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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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参の四「…瘴気を抱え込んでいて、人の体ってのは無事で済むものなのか?」

やや強い光の中を、薄紅の花びらがふわりふわりと舞う。
「見事な桜だな」
左手をかざして見上げ、史琉は笑った。
「沼地だと聞いたからもっとじめじめしているのかと思ったが… そうでもないな」
律斗はぐるりと辺りを見回した。
街の西の外れの堀を超えた、家屋はなくなり道も途切れたそこは、桜の林だった。そこかしこに水面が広がっていて、季節が来れば睡蓮の白い花がそこを飾るのだろうと想像できる。
その合間を、羊歯の葉を踏みながら3人と1匹は進んでいた。
「どうせなら、花見で来たかったな」
史琉は右手の親指と人差し指で何かを摘むような形をとると、それを口元に寄せた。
「こう、きゅーっと一杯!」
「阿呆」
横を歩く律斗がさくりと言う。それから視線を西に向ける。
史琉も笑みを消して前を向いた。
「…沸いているのはあの向こうかな」
桜の巨木が二本立ち、その間に鎧で身を固めた衛士が10人程立っている。幹の陰は沼のようで、蓮の緑の上を奇妙な色の影がふわふわと無数に浮いているのが見えた。
衛士たちは鎧で身を固め、太刀を佩き、弓矢や槍を持っている。彼らがずらりと並んだ前に、見なれた桜襲の狩衣が見えて、史琉と律斗は溜め息をついた。
「時若… 何やっているんだ」
「揉めているようにしか見えん」
その少し後ろで、付いてきていたシロが爪先立ちになって沼を覗こうとしていた。
「桜が結界代わりになって、魔物は移動できていないんじゃな」
沼を取り囲むように立っている桜の木を一つ一つ指差しながら呟く。
「今が満開の時期じゃからのう」
「…桜が散ると共にあそこから溢れ出してきて、街に入られるってことだろう?」
史琉が振り返り言うと、シロは驚いたような顔をした。
「意外に賢いのぅ」
「…てめえ」
史琉の頬が引き攣る。
シロはつま先立ちを止め、にやりと笑った。
「まあ、そのとおりじゃな。今のうちに全部を封じ込めるだけの結界をあそこに張ってしまうか、瘴気――魔物が沸く源ごと片付けるかするしかないのう」
「…封じ込めるだけの結界でも役に立つのか?」
律斗も振り返り、問う。シロは首を縦に振った。
「何にしたって限りと言うのはあるからな。魔物を生み出すだけ生み出せば、瘴気は残らない――全てが魔物に変わっただけとも言えるが」
そして、にっと笑う。
「単純に消すだけということもできるぞ。お主も散々見てきておるだろう?」
シロは史琉を見上げる。史琉は眉を寄せた。
「倖奈を連れてくるのはダメだ」
「おや。何故じゃ?」
シロは首を傾げた。
「あの娘なら、これくらいの瘴気、一気に消しされるじゃろうに」
史琉は唇も歪めて、首を振った。それから。
「俺は、お社のご神体が瘴気を蓄えていたかもしれないという話の方が気になるんだが」
言うと、シロは首を横に傾けた。
「…そうか? よくある話じゃぞ、鏡やら何やらに瘴気が宿ったというのは。そもそも社というのは瘴気が沸くか神気が強いかする場所に作られるものだからな。瘴気が沸くならそれを封じる神気を集めるために。神気が強ければ瘴気が宿った祭具を祀り鎮めるために、な」
すう、と一度息を吸って、シロは話し続ける。
「破落戸どもが根城にしていたというその社、今は寂れておったかもしれんが、昔はそれなりに詣でる者もいた。つまり神気が集まっていたところなんじゃぞ」
「…よく知っていたな」
眉間に皺を刻み、史琉が溜め息をつく。
「しかし、いくらかつては霊験あらたかな社でしたって言われても、最後がこれじゃあなあ…」
「や、文句を言う相手は神体を持ち出した男にじゃろ」
な、とシロは脇にじっと控える白い犬を見下ろした。
「のう、次郎。奴は何処に逃げた。あの魔物が沸くところか?」
じっと黒い眸を向けてきた次郎は、そのまま首をやや北寄りに巡らせる。
「向こうか」
ふむ、とシロは頷いて、足を向ける。
倒れた樹の幹をザクザクと踏み越え進んで行く彼の背を見てから、史琉と律斗は顔を見合わせた。
「…どうする?」
「どうするって、ね…」
目を細め頬を引き攣らせる律斗に、史琉は苦笑いをして見せる。
「…シロを見張るのが先かな」
律斗は頷く。それから、20歩以上も離れた少年の水干の背を睨みながら。
「あいつは何者なんだ?」
呟く。史琉は頭を振った。
「どこかの神殿に属している【かんなぎ】でもない… だけど、【かんなぎ】としての知識は、時若以上だ。…ひょっとしたら、真桜様も越えているかもしれない」
はあ、と息を吐いた彼は、それから真っ直ぐにシロの背を睨む。
「…都に帰るのに一緒に付いていくとか言っていたけど、それが本当とは思っていないしな」
「当然だ」
律斗が鋭く言い放つ。
はあ、と史琉は溜め息をつくと。
「取り敢えず、追いかけよう」
言って、足を進めた。



そして、次郎が案内した先で、三人は唖然となった。
「死んでいるのか…?」
律斗が頬を引き攣らせて指差す先は、桜の根元で丸くなった人の体だった。
顔は見えないが体付きや来ている小袖から、屋敷の門番をしていた男のように見える。その腕と頭は固まっていて、薄紅の花びらで半分近く埋もれていた。
五歩以上離れて、三人はじっとそれを見つめる。史琉は一歩踏み出しかけて、もう一度立ち止まった。
見下ろせば、次郎もじっと動かずに男を見つめている。勿論何も喋らないが、その黒い眸は驚きで溢れているように見えた。
「…シロ」
史琉は、すっと横に視線を流して訊ねた。
「鏡を持っているかどうか、なんて感じ取ったりできるか?」
「できるとも」
シロはにっこりと笑った。
「瘴気の籠った鏡だからな。瘴気を感じれば持っているということ」
「結論は?」
「持っている。花びらに埋もれて薄まっているが、確実に瘴気を放っている」
どこか軽い響きでもってシロは答え、史琉は片目を細めた。
「…瘴気を抱え込んでいて、人の体ってのは無事で済むものなのか?」
そう言ったところで、かさり、と後ろで草が鳴った。
三人が振り向くと、背後に立っていたのは時若だった。
「そこで何をしている?」
時若が低く問う。すると、律斗も同じように訊き返した。
「おまえこそ。魔物を見張っている衛士と話していたんじゃなかったのか」
「…頭の固い衛士どもと交渉するのに疲れた」
不機嫌に腕を組み、彼は言った。
「どうしても魔物の沸く沼地に向けて通さんと言うんだ。だから、回り道をするつもりで来た」
そう言って、桜の向こうを見遣る。細い幹の向こうには蓮の葉が浮く水面が広がり、奇妙な色の蝙蝠のような影がふわりふわりと漂っていた。
「…おまえも気が短い奴だな」
史琉は苦笑する。それから、もう一度、前を向いた。
「時若。おまえはどう思う?」
「何がだ」
苛々した響きを含んで時若が応える。史琉はすっと指を向けた。
「この男。死んでいるか生きているか…」
すると、時若は首を傾げて、踏み出した。
「こいつ、あの門番の男だろう。社から鏡を持ち出したという…」
そう言って、男に降る花びらを払った瞬間。
ぶるり、と男の体が震えた。
時若が後ずさる。史琉と律斗はぎょっとなり固まった。
次郎が唸り声を上げる中、男がぶるんぶるんと震えて立ち上がり、顔を上げる。
その面を見て。
「目が…」
と、時若が呻く。
男の顔、本来なら眸のあるはずの所はぼこんと窪み、ぽっかりと穴が開いていた。そこから、ぶすんぶすんと黒い靄が立ち上る。
「下がれ、時若」
史琉が呟く。時若が二歩引いた時。男が、ぐおおおおお、と叫びを上げた。
風がどおっと吹き抜ける。花びらが舞い上がり、空気が一瞬だけ薄紅に染まる。
次の瞬間、辺りの木は真冬のように裸になり、薄紅は全て地に落ちていた。
わあ、と沼地の方から叫びが上がる。
「…魔物が!」
奇妙な色の蝙蝠たちは、ばたばたと、沼地から四方八方へ広がっていく。
幹の向こうからは悲鳴が続いた。
「衛士どもは何をしている!」
律斗が舌を打つ。そのまま、腰の太刀に手をかけて、羊歯を踏み越えて沼に向かって走り出す。
「あっさりやられておるのかのう」
どこかのんびりとシロが呟くと。
「役立たずどもめ!」
時若が吐き捨てて、駆け出した。
「街に行かれたら… 死人が出かねないぞ」
彼らの背中を見送りながら史琉は呻き、もう一度桜の幹を背にして立つ男に見向いた。
男は中腰で立ったまま、ぶるぶると震え続けている。眼孔から、口から、黒い靄を吐きだし続けるうちに。ぼこん、ぼこんと背骨が曲がって肉が盛り上がり、肘から膝から棘が生える。
「お主の心配のとおりじゃよ」
シロが、くっと笑った。
「瘴気に当てられ過ぎたようじゃな」
「魔物に成り変わったって言うのか?」
シロはにやにやと哂う。史琉はぎりと奥歯を鳴らすと、太刀を抜き放った。
「おぬし達、このまま突っ込むつもりか?」
シロは史琉を見上げ、沼地に辿り着いていた律斗と時若を見遣った。
「刀一本で切り込んでいくのは初めてじゃあない」
史琉は静かに応える。
「確かに、北の地で、この目で見たがのう」
シロがふんと鼻を鳴らすと、史琉は薄く笑った。
「どうしても… 倒したくなるんだよね」
「…助太刀するか?」
にっと笑ってシロが手をパンパンと叩くと、史琉は笑みを歪めた。
「…この間みたいに、余計なことはするなよ」
それから、じっと正面の男の肌の色が、人の色から奇妙な魔物のそれの色に濁っていくのを見つめる。
「これじゃあ… 魔物を斃しているんだか人を殺しているんだか分からないな」
ひっそりと笑うと、史琉は一歩踏み出した。
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