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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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弐の一「装束の印象は大事ですもの」

翌朝、いつもの藍色の小袖を着て、きつく三編みを結ってから部屋を出た。
それから向かった先、広間からは賑やかな声が溢れてきていた。
その入口には、いつもの鼠色の直垂を着た律斗と、緋色の装束の芳永が立っていて、倖奈が近寄っていくと二人とも振り返った。
「おはようございます」
「おはよう。丁度いいところだよ、見てごらん」
芳永に笑いかけられ、倖奈が首を傾げつつ部屋の中を覗いた。
部屋の中には、史琉に時若、颯太と茉莉がいたが、倖奈の視線は見慣れない衣装の史琉に真っ直ぐ向かった。
「…その格好?」
ぽかん、として呟く。すると、真ん中に立たされていた彼が振り向き、苦笑いを見せた。
「出仕用の衣装…」
新しい浅緑の袍は、形こそ簡単なものだが、よく見ると細かい織が不思議な流れを作っていた。
「理久に言われて校尉殿と時若君の分を用意しておいたんだ」
そう言って、芳永が笑う。見れば、史琉だけでなく時若も、白い小袖の上に袍を着込んだ出立ちだった。
「なかなか良い出来だろう」
「いいえ、あと少し!」
史琉の背側に膝を付いた茉莉がきっと顔を上げる。
「お願い、丈を直させて頂戴!」
「…そんなにおかしいかい?」
今度は芳永が首を傾げたが、茉莉はきゅっと睨んできた。
「少し短すぎたわ。格好悪いじゃない」
そう言って、彼女は史琉の背側の袍の裾を縫い始めた。
「細かいところにまで気を遣ってくださって、ありがとうございます」
史琉は首だけを後ろに回して笑んで、同じように笑って、茉莉は針を動かし続けた。
「装束の印象は大事ですもの」
「…装束は立派でも、髪が全くなっていないな」
ぼそり、と腕組みをした律斗が呟く。
「冠が止まっていない」
「俺の髪では、これが限界だって…」
苦笑する史琉に、律斗が大仰な溜め息をつく。
「だから伸ばせと、前々から言っていただろう」
「悪かったよ…」
史琉も溜め息をついて、天井を仰いだ。
遣り取りにきょとんとなって見上げると、芳永が笑った。
「茉莉は裁縫が趣味なんだよ。僕の衣装も莉紗の衣装も何でも、自分で作ってしまうんだ」
「史琉と時若のこれも… 茉莉様が?」
倖奈は、史琉の浅緑の袍にもう一度目を向けて、呟いた。
「すごい…ですね」
すると、茉莉が顔を上げて、にっこりと微笑んだ。
「ほんっとうに細かいところまでこだわるからね。逆に大変だったりもするんだよ」
隣の芳永が肩をすくめる。だが、その顔はとても楽しそうだった。
そして、縁側にもう一人立つ。
「美波」
倖奈が小さく声をかけたが、彼女はそれには応えず、部屋の中を見て目を丸くしていた。
「わあ!」
一瞬の後、声を上げて、手を叩く。
「男前が上がってるわよ、史琉」
「…そりゃどうも」
史琉は肩を落とした。
「時若も良い感じ!」
「…そうか」
「どうして、そんな格好をしているの?」
「今日は、内裏の会議に顔を出してもらうことになっているんだ。そのための衣装だよ」
美波の問いに、芳永が答える。
「内裏に行くための格好?」
倖奈も瞬き、それにも芳永は笑う。
「内裏に出仕するにはね。いろいろと面倒なんだよ。服装一つとっても、色柄まで決まっている世界だからね」
「…柄まで」
部屋の中で、颯太がげんなりした表情を見せる。
茉莉は朗らかに笑った。
「その中で、布の質や細かい形にこだわったりするのが楽しいんですのよ」
倖奈はまた瞬いて、史琉を見遣った。
美波はすすっと史琉に寄り、肩に手を置いた。
「似合うわよ、本当に」
「ああ、有難うな、美波」
史琉は溜め息をついて、視線をずらす。
「素敵な衣装って、着ているだけで楽しいわよね」
「この後のことを考えると、全く楽しくないが…」
史琉のげんなりした声にも、美波は首を振って、笑った。
「…そんなこと言って。時若もなんでそんな暗い顔しているの」
視線を向ければ、時若はげっそりとなっていた。
「動きづらい服だ…」
呟いて、首を振る。細い体躯を袍は緩やかに包んでいたが、長い艶のある髪は後ろで括り上げられただけで、漆の冠は右手に下げられたままだった。
「でも、良かったわ。時若さんも大きさが合っていて。冠も付けてしまいましょうね」
史琉の裾の糸を切った彼女は、今度は時若を座らせて、髪を結い直し始めた。
自らの手先から足先までざっと見てから、何度目とも知れぬ溜め息を吐いて、史琉が外に出てきた。
「うん、でも似合っているね。予想以上… ってこれは褒めているんだよ」
「はい、有難うございます」
手を叩いた芳永に、史琉は笑いかける。律斗は両腕を腰に当てて。
「まずまずだな」
スパンと言い切った。
「おまえ、褒めろよ」
史琉は苦笑した。
それに倖奈がゆっくりと首を傾げたところで。
「…失礼します、御主人様」
不意に、庭から声がかかる。縁側にいた四人は振り向き。
「ああ、桂次」
芳永が、白髪の、臙脂色の衣の男に笑いかけた。
「どうしたんだい?」
「今日は出かけてこようと思っていますので、お声がけに」
桂次は皺だらけの顔にさらに皺を刻んだ。
「買出しに行ってまいります。皆様いらっしゃるので、何かと物入りになるでしょうしな。食材も仕入れておきたい」
「おや、ずいぶん沢山だね。一人で大丈夫かい」
芳永は眉を寄せたが、桂次はカラカラと笑った。
「老いぼれがそんなに心配ですか?」
「そりゃあねぇ」
ふう、と芳永が息を吐き首の後ろを掻く。
すると、史琉が目を細めた。
「…颯太」
その視線は部屋の中へ動く。見つめられた颯太は、すぐに笑った。
「はい、分かりました!」
そして、たっと縁側に出てくる。
「お手伝いさせてください!」
「あ、いや… 昨日の今日ですし、まだお疲れじゃないですか?」
桂次が目を見張るが、律斗は首を振った。
「これぐらいの体力はなきゃ困る」
「大丈夫です、桂次殿。遣ってやってください」
史琉が言い添えると、桂次は笑った。
「では、お願いします」
やがて、部屋の中で美波が声を上げて手を叩く。
振り向くと、時若が立ち上がっていた。
「ああ、こっちもそれなりだな」
「…おまえ、本当に褒めろよ」
律斗が言い、史琉が溜め息をつく。
「いやあ、どこぞのお貴族様って言っても通じそうだね!」
褒めてるんだよ、と芳永が笑い、茉莉も満足げに頷く。
「ねえ、格好いいわよ。時若?」
「…うるさい」
口元を歪め、ゆっくり時若は部屋の外に出てきた。
「じゃあ、僕らは出かけようか…」
芳永が言うと、史琉は頷いた。
「行ってらっしゃいませ」
部屋から茉莉が出てきて、微笑んだ。
芳永も頷き、横を向いた。
「律斗はちゃんと叔父様叔母様のところに行くんだよ!」
「分かってる!」
律斗は頬を引きつらせ、そっぽを向いた。
からからと笑い、芳永が歩き出す。その後ろに付いて、史琉が歩き出そうとするので。
「あ」
と、倖奈は声を上げた。
――まだ何も喋っていない!
怪訝そうな顔で史琉が振り向いた。
その横をつかつかと時若が歩いて行き、倖奈は肩を揺らした。
――この人が忙しい時に、わたしは何を喋りたいというの?
「えっと…」
頬を染め、唇を震わせる。
史琉は黙って見つめてきた。
視線に倖奈を責めるような光は無く、それが逆に思考を追い詰めていく。
――わたしは何を言いたくて… 史琉は何を言われたいのかしら。
真っ白になった頭の中からどうにか言葉を絞り出し。
「頑張って… ね」
掠れ声で呟く。
すると、史琉は目元を緩めて頷いて。すっと踵を返して行った。



「律斗君、颯太君。出かける前に、着替えていってくださいな?」
茉莉が言い、二人はきょとんと目を見開いた。
「ここの手伝いに来てくれてる二人がね。今日は皆様が着てこられた衣装を洗濯すると張り切っているのよ」
茉莉は笑って言った。
「旅の間、ずっと来てこられた衣装でしょう。きちんと洗って手入れをすれば、まだまだ着れますわ」
そこに、桂次が大箱をどすんと持ってきた。
「…この中身は?」
律斗が眉間に皺を刻むと、桂次は呵々と笑った。
「儂が若い頃に着ていた物やら、御主人様が着なくなったものやら、捨てるには勿体無いがすぐには着ないだろう服が押し込めてあるんですよ」
「好きなのを選んでちょうだいな」
箱の蓋を開けると、中からは紺青色、海松色、檜皮色、蘇芳と深い色の衣装が続々と出てきた。
「渋いな…」
律斗がぼやく。颯太は物珍しそうに、一枚一枚を手に取って眺めていた。
それを横から眺めていたところに。
「美波さんと倖奈さんもこちらにどうぞ」
茉莉が手招く。導かれるまま歩いていった先、北向きの塗篭には箱が三つ置かれていて、蓋を開けるとやはり色とりどりの衣装が出てきた。
「素敵!」
美波が高い声を上げて、手を叩く。
「…これも茉莉様が作られたんですか?」
倖奈が問うと。
「ほとんどがそうね。でも、作るだけ作って着ていない物もあったりするの」
彼女ははにかんだ。
「ここにいらっしゃる間は、気に入ったのを着てくださる?」
「ありがとうございます!」
美波は小さく跳ね、箱の中に手を入れた。
何枚も何枚も取っ替え引っ換えした末に彼女が身に付けたのは、鴇色の地に白や濃紅の刺繍がびっしりとなされた一枚だった。
「美波、綺麗」
倖奈が呟くと、美波は袖と裾を翻して回った。
「見せびらかしに出かけたくなってしまうわ」
そう言って、彼女は笑った。
「ええ、勿論。構いませんよ」
茉莉はまた微笑む。そうしてから、申し訳なそうに眉を下げた。
「実は、今日はこれから、私と莉紗も東の里にお呼ばれしていて出かけてしまうんです。だから、お出かけにお付き合いすることはできないけど、お散歩に行かれるくらいなら大丈夫じゃないかしら。もちろん、ここでゆっくりなさっていても構わないわ」
もう一枚、やはり鴇色だが細かい織模様のある薄手の衣を手にした美波が首を傾げる。
「…考えてみますわ」
そう言って、彼女は弾んだ足取りで塗篭を出て行った。
「倖奈さんも。どうぞ、選んで」
促され、倖奈はおずおずと中に踏み込んだ。
「倖奈さんはどんな色がお好きなの?」
「え…?」
問われ、倖奈は視線を藍色の小袖に落とした。
「普段から… こういう色しか着たことがなくて」
茉莉は手を頬に添えて、息をついた。
「…藍色って持っていたかしら?」
そう言って、彼女は一番近い位置の箱を漁り始めた。
「あ、でも」
と中から小袖を出しながら微笑む。
「折角ですもの、違うお色も楽しいわよね」
そう言って、彼女は桜色の物を広げた。
「こういうのは如何?」
広げたそれを、倖奈の胸元に当てる。
「他にもこんなものも」
そう言って、山吹色に菖蒲色にと次から次へと茉莉は小袖を広げる。その手をじっと見つめて。
「指…」
と、倖奈は呟いた。
「あら、まあ」
茉莉が、声を上げる。
その彼女の手の先は、爪の元がささくれだち、指の先も僅かに凸凹になっていた。
「ごめんなさいね、お手入れしていないのがバレバレね」
ほほほ、と茉莉は笑った。
「針を持つと、指先が荒れてしまうのよ」
倖奈は眉を落とした。
「わたしこそ… ごめんなさい。じっと見てしまって」
だが、茉莉は微笑んで首を振る。それから、ゆっくりと倖奈の手を取った。
「倖奈さんは手が綺麗ね。ほっそりしていて、羨ましいわ」
言われ、倖奈はじっと自分の手を見つめた。
「色も白くて、どんな色でも似合いそう。でも、渋すぎたら駄目ね。まだ若いんだし」
その横では、茉莉が楽しそうに箱をひっくり返している。
やがて。
彼女は、梔子色の、裾へ控えめに花の刺繍がなされた一枚を取り出した。
「私の肌の色には合わなくて。出来上がりは気に入っていたんだけど、全然着ていなかった物なの」
そんな言葉とともに差し出された小袖を着込み、倖奈は首を傾げた。
「…変な感じ」
色が淡すぎて、体がふわふわと浮いていきそうな感じがする。
不安げに視線を寄せたが、茉莉は嬉しそうに微笑んだ。
「良く似合って… とても可愛らしいわ」
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