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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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弐の四(自分で知りたい、と動かなきゃ駄目なんだ。)

散々歩いて漸く露店が途切れた所で立っていた大きな欅。その根元には大きく影が広がっていた。
大きな日陰なのに、そこに入っている者はいない。
「…お邪魔します」
日差しが遮られたその根元近くに座り込んで、倖奈は深呼吸した。
影を境に、喧騒が遠のいて、体の熱も退いていく。
何度も息を吸ってから、水色の被衣をゆっくりと直して視線を落とせば、握ったままだった飾り布が見えた。
――どうしよう、これ。
自分で何か身に付ける物を買ったのは、初めてのような気がする。
いつも着物は美波が選んで買ってきた。それも、小袖や被衣といった最低限の物だけで、特別に何か飾りをつけたことはない気がした。
髪を結わえるのに使えばいいとはいえ、二つあるお下げのどちらかだけに付けるのもどこか可笑しな気がする。
つい、少女の押しに負けて買ったものの。
「二つ貰えば良かったのに」
ふっと吹き出して、首を振った。
――こんなところでも、わたしは考えが浅いのね。
そうはいえ、淡い紅色の薄く軽やかな布は失くすには惜しくて。じっと見つめて首を捻って、結局、左のお下げの先に結い付けた。
これで落として失くすことは無いだろうと笑ってから、辺りを見回した。
倖奈の座る欅の向こうは、ずっと露店の並びしか続いていない。反対側は大きな通りがあるものの、それは昨日通ったものとは違うような気がした。
「また迷子…」
うう、とこめかみを押さえる。
とりあえずは露店を抜ければ途中まで戻れると思うが、あの雑踏をもう一度歩く勇気はなかった。
それに、ふらふらと歩いてきたので、その先どうあるけば芳永の邸に戻れるのか見当が付かない。
――こんなところでも考えなし…
倖奈は呻いた。
それでも何とかせねばと、両手で体を抱いて、ぐるりと視線を巡らせる。
すると、視界の端を白くて大きな犬が横切っていった。
「あ!」
思わず腰を浮かす。
小さな叫び声が聞こえたのか否か、犬とその横を歩いていた少年がゆっくりと振り向いた。
「おや、倖奈」
少年が翠色の眸を細める。
「…シロ」
倖奈はほっと息を吐いた。シロは肩を竦めて、ひょこひょこと歩み寄ってきた。
「随分早い再会じゃのう」
そう言って、シロは笑った。ばさと水干の袖を揺らし、どさりと倖奈の横に腰を下ろす。
細い足を投げ出して、彼は倖奈に向いてきた。
「おぬしは何をしているんじゃ」
問われ、詰まる。大きく見開いて、じっと見つめているとシロは二度瞬いて、呟いた。
「よもや、迷子か?」
倖奈は黙って首を縦に振った。シロは肩を落とす。
「大丈夫よ。昨日別れた所まで戻れれば、そこからは分かるわ」
「迂遠じゃのう…」
シロは唇の端を情けなく曲げて、首を振った。
「まあ… 全く分からんと言われるよりマシか」
そう言って首を回し、通りを指差した。
「この通りは東西に通る道じゃ。そして、ここは都の東側。よって、西に行けば、中央の大通りに出る。そこを南に下れば、入口の… 昨日の大門じゃ」
「そうなのね」
「だが、ここは都でも北寄りじゃからな。南端の門までは大分あるぞ。そうでなければ… 東に行けば、川に出る」
「そのほうが早いかも… 有難う」
倖奈が笑むと、シロも口端を吊り上げた。その口は、何故か。
「躑躅?」
赤い花をくわえている。倖奈が眉を寄せると、シロは細い指でそれを撫ぜた。
「これか? そうじゃよ」
「どうして、花を?」
「それは… 神気の補充に、じゃな。今の都は瘴気が濃すぎる。これではわしも瘴気に巻かれそうじゃ」
シロはニヤニヤと笑って言った。
「瘴気が… 濃いの?」
倖奈が首を傾げると、シロはますます笑った。
「濃いぞ。昨日、着いたばかりには気づかなかったが、間違いない。とんでもない濃さになっておる」
そうして、花を撫ぜた指先は倖奈の鼻先をつつく。
「お主、辛くないのか?」
倖奈は瞬いた。
「魔物――瘴気の塊に触れると、なんの制限もなく神気を放ち出すお主じゃ。都を歩くのは、瘴気に触れ続けながら、僅かずつであっても神気を放ちながら歩いているようなもの。体力を消耗するだけじゃ」
シロは笑い続け、それを見ながら眉を寄せる。
「その証拠に… おぬしの傍は瘴気が薄くなっておる」
「…よく分からないわ」
だが、シロはますます笑うだけだった。
倖奈がさらに眉を寄せた時。
「退いた、退いた!」
唐突に大きな声が響き、人が左右に割れ、道ができた。
何事かと視線を向ければ、人の塊がわっと覆いかぶさるようにやってくる。
その中心には、黒漆の眩しい牛車がいた。
「三条の大殿じゃ」
シロが言う。倖奈は振り返って、瞬いた。
「それは誰?」
「…都の三条通りに屋敷を構えているから、三条の大殿と呼ばれておる。公家の中でも、相当に血筋のいい… 【みかど】の后も何人も出している家の当主じゃよ」
シロはニヤニヤ笑いながら、視線を牛車に向けた。
「昔から、時折都の端に現れる」
牛車はゆっくりと止まる。柄が下ろされ、牛がのかされると、ゆっくりと簾が上がった。
中からは、濃い紫の直衣の男が降りてきた。
年の頃は、五十前。肩が大きく、腹も出ている。頬も丸く艶があり、眉は太く凛々しい。だが、視線は極めて穏やかに、ゆったりと周囲を見回した。
それから、やはりゆったりと足を進め、道の端、露店を広げた男に話しかけた。
ここからは大分離れているので、何を話しているのかは聞こえないが。
「ああやって、下々の者と声を交わしているらしいのじゃよ」
とシロが嗤う。倖奈は首を傾げた。
「何の為に?」
「決まっておろう。世論調査じゃよ」
だが、倖奈は首をひねり続け。シロは、けけけ、と笑った。
「何か困ったことはないか、要望はないかと聞いて回る。話をするというのが重要なんじゃよ」
そう言って、シロはくわえたままだった躑躅を離した。
地にぽとりと落ちたそれを爪先で蹴って。
「ようは人気取り」
と低く言う。
「…あざとい奴じゃ」
「そうなの?」
倖奈はまだ首を捻った。
「ちゃんと人の気持ちを知ろうとしているだけで…」
そう言って、あ、と口元を抑えた。
「そっか…」
「何がじゃ?」
今度はシロが怪訝そうに口を曲げる。だが、倖奈は首を振った。
――自分で知りたい、と動かなきゃ駄目なんだ。
待っていても、何も聞こえてこない。止まっていては何も見えない。
――何かしなきゃ!
大殿を真ん中に動いていく喧騒を睨みながら、倖奈はすっくと立ち上がった。
「どうした?」
「うん… 戻るわ。有難う、道を教えてくれて」
シロはきょとんとしたが、倖奈は笑った。
「昨日の大門まで戻れば、後の道は覚えていると思うの。だから、平気よ」
「なら… 良いのだが」
水色の衣をしっかりと被り直し、左手でお下げの先を握り締める。
ふわりと揺れた飾り布を見つめてから、もう一度笑い、踵を返しかけると。
「何、すぐにまだ会う」
翠色の眸にじっと見つめられた。
それから、行け、と手を振られ、踵を返す。人の流れの隙間を逆に、通りを進み出した。
陽の光に目を細めながら、倖奈は口の中で呟いた。
――さっきの人、誰かに似ていると思ったけれど。
シロだ、と頷いた。
横から見上げたときの、鼻筋に顎の形。そして、翠色の眸。
シロと、少女にヒイロと呼ばれていた少年はよく似ている。
兄弟か何かかしら、と倖奈はぼんやりと考えた。



水色の裾を翻して、ゆっくりと歩き去っていく。
そんな背中をじっと見つめて。
「また、濃くなってきた…」
シロは、ゆっくりと舌先で唇を湿らせた。
「倖奈が居ると、瘴気が薄くなる。あれが離れるとぐんと濃くなる。気が付いたか?」
にぃと笑って、顎を擦る。
「やはり、か…」
右に左に首を傾けて、彼は独り笑い続けた。
「使えるな」
最後、唇の両端を吊り上げて。
「…次郎」
低く昏く呼ぶ。すると足元の犬がのそりと立ち上がった。
「倖奈と行け」
睨み言うと、犬は無表情に見上げてきて。
「逃がすな」
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