挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
花の如く 作者:秋保千代子

第三章

43/100

壱の三「北からの方々に早くお会いしたいとおっしゃっていたのは宮様でしょう?」

芳永の邸から大通りに向かって路を西に戻り、長く続く築地塀をプツンと切って築かれた瓦屋根の門の前で、ここだよ、と言われた。
開け放たれた門の大きさに、史琉と時若がぽかんとなる。その横で、律斗が大げさな溜め息をつく。
「ここが、宮様の御屋敷」
芳永が笑みを含んだ声で言うと、はっと史琉は振り向いた。
「…失礼しました」
「いや、気持ちは分かるよ。ここは、都でも五本の指に入るほど広い屋敷だからね」
さらに笑って、彼は門の脇にいた男に頭を下げてずんずん歩いていく。三人は慌てて追った。
門を抜けた先は広く開けていて、右手にも正面にも同じように大きな茅葺きの棟が見えた。
庭は敷石で整えられ、そこかしこに枳殻の木が立っている。その白い花は甘い香りを風に乗せていた。
「宮様は、何かとお洒落でこだわりの強い方でね」
敷石を踏み締めながら、芳永は言った。
「特にここの庭の手入れには力を入れているんだよ」
見回せば、辺りは様々な年格好の男女が行き交っている。
屋敷の使用人、出入りの商人もいれば、芳永のように仕事の関係でやってくる者も多いのだという。
「まだお若いが内務卿を務めていらっしゃる。だからね、政務の厄介事は全てここに運ばれてくるんだ」
「内務卿… というのは、内務省の長官様でしたよね。そこはどういうお仕事をされているのでしょうか?」
史琉が眉を寄せると、芳永はにこりと笑った。
「大雑把に言ってしまえば、都の中、外の諸問題の解決… かな。国府の全国版だと思ってもらえばいい」
そう言って、芳永は頭を振った。
「施政の方針や何やは【みかど】や大臣達で決められるけど、都の政務の細々した取り回しは内務の役所が遣るんだ。その長たる宮様のところには、出仕されている時だけじゃなく、屋敷にも仕事が追っかけてくるんだよ」
そのまま芳永は正面に進み、一際大きな棟に上がっていった。勿論三人も続く。
簀子も広く、人が3、4人並んで歩けそうなそこをぐるりと西から南に回ろうとして。
「おや?」
と、芳永が声を上げた。
「葵じゃないか」
すると、律斗が低く呻いた。
きょとんとして史琉が振り向く。
「…天敵だ」
ぼそりと呟かれ、前を向き直る。向かいからは青年が二人歩いてきていた。
一人は二十歳を超えたばかりの頃の細身の青年。深い碧色の直垂に烏帽子をきっちりと付け、太刀を下げていた彼は、ゆっくりと顔を向けた。
「芳永。何をしている?」
「ご挨拶だねえ、葵」
にこりと笑って、芳永は扇を口元に当てた。
「律斗が戻ってきたんだよ」
すると、葵、と呼ばれた彼は鋭い視線を向けてきた。
「僕や律斗の従弟だよ。父親達が兄弟なんだ」
芳永は笑う。
一方で、律斗の顔はみるみるうちに歪んでいく。
葵も、ふん、と鼻を鳴らすとそっぽを向いた。
「それと、北からのお客様に宮様をご紹介しようと思ってね」
だが、芳永が言葉を足すと、彼は向き直ってきた。
真っ直ぐ向けられた顔の、すっと筋の通った目尻に。
「成程、似てる」
史琉は口の中で呟いて、その青年に微笑みかけた。
「初めまして。どうぞよろしくお願い致します」
ぎゅっと目元に力を入れてから、葵はぞんざいに頭を下げた。
それから後ろに振り向く。
もう一人いたのは、年の頃は近いが、背は低くぽっちゃりとした顔付きの色白の青年で。
「行くぞ、泰誠」
その彼を促し、葵はずんずんと歩いて行った。
芳永が溜め息をつく。
「申し訳ございません、式部大輔様」
泰誠、と呼ばれたぽっちゃりの彼は、深々と頭を下げ。史琉、律斗、時若の顔を順に見回した。
「葵と僕で当たっている仕事が、ちょっと厄介で… 苛立っているようなんです」
「あの子はいつも苛々してるよ」
くすり、と芳永が笑い、泰誠も苦笑いした。
「僕は皆様とゆっくりお話したいです。僕も【かんなぎ】なので… 北の方の考究には関心があります。是非、次の機会にお話しましょう」
そう言って、時若に向かって一礼すると、小走りで去っていく。
「良かったね」
芳永が時若に笑いかける。時若は唇を曲げて、二人が去っていた方を眺めた。
「律斗もね、葵に会えてよかったねえ」
「嬉しくない」
「おやおや、二人揃ってそんなこと言って。そうだ、叔父様叔母様のところにも、話をしておかないとね。明日には実家に行ってらっしゃい」
律斗は憮然として視線を逸した。



そうして漸く入った部屋は、南向きの、広い庭を一望できるところだった。
たっぷり水を湛えた池のある庭でも、枳殻の白い花が烟っている。
「毎度毎度、ここへ順番無視で入ってくるのは君ぐらいなものだよ」
上座に座った男が振り向く。
立烏帽子に、織の細かい絹の衣を纏った彼は芳永を睨み。それから、その後ろの三人に目を見張った。
「北からの方々に早くお会いしたいとおっしゃっていたのは宮様でしょう?」
芳永が笑う。すると、男の翠色の眸が愉快そうに細められる。彼は、紙の山が乗った文机をぐいっと押しやると、体ごと向き直った。
「座りたまえ」
目尻の下がった笑みを浮かべ、彼は右手に握った扇で部屋の中を指した。
そこへ何も言わずに芳永は腰を下ろす。史琉と律斗は顔を見合わせ、芳永の後方に動いた。それに時若が続き、板敷の床に座る。
「こちらが、秋の宮様――内務卿様だ」
芳永が振り返る。
史琉は眉間に力を寄せ、それから床に手をついて深く頭を下げた。
「宮様。北の校尉殿ですよ」
芳永が言うと、上座の男――秋の宮がゆっくりと頷いた。
「長旅ご苦労だったな」
「いいえ… お目にかかれて光栄です」
掠れ気味の声で史琉が応える。秋の宮はくっと唇の端を上げた。
「君たちの話は、北の帥からの文で知っている。そして、用向きもね。とにもかくにも、明日から我々の会議の場に同席してもらおう。北の帥から寄せられている情報と援助の要請が真実で妥当なものなのだと、頭の固い大臣たちを説き伏せてみせてくれたまえ」
史琉は頬を引きつらせて頷いた。
律斗は憮然とする。
最後、時若は眉を寄せて唇を噛んだ。
「そう、あと… 【かんなぎ】が来ていて、勉強をさせてくれという話もあったな」
「そうです」
時若が噛み付くように応える。秋の宮は扇を開き閉めてを繰り返し、目を閉じた。
「大学寮に話を通して… 書庫を開放してもらえるようにしてあるが。こちらは、私から到着の知らせを入れて、早々に開放してもらえるようにしよう」
「…書庫の利用だけですか?」
さらに強い声で、時若が問う。秋の宮は片目を開けて、首を傾げた。
「他にも何か希望が?」
「本は北の地でも手に入ります」
「だが、ここの書庫は古今東西の本が集まっている。もう世に一冊しか残っていない、なんてものもありうるのだよ?」
時若はうっと唸った。それでも、視線に不満を滲ませる。
「先ほど、衛門府の【かんなぎ】から、議論をする場を設けたいという話も出ましたよ」
おっとりと、芳永が口を挟んだ。
「折角ですから、都の【かんなぎ】達を集めていても如何ですか?」
「そうだな… 出不精な上に、自らの研究は自らの手元に隠したがる連中ばかりだから応じるかは不明だが、話を振ってみようか?」
秋の宮は頷き、横を向くと、一番上の紙に文字を走らせた。
「そう言えば、理久から書状を預かっていないかい?」
「はい。こちらです」
秋の宮が見向き、それを真正面から見返して、史琉は懐から黒く細長い箱を取り出した。
巻き付けられた結紐の結び目が淡く光り続けたままのそれを、両手で持って、立ち上がる。
「こちらへ」
秋の宮は笑い、史琉は固く頷いて足を進めた。五歩歩いて、それを渡すと、秋の宮は笑みを深くした。
「本当に長旅ご苦労だったね」
翠色の眸で見上げ、彼は笑い。史琉は頬を引きつらせたまま、首を横に振った。
「ここからは、個人的な話なのだがね」
秋の宮は笑んだまま続けた。
「旅の様子でも話して聞かせてくれないかい?」
「おや困った」
芳永が声を上げる。一緒に両手も上げて、嘆息した。
「今夜は、我が家でも家内が張り切っているんですけどね」
「…それは困ったな」
ふむ、と秋の宮も眉を寄せる。
史琉は戸惑ったような視線を芳永に寄せた。
「まあ… うちはうちで、いいか。他の皆もいるしね」
芳永は一人、また笑う。
「では、宮様?」
すると、秋の宮は立ち上がった。
「何を用意させようかな…」
弾んだ声で歩き出す。
芳永のように背が高く、真っ直ぐ伸びた背筋に無駄のない肉付きの体躯。
声と同じように弾んだ足取りで、彼は簀子に出て行った。
「先ほども言ったけど」
と、部屋に残された芳永が三人を見回す。
「こだわりの強い方だから。食事も良いのを出してくださるんだ。沢山食べておくれよ」
三人は三様の笑みで頷き返した。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ