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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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参の七「これ全てが持ち出された鏡に入っていたっていうのか?」

振り下ろされる太刀を、男は額で受け止めた。
びき、と音を立ててひびが入り、そこからまたぶすぶすと赤黒い靄が上がる。続いて割れ目を埋めるように、内側からぼこんと鱗が浮いてきた。
太刀を握ったまま史琉は目を見張り、ばっと跳び退った。
「…物凄い瘴気の量じゃのう」
のんびりと、シロが呟く。
「これ全てが持ち出された鏡に入っていたっていうのか?」
史琉は片目を眇め、首を振った。
「まあ、その辺に沸いた蝙蝠お化けの分も全てじゃろうな」
シロはひらひらと掌を振ってから、魔物と化した男を睨め付けた。
ぐおお、と人間のはずだったそれは叫ぶ。彼は全身が奇妙な色に染まり、表面にはごつごつした鱗が浮き続けていた。
「あの鱗が全身を覆う前に何とかしないとな… 硬くて斬れなくなる」
史琉は太刀の柄を両手で握り直す。
その隣で、体を低く落とし、次郎が唸り続ける。
魔物と化した男が、さらに大音声で叫び、身を逸らせる。
すると、腹の辺りに銀の光がきらと見えた。
「鏡…?」
「じゃのう」
史琉の呟きに、シロが頷く。
「俺の目には、腹の肉に埋まっているように見えるんだけど」
「そうじゃな… 試しに割ってみるか?」
そう言って、シロはぱんと両手を打ち鳴らす。ゆっくりと離すとその間に光の球が生まれる。 シロは、真っ直ぐにその手を差し出してきた。光の球はすっと史琉の太刀に移っていく。
「ほれ、行け!」
「分かってるよ!」
史琉は叫び、だっと走り出した。
突き出されてきた魔物の腕を飛び越え一気に懐に飛び込んで、太刀を真っ直ぐに腹の鏡に突き立てる。
ぱん、と乾いた音が大きく響き、その一瞬後に魔物がまた叫んだ。
叫び声が空気を震わせ、木々が揺れる。
空を舞う奇妙な影がばさばさと落ちていく。
魔物はまた腕を振ったが、そこには次郎が食らいつく。
史琉は刃をさらにねじ込んだ。
びしびしびしと鏡が割れ、その奥に変色した肌が見えてもなお力を緩ませず、最後は魔物の背から切っ先が見えるまで押し込んで。
そこまでいって漸く、魔物は叫ぶのを止めた。
だらり、と残った片腕が落ちる。
がくんと膝をついた体から、史琉は太刀を引き抜いた。
「…どうだ?」
「ふむ」
史琉とシロは宙を見上げ、そのまま視線を沼に送る。
「消えたようじゃな」
「一匹も残っていないか?」
「大本が壊されたことで、瘴気が全て消えたのかのう?」
シロは首を捻った。
「解せんなぁ」
春らしくなく寒々とした林の中には、静寂が訪れていた。
どさりという音に史琉は足元を見下ろす。そこには、干涸らびた死体がうつ伏せになっていた。
「こいつも… 死んだか」
「そうじゃな」
シロが頷く。史琉は溜め息をついて、顔を上げた。
沼の縁を抜き身の太刀を下げて、律斗が歩いてくる。途中で時若と並び、彼と二人何かを言い合っているのが見える。
シロは、片手で顎を摺った。
「拍子抜けじゃのう…」
「何がだよ」
史琉が苦笑する。
「鏡を割るだけであっさり瘴気が消えるとは思わなくてな… いや、瘴気が減ってきていたことで簡単に割れたか? 割れたことで最後の力を使い果たしたか? それとも…?」
シロが左右に首を捻る。
史琉はもう一度笑い、視線を沼地の向こうに送った。
向かい岸では、刃の矛先を失った衛士たちが戸惑っているのが見える。そのうち、彼らのうちの何人かが、こちらに視線を送り返してきた。
「まずい… 見つかった」
ぼそりと史琉は呟く。
「戻るぞ」
「何が見つかった、じゃ」
シロが頬を膨らます。
「あれだけ派手にやっておきながら、今更じゃろ」
史琉は首を振り、戻ってきた律斗と時若を順に見遣る。
「とっととずらかるぞ」
律斗は頷く。時若は眉を顰めた。
「ずらかる、などと… 逃げる必要はないだろう。俺たちは何も悪いことはしていない」
「俺たちじゃなくて衛士たちが退治したことにしておかなきゃいけないんだよ」
史琉は笑い、踵を返した。
その後ろに、黙って律斗がつく。史琉の横を次郎も歩き出す。
シロも大袈裟な溜め息を吐いて続き。
時若は、最後の最後、十歩以上離れてから進みだした。
辺り一面を埋める薄紅の花びらを踏みしめながら。
「倖奈がいたら、あの鏡はどうなっていたのかな?」
シロが呟く。
「瘴気だけはぱあっと消せたと思うが… 鏡はどうなったかな? 割れずに残ったか、それとも…」
「おまえ、なんでそこまで倖奈にこだわるんだよ」
史琉が振り返る。シロは首を傾げた。
「いかんか」
「ダメだ」
きっぱりと史琉が言い切り、シロは鼻の頭に皺を寄せた。
「勿体ないではないか。あれの力は本当に稀有の物じゃぞ? それを有効に使わないで…」
「…ダメだ」
史琉の視線が険しくなる。シロは笑った。
「…お主のものか」
「そうだよ」
ぽん、と返された言葉に、シロはますます笑みを深くした。
「私は物じゃない、と言われたぞ?」
それには答えずに、史琉は黙って前に向き直って歩き続けた。
口をへの字に曲げた律斗がそれに続き、シロは肩を竦めた。



翌日もすっきりとよく晴れた。
一行は部屋を借りた屋敷の主やその孫娘たちに見送られて、波止場に来た。
「本当にお世話になりまして」
慇懃に腰を折る主に対して、史琉も頭を下げる。
「私たちの方こそ。ありがとうございました」
「この後はどうなさるご予定で?」
主に問われ、史琉はゆっくりと海に振り向いた。
「船で白肩津まで連れて行っていただく予定です。そこからは街道沿いに都へ行こうかと」
「そうですか… 道中お気をつけて。お帰りにも是非立ち寄ってくださいね」
主が微笑む。それから。
「ああ、そうだ…」
と眉を顰めた。
「一人、逃げ出したそうなのです」
史琉も眉を寄せる。
「誰が、ですか?」
「校尉様たちが捕まえた… 例の破落戸たちです。衛士たちが牢に繋いで見張っていたそうなのですが。その牢を破って数人が逃げ出そうとすることが昨夜あったそうなのです」
「それは大変だ」
低い声で史琉が呟くと、主は溜息をついた。
「そのほとんどは連れ戻せたそうなのですが… 一人は抵抗が激しく、争う中で殺してしまったとか。そして、今一人囲いを破って逃げ果せた、と…」
史琉も溜め息を吐いて、首を振った。
「…貴方の所に何もないとよいのですが」
「ご心配ありがとうございます」
もう一度、主が腰を折る。史琉は微笑み返した。
「では、そろそろ…」
そう言って、史琉は身を返す。その後ろに律斗が続く。
颯太もぺこりとお辞儀をすると、二人のあとを追った。
時若は船に真っ直ぐ向かっていき、美波も市女笠の垂れ衣を揺らして歩いていく。
倖奈も身を返しかけて、そこで袖を引かれた。振り返ると、藍色の袖を掴んで、屋敷の孫娘たちがニコニコ顔で立っていた。
「さよなら、おねえちゃん」
「またきてね」
小さな手に握られた菫の花束を渡されて、倖奈は微笑んだ。
「うん… また、ね」
右手で花束、左手で被衣の襟元を握りしめて、頷く。
それから急ぎ足で船に寄ると、渡し板の元に史琉と颯太がまだ立っていた。
倖奈は立ち止まり、じっと彼の顔を見上げた。
短い髪が潮風に揺れている。釣り上がった眉に笑んだままの口端、視線は真っ直ぐに返されてきている。
倖奈は口を開きかけて。
―― 何を言うの?
俯いた。
「倖奈、船に乗ってしまいな?」
聴き馴染んだ声が耳朶を打つ感触に、ぎゅっと掌に力を込める。
「倖奈?」
史琉の怪訝そうな声が響く。
――今までのように、見つめて、名前を呼んでくれる?
念じて、五つ数えてから、倖奈はそろりと顔を上げたが。その時、史琉はあらぬ方を見向いていた。
引き締められた口元、鋭い目の端にはっとなる。瞬き、同じ方に振り向いた。
視線の先は今やってきた波止場の向こう。
「校尉? 何かありましたか?」
颯太が問う。
「いや… 何でも…」
そう返しながらも、史琉は向こうの人波に向いたままだった。
見送りの人、船に乗り込もうとする人、老若男女入り混じる群れをじっと睨む。
しばらく彼はそのままでいたが、やがて、小さく溜め息を吐いた。
「さ、行くぞ」
そう言って、振り向く。
颯太は頷いて、渡し板に足をかけた。
「倖奈も乗りな」
史琉がそっと倖奈の肩を押してきた。
倖奈は被衣をぎゅっと握って見上げる。
史琉は、ゆっくりと微笑んでみせてくれた。
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