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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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参の三(馴初めの話を訊いたはずなのに。)

時若の背中が木立の陰に消えていく間も。
どん、どん、と小刻みに地面は揺れ続け、その中を冷たい風が吹き抜けていく。
倖奈は藍色の被衣をぎゅっと掴んだ。
そうして、風と同じように冷たいだろう地面に、座り込んで、転がって呻く兵士たちに改めて視線を向ける。
額に腕に怪我を追う彼らは、包帯が巻かれる時に顔を歪め、その後も唇を噛んでいた。
流れる血が赤い染みを作っていく。それは彼ら自身が身につけているものだけでなくて、手当てする側の男たちの衣装にも土の上にもで、風が流れるたびに錆びた匂いが鼻に付く。
倖奈は瞬き一つも、指先を動かすことすらできずに立ち尽くした。そして、抱えていたはずの書が腕からするりと滑る。
それが、どさ、と音を立てた時、少年が一人つかつかと寄ってきた。
身に付けた玉子色の小袖に青の袴に血を散らせた、倖奈よりも背が高い少年。彼は、二重の切れ長の瞳をきっと釣りあげて。
「ねえ」
倖奈の正面に仁王立ちして言った。
「あんた、何してるの?」
倖奈はさらに目を開いて、ようやく一歩後ずさった。
だが、彼の背に隠れたはずの血の匂いが鼻に付くと、それだけでまた動けなくなる。
被衣の襟元を右手で、左手でお下げ髪の先を握りしめる。唇を噛んで、少年を見上げた。
「何もしてくれないなら、いなくなってくれる? 苛々する」
少年は口端を歪めた。
その後ろにすっともう一つ影が立つ。
「幹」
苦笑いを含んだ声に、倖奈も彼も見向く。
「史琉」
むくれた声を上げた少年の頭に、史琉はぽかりと拳を落とした。
「こら、隊長と呼べ」
その手はそのまま幹と呼んだ少年の肩を叩く。すると、少年はむすっとした顔で、下がった。
史琉は、腰を屈めて、倖奈の足元に手を伸ばす。書を拾うと、そのままそれを倖奈に差し出してきた。
「何しに来たんだ、倖奈?」
差し出された書を素直に受け取る。書を持った指先に力を込めて、倖奈は口を開いた。
「いつもの… とおりよ。書を、理久様にお持ちしたの」
「…さっきも言ったが、留守だぞ」
「いつもそうしてるの。ある程度、調べ事がまとまれば、それをお持ちしているのよ。いらっしゃらなければ、置いて帰るだけ」
そう言って俯き、倖奈は書に付いた泥を指先でこすり落とした。
「仕事なのは分かった。だが、見てのとおり、今はいつもどおりのことができるような状態じゃない」
顔を上げると、史琉は笑っていた。
じっと見上げると、彼の笑みが深くなる。
「戻れ」
被衣越しに倖奈の頭を撫でると、史琉は踵を返した。憮然とした視線をこちらに向けてから、少年もそれに続く。
それでも倖奈はそこから動けずに、史琉の背を見つめ続けた。それに気付いているのかいないのか分からないが、史琉は振り返ることなく。
「さあ、終わったか?」
張りのある声を響かせる。
鎧をつけていない男は史琉を除いて4人、皆一様に頷く。
へたり込んでいる男たちのほうは、誰もがどこかに白布を巻きつかせていた。
「…理久様が帰ったら、お付きの薬師も戻ってくるから、それからもう少し見てもらわないとな」
言って、史琉はまた、男たちの中央に立った。
「さて… 桜隊の面々は、怪我次第だが、向こうに戻れそうか?」
ぐるりと見回す。だが、鎧を付けたままの彼らは俯いた。
史琉は首を振り、腕を組んで俯いた。
「…向こうの増援はどうするかな?」
また少し、地面が揺れる。北の石垣の方から人の声がわっと上がる。
「…突っ込まれたか?」
輪から少し離れて立っていた、若い男が首を傾げる。
「いや、砦内に入ってたらもう少し騒ぎがでかいだろ」
その横、背が高く頬のこけた男は首を横に振った。
「時若が突っ込んでいった音じゃないの?」
微かにからかいを含んだ声で、別の少年も口を開く。
「雅」
はあ、と史琉は溜め息をついた。呼ばれた少年は、ひょい、と肩を竦めた。
「しかし、あれだけぶつかってこられてて、石垣は持つのかな?」
背の高い男が、嘆息すると。
「今すぐ崩れるってことはないだろう。修復は必要だろうがな」
横の男がふん、と鼻を鳴らす。
それから、ひときわ大きな地響きが響く。石垣の向こうに火柱が上がるのが見えた。
「これは間違いない」
「時若だな」
「あれだけ出せれば、今日の魔物焼きあげられないですかね?」
地面から立ちあがった、白布を頭に巻きつかせた兵が言うと、史琉は振り向いて頷いた。
「今日は任せるかな…」
そう言った時、ざわめきが石垣から近付いて来る。
6、7人が一塊りに動いて来るのに、一斉に振り向く。
「なんだ!?」
一人、小袖の男が走る。そして、鎧を泥と血で汚した人々の塊の中央は、担架に乗せられた男だった。
「五郷校尉!?」
誰かが素っ頓狂な声を上げる。
「校尉!?」
「どうされましたか?」
皆が声を上げる中、担架が運んでこられる。
史琉も、目を見開いてそれの動きを追った。
担架の上には、大分年嵩の男が乗せられている。胴丸の紐は千切れ、脇腹から太腿にかけ赤く染まり、唸り声を上げている。その顔は遠目で見ても真っ蒼で、がくがくと痙攣を繰り返していた。
付いていた胴丸の男が一人、ざっと史琉の前に立つ。
「…どうした?」
史琉が掠れた声を上げる。
胴丸の男は、血のこびりついた前髪を掻きあげて、首を振った。
「先程、時若殿が参られる前に、石垣から討ち出てみたのです。魔物の残りは2体、斬り落とせると踏んで、だったのですが…」
そこまで言って、彼は唇を噛んだ。史琉は眉を寄せる。
「校尉のご様子は?」
「魔物に蹴り飛ばされました。恐らく、肋骨が折れています。そして、出血が酷く、声もうまく出せないようで…」
担架に付き従う、同じように肩からの出血が流れるままの兵が答える。
「今、向こうはどうなってる?」
史琉が重ねて問うと。
「時若殿が炎の技で、魔物を石垣に寄せ付けないでいてくれています。あと、桜隊の人間が8人残っています。ただ、直接の戦闘は不得手な者ばかりで…」
兵は答え、俯く。史琉はさらに渋い顔をし、顎に手を当てて、黙り込む。
後ろに立つ少年と、脇に膝だった少年が顔を見合わせる。離れて立つ青年は目を細めた。
また一度、地響きが鳴り渡り、火柱が上がる。
それに続いて悲鳴のようなものが響いた。
「…史琉隊長!」
地に座り込んでいた兵の一人が甲高い声を上げる。
史琉は溜め息を吐き、すっと担架に歩み寄った。
脇に立ち、僅かに頭を下げる。
「五郷校尉。桜隊の指揮、今は俺が執らせていただきます。良いですね」
強い口調で言い放ち、くるりと背を向けた。
それから、また。
「一彦さん、負傷者の救護を頼む」
史琉が声を上げる。背の高い男が片手をひょいとあげた。
「俺がこっちな… 了解」
「律斗。【かんなぎ】のところに行って、ありったけの武器を出させろ。製作中でも何でも使えればいい」
「…分かった」
すいと頷いて、若い男は、倖奈の横を通って、南の方へ歩いていった。
それを見送るような視線を流した後。
「幹と雅は、詰め所に戻って普段の武器を取ってから石垣に行け。戻ってきている奴がいたら、そいつも引き摺ってこい」
史琉は言い、少年が二人手を上げた。
「了解!」
「史琉はどうするの?」
「俺は… 先に行っている」
行けと手を振ると、少年たちは駆けだした。
それから、史琉はまた、倖奈の元に歩いてきた。
黙って、彼の顔を見上げる。史琉はふわりと笑って、また掌を頭の上に置いた。
「倖奈。おまえは戻れ。――見なくていい」



「…それで?」
颯太は、首を傾げた。
馴初めの話を訊いたはずなのに、どうして北の砦が過去に陥った危機の話を聞いているんだろうと思わなくもなかったし、今現在無事に砦が存在し史琉たちも生きているのだから何とかなったのだと思うが。
「それから、どうなった?」
気にはなり、続きを促す。
「倖奈…は、どうしたの?」
「石垣に行った」
倖奈は視線を庭の桜に真っ直ぐ投げたまま、固い声で言った。
「石垣に… そこで何が起こっているのかを見に行ったわ。そこで初めて、史琉が、人が魔物と戦っているのを見たの」
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