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花の如く 作者:秋保千代子

第三章

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壱の一「相変わらず、ここは瘴気が濃いところじゃな」

澄んだ青い空の下。
通りは人で溢れていた。
その幅だけでも北の国府の街のそれと比べて何倍とあるというのに、道の混雑はあれ以上だ。
「さすがは都…」
行き交う人々の中には、小袖に湯巻を付け籠を抱えた女もいれば、袴姿の男も、太刀を下げ弓を手にした衛士らしき者たちもいた。
その装束の色合いも、赤、黄、青、緑、紫、茶、鼠と全ての色を持っていた。
「オレ、田舎から北の国府に出てきた時も驚いたんですけど… 今はもっと驚いています」
人混みを僅かに避けた、大きな門の屋根が作った日陰。階に腰掛けた、小袖に袴に旅仕様の沓という出で立ちの少年が、背から下ろした行李を抱え込んで、溜め息をついた。
その隣で小さく吹き出す声がして、彼は後ろで一つに縛った栗色の髪を揺らして振り向く。
「そうだな… 俺も驚いているよ」
隣には、同じように腰を下ろした青年。但し、こちらは袷に結紐のある上下共布の直垂姿で、肩上の短い髪を両手で無理矢理後ろに束ね上げたところだった。
「校尉?」
少年――颯太は首を傾げた。
「何してるんですか?」
「折烏帽子を被りたく… 見てのとおり、奮戦中だ」
「…髪を結ってからじゃなきゃ被れないんですか?」
「烏帽子ってのはそういうものなんだよ」
そう言って、青年――史琉は苦笑した。
「髷を結って、そこと烏帽子を結紐で括って留めるんだ。俺みたいな髪だと苦行だ」
「髪、伸ばせばいいんじゃないですか?」
颯太が自分の毛先を弄りながら言うと、その苦笑いは深くなる。
「一応、努力はしたんだぞ?」
史琉はそのまま頭に烏帽子を載せると、掛緒を顎下で結んだ。
それから立ち上がると、ぱらぱらと髪が烏帽子の外に溢れる。
「一月半じゃあ、全然伸びなかったな…」
「…それって、都に来ることが決まってから伸ばしたってことですか?」
颯太がぽかんと口を開いて言うと、史琉はふっと笑った。
「そのとおりだ」
颯太も吹き出し、立ち上がる。図抜けて背の高い少年は、立つと隣の青年もやや見下ろす格好になった。
中肉中背の青年は、見上げ、穏やかに笑い。
「一月半か… 長旅だったな」
言って、左腰に下げた太刀の鞘に手をかけた。
「そうですね…」
行李を背負い直し、颯太はじっと史琉の太刀を見た。
夕暮れの朱の中にもっと濃い赤を生み出したそれを。
だが、史琉はぐるりと反対隣に振り向いた。颯太もそちらを向く。
「律斗さん」
颯太が呼ぶと、そこに同じように立ち上がっていた青年は顔を向けてきた。
直垂に折烏帽子、腰には太刀を下げた出立ち。背はやや低く若干細身ながらも、袖口から覗く腕も襟口から見える胸もがっしりとして逞しい。そんな彼は大きな溜め息を吐いた。
「相変わらず… 此処は騒々しいところだ」
「仕方ないな」
律斗は大袈裟に肩を竦め、史琉は笑う。
「【みかど】の御膝下――豊葦原瑞穂国の真ん中だからな」
そう言って、三人は通りの行く先――北に目を向けた。

通りは南北に通っているらしい。
らしい、というのは、この朱塗りの屋根の大きな門が都の入り口で、最南端なのだと同行者が教えてくれたからそう思っただけだ。
都は東西に走る通りと南北の通りがそれぞれ9本ずつあるが、この中央の通りが当然のように一番広いのだそうだ。
その通りは、両側を白い築地塀が塞ぎ、屋台や露店が並んだりしている。
空の一番高いところを通り過ぎた陽が作った陰、大門の階に座り込んで、倖奈はひっそりと溜め息を吐き出した。
――声が響く…
通りを行き交う喧騒が、耳の奥、頭の中で反響する。
物売りの売込みの声、人が人を呼ぶ声、うわんうわんと響くそれらに、息が詰まっていく。
藍色の被衣にすっぽりとくるまって、身を固くしていると。
「相変わらず、ここは瘴気が濃いところじゃな」
隣に座る、だらしなく両足を投げ出した少年が言った。
「…シロ?」
名を呼ぶと、角髪を結い、薄い色の水干を着た彼は、翠色の眸を向けてきた。
「北の地は、凝り固まった瘴気――ようは、魔物、じゃな。それにしか触れてこなかったと思うが、都は常に薄く薄く瘴気が漂っておる状態だからな」
倖奈は瞬いてみせたが、シロはふふふと笑った。
「北の地はそこかしこに緑と花が溢れておったから瘴気は凝り固まらないと動けなかったが、都は簡単に漂える。いろいろとそうなりやすい条件が整っておるのじゃよ」
「…条件って?」
首を傾げ眉を寄せても、少年はニヤニヤと笑い続けるばかりで。
「おぬしは辛かろう。何せ、魔物に触れようとするだけで神気が溢れ出てくるんじゃからな。迂闊に歩くと神気を――体力を奪われて、倒れるぞ。気をつけることじゃ」
そして、彼はよいしょと立ち上がり、うーんと伸びをした。その足元に白い大きな犬が寄り添う。
「まあ、北の地から世話になったのう」
シロは言って、反対隣に座る市女笠を見遣り、その向こうの狩衣姿の青年を見つめ、立ち上がっていた史琉、律斗、颯太を見遣った。
「お蔭で無事に都に着いたのじゃ」
「それは良かった」
史琉が笑う。律斗は目を眇めた。
「そういうわけで、わしは行くぞ」
「とっとと行け。もう来るな」
律斗が鋭く言い放つ。シロはからりと笑った。
「なあに… 今は行くが、すぐにまた会うつもりじゃ」
もう一度、一行を見回す。最後、じっと翠色の眸に見つめられて、倖奈は唇を噛んだ。
「では、な」
その湿気を含んだ視線のまま、シロはひらひらと手を振って、人混みに紛れていった。
「もう来るな」
ぼそりと、もう一度律斗が呟く。
「その点だけは同感だ」
低い声で言って、狩衣姿の青年が立ち上がる。
「胡散臭すぎる。言っていることもどこまで真実だが分かったものじゃない。これ以上関われるか」
袖先と裾の土埃を叩いて強く言い切る彼に。
「時若」
史琉は苦笑して名を呼んだ。
だが、呼ばれた方はきっと振り向き。
「そもそもあいつを拾ったのはおまえだったな」
と言う。ほっそりとした体付きに似合わない鋭い視線に、史琉は肩を竦めた。
「…それを言われると、辛いんだ」
時若は鼻を鳴らし、一つに縛った黒い髪を背に流す。
溜め息を響かせてから、史琉がぐるりと一行を見回した。
「さあ、十分休憩できたか?」
すると、市女笠の垂れ衣を持ち上げて。
「…もう行くの?」
娘が声を上げる。
「美波?」
紅色の袖も覗かせた彼女は、黒く真っ直ぐな髪を揺らした。
「まだ… もうちょっと」
「軟弱な奴め」
時若が舌を打つ。
「そんな重たい衣装でいるから余計に疲れるんだ」
「時若… 重たい荷物を颯太が持って歩いていることも忘れるなよ」
史琉が口を挟むが、時若が憮然と横を向いた。
美波はまた溜め息をつく。
その隣に、倖奈も座ったままでいた。
頭の中はまだがんがん鳴っている。
――気持ち悪い。
もう一つ息を吐き出して、上を向く。空の青さに少し目を細めて立ち上がろうと右手で地を掻いたが、結局なせずにまた息を吐く。
「倖奈?」
ざっと音を立てて、颯太が正面に立った。
「大丈夫?」
高い上背を屈めて、颯太が顔を覗き込んできた。それに無理矢理笑む。
「うん」
「本当に? 顔、蒼いけど?」
眉を寄せた颯太にもう一度笑いかける。
立ち上がろうと右手を地に付いた瞬間、颯太の横に史琉が立った。
「おまえも疲れたか?」
すっと膝を付いて、史琉は真っ直ぐに顔を覗き込んできた。
「だが、休もうにもここでというわけにはいかないからな。もう半刻も歩けば、取り敢えずの目的地に着くんだ。歩けるか?」
倖奈はこっくりと頷いた。
「じゃあ、頑張ってくれ」
そう言って、右手が差し出される。同じ手を重ねると、ぐいと引き上げられた。
荒れた指先に硬い掌の感触が熱を持って伝わってくる。
だが、真っ直ぐ立ったところでそれは離れていき、ぽん、と肩を叩かれた。
見上げると無言で頷かれ、倖奈は微笑んだ。
そのまま、史琉は美波の前にも膝を付いた。
「美波も。ほら」
彼はまた右手を差し出す。美波もほっそりとした手を差し出した。
それをまた、史琉がぐいと引き上げる。
立ち上がった美波の、着物の裾が揺れる。濃い紅と薄い紅を重ねたそれは女らしい細さと丸みを帯びた体を包んでいて、その上に艶のある黒い髪が流れるのが市女笠の薄い垂れ衣を透かして見えた。
白魚のような手をゆっくりと離して、史琉がまた振り向く。
「じゃあ、行こうか」
「…はい、校尉。質問です」
颯太が小さく手を挙げた。
「取り敢えずの目的地って… どこですか?」
「あ、言ってなかったな」
まず目を丸くして、それから苦笑いして、史琉は言った。
「理久様に、宿を借りろと紹介されている方がいるんだ。その方のお邸に行く」
曰く、その邸は都の東端の通りに近い所に位置する小さなものなのだという。
「ただ、家人の数も少ないから十分だ、なんておっしゃってさ」
「…もともと人を置きたがる奴じゃないんだ。昔と変わっていないなら、主夫婦と家人夫婦とその子どもだけで暮らしているはずだ」
律斗が言い添える。
「律斗さん… お詳しいですね」
颯太が言うと、律斗は仏頂面で頷いた。
「…俺の従兄だ」
「式部大輔を務めている方で、芳永よしひさ様とおっしゃるんだ」
史琉が言い添えると、律斗は大袈裟な溜め息を吐き出した。
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