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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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参の二「恋人っていうと… 確かに、もっと傍にいる感じですよね」

「みんな、出かけちゃいましたね」
颯太の呟きは、何も起こさず、ただ風に溶けていった。
溜め息をついて、立ち上がる。
端近くに寄って見れば、庭は昨日と変わらず、雪柳の白い花と菫の花で溢れていた。空からは真っ直ぐに陽の光が降り注いできていて、とても長閑だ。
「暇ですね」
颯太はもう一度呟いて、横を見た。
そこには、いつの間にか倖奈が座っていて、外を眺めていた。
きつく結わえたお下げ髪の先を握る手は、とても小さい。手だけでなく、肩も細く、頭も小作りだ。その中で、黒目がちの瞳だけがとても大きく見える。
図抜けて背高のっぽの颯太の横にいると、その華奢さが一際目立った。だが、颯太でなくても、大抵の男ならその横に連れていて、己より弱い存在と見えるに違いない。
――ついつい、守りたくなるって感じなのかな?
颯太は、ぷ、と吹き出した。
――校尉もそうなのかな。
じっと見つめる視線にも倖奈は振り向かず、ずっと外を眺めている。
柔らかくうねる髪に縁取られた小さな顔はどこか憂いがちで、尚更構ってやりたくなった。
「倖奈さん、どうしたいですか?」
颯太はにこりと笑って訊いた。
すると、視線こそ動かなかったものの、赤い唇が動き。
「史琉の傍に居たい」
声が飛び出す。
颯太はぎょっとした。
倖奈もさすがにはっとしたらしく、眸をさらに大きく見開いて、頬を見る見るうちに朱に染めていく。
横にしゃがみこんで、颯太はじっと倖奈の顔を覗きこんだ。
「その気持ちは、分からなくもない… というか、よく分かるけど」
――口にしてしまうあたりが本当に可愛いな、この人。
倖奈はちらりと睨んできて、頬を染めたままそっぽを向いてしまった。
史琉が本当に好きなのだというのがよく分かった、と颯太は笑った。
そして、同時に。
「なのに、校尉冷たいんだよなぁ…」
その思いが浮かび、はあ、と溜め息をつく。倖奈の肩が揺れた。
だが、言葉はない。
颯太はどさり、と胡坐をかいて。
ぼりぼりと後ろ頭を掻いた。
「倖奈さんって… 校尉の恋人なんですよね」
問うと、倖奈はまたちらりと顔を向けた。
「そう…らしいわ」
「らしいって、まあ…」
確かにそんな感じだ、と颯太は溜め息を吐いた。
初めて姿を見かけたのは砦でだったが、間近で顔を見たのは出立の前の日に国府まで出かけた時だった。
その時からずっと気になっている。本当に聞いた話どおり、倖奈が史琉の恋人なのか、と。
「恋人っていうと… 確かに、もっと傍にいる感じですよね」
「傍に?」
すっかり頬の火照りが退いたらしい倖奈が緩く首を傾げる。
「そう。傍に」
颯太は両足を投げ出して、寝転がった。
「遠距離恋愛って言葉もあるけど!」
「そうなの?」
少し場所をずらして、倖奈が背筋を伸ばして正座する。
話を続ける気があるらしいと、颯太は嬉しくなった。
首の後ろで手を組んで、見上げる。
「いつから?」
「いつって、何が?」
「校尉と、いつ、どうして知り合ったんだ?」
「…知り合ったのは、去年。桜が咲く前」
返事があったことに、颯太はますます笑う。
よいしょ、と体を起こして、もう一度訊いた。
「で、付き合い始めたのは?」



梅が綻び始めたその日は、倖奈が北の砦に住まうようになってから一番大きな音で半鐘が鳴っていた。
大きいな、という思いはあった。だが、同時に、大丈夫だとも思っていた。結界と石垣を越えて、魔物が中に入ってくることはあり得ないと考えていたのだ。
それは大半の者がそうだっただろう。庭を行き交う誰もが特に慌てた顔はせずにいた。
倖奈も常どおりで、砦の中でも南側にある【かんなぎ】たちの棟から、皆のここしばらくの考究がまとめられた書を主殿に運ぼうと庭を歩き始めた。
ずん、ずん、と地が揺れ続けているせいでとても歩きにくくて。
「そんなに間近に寄ってきているのか?」
共に歩く時若がぼやく。
そして、北寄りにある主殿に近づく頃に漸く、おかしい、という思いが湧いてきた。
あちらこちらを駆け回り、言葉を伝え合う兵たち。
主殿の前には、胴丸を付けたままの兵が数人座り込んでいて、その周りを軽装の男たちが箱や布を抱えて歩きまわっている。中には、担架の上に寝かされたままの者もいて、錆びた臭いが鼻についた。
「なんだ、一体?」
時若が眉を顰める。
兵たちの衣や鎧には赤い染みが出来ている。
それが血なのだと思い至った時、倖奈は息を呑んだ。
「何があった?」
時若の不機嫌な大音声に、その場にいた全員が振り返る。
ゆっくりと倖奈は顔を見回して。最後、真ん中に立つ、小袖と長袴という出で立ちの男にはっとした。
――史琉。
花を咲かすという楽しみのために夜更けに部屋を抜け出して庭を歩いていると声をかけてきた。石垣で落ちそうになったのを助けられて、それからもう一度顔を合わせた男。
短い髪を掻きあげて眉を寄せた彼に、時若はつかつかと歩み寄った。
「何をしている」
「…負傷者の救護だよ」
淡々と史琉が言う。
「今、石垣で桜隊が魔物と交戦中だ」
「…それでこれだけの怪我人が出ているというのか?」
ぐるりと見回して時若が問うと、史琉は首を縦に振った。
「俺は石垣まで行っていないが、話では、数こそ少ないがとにかく大きくて固くて、倒すのが難しそうらしい」
言って、彼はすぐ後ろに座っている男に振り返った。
額から血を流し、袖や胴丸も赤く染まっている彼は頷いた。
倖奈は彼を見て、もう一度座り込んでいる男たちを見た。誰もが胴丸を赤く染め、呻いている。その側にそれぞれついた男たちは彼らに包帯を巻いたり薬を塗ったりということを繰り返していた。
倖奈は唇を噛んだ。
時若は舌を打ち、背丈のそう変わらない史琉を睨みつけた。
「面倒な奴らめ。とっとと救援を出すなりして討ち払え」
史琉はすっと目を細めた。
「努力はしている。だが、最初に不意をつかれて一気に負傷者が出たらしいんだ。残った桜隊の面々でまだ応戦しているが… 手が足りない」
言って、彼は唇を歪めた。
「…もともと、今の時間は桜隊が石垣の方の当番で、楓隊と柊隊は砦を出て東西の見回りに出ているんだ。今、うち――柳隊から人を出して、楓と柊を呼び帰らせている」
「理久様はどうした」
「国府まで行っている。柏隊もそれに付いていった」
時若は眉を寄せる。
「…おまえのところは何をしているんだ」
「…非番で、里に帰っているのが大半なんだよ。残っていたのでここの救護と伝令に当たっているんだ」
そういって見回す。彼と同じように小袖と袴だけという男たちは一様に時若に鋭い視線を送ってくる。
その視線を真正面から受け止めて。
「手が足りていないのは分かった。だが、それにしても、情けなさ過ぎると思わないのか」
ギロリとさらに睨む。史琉は肩を竦めた。
「油断があったのは確かだよ。ここのところ、魔物はおとなしかったし… それに、結界に綻び目があったなんて、考えてもいなかった」
「…何だと?」
時若が目を丸くする。
それに、史琉はまた静かに口を開いた。
「結界に綻び目があったんだ。そこから一気に食い込まれて、この有様だ。今は何とか結界の外に追い出したが、またいつ踏み越えられるか…」
「そんなことがあるか!」
時若が叫んだ。
「石垣に設けられているのは、誰の作った結界と思っている。北の神殿随一の作り手、和樹様のものだぞ!? そうそう破れるものか」
「綻び目じゃなかったとしたら、一気に魔物が石垣に飛び込んできたのをどう説明するんだ」
史琉の溜め息が響く。
「…まあ、それは後で考えれば良いさ。今はすぐそこに迫っている脅威を何とかしないと…」
「討ちとればいいんだろう!?」
時若は叫び、その史琉を押し退けてずかずかと歩きだした。
「何処に行く!?」
その背に史琉が声をかける。
「石垣だ!」
振り返りもせずに、時若は去っていった。
「…あいつ、本当に嫌い」
ぼそり、と一人の少年が呟く。それに史琉は苦笑して見せた。
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