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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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弐の三「君はよく喋る面白い男だという話だったのだがね」

「君は相当律儀なんだね」
声をかけられ、浅緑の袍の彼はゆっくりと体を起こした。
春の日差しが差し込むその建物の中は、先程まで決まりどおりの色の袍を着込んだ者たちが多数いたはずなのに、がらんどうになっていた。
居るのは、声をかけた方とかけられた方の二人だけ。
声をかけた方――秋の宮は、陽の差すぎりぎりの際に立ち、紙扇を開いたり閉めたりを繰り返していた。
かけられた方は史琉で、床に両手を付いたまま、口元を微かに緩めてみせた。
「まさか、全員が退がるまでそうしているなんてね」
秋の宮が首を振る。すると頭の上の冠がしゃらりと音を立てる。
「大臣に大納言たちを見送るのは分かるけど、その下の役人たちの中には、君と位が変わらない、下である者も多いのだよ」
彼が着た濃い緋の袍は、扇の動きに合わせふわふわと揺れ続けている。それに対しても、史琉は表情を崩さないまま。
「私はお願いに参っている身ですから」
と応えた。
すると、秋の宮はわざとらしく眉をハの字にした。
「君の仲間はとうに席を立っているけれど?」
史琉はちらりと、すぐ横の席に視線をずらす。そこは、円座こそ置いてあるものの、人影は無い。
「時若… ですね」
気付いていた、と言わんばかりに史琉は頷き、すぐに表情を消した。
秋の宮は肩を竦めた。
「…今で大体の雰囲気は掴めたと思うけどね」
そう言って、ぱしん、と扇で音を立てる。
「都の政の大きな決定は、この会議で――大臣、大納言たちの合議で決まる。そして、彼らは総じて、自分の目で見たもの以外なかなか信じようとしない。その彼らに北の地に迫る魔物の驚異を分からせるのは至難の業だよ」
「…そうでしょう」
冷ややかな顔のまま、史琉は頷く。
そのまま彼は口を噤んでしまい、秋の宮がまた肩を竦め。
「…聞いていたのと雰囲気が違う」
ボソリと低く、それでいてハッキリとした呟きを漏らす。
「理久からの文によれば、君はよく喋る面白い男だという話だったのだがね」
史琉は、今度は眉を寄せた。
秋の宮は首を傾げる。
「大臣たちを説き伏せるのも大事だがね。理久との繋がりが強く、北の地に援助を送るか否かという今回の件に一枚噛んでいるのは私だ。そういうわけだから」
そこまで喋って、秋の宮はにっと唇を吊り上げた。
「まず、この私を面白がらせてくれ」
翠色の眸を面白そうに細めた彼に、史琉はまた微かに口元を緩めてみせた。
そこに、ふっと影がさす。
「充分、面白がっていらっしゃるように見えますけどね」
振り向けば、入口には芳永が立っていて。
「なんだ、来ていたのか」
秋の宮が溜め息をつくと、浅い緋の袍を翻して芳永は中に入ってきた。
「ええ、史琉君が心配でね。僕も理久によろしく頼まれた身ですから」
ね、と視線を向けられて、史琉は曖昧に笑った。
「…今日の会議はお終いですか?」
芳永が問うと、秋の宮がゆっくりと頷く。
「今までの理久の書状をさらりと見返して、お終いだ。残念ながら、校尉の口上を伺う機会は無かったのだよ」
「おや、残念」
「その分、余計に… 私を楽しませてくれるような話をしてもらおうかな」
秋の宮がくすりと笑う。史琉は曖昧な笑みのまま、また頭を下げた。
「内務卿様がお望みであれば」
ゆっくりとした動きに、浅緑の袍がしっかりと付いていく。
きっかり三数えてから、彼が姿勢を戻すと、秋の宮はまた眉を情けなく下げていた。
「会議の外では、わざわざ役職で呼ばなくて結構だよ」
史琉が瞬く。すると、芳永がゆっくりと微笑んだ。
「僕らは秋の宮様とお呼びしている。そう言っただろう?」
秋の宮が頷く。史琉もすぐに頷いた。
「じゃあ、行きましょうか。内裏でお喋りなんてわけにもいかないでしょうから」
そう言って、踵を返して。
芳永はすっと表情を消した。
秋の宮も、ぱんと扇を開いて、口元を覆う。
史琉は姿勢を変えずに、二人が向いた方――入口に視線だけを向けた。
そこには、ずっと深い紫の袍の男が立っていた。
年の頃は、五十前。紫の袍が包んだ体は、肩が大きく、腹も出ている。
「聞き捨てならぬな、式部大輔殿」
ゆっくりと男は口を開いて、一歩踏み出した。
「内裏でお喋りというわけにもいかないというのは、どういう内緒話かな?」
頬も丸く艶があり、眉が太く凛々しい顔立ちの男は、真っ直ぐに視線を芳永に向けた。だが、芳永も怯むことなく。
「ごくごく私的な話をしたい、ということですよ」
と薄く笑った。
男もまた厳しい視線のまま。
「そうだとしても、穏やかならぬ言い方をする。謀反の相談と取られても仕方なくなるぞ」
言い放ち。芳永は肩を竦めた。
「それは穿った見方というものですよ」
大袈裟に肩を竦め。彼はゆっくりと横を見た。
隣に立っていた秋の宮は扇の影から。
「貴方も知ってのとおり、北の帥は我々の旧くからの友人だ。その友人の遣いに、友人の今の様子を問いたいという、人間くさい願いなのですがね」
低く言う。
すると男は、わざとらしく首を振ってから中につかつかと入ってきた。
「ところで、大臣は何用で戻って来られたのですか?」
「忘れ物じゃ」
言って、男は一番奥の左手の席から、扇を拾うとすぐに入口まで戻ってきた。
それに対して、ずっとそこに座ったままだった史琉はまたゆっくりと頭を下げた。
「ほう」
と息を吐いて、男は足を止めた。
「先程もだったが、丁寧にすまぬな」
声に穏やかなものを含ませて、男はからりと笑った。
「だが、正式な会議が終わった後。気楽になされよ」
「…ありがとうございます」
丁寧に体を起こして、史琉は厳しい表情のまま上を見上げた。
「左大臣様」
「ほう、もう我々の顔と役職を覚えておいでで」
男が笑う。史琉はゆっくりと首を縦に振った。
「非常に結構なこと」
男はますます笑い、史琉の肩を叩いた。
「そのとおり、私が左大臣だ。住まいが三条通りにあるので、三条の、と呼ばれることもある。機会があれば、私の屋敷にもお出でなされ。校尉殿」
そう言ってから、男はまた歩き出そうとしたのだが。
「ああ良かった! まだ、皆、居たんですね!」
入口から高い声が響き、動きを止める。
「これはこれは、春宮とうぐう!」
左大臣が負けず劣らず高い声を上げる。
「また、このような場にお出でになって。いけませぬな」
「ええ、だって!」
高い声の主は入口から走り込んできて、左大臣の前で大きく肩で息をしながら笑った。
「まだ居るなら話がしたいなって思ったんですよ!」
史琉は目を丸くして、声の主を見上げた。
主はまだ少年――十を超えた後ではあるが、顔立ちの幼さが隠せない、黄丹色の装束に包まれた体の線も細い少年だった。
彼は大臣を見上げ笑った後、視線をその背の向こうに投げる。
「秋の宮と式部大輔も、こんにちは」
「こんにちは、春宮はるみや様」
芳永が微笑み。秋の宮が扇をずらして、笑う。
「ご機嫌麗しく」
「うん、元気ですよ。秋の宮は?」
少年が朗らかに問うと、秋の宮はゆっくりと微笑んだ。
「これから、楽しみのために屋敷に戻ろうとしていたところですよ」
「そうなんですね。…楽しみって?」
首を傾げた少年に、秋の宮は視線を横にずらして見せた。
すると、少年もそのまま横を向いたので、座ったままの史琉と視線が合った。
翠色の眸が、明るく見開かれる。
「貴方はどなた? 初めてお会いするでしょう?」
「ええ… 初めてお目にかかります」
そう答えて、史琉はまた両手を床に付いて頭を下げた。
体を起こすと、少年は左大臣から離れ、史琉の前に膝を付いていた。
「初めまして」
言って、微笑む。史琉はまた曖昧に笑い、視線をゆっくりと秋の宮の横の芳永に流す。
「この方は…」
小さく問うと。
「春宮様。…日嗣の皇子様だ。今の【みかど】のご子息であらせられる」
しっかりした声で、左大臣が応える。
史琉は眉を寄せ、また頭を下げた。
「春宮。こちらは、北の果ての砦の校尉殿だ。お話は聞いておいでだろう…」
「ああ、聞いています!」
少年は振り仰ぐと、嬉しそうに笑った。
「北の帥が、任地の様子を伝えるために使者を寄越してくれるという話でしたよね! ああ、じゃあ、貴方がその遣いの人?」
満面の笑顔のまま、少年は両手で史琉の右手を取った。
「僕が春宮です。左大臣は【とうぐう】と呼ぶけれど、同じ字を書いても、僕は【はるみや】と呼ばれる方が好きなんです。秋の宮とお揃いみたいでしょ?」
翠色の眸を輝かせて彼は笑うが、その後ろで左大臣は厳しい表情を浮かべていた。
史琉が困ったような顔で向けば、芳永は肩を竦め。秋の宮自身はまた扇で顔半分を隠していた。
「会えて嬉しいです! よろしくお願いします!」
「私の方こそ…」
掠れた声で史琉は応じ、手を握り返した。
「よろしくお願いいたします。【とうぐう】様」
すると、その一瞬だけ、少年は止まったが。また直ぐに笑い直した。
「僕にもいろんな話を聞かせてくださいね」
「ええ、また機会を貰いましょう」
そう言って、和かな表情に戻った大臣が少年の肩を叩いた。
「さあ、春宮様。ここは貴方が長々といらっしゃるような場ではございません。参りましょう」
少年は名残惜しそうに他の三人の顔を見回し。
「分かりました」
と頷いた。
「では、またお会いしましょう。校尉」
史琉はまた手を付いて、頭を下げる。
すすす、と静かに足音が遠ざかって行く。
それが完全に聞こえなくなってから、史琉が体を起こして見向くと。
「君、やっぱり理久の言うとおりだね」
と秋の宮が面白そうに笑っていた。
「どんなところが?」
芳永も楽しげに笑ったまま、首を傾げている。
「案外、策士だ」
秋の宮は、くくくと喉を鳴らす。史琉は薄っすらと唇を緩ませた。
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