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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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四の一「今日はこの町の社の例祭の日でしてね。

豊葦原瑞穂国を岸沿いに東から西へ。途中で北に曲がり大きな湾に入って行き、その一番奥で一行は船を降りた。
その先は大きな街道沿いに進んでいけば、都まで十日もかからないのだという。
時は確実に流れていて、桜は花を落として新緑を芽生えさせ、藤や躑躅が鮮やかな花を咲かせ始めた。

この宿の庭も躑躅の赤い花で賑わっている。
陽はまだ西に傾き始めるか否かというところで、辺りはまだ明るい。
「今日は、大分先まで進んでこれたな」
そう言って、史琉は一同の顔を見回した。
「いつも、日が落ちるギリギリに宿に飛び込んでいたからな」
「誰かがダラダラと進むからだ」
ぼそりと呟いて、律斗が視線を横に流す。その先の美波は、市女笠を被ったまま、あらぬ方を向いていた。
「お早い到着でようございました」
宿の主だという中年の男が先に歩きながら笑う。
「今日はこの町の社の例祭の日でしてね。お早いお着きでないと、祭りの喧騒に巻き込まれて、宿が取りづらくなるところでした」
「へえ… お祭り」
史琉が笑い返すと、主は嬉しそうに頷いた。
「藤の花に囲まれた社でしてね。そりゃあ、都のお社に比べたら貧弱なものですが、この花の時期に例祭を行うのですよ。出店や山車もありますし、辺りの人間も着飾ってぞろぞろと出てきます。よろしければ皆様も見物されたらいかがですか?」
庭に面した簀子を巡って辿り着いた部屋を示すと、ごゆっくり、とにこやかに言って、主は去っていった。
それを見送るや否や、シロは真っ先に部屋の真ん中に腰を下ろした。
「もう… ここの例祭の時期か。早いのう…」
「ジジくさいセリフだな」
史琉が笑う。
「まあ、この道は何十往復もして、ここの祭りも何回も見ておるからな」
喋りながら、シロは両足を投げ出した。
「この町だけでなく、隣やその向こうの宿場町からも人や店が集まってくるから、相当な賑わいじゃ。おまけに山車にはここの御神体を載せて練り歩くから、ますます盛り上がる」
「御神体が社から出てくるのか?」
簀子に立ったままの時若が振り向くと、シロは軽く頷いた。
時若は顎に手を当てて、庭をじっと睨んでから。
「…出かけてくる」
と踵を返した。
「気をつけて行ってこいよ」
背に史琉が声をかける。
「…美波はどうするんだ?」
そのまま見向き、史琉は一歩も動かない市女笠のままの美波に問う。
「行かない」
美波は振り返りもせずに、言い切った。
「…どうした、美波。どこか具合でも悪いのか?」
首をわずかに傾げた史琉を一瞬だけ睨み、美波はずんずん部屋内に入っていき、几帳の陰に隠れてしまった。
苦笑いを浮かべて史琉も部屋に入り、腰を下ろす。
その横に腰を下ろして、律斗が口を開いた。
「で、おまえはどうするんだ?」
「俺は… そろそろまた、北の帥様に一筆送らなきゃいけないからな。日が高くて明るいうちに頑張るさ」
そう言って、史琉は簀子の近くに置かれた文机を見遣った。
そのまま、視線はまだ廊下にいる二人に向く。
「颯太、倖奈。突っ立ってないで、部屋に入りな」
「校尉…」
頷き、颯太は一歩踏み込む。首の後ろで一括りにした髪が頼りなく揺れる。
「見てきたいって顔しているな、颯太」
史琉が笑う。颯太は目を見張り、横を向いたが。
「行ってきていいぞ」
「本当ですか?」
すぐに正面に向き直り、ぱっと笑った。
「日暮れ前に帰ってくるのが条件だ。しっかり夜休んでおいてもらわないと、昼間動けないからな」
「はい!」
「楽しんで来いよ」
颯太は頷き、背に背負っていた荷物を部屋に下ろす。
「じゃあ、片付いたら早速行ってきます!」
「律斗は?」
史琉が問うと。
「俺は行かない」
律斗は即答した。
そのまま、太刀だけ握り立ち上がる。
「そこの庭先を借りる」
「…分かった」
それから、ようやく史琉は、やはり簀子に立ったままの倖奈に振り向いた。
「倖奈は?」
問われて、倖奈は瞬き首を傾げた。
「颯太と祭り見物に行ってくるか?」
「え…?」
言われ、もう一度瞬く。
颯太も顔を上げて、史琉を見つめたが。
「俺は片付けたい仕事があるからな。暇潰しにでも行って来いよ」
史琉は変わらず笑っている。
「暇潰し、のぅ…」
シロも笑い、立ち上がった。
「わしも行ってくるかな?」
「そうしろ」
史琉は頷き、膝をすって文机の前に座り直す。そのまま振り返ることなく、紙と筆を広げ始めた。
倖奈はじっとそれを見つめていたが。
「ほれ、行くぞ」
すたすたと寄ってきたシロに肩を叩かれて、おずおずと踵を返した。



町に着いてからそう時は経っていないのに、通りは先ほどよりも賑わっていた。
「すごいなあ…」
颯太が、ほう、と溜め息をついた。
「やっぱり本番は、日が落ちてからなのかな?」
「とすると、素直に『日暮れ前に帰ってくる』の言い付けを守ると、本番を見れないことになるな」
シロが、けけけ、と笑う。颯太は鼻の頭にしわを寄せた。
「まあ、御神体を見たいだけなら、社に直行すればよいだけじゃ」
「御神体… を見たいというよりは。何と言うか…」
颯太はぐるりと通りを見回した。
「単に騒ぎたいだけ… でもないな。なんだろう?」
通りの両脇は灯りを灯す前の提灯を下げた出店がきゅうきゅうと並び、その間を揺れる人波が埋め尽くす。その中には、既に酔いで出来上がっている者もいた。
「まあ、冷やかして回りたいんじゃろ?」
シロは己より拳三つ分は背の高そうな颯太を見上げ、また笑った。
「わしは社の様子を見てくるかな? 時若も御神体に興味があるようじゃったから、そこじゃろ」
そう言って、シロは器用に人と人の隙間に身を滑り込ませ、進んでいった。
「…確かに、冷やかしたいだけかもなんだけどさ」
首の後ろを掻いて、颯太はまた溜め息をついた。
「…なんか、適当に食べて戻ろうか?」
そう言って、振り返る。そこには、黙って付いてきていた少女が見えるはずだったが。
「あれ…? 倖奈…?」
颯太は青くなった。
「まさか、はぐれた?」
二度三度瞬いて、ぐるりと見回す。背の低い少女は人の流れに巻き込まれたようで、見慣れた藍色の被衣は見当たらない。
「まずい…!」
颯太は人を掻き分けて、元来た道をだっと駆け出した。
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