよ」
言って、振り返る。
倖奈は首を振って。
「少しずつ… 読みます」
有難う、と言葉を絞り出して俯いた。



そうして、どれくらい経ったのだろう。
床に座り込んで、次から次へと倖奈は巻物を引っ張り出していた。
それにはっとして、それから肩を竦めて首を回すと。
怒り顔の時若が少し離れたところに立っていた。
「帰るぞ」
短く言い切って、彼は背を向ける。
倖奈は慌てて立ち上がり、わたわたと巻物を棚に戻した。
それから駆け出そうとして、また別の人と視線が合う。
「泰誠さん」
「如何でしたか?」
窓際の文机に片肘を載せて、彼は笑って問うてきた。
「面白かった?」
「…はい」
頬を真っ赤に染めて、俯く。
それから。
「また来ても… 話を教えてもらっても、よろしいですか?」
声を搾り出すと。
「ええ、勿論」
彼はさらに笑った。
「僕のほうこそ。教えていただけることがきっとありますから」
倖奈は深く頭を下げると、だっと走って時若を追う。
追いついたのは、門の外に辿り着いてからで、彼の足元には次郎がまとわりついていた。
膝をついてその白い犬をぎゅっと抱き寄せると、彼はふわふわの頭を倖奈の頬に擦り付けてきた。
「…珍しいな、おまえが」
頭の上から降ってきた声に見上げると、朱色の陽の光に照らされた時若の顔が見えた。
「本は… 面白かったか」
倖奈はゆっくり首を縦に降った。
「ならば良いが」
僅かに眉を寄せて、すぐに時若は歩き出してしまう。
倖奈も立ち上がって、次郎と共にその少し後ろを歩き始めた。
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