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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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四の三「恋人なのにさ。二人で話すこともできないなんて、寂しくない?」

その小さな社は、今日の祭りの主役たる社の分社らしかった。
「親元が賑やかだと、ここもなのかしらねえ」
水飴のお代を渡すと、店の主はそう言って笑った。
通りの最後にあったらしいその社の境内は、そこそこに広く、多くの人々が木の根元や大きめの石に腰掛けて笑い合っている。
その一角で同じように腰を下ろし、颯太と倖奈は水飴を舐めていた。倖奈の足元では、次郎が尻尾を揺らして寝そべっている。
颯太の赤いそれが半分くらい無くなった頃に。
「もう帰る…?」
颯太は横を向き、訊いた。
すると、まだ飴は大分残っている倖奈が頭を上げ、傾げた。
「どうして?」
「…倖奈、疲れたのかなあと思ってさ」
颯太は飴に齧り付きながら、言った。
「ぼうっとしているみたいだし。さっき校尉も言ってたけど、疲れが残ってたら明日歩けなくて困っちゃうしさ。早く戻って休もうか?」
倖奈は微笑んで、首を横に振った。
「…颯太は、ちゃんとお祭りを楽しめているの? そうじゃなきゃ戻らない」
「…オレはいいんだよ。オレよりも…」
と颯太は眉を寄せた。
「倖奈こそ、楽しいの?」
「どうして?」
「だって… 俺なんかが恋人と間違われて…」
颯太は鼻を掻いた。
「…校尉を呼んでこようか」
「…どうして?」
倖奈が目を丸くする。
「だって… 倖奈、嫌じゃないの?」
颯太はもう一度横を向く。
「何を嫌がるの?」
倖奈はきょとんとした表情のまま。
「呼べないわ」
と言った。
「北に… 理久様に手紙を書くのだと言ってたでしょう? お仕事なのだから… 邪魔はできないわ」
「そう… なんだけどさ」
はあ、と溜め息をつく。
「もしかしなくてもさ。校尉と倖奈… 北を出てから喋る機会があんまりなかったでしょ?」
倖奈がさらに目を見開いて、口を噤む。颯太は眉尻を下げた。
「オレもだけど、他の人と四六時中一緒に動いているからさ。二人になれる機会がないからかなあ、とか思うんだよ」
ぽつりぽつりと喋る間、倖奈は黙っている。
「恋人なのにさ。二人で話すこともできないなんて、寂しくない?」
颯太もそこまで言って、口を閉じる。
二人、しばしそのまま互いの顔を見ていたが。
先に表情を崩したのは、倖奈だった。
「前に、ね」
と寂しそうに微笑む。
「一回だけ… 史琉と二人で砦を出かけたことがあるの。普段会うのは日が沈んだ後ばかりで、昼間に警邏のお仕事がない時も史琉は忙しそうにしていて、顔を合わせることはなくて」
颯太が頷くと、倖奈はホッとした表情で喋り続ける。
「その時は史琉が出かけようかって言ってくれて、二人で国府の街のお祭りを見に行ったの」
「ここみたいに賑やかだった?」
颯太が訊くと倖奈が頷く。
「そうね… 空気も地面も歌っているようだった」
出店が並び人で溢れるその中を、彼に手を引かれて歩いたのだという。
「でも、どこに行っても史琉は知っている人に逢って声をかけられて。きっとわたしと喋っているより、そういう人たちと交わした言葉の量の方が多かったと思う… 今思い出すと」
そこで、倖奈は首を振って、俯いた。
「都に出かけることが決まった晩に… 史琉は、わたしと一緒に行くのが不安だって言って… その時は違うことを言っていたけど、本当は」
そこまで言って、黙り込む。颯太は体を傾けて、顔を覗き込んだ。
「本当は?」
「わたしがいると… 仕事が遣りづらいって意味だったのかしら?」
「まさか、そんなこと… ないと思うけど?」
颯太は肩を落とした。
微笑んだ倖奈がまた顔を上げる。
「でも、北を出てからずっと素っ気ないわ。声をかけるよりも何よりもまず、傍に行くことさえ… 難しいのに」
「そう… なの?」
颯太は唇も曲げる。だが、頭を振るとすぐにもとの表情に戻る。
「そりゃ、ね。何か一生懸命にやっているときは声かけてもらいたくないって思うかもしれないけど、別にそれは恋人だとかそういうのは関係なくて、誰からでもだと思うし。別に倖奈だからだってことはないと思うよ!」
「…でも、あなたや律斗は普通に話しかけられるでしょ?」
「そう… かもだけど。ああ、もう!」
颯太は両手で頭を掻きむしった。
「とにかく、倖奈が嫌ってことはないと思う! トコトン好きになった人を簡単に嫌いになれるわけないだろう!」
すると、倖奈はぱちぱちと瞬いた。
それを颯太がじっと睨む。
「変なこと気にしてないで、普通に声かければいいじゃん。別に校尉も嫌じゃないと思うし… 少なくとも、もしオレがその立場だったとしたら、そうだけど?」
倖奈はもう一度瞬いてから、にっこりとした。
「颯太も恋人がいるの?」
「は?」
颯太は、ぱかん、と口を開いた。それから、かああ、と頬を赤くする。
「きっと… だから、そういう風に考えて、教えてくれるのよね」
有難う、と倖奈は笑った。
「でも、わたしは…」
と、首を振る。足元の次郎が、のそりと頭を上げて、彼女の顔を見つめる。
赤みのひいた颯太もじっと、その線の細い横顔を見つめた。



ごった返す通りをゆっくりと歩く。その途中、ひた、と足を止める。
何度も何度も繰り返し、その時も、足を止めて目を細めた瞬間だったが。
「お一ついかが、御武家さん?」
朗らかな声に史琉は振り向く。
その先は屋台の反対側、色とりどりの水飴が並ぶ台の向こう側で小袖の女が笑っている。こちら側では幼い子供たちが、ああでもないこうでもないと飴の品定めを行っていた。
ふっと表情を緩め、史琉は一歩屋台に寄った。
「残念だが、俺は甘い物はあまり食べないんだよ」
だが、女はにっこりと笑ったまま。
「じゃあ、お土産に如何?」
「…そうだなあ」
はは、と乾いた笑いを浮かべ、史琉はまた少し通りに視線を流した。それから。
「時に」
と女を真正面から見つめる。女は一瞬動きを止め、それから首を傾げた。
「この辺りが街外れになるのかな?」
「そうだねえ…」
史琉が問うと、女は屋台の正面に立つ鳥居を見つめ、それから南東に伸びる通りの先を見遣った。
「そこのちっちゃなお社がこの宿場町の最後っちゃあ最後だね。こっから先に行っちゃうと、もう家はしばらくないし。社の後ろの雑木林の向こうは川原だよ」
「…ありがとう」
史琉はにっと頷いた。
「飴はまた今度頂くよ」
「あら、今の話の礼に買ってはくれないの?」
「今貰っても、ゆっくり味わえそうにない。食べ物は粗末にしたくないからな」
女は首を傾げたが、品定めの終わったらしい子供たちの声に、はいはい、と言って振り向いた。史琉は唇の端を釣り上げて、踵を返す。
今一度、通りをすっと睨んでからそのまま、真っ直ぐ鳥居を潜っていった。



傾き始めた陽が、空気を薄く赤く染めていく。
手の中の水飴が全て消えてもまだ、颯太と倖奈は座り込んでいたが。
「そろそろ… 本当に戻ろうか」
颯太が立ち上がった。
ひょろりと背の高い少年は、ばさと袴を鳴らし、伸びをする。
「ね、倖奈」
名を呼ばれ、立ち上がろうとして。倖奈は目の隅に写った影にはっと振り向いた。
見慣れた短い髪、松葉色の直垂の背中が、真っ直ぐに鳥居の反対側、林の中に向かっていく。
「あれ?」
颯太もそちらに振り向く。
「校尉? 何処へ?」
二人は顔を見合わせた。
「何処に行くんだろう?」
「…分からない、けど」
立ち上がった倖奈は、じっと木の影に隠れていく背を見た。
次郎がぱたぱたと尾を揺らし、すっと動き出す。
「追いかけようか!」
颯太が言い。そのまま二人と一匹も砂利を蹴って林に向かって歩き始めた。
木々は藤のようで、若い緑を茂らせ、白や薄紫の控えめな花房がふわりと下がってきている。その花房の合間を縫って、史琉は早足で去っていく。
「日暮れまでに帰って来いとか言っていたのに、自分は何処に行くつもりなんだろう?」
颯太が呟く。
倖奈も眉をひそめる。
ざくざくと草を踏みしだき、いくらか進むと、木々の隙間から小さな川が見えてきた。さぁさぁと流れる音が大きく聞こえるようになる。
そんな頃に、ピタッと次郎が足を止めた。そのまま、振り返り、唸り出す。
「次郎?」
颯太が振り向く。
倖奈も次郎を見下ろし、それから振り向いて。息を呑んだ。
視線の先で、颯太より背の高い男が笑って立っている。
「校尉殿を釣るつもりだったのになぁ…」
そう言って、男はにやりと顎をすった。
「おまけまで釣れたな」
「おまえ…!」
颯太が低く呻き、倖奈を庇うように前に立つ。
「東の国府で…!」
「お、ちゃんと覚えてたな、ガキ」
彼はさらに笑う。
倖奈は、ごくりと唾を飲み込んだ。
すらりと高い背、薄い唇、腰には大振りの刀を差した男を倖奈もよく覚えていた。
「鳳樹、っておっしゃったわ」
「正解!」
彼はさらに嬉しそうに笑った。
「牢破りして追いかけてきた甲斐があったなあ…」
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