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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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四の二(甘えちゃダメ。迎えに来てほしいなんて思ったら、ダメ。)

色鮮やかなのは、躑躅や藤の花だけではなく、人々が纏う衣装もだった。
その溢れかえる色たちに埋もれながら、倖奈は呟いた。
「はぐれた…」
ぼうっとし過ぎていたらしい、と唇を噛む。
少し前を歩いているとばかり思い込んでいたシロと颯太は、気がつくと思い描いていた位置に居なかった。
ならば宿に戻れば良い、そこには美波がいるはずだと思うが、如何せんぼうっとしすぎていて、どんな道をどうやって歩いてきたのか思い出せない。
人波に乗り切れず通りの隅に逃げてもなお、倖奈はどちらにどう進めば良いのか分からなかった。
「…史琉」
名を呟いて、首を振る。
―― 甘えちゃダメ。迎えに来てほしいなんて思ったら、ダメ。
藍色の被衣を被り直して、きつく編んだ三編みをその中に押し込めて、襟元をぎゅっと握りしめてから。顔を上げて、もう一度左右を見回した。
薄い板の屋台の影でせっせと体を動かす人々。それを覗き込み声掛けて笑う人々。鮮やかな花模様の小袖を翻し歩く娘たち。北の地で見たのとそう変わらない祭りの光景が、傾きかけた陽の中で眩しく広がっている。
この街は大地も空気も晴れやかに笑っているような気がする。
そんな中に踏み出そうとして、やはり足が竦んだ瞬間。
くん、と袖を引かれた。
はっとして見下ろすと、白い、腰まで背丈がある大きな犬が黒い瞳でじっと見上げてきていた。
「次郎!」
ほっとして笑むと、犬もこくりと頷いた。
「心強いわ。どっちに行けば戻れるか分からなくなっちゃったの」
すると、犬は心得ているとばかりに、もう一度袖を引いた。
「行こう… 戻ろう」
今度こそ、一歩踏み出す。
流れる人の合間をひらひら流れていく。時折人にぶつかり、ごめんなさいと呟きながら大分進んだ頃に。
小さな鳥居の前に出た。
――ここがお社?
大人三人が潜るのが精々だろうという程の大きさだが、その奥は広くなっているようで、そちらからもざわめきが聞こえてきた。通りとは少し異なる、穏やかで、それでいて晴れ晴れとした揺らぎ。
それに惹かれて、思わず立ち止まる。足元にぴたりと付いていた次郎も止まり、見上げてくる。その頭を撫でながら、じっと奥を見遣っていると。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
逆の袖を引かれ、振り返った。
見向くと、突っ立っていたのは出店の真ん前で、その奥から人懐っこい笑顔の女性が腕を伸ばしていた。
「飴でも舐めていくかい?」
倖奈は瞬いた。指し示されて見れば、出店の台の上にはこれまた色鮮やかな水飴が並んでいる。
「どれでも好きな色を言っとくれ。そこの水色は薄荷味、すっきり爽やか。そっちの赤いのは苺味、恋の味さ」
さらさらと流れてくる売り文句に目を丸くする。
「さあ、お安くしとくよ。お好みは?」
首を傾げて問われ、倖奈は言葉に詰まった。
何と答えようかと瞬き、そのまま数瞬過ぎた後。
「倖奈!」
大きな声で呼ばれ、はっと振り向いた。
道の向こうから、颯太が息を切らして駆けてくる。
「良かった、見つけたァ…」
そう言って彼は倖奈の隣で止まり、ぜえぜえと肩で息をする。
すると、その出店の奥からは。
「おや、お嬢ちゃん、なお良かったね」
と、女がにっこりと笑いかけてきた。
「恋人に買ってもらったら?」



幾重にも重なった大仰な鳥居の向こう側が、この祭りの主役だった。
そんじょそこらの貴族の屋敷にも負けぬ大きさの茅葺きの神殿の前に山車が引き出され、着飾った人々が集っている。彼は山車に布をかけ鈴をかけ、練り歩く用意をしているようだった。
その山車の中央には、一際光を放つ物が据えられている。
離れた場所から、時若は腕を組んでそれを見ていた。
「鏡か?」
時若が呟く。
「そうじゃな」
思わず返事があり、振り向く。そこには、角髪を結い、水干を着込んだ少年が立っていた。
「シロ。何をしている?」
「わしも御神体を拝みに来たのじゃよ」
時若の鋭い声にもにこりと笑い返し、シロは言った。
「御神体となるものは、鏡、玉、剣が多いが、ここもまた鏡じゃな」
「この間の、東の国府の社もそうだった」
「これら三つは神気なり瘴気なりを宿しやすいものじゃか、鏡はとくにそうなんじゃろうな。そして、こういう祭りでも見栄えがするしのう」
「見栄えの問題だけで御神体が決まるものか」
ふん、と時若が鼻を鳴らす。
「最初にそこに社を築いた者が何を思うと思う? 末永く、祀られることを祈るもの」
「だから、何だ?」
シロはにいと唇の端を吊り上げた。
「祈り、祀る者がいなくなれば、その社は廃れるしかない。廃れれば、そこに封じられた神気は弱まり、逆に瘴気は強まり魔物を生む。その先に何が起きるかは想像に固くないじゃろ?」
時若は黙り、そっぽを向いた。シロはその横顔をじいと見つめながら話し続ける。
「永久に祀られることを祈り、築いた者は人の心を惹きやすい物を御神体に選ぶだろう。そして、その謂れは忘れても、人々はその御神体を、社を、知らず知らずのうちにそこに封じられたモノを祀り、鎮め続ける」
一つ息を吸ってから、シロはまた言った。
「【かんなぎ】は何故【かんなぎ】というか知っておるか?」
「知らん」
時若はすぱんと答えた。シロは笑った。
「神和ぎ、じゃよ。神を和ませる者、だから【かんなぎ】」
そのまま、彼も真っ直ぐ山車に載せられた鏡を見遣った。
「【かんなぎ】は神気を持つ者を言うが、より正確に言うならば、そこある魂を和ませる力を持つ者を云うのじゃろうな。そういう意味では、お主や倖奈は正真正銘の【かんなぎ】じゃ」
「…自分は違うとでも言うのか」
「違う」
今度は、時若が隣に立つ者の顔を見る。だが、シロが振り向かない。
「穢れを焼き払う力、花と代える力… 稀有じゃのう」
それだけ言って、唇を弧に曲げたままシロは黙る。
そして、赤く染まり始めた空気の中に、鈴の音が高く響いた。



夕暮れ間近の空気を、刃が切り裂く。
その鋭い音が微か遠くに聞こえる中で、史琉は溜め息をついた。
向かい合う文机の上には、墨を吸った紙。乱れのない文字が流れるその紙を僅かに睨んでから、史琉はそれを燭台に向けた。
蝋燭の炎を貰い受けて、紙はじじっと消えていく。
史琉の指先から、紙が消えてなくなる頃。
「それ、何通目?」
几帳の影から美波が顔を出した。
「さて、な」
振り返りもせずに史琉は応える。
「何回も何回も書き直している。何がそんなに気に入らないの?」
「まあ、色々とね」
真っ直ぐ文机に向かったままの史琉の背中に、美波は膝ですって近寄っていった。
「理久様は、そんなに字や文章の上手い下手は気にしないと思うけどな」
「そうだな…」
そこでようやく、苦笑いを浮かべた史琉が振り向いた。
美波もにっこりと微笑む。
「ここは躑躅が綺麗ね」
そう言って、庭先に視線を流す。
躑躅の生垣の向こうでは、律斗が黙々と刀を振っている。手前には、僅かに赤い花びらが散っていて、名も知れぬ白い花と一緒に地面を彩っていた。
「北の国府を出た頃は桜も咲いていなかったのに。早いわね」
「そうだな」
「もう、躑躅の季節で… ここのお社は藤が咲いているんだったわね」
「そういう話だな」
史琉は頷き、美波を真正面から見つめた。
「出かけてこないのか?」
美波は首を傾げてみせた。
「いつもなら率先して出かけていくおまえが。本当に、どこか具合でも悪いのか?」
「そんなことないわよ。ただ…」
微かに眉を寄せて、美波は首を振った。
「そうね… 史琉が一緒に行ってくれるなら、出かける」
そのまま彼女は艷やかに微笑む。史琉は首を振った。
「俺は仕事をしたいんだが?」
「…すれば?」
美波は表情を崩さない。史琉も笑んで言った。
「…横にいられると遣りづらいんだよ」
「別に構わないじゃない」
「構う」
史琉は少し笑い方を変え、美波はまた少しだけ眉を寄せた。
「…倖奈だったら、いいの?」
それから彼女が低く小さく呟く。史琉は溜め息をついた。
「どうしてそうなるんだ」
「だって、あの子は…」
美波は目を細めた。
「あなたの恋人なんでしょ? 自他共に認める」
「…なんか、刺のある言い方するんだな」
「本当にそうなの?」
美波は声を低く響かせる。
「あの子、とっても不信がってたわよ。あなたのこと」
史琉は片目を眇めた。
美波はくすりと笑う。
「本当は自分のことをどうでもよく思っているんじゃないかなんて考えているんじゃない? 結構、あの男の子 ―― 颯太だっけ? 彼に愚痴ってたし。今日も一緒に出かけさせちゃって良かったの?」
クスクス、と美波は笑う。
「あなただって本当は、あの子のことなんかどうでもいいんじゃなくて?」
「美波」
鋭い声で、史琉が名を呼ぶ。
美波ははっと口を噤んだ。
そのまま大きく目を見開いて、史琉を見つめる。
「悪い」
それだけ言って、史琉は立ち上がった。
蝋燭の炎を吹き消して、すたすたと簀子に出て行く。
「律斗!」
彼が呼ぶと、生垣の向こうの青年は黙って振り向いた。
「出かける」
「ああ…? 気をつけてな」
律斗は瞬く。史琉はすっと身を返して歩いていく。
美波は文机の横に座り込んだままだった。
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