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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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壱の四(緊張しているのかと、と倖奈は自分に呆れた。)

茉莉も桂次も、そして莉紗も、人懐っこくよく喋った。残っていた全員で夕食を共にしたが、とてつもなく賑やかなものだった。
――良い方たちで良かった。
夜、宛てがわれた処に一人引っ込んで、倖奈は笑った。
三編みは解き、衣も寝巻に改めたが眠れずに、ぼんやりと視線を巡らす。
見慣れない部屋という意味では、船旅の間とも陸をずっと歩いてきた間とも変わらないが。
――とうとう、都に着いたんだ。
そう思うと、ぶるり、と肩が震えた。
そのままじっと耳を澄ます。
几帳の向こう側は静かで、美波が起きているような気配はなかった。御簾の向こうも、しんと静まり返っている。
倖奈は被衣を肩にかけると、そっと御簾を潜った。
月の無い晩、庭には星の光しか降ってこない。その中で、風が草葉をかさかさと鳴らしていた。
はあ、と息を吐き出して、その場に座る。
膝下が触れる板の床も、髪を揺らしていく夜風も冷たかったが構わずに、じっと庭の柚の木を睨んだ。
――やっぱり咲かせちゃ駄目だよね。
そう思って、一人吹き出したところで。
――都には様々な力を持った人が集まります。ここにない文献も沢山あります。その中で、【かんなぎ】として何ができるか探してきなさい。
都行きを告げられた時の真桜の言葉が頭の中に蘇る。
できることとはどんなことだろう、と首を傾げる。
未だに花を咲かすことしか思いつかない。それにどんな意味があるのか、をシロが面白そうに話していたのを思いだすが、胸の中はモヤモヤしたままで。
眉を寄せて視線を下ろすと、自分の手が見えた。
それらを目の前に持ち上げて、握って開いてを繰り返せば、微かに強ばっている。緊張しているのかと、と倖奈は自分に呆れた。
「こんなことじゃあ…」
何ができるというのだろう。
小さい、頼りない手。自分のものながら情けなくなり、倖奈はぶんぶんと首を振った。
――史琉や時若は早速、お役目を果たしに出かけていったのに。
邸に着くなり、史琉たちは芳永に連れられて出て行った。その行き先と理由は間違いなく自分たちが北からやって来たことと関連しているのだと重々承知している。
そして、陽が沈んでも彼らは戻ってこず、邸内の静けさからまだ帰ってきていないのだろうと考える。
やはり大変なことなのだろうか、と考えを巡らせてみるが、彼らが具体的に何をしているのかさっぱり思いつかない。
――そんな一方で、わたしは…
真桜が言っていたことを果たすためにはどうしたらいいのだろうか。何処かへ出かけるればいいのだろうか。そうだとしても何処へ何をしに行けというのか。
考えても、全く回答が浮かんでこない。
――これだから、ろくでなしって言われているんだ。
ぎゅっと眉の間に力を込めて、唇を噛み締める。
――史琉のことだけでなくて。
本当に何も知らないのだ、と倖奈は目の前の両手、指を絡めて握り締めた。
指と指を擦りつけ合うと、また昼間の史琉の掌を思い出した。
自分を立たせるために差し出された掌。荒れて固い指先は、思い出す感触だけでも頼もしく感じられて。
――訊いたら、答えを教えてくれるかしら。
ぽわんとした気持ちが浮かんでくる。
だが、すぐにはっとして首をぶんぶんと振った。
そこで不意に、草葉のかさかさいう音の中に人の声が混ざった。
倖奈はびくりと肩を揺らして、振り向いた。
声は縁側を曲がった向こう、真ん中の棟へと続く方から聞こえてきていて。
――颯太?
小さいものの、一つは僅かに高く幼い少年のものと分かる。
そして、よく耳を澄ませば、残りも良く聴き馴染んだ男たちのものだった。
――史琉!
やっと戻ってきたのか、と倖奈は腰を浮かしかけた。
だが、すぐに。
――行って、どうするの?
そのまま固まる。
――何を話そうというの?
頬を強ばらせ、倖奈はじっと何も無い空間を見つめた。
やがて声は、史琉と律斗と思しきものの二つになる。角の向こうでそれらは長いこと言葉を交わし合い、ぼそぼそと響いていたが、やがて聞こえなくなった。
倖奈は肩を落として、俯いた。
ぎゅっと唇を噛んで、頭を振る。それから、ゆっくりと顔を上げて、あ、と声を上げた。
角のところには、直垂に折烏帽子をつけたままの史琉が立っていた。
彼も驚いたように目を見張っていたが、すぐにふっと笑みを零した。
「複雑だな」
そう言って、彼は左手で折烏帽子をむしり取った。それから頭を振るので、髪がぱらぱらと横顔にかかった。
「もう寝ていると思っていた」
すっと目の前に立たれ、倖奈は大きく目を開いて見上げた。
史琉は笑みを浮かべたまま、倖奈のすぐ傍に腰を下ろした。
烏帽子を脇に置いて、両手を伸ばしてくる。それらは倖奈の肩に被衣をかけ直してそのまま、真っ直ぐに視線を合わせるように、頬に添えられた。
「…史琉は? 今戻ってきたの?」
視線を逃がせないまま、問うと。
「ああ… 秋の宮様とやらにご馳走になってきたよ」
彼は頷いた。
「秋の宮様…」
昼間に芳永が云っていた、北からやってくることになった一番の要件を伝えなければいけないという相手。顔も分からないその相手を思い描こうと。
「良い方だった?」
また問うと、史琉は吹き出した。
「難しいことを訊くな。まだ何とも言えないよ」
するりと左手だけ離していく。それから、目を細めて。
「俺もおまえに訊きたいことがあるんだが」
と言われ、倖奈は目を見張った。
「そんな不安そうな顔をするなよ…」
史琉が苦笑する。それから、一度首を振ってから、彼は言った。
「体調はどうだ?」
倖奈はキョトンとなったが。
「昼間、青い顔をしていただろう…」
さらに言われ、あ、と呟く。
「…そういえば。今は平気」
「今はってことは、さっきは無理してたのか?」
史琉の声が僅かに高くなる。
「でも… ちゃんと歩けたし」
倖奈は小さく呟き返す。すると史琉は長く息を吐き出した。
「そうなんだけどさ… 周りの目がなければ、背負っていたところだ」
思わず、そうされている自分を想像し、目を見張った。
「それは… 恥ずかしいわ」
「…そういう問題じゃない」
頬が火照るのを感じながら呟いたが、史琉は苦笑するばかりで。
思わず、倖奈も頬を緩めた。
それから、俯く。
「ごめんなさい」
「…何が?」
「…心配をかけて」
呟くと、史琉が首を振る気配がして、頬に添えられたままの右手に顔を持ち上げられた。
そして、また視線を逃がせなくなる。
「心配して… 当たり前だろう?」
口端を持ち上げて彼は言い、すると、じんと目頭に熱が浮かんできた。
「…でも、史琉は大事なお役目があって」
その熱に負けない様に、ゆっくりと言葉を唇に乗せる。
「仕事がない時には付き合うけどって、前にも言っていたじゃない。だから、お役目を先にして。わたしのことは気にしなくていいから」
すると、史琉が眉を寄せる。倖奈は無理矢理微笑んだ。
「傍にいさせてくれればそれでいいから」
――あなたがわたしを想ってくれていることを、分かっているから。
「…どうしてそうなるんだ」
はあ、と史琉が溜め息をつく。
「そういう謙虚さはいらないぞ。第一、仕事がない時云々っていつ言ったっけ?」
倖奈は首を傾げた。
「初めの頃… 美波がお喋りをしてしまった晩よ? わたしが会って話ができればいいって言ったら、あなたは『仕事がない夜は』って応えてくれたわ」
すると史琉は目を見張った。そのまま何度か瞬いてから。
「…よく覚えているな」
首を振って、苦笑した。
「もしかして、この間の晩、俺が以前言ったってこともその頃話したことか?」
「…この間?」
反対側に首を傾げる。それから、旅の途中の晩を思い出した。
「…あなたが軍にいる理由?」
「そうだよ」
「それは… その前の日の晩」
「…そうか」
笑みが深くなる。倖奈はゆっくり瞬いた。
「忘れていたの…?」
「どうも、そうらしい…」
言葉に苦い響きを含ませて、史琉は笑った。
頬に添えられていた手が肩に滑り落ちる。そのまま、ぐいと引き寄せられて、倖奈は勢いよく史琉の胸に飛び込まされた。
背中に両腕が回される。きつく抱きしめられて、倖奈は目を瞑った。
「ごめん」
頭の上から声が降ってきて、倖奈は瞼を持ち上げた。
「…何を謝っているの?」
「いろいろ」
さらに苦い響きを帯びた声が降ってくる。
「どうにも頼りにならない奴で、悪いな」
「史琉が? 頼りにならない?」
倖奈は目を丸くした。
「そんなことないわ」
「…簡単に言い切るんだな」
腕の力が緩む。
「いろいろしでかしているんだぞ。一応、散々悩みまくって動いているというのに」
倖奈は史琉の胸に手をついて、体を起こした。
見上げると、苦笑いをしたままの顔が見える。
「史琉でも悩むことが… あるの?」
言うと、彼は僅かに唇を曲げた。
「おまえ… 俺をなんだと思っているんだよ」
「え… えっと…」
倖奈は目を白黒させた。
「北の砦の校尉…」
「いや、それはそうなんだけどさ」
史琉が吹き出す。それをじっと見上げて、倖奈は眉を寄せた。
初めて彼を彼と知った時にはもう、彼は柳隊の隊長に就いていた。彼は初めて会った時から、沢山の人に囲まれて話し合っていて、何でも知っていて、何でもできていたように感じられた。
――わたしとは違って。
ぎゅっと彼の襟元を掴むと、その手に彼の右手が覆いかぶさってきた。
がさついた指先が倖奈の指と手の甲を撫でる。背にあった左手は、緩くうねる髪を梳き始めた。
「散々悩んで考えて、それで動いているんだよ。どうすれば一番望ましい結果が得られるかってね」
静かな動きの中で、史琉が低く囁く。
「望ましい結果」
「そうさ… それで巧くいくこともあるし、そうじゃないことも沢山ある」
倖奈は着物を掴む手に力を込めようとしたが、史琉に指先を絡め取られた。
絡み合った指先から熱が伝わってくる。
「そのはずなのに、話したことを忘れているんじゃあ… 無責任にも程があるな」
失敗だ、と史琉が首を振るので。
「…わたしの我が侭。わたしが覚えていたいだけ」
倖奈も首を横に振ると。
「…おまえだけが覚えていてどうするんだよ」
また溜め息を吐き出された。
「ああ… だからか」
「何が?」
倖奈は首を傾げ、史琉が一人笑う。
「寂しい想いをさせる理由」
「え?」
何事かと瞬いたが、相手は笑みをしんと深くして、黙ってしまった。
倖奈も口を閉ざす。
それでも、彼は静かに髪に指を通し続けていて。それに釣られて、倖奈は史琉にもたれ掛かった。
温かい匂いに目を細めて、息を吐き。左手は指先が絡んだままだったので、右手を相手の背に回す。すると、彼も倖奈の肩に腕を回してきた。
そしてまた、ぐっと抱きしめられる。
頬と肩で頭を挟まれて、倖奈は身動きできなくなった。
「史琉」
そのまま名を呼ぶと。
「倖奈」
声が返ってきた。
「…一つだけ。言ったことを忘れない自信がある言葉があるんだが」
温かい息遣いを感じ、倖奈はまた強ばった。
「…どんなこと?」
その中で、どうにか言葉を搾り出す。
すると史琉は、倖奈の耳朶に触れるぎりぎりのところに唇を寄せて。
「愛しているよ」
低く穏やかに言った。
倖奈は瞬いた。
それから少しずつ、頬が火照り出す。
熱がじわじわと頬から体中に広がった頃。
史琉が腕を離した。
「おまえも忘れるなよ?」
顔を覗き込んで言われて、倖奈は必死に首を縦に振った。
「よし」
史琉は笑う。
「今日はもう寝ろ。…おやすみなさいは?」
こつん、と額同士をぶつけて言われ。倖奈はおっかなびっくり、両手を彼の頬に添えた。
「おやすみなさい…」
指先がかさついた感触を感じる中、呟いて、唇を寄せる。
重なり合った唇から、体中に、さらに炎が広がりそうだった。
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