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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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弐の二(何も言われなかったが、倖奈はゆっくりと立ち上がり、そろりと外に出た。)

そして、陽がある程度昇ると、茉莉と莉紗は出かけていった。
美波も、ふらりと邸を出て行った。
倖奈は縁側に座ってぼんやりと庭を眺めていたのだが、通いの女たちがバタバタと動き始めると、だんだん落ち着かなくなってきた。
――わたし、邪魔!?
二人は襷をかけ、床を拭いたり、洗い物を広げて干したりと実に慌ただしい。
何も言われなかったが、倖奈はゆっくりと立ち上がり、そろりと外に出た。

門の向かい、川岸で、朱塗りの欄干にもたれ掛かって溜め息を吐き出す。
――本当にろくでなしね。
何もできない、いや、しようとしてさえいないのだと唇を噛んだ。
「手伝えれば、一番良かったのに」
邪魔にならないようにするので精一杯だ、と息を吐く。
「こんなとき… 史琉なら」
どうしているのだろう、と思って昨夜の会話を思い出した。
――散々悩んで考えて、それで動いているんだよ。どうすれば一番望ましい結果が得られるかってね。
「望ましい結果?」
首を捻る。
それさえも分からない、と倖奈はまた溜め息を吐き出した。
それから、ずり落ちかけていた被衣をゆっくりと引き上げる。
水色のそれは、やはり茉莉が選んでいったもの。春の終わりの日差しを透かすそれは、いつもの藍色のものと全く違って軽過ぎて、落ち着かない。
頭を振ると、またそれは滑り落ちていきそうになった。
「…お掃除が終わるまで戻らないほうがいいかなぁ」
呟くと、目深に被衣を被り直して、倖奈はとぼとぼと歩き出した。
柳と銀杏が青々と葉を茂らせ、色とりどりの小さな花がそこかしこに咲いている。そんな晴れやかな陽気の、川の流れに沿った通りを進む。
途中で道は流れから外れたが、倖奈はそれが続くまま足を運んだ。
そうして歩き続けるうちに、雑多な露店が並ぶ広場へと辿り着いていた。
所狭しと露店が並び、狭い通路は人でぎゅうぎゅう詰めだ。それにも関わらず、通りからはどんどん人が流れ込んでいく。
――なんだろう?
人の流れに呑まれて、倖奈もその中に入っていった。
露店は大小様々、取り扱う品もそれこそ野菜から可愛らしい小物まで揃っていて、北の国府の街とさして変わらない。
ただ、行き交う人の数と響く声の大きさは凄まじいものがある。
その中を、体を縮こませて進んでいったが。
――気持ち悪い。
がやがやいう声と渦巻く熱気に、体中が熱くなる。
ここから出たいという気持ちが大きくなり、必死に足を前に出す。だが、焦れば焦るほど、体中に喧騒が絡みついていき。
「……!」
結局、端に辿り着かぬうちに、倖奈は口元を片手で覆い、その場にしゃがみこんだ。
「ばっきゃろう、急に止まるんじゃねえよ!」
頭上から罵声が降ってきたが、顔を上げることもできない。
ばたばたと前後左右を人の足が通っていくことしか分からない。
――史琉、助けて!
荒い息を繰り返し、ぎゅっと目を瞑る。
不意に。
「あんた、邪魔よ!」
甲高い声が聞こえ、がしっと肩を掴まれた。
倖奈がはっと目を見開くと同時に、ぐいと横に引かれる。
逆らえず、ぐらりと傾いて、尻餅をつく。
「痛い…」
「うっさいな、文句言いたいのはこっちだよ!」
倖奈はゆっくりと声の方を振り向いた。
声の主は、倖奈とほぼ同じ年頃の少女だった。
橙色の小袖と緑の湯巻に、髪を後ろで一つに縛っている。出で立ちはごくごく普通の少女だが、肌は浅黒く日焼けしていた。
倖奈は瞬いて、少女を見つめた。
「なによ、あたしの顔に何か付いてる?」
「いえ…」
そうではなくて、と倖奈はお下げ髪の先を握り締めた。
「じゃあ、何よ」
少女が唇を曲げる。
その頬にはいくつも痘痕が浮いていた。
思わずそこに視線が行くなり。
「これが珍しいっていうの?」
少女が指先で頬をさすりながらさらに眉を釣り上げるので、倖奈は縮こまった。
「ごめんなさい…」
呟いて、姿勢を直す。その時、自分が倒れこんでいるのが、敷布の上だということに気がついた。
土の上に広げられたそれは決して大きくないが、何重にも薄布が置かれていた。
「お店…!」
倖奈が呟くと、少女が大きな溜め息をついた。
「そうだよ。あんたが座っているのも、商品の上。頼むからどいてくんない?」
倖奈は慌てて立ち上がった。
立ったところは敷布の外で、人の流れと店の並びの隙間のようなところだった。
瞬いて辺りを見回し、被衣を被りなおす。
そうしてから改めて少女に見向いた。
「ここは、あなたのお店?」
「そうよ。大したことないけどね、小銭を稼ぐ大事な手段なんだから邪魔しないでよ」
言って、少女は顔にかかる髪を掻き上げた。
「いきなりお店の前に立ち止まられたら、超迷惑なんだけど」
倖奈は眉を寄せ、ゆっくりと腰を折った。
「ごめんなさい」
きっかり五つ数えてから体を起こすと、少女はどこか呆れたような顔で見上げてきていた。
「あ… や、別にいいんだけどさ」
ぱちくりと瞬いた後、彼女はにっと笑った。
「じゃあ、ちょっくら買い物していってよ」
「え…?」
今度は倖奈が瞬く。少女はにやにやと笑って、布を手にした。
「あたしが染めたんだ。いい色だろ?」
慌てて頷くと、彼女は笑みを大きくする。
「それでもって、使いやすいように縫ったんだ。髪飾りにするといいよ」
差し出されたそれは、深い藍色のもの。馴染んだ色に、倖奈は思わず笑みを浮かべた。
そこに。
「何をしているのだ、おぬしは」
横から声がかかる。
はっと振り向くと、短身痩躯の少年がひょこりと立った。
「あ、お帰り。ヒイロ」
少女が笑う。それから、彼女はヒイロと呼んだ少年と倖奈を交互に見た。
「な、ヒイロもこのお客さんに何か選んでよ」
「…押し売りをしているのか」
はあ、と少年が息を吐く。首を振って、それから彼は敷布を跨いで少女の横に立った。
「気に入ったのがなければ、買わぬで良いぞ」
「え…?」
倖奈はまた瞬く。だが、少年の翠色の眸は真っ直ぐに向いてきた。
「気に入ったものが無ければ買わぬで良い。だが、そうでなければ適当に持って行け。どれもこいつの手慰みに過ぎぬ」
そう言って、少女を見下ろす。彼女は唇を尖らさせた。
「そんな言うことないじゃん…」
「事実じゃろう。金儲けに使うような腕でなし」
「ヒイロ!」
少女が叫ぶ。だが、彼は済ました顔で横を向いてしまった。
小袖に括り袴、髪を後ろの高い位置で一つに結わえた少年。
――誰かに似ている。
その横顔を、倖奈はじっと見ていたが。
「で、どうするのよ、あんた」
甲高い声に言われ、はっとした。
それから、手元の藍色の飾り布に視線を落とす。
「…頂くわ」
そう言って、袂の財布に手を伸ばしかけた時に。
「や、ちょっと待ってよ!」
少女が慌てたような声を出した。
「そんな地味なのでいいの!?」
がさがさ、と少女は敷布の上の山を崩し始めた。
「あんただったら、もっと可愛い色にすればいいのに!」
「…そう、かしら?」
倖奈は首を傾げたが、少女はあれやこれやと引っ張り出し続ける。
そして、倖奈の手元から藍色の飾り布をひったくると、ずいっと違う色を突き出した。
「こっち持っていきな。お代は変わんないから」
「…やはり押し売りか」
「黙って、ヒイロ!」
少女が叫ぶ。
倖奈はまた瞬いて、ゆっくりとそれを受け取った。
新しい飾り布は紅色が淡く溶けたような色で、今着ている梔子色の小袖ともよく馴染んだ。
「…頂きます」
微笑んで、ゆっくりと少女の掌の上に小銭を落とす。
その時に見れば、少女の手はかさついていた。内側は白くとも、甲は小麦色に灼けている。
僅かに目を細めてから、倖奈はゆっくりと踵を返した。
「また来いよ!」
少し進んだ後、背に少女の声が飛んでくる。
振り返ったが、人波の向こうに小さな露店は隠れてしまっていた。
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