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花の如く 作者:秋保千代子

第一章

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壱の五「髪が柔らかい倖奈も、花を咲かすことができる倖奈も、俺は好きだよ」

墨色の空に星がぱらりぱらりと撒かれている夜。
昼間とは打って変わって雲一つ残らない其処に浮かぶ白い月の明かりを頼りに、庭の木立の間を抜ける。
時折、被いた小袖が枝に引っ掛かって歩みが止まる。
だけど、立ち止まることも決して悪くは無い。
なぜなら、見逃してしまいそうだったものを見つけることができるから。
――ここには菫が咲くのね。
足元に小さな芽を見つけて、倖奈は微笑んだ。
それを避けて、また進む。
今夜の目的は菫ではない。
北の砦の東、倉が立ち並ぶ一角に立つ梅の木だ。
昼間見つけた、春を待つ砦の中で一つだけなかなか蕾が膨らまずにいる、それ。
辿りついて、倖奈はまた笑う。
そのまま、細い腕を伸ばし、薄い掌で幹を触る。
固い皮を撫でて、目を閉じて、凭れかかり頬を寄せる。
「咲いて」
呟くと。
ぼう、と木が微かに光る。
一瞬のうちに元に戻った木の枝の先では。
固く包まっていた蕾の先が僅かに色づいていた。
「もうちょっと頑張れば、綺麗に咲けるね」
ほっと息を吐いて笑うと。
「ああ、そうだな」
不意に声が聞こえて、びくっと肩を揺らした。
だが、振り返りその声の主の顔を見て、倖奈はふわりと笑った。
「史琉!」
彼はひょいと片手を上げ、さくさくと土を踏んで近寄ってきた。
「やっぱり今夜はこの木だったな」
倖奈も木から体を離して、史琉に駆け寄る。
昼間に主殿で会った時とは違い、今は小袖に切袴を付け、短く切った髪と襟巻を夜風に揺らしていた。
それでも、腰には刀が差してある。
「今夜は、お仕事は?」
正面に立った倖菜が問うと。
「昼間こき使われたんだ」
史琉は、右の前腕を逆の手で擦りながら苦笑した。
「さすがに夜は非番だよ」
「…また魔物と戦ってきたんだものね」
「そういうこと」
ひょい、と肩を竦めてみせる彼を、倖菜は上目遣いで見つめる。
「昼間の怪我は大丈夫?」
「ああ… これ?」
史琉は袖を捲り、擦っていた場所を覗かせる。夜の闇に紛れて、傷が走っているのしか分からないが。
「大丈夫だよ。三日もすれば消えるさ」
と笑われ。
「…そう」
倖奈も笑い返す。
「今夜は、しばらく一緒にいられるの?」
重ねて問うと。
「勿論」
史琉は笑う。そのまま、すっと歩いていって、先ほどの梅の木の根元に腰を下ろした。
それから、ちょいちょいと手招きする。
倖奈は笑って駆けて、その横に座った。
その途端、彼の左腕が伸びてきて、そのまま、引き寄せられる。
とん、と史琉の胸に背中を預けて、倖奈は笑った。
「史琉には、わたしの考えてることなんてお見通しなのね」
「なんだよ、急に」
「だって、さっき、今夜わたしがどこに来るか分かってるみたいに言ってたじゃない」
「ああ…」
史琉は笑って、鼻の頭を掻いた。
「この木が毎年、花が咲くのが一番遅いからな。おまえが放っておくはずないだろ」
「咲かせようとすると思ったの?」
「そうだよ」
くすり、と降ってきた笑い声に倖奈も笑った。

花を見ると心が躍る。
それは、その匂い、色かたちに心惹かれるから。
幼い頃――記憶に残る前からずっと、そうだったらしい。
触れるとその花を開かせることができるという力のせいで、物心がつく前に親元から離され【かんなぎ】達が集まる神殿に連れて来られた。
花には魔物を、その源となる瘴気を弱らせる力がある。その花を咲かせることができるのは、強い【かんなぎ】であるからに違いないと思われたらしい。
だが、実際は、同じような力をもった者の話が全くないためどのように扱ったらよいか周りの者が分からず、放っておかれることになった。
ならばせめて、他の【かんなぎ】達がするような、結界を張ったり術具を作ったりということができるようにと修行を積んだが、からきし駄目だった。
真桜は何も言わない。
だが、時若は「ろくでなし」とはっきり言ってくる。
魔物から人の暮らしを守るための砦にいるのに、魔物との戦いに、何の役にも立たないのだ。その言葉は当然だろう。
だから、せめて。
結界の足しになればと、夜な夜な寝所を脱け出して、砦内の花を咲かせて回るようになった。
それが一年前。こっそりやっているつもりだったのに、気付いたら一緒に居る人ができていた。

「まあ、ほどほどにしておけよ?」
後ろから温もりをくれる人が苦笑いを浮かべる気配がする。
「季節外れの花を咲かせたりとか、何もないところに突然花を咲かせたりとか…そういう無茶はするな」
「さすがに、それは…できないよ」
倖奈もくすり、と笑う。
その拍子にするり、と被いていた小袖が滑った。
途端、宙に髪が流れる。
「ああ… 髪ほどいてきたんだ」
昼間は三編みにしていた髪に史琉が指を入れる。
「…うん」
倖奈は顔を伏せた。
胸の前で、史琉の指が髪を梳く。
細くて柔らかい髪は、先に行くほど緩く巻いていて。
その先を倖奈がぎゅっと握った。
「猫っ毛を目立たせたくなかったら結っときなさいって、美波に言われてるから昼間は結ってるんだけど…」
「だけど?」
「…やっぱり、夜もちゃんと結ってくるね。衣で隠してるからって駄目だよね」
きゅ、と唇を噛んでも。
「そうかなあ? 俺は倖奈のこの髪、好きなんだけど」
史琉はくすくす笑いながら、指を動かしている。
「…もう」
倖奈は髪の先を握っていた手を離して、史琉の指先を捕まえた。
固く荒れた指先をぎゅっと握ると。
「…手もすべすべしてて気持ちいい」
史琉が言う。
倖奈はぼっと頬を染めた。
身を固くしていると、またくすくすという笑いが聞こえてくる。
「正直に言ってるだけなのに」
「…すごい恥ずかしいよ」
「そうかなあ?」
首だけ回して、後ろを見ると。
八つ年上の恋人は、目を細めて見つめ返してきた。
そのまま、ゆっくり口を開いて。
「髪が柔らかい倖奈も、花を咲かすことができる倖奈も、俺は好きだよ」
言う。
倖奈は思わず噴き出して。
「わたしも… 史琉が大好き」
言い返した。
そのまま、ぎゅっと腕に力が込められ、倖奈は笑う。
背中と掌に温もりを感じ続けながら。
「でも…やっぱり、他のこともできるようになりたいな」
呟くと、史琉は首を傾げた。
「例えば?」
「他の皆みたいに術具を作ることができたら… 矢や刀に魔物を倒すための力を加えてあげることができるようになったらいいなあ、とか」
倖奈は言葉を継ぐ。
「時若みたいに、炎を熾して魔物を退治できるようになるのもいいな」
「…あれをやっているおまえを想像したくないんだけど」
「真桜様みたいに、魔物が入ってこないような結界を張ったりできるようになるのもいいな」
「それなら… 穏やかでいいな」
史琉がほっと息を吐いてみせる。
倖奈はまた首を回して、彼を見つめた。
「昼間、真桜様にね。都に使者で行く時若に付いて行ってこいって言われたの」
「ああ… そうだったな」
史琉は苦笑いを浮かべ。
倖奈は首を傾げた。
「『【かんなぎ】として何ができるか探してきなさい』って言われたの」
「【かんなぎ】として?」
言い直す史琉に、倖菜は頷いた。
「本当に花を咲かすことしかできないのに… 何ができるかって言われてもすごく悩む」
「そうだなあ…」
史琉は苦笑いをした。
「まあ、旅は長そうだから、気長に考えるんだな」
言われ、倖奈は、あ、と言った。
「そっか。都に行くのは… 史琉も一緒なんだ」
昼間の主殿での、理久を交えて3人で言い合っていたのを思い出し、口元を押さえると。
「…そうだよ」
はあ、と史琉が項垂れる。
「俺は不安だ」
「そうなの?」
きょとんとして問い返すと。史琉はますます肩を落とした。
「なんというか、まぁ… おまえと朝から晩まで顔を合わせてなきゃいけないのが照れくさいとか」
倖菜は瞬いた。
確かに、昼間に顔を合わせるのは初めてではないが、言葉を交わしたことはあまり無かった気がする。
それでも。
「そんなに、心配なの?」
尋ねると。
「俺は照れ屋さんだからな」
はああ、と長い溜め息が響く。
「めちゃくちゃ不安だ」
いやだいやだ、と史琉は首を振った。
「…時若が居るのも不安だ」
「…彼は悪い人じゃないよ?」
「そういう問題じゃない」
はあ、と三度目の溜め息を漏らした後に。
「ま、断れる理由もないしな」
史琉は笑った。
「なんとかするさ」
「…うん」
緩く頷く。
すると、史琉はまた笑って言った。
「都の… 南の方が、春が早く来るんだってさ」
「そうなの?」
「もう梅だけじゃなくて、桜も咲きだす頃だろうって」
「本当?」
倖奈が問い返すと、彼は頷いた。
「律斗が言うには、な。…それくらいは楽しみにしようぜ」
「うん」
笑い合う。
それから、史琉の左手が髪を撫でて。
肩から腕が離れていった。
「さ。今夜はもう戻りな」
「…うん」
胸の前をぎゅっと握ってから、倖奈は立ち上がった。
それから史琉も立ち上がる。
「…おやすみなさい、は?」
笑いかけられ。
倖菜は両手を史琉の頬に添えた。
それから爪先立って、唇を彼の唇に重ねる。
「…おやすみなさい」
そろそろと、両手を放し、小袖を被り直して踵を返す。
木立の間を戻ろうとして、一度振り向くと。
史琉は穏やかに笑って、手を振ってくれた。
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