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花の如く 作者:秋保千代子

第一章

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壱の三「最近… 襲撃の数が多すぎやしませんか?」

砦の中はまだ裸の枝が多かったが、そこかしこで梅の花が綻び始めていた。
三十ほどの建物と建物の間は、ときには廊下が渡り、そうでない道には砂利が敷かれている。
その全てが集まるのは、中央にある棟――桧皮葺の屋根の主殿で、今その周りには、人が大勢集まってきていた。
女たちは小袖に前掛けを付けた姿が多く、男は小袖に袴の者、簡単な鎧を身に付けた者、と様々居る。
主殿の正面の縁側には、直垂に折烏帽子の壮年の男がどっかと腰を下ろしていた。
ふいに、彼の前の人の塊が、ざっと割れる。
左右に分かれた人々の間を歩いてきた男達の顔を見て。
「…史琉に律斗」
男はにやりと笑った。
「ご苦労だったな」
理久りく様」
髪や袖に土埃を被った胴丸姿の史琉がにいと笑い返す。
「この北の砦を破ろうとする魔物の群れを打ち破って参りました」
「おお、そうだろうとも」
理久、と呼ばれた男は、立ち上がり、頷いた。
「随分な揺れだったな。どうだった?」
「二十四いましたよ。よく現れる獣型のものでした」
「そうか」
尊大に首を振り。
「先の襲撃から間もないというのに… まあ、無事で何よりだな」
と言うと。
「残念ながら、無傷では済まなくて」
史琉が僅かに顔を顰める。
「石垣から降りて斬り込んだ際に、負傷者が出ました」
途端、ざわ、と周りの人波が揺れる。
「人数と怪我の程度は?」
眉を寄せた理久の問いに、史琉は視線を横に流す。
それに頷き、律斗が口を開いた。
「2名…どちらも骨には異常ありません。ですが、しばらく前線の戦闘は無理でしょう」
「そうか」
「他にも、かすり傷が何人か」
ほら、と史琉が袖を捲くって見せる。
その右の肘から手首の外側には、ずるりと擦り傷が走っていた。
理久は溜め息を吐いた。
「仕方ないとは言え… 困ったもんだな」
「ええ、そうですね」
史琉も大袈裟に肩を落として見せた。
だが、すぐに笑い直す。
「ですが、死人はおりません。魔物は大多数を討ちとって、残りは撃退に成功しました。またしばらく、大丈夫、と思われますが」
「そうだな。ご苦労だった」
理久が重々しく頷く。
すると、ざわざわ、と人波が退いていった。
それをちらりと見送ってから、史琉は一歩建物に寄る。
理久も、すいと眼を細め、縁側から乗り出すように体を傾けた。
「最近…」
その彼に、耳打ちするように、史琉は低く言った。
「襲撃の数が多すぎやしませんか?」
「…やはりな。ワシもそう思っている」
ふう、と理久は空を仰いだ。
「今回と前回の間が… ええと?」
「今回が5日。前回と前々回の間が3日です」
律斗が淡々と告げる。
「去年は近くても10日は開いていました。間隔が短すぎます」
「…短いな」
理久がまた頷く。
「今回は数も多かったです」
「…厭な兆候だな」
「そうね」
ふいに増えた四つ目の声に、男たちは振り返る。
その先には、背中の丸まった髪の白い女。
「おや、これはこれは、真桜まお
理久は姿勢を直し、笑いかけた。
「お邪魔しますよ」
言って、やってきた老女はゆっくりと階を上り、縁側の御簾の前に腰を下ろした。
紫の濃淡に重ねられた着物の袖から骨ばった腕を覗かせて、彼女は笑った。
「また、魔物が… と伺ってね」
「ええ、まさにその話をしてましたよ」
理久は笑い、おーい、と部屋の奥に声をかける。
すると、ばたばたと足音が近づき、理久と真桜の前に湯呑を置いて行った。
その間に、理久が、史琉、律斗が告げた事実を告げ直す。
「そうですか、やはりですか」
真桜は頷き、皺深い顔を伏せた。
史琉と律斗は、顔を見合わせ、口を噤んだ。
そこに、また新しい足音が近づく。
「今度はお前らか」
理久の苦笑いを含んだ声に、史琉と律斗も振り向いた。
「時若」
げ、と史琉が呻く。
その彼につかつか、と歩み寄り。
「御苦労だったな」
時若は言った。
その後ろには、同じように小袖を被いだ娘が二人。
その年上の方――美波が、ぱあと笑う。
「ここに来るまでに、すれ違った人がいたから聞いたわ。今回は数が多かったんですって?」
史琉は片目だけ細めて、肩を竦める。
「まあ… ね」
「大変だったわね。御苦労様」
ぽんぽん、と美波は両手で史琉と律斗の肩を叩く。
それを、ぱんと律斗は弾いたが、美波は笑顔のまま。
「まあ、真桜様までこちらにいらしてたんですか?」
縁側に上がった老女の横に身を乗り出し、大袈裟な表情を作って見せる。
「お前たちと理由は同じですよ」
おっとりと真桜は微笑んだ。
「私も、魔物との戦いのことをすぐに聞きたくなります。――石垣に張られた結界の様子が気になりますしね」
すると、同じように横に立った時若が眉を寄せる。
「真桜様の結界に不備などあるはずないでしょう。魔物がそれを乗り越えてくるとは思いません」
その鋭い声に、理久が、ははは、と声を上げた。
「その点はワシも同意だ」
言って、視線を流す。
それを受けて、史琉は頷いた。
「今回も、戦闘は石垣の北――結界の外側だけでした。やはり、魔物は一定の距離以上は石垣に寄ってきません」
律斗も首を縦に振る。
「奴らも、それに触れるのは自身の身が危うくなることと分かるようですね」
二人の顔を順に見て、真桜はにこりと頷いた。
「それは良かった」
遣り取りがそこで、ふと途切れる。
そこでようやく、もう一人来ていた被衣の娘――倖菜は、美波から離れ、そっと史琉の隣に立った。
「史琉?」
細い声で名を呼び見上げると、彼は苦笑いしながら見下ろしてきた。
「大丈夫だよ」
それだけ言い、彼はまた前に向き直ってしまう。
倖菜は口を噤んだ。
視線を律斗に動かしても、彼も何も言わない。
奇妙に静まり返った後。
「ちょうどいい」
理久が、真桜の顔を見て笑った。
真桜も頷くと、彼は、まだ庭に立ったままの5人の顔を見回した。
「お前らも上がれ」
「…何の御用ですか」
時若が、あからさまに顔を顰める。
だが、理久はにやりと笑い。
「具合よく、呼ぼうと思っていた相手が全員揃っているんだ。話を済ませてしまいたい」
「話?」
時若の唇が曲がる。
だが、理久はそこには何も答えず。
「史琉と律斗も良いな?」
と言う。
「柳隊の様子は?」
「警邏の当番は、楓隊に引き継いでいます。柳隊は石垣からもう引き挙げているでしょう」
「ならば、指揮に問題は無いな。上がれ」
もう一度理久が言い。
史琉は、苦笑して頷いた。
「こんな汚れた恰好なんで、俺たちは端にいますよ?」
史琉と律斗が縁側の端に座る。
美波はふわりと縁側に上がると、真桜の後ろにすいと座る。
長い溜め息をついて時若も上がり、真桜の横に腰を下ろした。
最後、倖奈が上がり、一番端に座る。
理久はどっかと胡坐をかき、全員の顔を見回した。
「まあ… 史琉は感じているというのは分かったが、とにかく、最近魔物の数が多いと思っていてな」
ふう、と息を吐いて、理久は宙を煽いだ。
「北の帥――【豊葦原瑞穂国】の北の地の平安を都の【みかど】から預かっている身としては、この事態に対して何か対策を、と考えている」
そのまま、宙を睨んで、理久は言葉を続ける。
「こう頻繁に魔物が寄ってくるようでは、兵だけでなく、民も疲弊してしまう。それを避けるために、取り敢えず結界を広く張ってもらいたいという話を真桜とした」
この北の砦の石垣に沿って、魔物がより南にある人里まで寄ってこないように結界が張られている。
あくまでもこれは、石垣擦れ擦れであって、すぐ脇まで魔物は迫ってくることができるし、そこから少しでも外れれば、すり抜けてしまった魔物が砦の南側に現れることもあるのだ。
「それをもっと広い範囲に張ってもらってな。魔物が現れる範囲をもっと限れないかと思ったんだ」
「…反対だ」
低く、それでいてはっきりと時若が言った。
「結界を張る範囲を広げれば、その分それを担っている【かんなぎ】の負担が増える」
眦を吊り上げた時若に、真桜が笑いかける。
「そうだね。それに、今の北の砦で結界を張る力を持っている【かんなぎ】は私とあと2人だけ。3人で力を合わせても、今より1里広げるのが限度でしょうね」
「負担に対して益が少なすぎる。それだったら、単純に力だけを強めた結界を考えるほうが特だ」
ぎらぎらした視線を向けられ、理久は肩を竦めた。
「ま… どんな結界を作るにしても、だ。都に支援を要請しよう。…ここまで考えた」
すると、時若は目を丸くした。
「都に、ですか?」
史琉も瞬く。
理久、そして、真桜は頷いた。
「分かっていると思うが… 都には【みかど】がいらっしゃり、この【豊葦原瑞穂国】全てを治めている」
そもそも、理久自身が、都から【みかど】に任じられてやってきた身だ。
【みかど】の意向は、国の北端のここにも届いているのだ。
「魔物の襲撃が激しくなってきた北の国府――ひいてはこの砦に、【かんなぎ】を都や他の国府から派遣してもらったり、物資の援助をしていただいたり、ということを都に訴えようと思う」
理久は苦笑いした。
「勿論、国の何処にも魔物は現れているわけだが、この北の草原の魔物は特別大きく手強い。ここを突破されれば、遅かれ早かれ都にもこの特別凶悪な魔物の群れが行ってしまう…のではないかと心配でな」
「北の砦特有の問題ではなく… 国全体の問題とお考えを、と訴えるのですね?」
律斗が言うと、理久は頷いた。
「で。誰が行くか… なんだが」
理久が笑い。
「…大変嫌な予感がします、北の帥様」
史琉は、頬を引き攣らせた。
「おお。聡くて助かるぞ、史琉」
理久の笑いが深くなる。
「史琉と時若だ」
すると。
史琉は呻いて、そのまま突っ伏した。
時若は。
「何故、こいつと俺が!?」
叫び、立ち上がる。
「…俺だって願い下げだ」
史琉も突っ伏したまま呟く。
「俺が行く。一人で行く。十分だ!」
「いやいやいや」
叫ぶ時若に、理久がわざとらしい笑いを向けた。
「これだけ優秀な兵と優秀な【かんなぎ】を持ってしても危ないと訴えないとならぬからな」
「…使者に人手が割けぬほど切羽詰まっていると言えば良いでしょう!」
「まあまあ」
掴みかかりそうな勢いで迫る時若を、理久は両手で制し。
「真桜にも… 北の砦の【かんなぎ】の取締殿にもご了解いただいているから、安心しろ」
「そうだね」
真桜もおっとりと頷いた。
「お前たちが居ない間は、私たちが頑張るから安心おし」
「そういう問題じゃないんです!」
時若はがりがりと髪を掻きむしる。
そしてまだ突っ伏したままの史琉に向き直り、理久は呵呵と笑った。
「行くよな、史琉。校尉という位は伊達でないぞ。普段の仕事は他の隊長達と違わぬとは言え、隊長達を代表する格だというのは分かっておろう?」
「承知していますよ…!」
史琉がさらに呻く。それをちらりと眺めてから。
「どうしても、その人選なので?」
律斗が、低い声で問う。
理久も真桜も頷いた。
「我らで決めた」
「左様ですか…」
律斗は一度溜め息を吐くと、史琉の肩を押さえた。
「だそうだ。校尉」
「おお、律斗も他人事ではないぞ」
二人を交互に見遣ってから、理久が笑う。
「史琉と時若は北の出身で、都への道は不安だろうな。ところがだ。律斗、お前は都からワシと来ただろう?」
「大変嫌な予感がします、北の帥様」
「律斗。実家への挨拶もできると思って、二人を案内して行け」
今度は律斗が呻いた。
「…俺まで抜けると柳隊は指揮官が完全に不在となるのですが、よろしいのですか?」
理久はからりと笑った。
「なに、ワシ直々に面倒を見てやる。そもそも校尉が率いる隊だ。さらに上役のワシが見ることに問題などあるまい。安心しろ」
「…そういう問題もあるんですけどね」
呻きながら、史琉が顔を上げる。
「俺は時若と行かなければならないのが嫌です」
「俺だって嫌だ!」
時若が叫ぶ。
二人の顔を見比べてから、理久はもう一度、豪快に笑った。
「……喧嘩するほど仲が良いと言うからな!」
「冗談じゃない!」
史琉と時若が叫ぶ。
「まあ、二人きりではないから良いだろう」
「…俺は史琉の味方です、理久様」
律斗がこめかみを押さえ、息を吐く。
理久は、ぱたぱたと手を振る。
「何、時若にも味方をつけておくぞ。美波と倖奈も行け」
「…わたし!?」
急に名前を呼ばれ、美波は素っ頓狂な声を上げた。
「どうして!?」
「おまえと倖奈は、使者としてじゃない」
横で、おっとりと真桜が笑う。
「自らの修行のためです」
「しゅ… 修行って」
美波は目を白黒させ。
倖奈も大きな目を瞬いた。
真桜は穏やかに目を細め。
「都には様々な力を持った人が集まります。ここにない文献も沢山あります。その中で、【かんなぎ】として何ができるか探してきなさい」
理久と時若、史琉の言い合いが続く中で。二人は顔を見合わせた。
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