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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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参の五「倖奈が初めて人と魔物が戦っているのを見たって時」

西から東へ、強い風が庭を吹き抜けた。
雪柳が揺らされて、小さな花びらをふわりふわりと舞い上がらせる。
「これじゃあ、桜が散っちゃうな」
両目を細め、颯太は呟いた。それから横を向くと、同じように簀子近くに腰を降ろし庭を眺めていた倖奈が眉根を寄せるのが見えた。
「あの時も… 強い風が吹いたわ」
「その… 倖奈が初めて人と魔物が戦っているのを見たって時?」
颯太が問うと、倖奈はこくりと頷いた。
「あの時は、そもそも結界が弱っていたの。だから、魔物が石垣にぶつかってきていた。それで、勢いがついていたのかしら…」



石垣の上に登った瞬間、雄叫びが聞こえ、強い風が吹き抜けた。
「…結界が?」
まず感じたのは違和感。石垣と平原を隔てていた薄い皮がびりと破れた気がした。
次の瞬間、どぉん、と石垣が揺れる。
よろけ、その場にへたり込み、倖奈はぎゅっと被衣の襟元を握りしめた。
地べたは冷たい。腰からきんと体中が冷えるのを感じながら、見回せば。
「うわぁああ!」
数人の兵が、石垣から下へ駆け去っていくのが見えた。
石垣の上、彼らが元居た場所と思えるところには、奇妙な色の塊がのそりと覗いている。
それは亀の足がそのまま色を変えて、何十倍にも大きくなったような物で。
――魔物の足!?
倖奈はひっと息を呑んだ。
「こら」
次の瞬間、後ろから肩を掴まれる。はっと振り向くと呆れ顔の史琉が見下ろしてきていた。
「戻れと言ったろう?」
眉尻を下げ、彼は手を差し出してきた。その手に素直に右手を乗せるとぐいと引き上げられた。
立ち上がり、唇を震わせたままじっと見つめる。
「ついに結界が無くなったな」
すっと目を細め、ぼそりと彼は呟く。倖奈も黙って頷いた。
「結界が魔物に吹き飛ばされるなんてこと… 有り得るのか?」
今度は首を横に振る。
魔物の足はがりがりと石垣の縁を削るように持ち上げられている。片足だったはずのそれもいつの間にか両足がかかっていて、魔物の頭がひょっこり見えそうだった。
「史琉隊長…」
声に振り向けば、胴丸を身に付けた兵が三人、頬を引き攣らせて立っている。
「…桜隊の、か?」
史琉が問うと、皆首を縦に振る。史琉は苦笑いをそれぞれに向けた。
「逃げた奴らは… 今は責めない」
はあ、と息を吐いてから、ぐっと眉間に力を入れる。
「だが、俺たちもそうしていいということは絶対にない。ここを突破されれば、砦も、この向こうの街もそこに済む家族や友もやられるぞ」
三人の兵も押し黙りながらも、口元を引き締める。
「俺たちの役目は何だ?」
史琉が静かに呟くと。
「砦を… ひいては、この北の地を魔物から守ることでしょう?」
真ん中に立った男が答えると、史琉は笑った。
その時、どぉんと音が響き、地面が揺れる。
石垣の端にかけられていた魔物の足はどうやら地面に滑り落ちたようで、足がかかっていた端の土はごそりと削られていた。
「とにかく今は、ここを防ぐ。4人で… いや、向こうに時若がいるか」
そう言って史琉は視線を石垣の向こうの野原に投げた。
野原は白い雪を斑に残していて、石垣から離れた所に、やや小さい魔物がピクリとも動かずに転がっている。その周囲は草が踏み倒され、赤く染まっていた。さらにその向こうに、どんと火柱が上がる。
じっと目を凝らせば、その中に大きな黒い影が包まれていて、傍には時若が立っていた。
――いつもそうやって、魔物を斃していたの?
思った瞬間、ぞくと背筋が震えた。
固くした体を、柔らかく引かれる。そのまま、史琉の背側に回された。
そこでようやく、彼がまだ小袖に袴という軽装のままということに気付く。
――そのまま、戦うの?
瞬間、脳裏を先ほど見た血まみれの兵士たちが過る。
目を大きく見開いてその背を見つめたが。
「…じゃあ、役目を果たすか」
どことなく軽やかな響きでもって史琉は言い、兵士たちも頷く。
「ここに残ったのは、実戦向きの奴らじゃないですよ?」
先ほど答えを口にした、まだ若い兵が笑って言う。
「秋吉は逃げそびれただけだしなあ…」
右隣の年嵩の兵を見ながら彼は言い、見られた方は口をへの字にしてそっぽを向いた。
「俺は淳です、史琉隊長」
「…よろしくな」
にやりと笑い合ってから、史琉はすらりと刀を抜いた。



ぶうん、と刀を唸らせて、宙を舞う影を真っ二つに斬る。
どさと落ちた魔物を跳び越えて、律斗はまた刀を突き出し、三つまとめて刺した。
ち、と舌を打って、彼は刀を振って刺さった塊を落とした。
視線を流せば、彼が立っている辺りの沼の畔に動く影はなく、向こうの木陰や水面の上を飛び交っている。
そして、水面の上を炎がぼうと走り、影を幾つか焼いていった。
「時若!」
律斗は声を張り上げ、振り向いた。
「沼の上のは全部焼き払え!」
「俺に命令するな」
唇の横に皺をよせ、時若が叫び返す。
「とっとと焼き払え!」
だが、律斗も不機嫌な表情でさらに声を上げる。
「言われずとも…!」
時若は低く唸り、光を帯びた右手を沼に向けた。
「ついでにその斬り落としたヤツの始末もしてやる」
ぐっと拳を握ると先ほどよりも大きな炎がゴウと流れ、影を呑みこんで行った。
そこから逃れた影を追い、律斗はぐるりと水際を駆け、追いつくなり斬り裂いた。
その後ろから、炎の蛇が這いずって影を呑み込んでいく。
それを4回繰り返し、立ち止る。
はあ、と息を吐いて見回せば、街に通じる方角の桜の大木の根元では、胴丸で身を固めた衛士たちが、足元に纏わりつき頭上を飛び回る蝙蝠のような魔物に刀や槍を振るっているのが見えた。
ぎゃあだの、わあだのという絶叫が響き続ける。
「…本当に、普段魔物を相手にすることは少なそうだな」
もう一度溜め息を吐いて、沼地の向こう岸を見る。
そこに立つ桜の木の陰からは黒い靄が上がり続けていた。
「史琉!」
大声で呼ぶと。
「大丈夫だ!」
聞き馴染んだ返事が聞こえ、また息を吐いた。

「俺は大丈夫なんだけどね」
史琉は呟いて、後ろに跳んだ。
次の瞬間、立っていた場所に奇妙な色の棒がぐんと突き出されてくる。
「こいつはもう駄目かなぁ?」
その棒は人間だったはずの男の腕で、太さも長さも色合いも人のそれではなくなっていた。
彼は黒い靄を吐き出し続け、うーうーと小さく唸り続けて、伸ばした腕をぐんと振った。
飛んできたそれを、史琉が太刀でがっしりと受け止める。
次いで、次郎が吠えながら男の懐に飛び込み、膝から生えた棘に食い付き、千切る。
男がよろけ、突き出された腕の力が緩んだ瞬間、そこに史琉は太刀を振り下ろした。
ごとん、と腕が転がる。
彼は、うおお、と叫んで膝をついた。次郎が駆けて史琉の元に戻る。
右側の腕で左腕の切り口を摩る仕草は人のようだったが、そこからも細く赤黒い靄が上っていた。
「血が流れない」
ぼそり、と史琉は言った。
その後ろで、シロがぱちくりと瞬く。
「そりゃそうじゃ。瘴気に取りこまれた… 魔物になり変わった時点でこ奴は人として死んでおるからのう」
史琉はぐっと口元を引き締めて、太刀を握り直した。
じゃりと一歩踏み出す。その横を次郎が同じように進む。
あと3歩距離を残したところで、史琉はまた足を止め。
「もし、瘴気だけ消すことができたら…」
と呟いた。
「できたら?」
シロは首を傾げる。
「いや、何でもない」
史琉は頭をふり、太刀を振りあげた。



「それで?」
颯太は首を傾げた。
「そのまま? 校尉たちは戦ったの?」
倖奈は頷いた。
「その後すぐは、石垣から降りないで、上から矢を放ったり石を投げたりしていたわ。そのうち、武器を取りに行ってた柳隊の人たちが石垣に来た。その人たちはちゃんと鎧をつけていたし、魔物も何だかんだで弱ってたらしくて、呆気なく倒された」
視線を庭の花に向けて、倖奈は小さな声で喋り続ける。
「でも、その晩に… 五郷様 ―― 先の校尉は亡くなったわ。桜隊の人たちも怪我が重かったり、気持ちが保たなかったり、もう戦い続けることができないって人が多かった」
倖奈は一瞬息を止める。それから、僅かに目を細めた。
「今の桜隊は、そのあと国府から回ってきた人たちがほとんどで、あの時もいた人は少ない。残った人も桜隊ではなくて、史琉のところに… 柳隊に移った人もいたって聞いてる」
「そっか…」
颯太は相槌を入れる。
倖奈はそっと顔を伏せた。
「それから何日か経った夜に、また史琉に会ったの」
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