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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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弐の五「宿主のお孫さんと連れを返してもらわなきゃ困るんだけど?」

わ、と小さな声を上げて、戸口の男は三歩退いた。
「史琉…」
戸口に手をかけて中を覗いてきた彼の名前を、倖奈はぽつんと呟いた。
「なんだ、てめぇは…」
塗籠の真ん中に立ち、すらりとした男が目を眇める。
「お頭、こいつですよ」
小さな男がその彼の袖を引く。
「こいつ?」
さらに目を細めた男に。
「こいつが北の校尉です!」
小さな男が畳みかける。
その二人の横を、いつの間にか立ち上がった美波が駆け抜けた。
ぱっと史琉に飛びつく。
「おっと!」
史琉は左腕だけでその体を受け止め、美波は両腕を彼の背に回した。
「美波、大丈夫か…」
史琉が問うと、彼女は顔を彼の肩に埋めて、ふるふると首を横に振った。
「…なに、あれ」
颯太が目を丸くして、小さく呟く。
倖奈も某然と見つめた。
史琉は苦笑いを浮かべて、すぐにそれを消した。美波の肩を掴んで体を離すと、中に視線を向ける。
まず、真正面の男。背が高く、釣り目に薄い唇のその男を繁々と見つめてから、その影の小さな男に眉を顰め。床に座り込んでいる背の高い少年に微かに目を瞠る。
「颯太?」
史琉は、ほう、と溜め息を吐いた。
「こんなところにいたのか」
「…校尉」
颯太が肩を落とし、情けない声を上げる。それににこりと笑いかけて。
視線を倖奈に移し、すぐに彼女の膝の上の子ども達を見る。
瞬いてから、左腕で抱いていた美波をくるりとその背に回し、視線をまた真正面に戻した。
目を合わせ、男が笑う。
「北の果ての校尉殿御自らお出ましとは、さらに想定外だな」
唇の両端を持ち上げ、男はすっと腰の太刀に左手をかけた。
「何しに来た?」
左手で太刀を支えながら、男は史琉を睨む。
「最初から交渉という選択肢はないぞ?」
「それは困ったな」
史琉は両手を腰に当てて、首を傾げた。
「俺としては、宿主のお孫さんと連れを返してもらわなきゃ困るんだけど?」
「…じゃあ、強引にいくか?」
くっと男が喉を鳴らす。
「あんたなら、それもできるんだろう?」
史琉は眉を寄せたが、男は構わずに。
「お前が、北の果ての校尉殿ね… 思ったより若いな」
と、呟いた。
史琉の顔が険しくなる。
男はにぃと笑みを深くして。
「北の果ての校尉殿。あんたが北を根城にしてた破落戸の一味を皆殺しにしたってのは有名な話なんだよ」
強く言い放つ。
史琉はきょとんとなった。
それから、何度も瞬いて。
「…案外、俺は有名人なんだな」
頭を振る。
「お分かりかい?」
男は表情を消すと、太刀を構える。
「その気になれば、俺らも全員血祭りに上げられるんじゃないのか?」
史琉は両手を上げた。
「…今回はそんなつもりはないさ。ただし」
と、ニヤリと笑う。
「それなりにやっつけられてもらうつもりはあるけど」
塗籠の外から、どすん、と音が一際大きく響く。
「この音…」
と男が呻く。
「あんたの手の者か」
「ああ」
史琉は笑って頷く。
その途端、男が床を蹴って飛び出した。
ぶぅん、と刃が唸る。
史琉は美波を横に突き飛ばし、一歩飛びすさった。
そこに男がさらに太刀を突き込む。
史琉は逆の横に跳んだ。
男はそれを追って戸口の外に出る。
そのまま、二人、欄干を跳び越えて土に降りる。
「気の短い奴だな!」
「有名な話を再現されても困るんでね!」
「そんなつもりはないって言っただろう!?」
男が唸らせる刃から、史琉はさらに跳んで逃げる。
夜の闇の中を、刃が燭台の炎を映して走る。
塗籠の中に残されて、倖奈は息を詰めてそれを見つめた。
小さい男は細く息を吐きながら、戸口に寄り。
次の瞬間。
「ぐぇ!」
と呻いて、崩れ落ちた。
どさりと倒れた横から、白い影がぬうっと現れる。
「次郎!」
颯太が叫ぶ。
「お前、無事だったか!」
大きな犬は、こくん、と頷くと颯太の側に寄った。
背側に回ると、後ろ手に縛る縄に牙を寄せる。
「痛!」
颯太が叫んだが、直ぐに。
「腕、動く…」
手首に縄をぶら下げたまま、腕を顔をの前に回す。ゆらゆらと両手を揺らした後。
「よしっ」
彼は立ち上がった。
「さあ、出ましょう!」
そして、倖奈の膝の上の子ども達をそっと抱き上げ、一人は背を低くした次郎に乗せ、もう一人は自分で背負う。
倖奈には目で促し、踏み出した彼に。
「出てってどうするのよ…」
戸口の脇に立ち尽くしていた美波が、眉を顰める。
「え、だって…」
颯太は、口をへの字に曲げた。
「取り敢えず、ここを離れませんか? 校尉の邪魔になったら困るし。…や、こいつらを皆殺しするとかなんては思わないですけど!」
美波は黙って、睨み上げる。颯太は、眉間を寄せる。
「離れるに越したことはないと思います! 残って捕まってるより…」
言って、颯太は外に踏み出す。
倖奈は座りこんでいたが、次郎に鼻先で突つかれて立ち上がる。
「…美波」
呼ぶと、彼女はぷいっと横を向いてしまった。
その脇を、次郎に押され、通る。
塗籠の外の闇には、まだ刃の光が走っている。
「てめえら!」
それでも、太刀を握る男はすぐに倖奈たちに気付いた。
「逃げようとは、いい度胸だ!」
「いいぞ、颯太!」
史琉も声を張り上げる。
「そのまま、社から離れろ!」
それから、また飛んできた一振りを横に跳ねて避ける。
「さっさと斬られろ。さもなきゃ、あんたも抜け!」
男が叫ぶ。
「その腰の物はなんだ!?」
「今は飾りだよ」
じりじりと二人、間合いをとる。
その横に。
どすん、と大柄の男が転がって来た。
「何をしている!?」
太刀は前に構え、横目ですらりとした男が舌を打つ。
転がって来たのは先程塗籠を出た大柄の男で、彼は、いてて、と呻きながら起き上がった。
「なかなか… とんでもないのがいやがる」
そして見向く先に全員振り向く。
欄干をひらりと跳び越え、降りて来たのは律斗だった。
鞘に収まった太刀を腰に下げたまま、すたすたと史琉に歩みよると、彼は。
「半分くらい伸したかな… あいつが案外しぶとい」
と、構え直す大男を指差した。
「半分って… 十分だろ」
くすり、と史琉は笑んだ。
「そろそろ時間だしな」
それから静かに、社を囲む木立の向こうへ視線を流した。
木立の隙間から松明と思しき灯りが見える。それらは、見る見るうちに数を増やしていった。
「…まさか?」
すらりとした男が目を瞠る。
「国府の衛士たちだよ」
史琉は笑った。
「てめえら、囮か!?」
大男が叫ぶ。すらりとした男も舌を打った。
「全く気が付かなかった…」
それに史琉が笑う。
「大人しく捕まってくれよ」
わぁっと、太刀を振りかざし、身を固めた男たちが社に押し寄せる。
鬨の声に社に居た男たちが飛び出してきて、打ち合いが始まる。
「颯太、降りろ! 巻き込まれるぞ!」
史琉が叫ぶ。
颯太ははっと肩を揺らし。
「すみません!」
同じように、欄干を跨ぎ降りる。
振り返り、倖奈たちも促す。子どもを乗せた次郎、倖奈が降り、美波もそろりと続く。そのまま、ぞろぞろと木立の方へと歩く。
「くそっ!」
すらりとした男はギリと歯噛みして、社に駆け戻る。そのまま、衛士の一人を斬り飛ばす。
大男も跳ね起きて、それに続く。
だが、三倍はいそうな衛士たちは、次々と破落戸に縄を掛けていった。
社から離れた所から、倖奈たちは呆気にとられてそれを見つめた。
「…なぁんだ」
颯太がやや肩を落とす。
そこに史琉が、ぽん、と手を置く。
「本当に、お前の度胸は大したものだよ」
くすりと笑う。颯太もぎこちなく笑う。
史琉は彼の背中の寝たままの子どもを見て、それから次郎の背の子どもを見、後ろに立った律斗に目配せした。律斗は口をへの字に曲げて、次郎の背の子どもを抱き上げた。
途端、目を覚ました子どもが、グズグズと呻き始める。
「ああ、大丈夫だよ」
その背を史琉がポンポン軽やかに叩く。律斗はますます唇を歪めた。
倖奈は立ち尽くし。
火の灯りにぼんやり照らされる史琉の横顔を見つめた。
美波がふわりと彼の隣に立ち、腕を掴む。
「ああ、美波…」
史琉が首を傾げる。
「大丈夫なのか?」
美波は首を振って、左頬に手を添えた。
「…腫れてそうだな」
史琉が苦笑する。
「後で冷やさないとな」
ちょんちょん、と自分の頬を突つき、史琉は緩く腕を振って美波の手を離した。それから、ざ、と草を踏んで社に振り返る。
そこはもう衛士たちがぐるりと囲んでいて、縛りあげられた男たちが次々と畦道の方へ引き摺られて行っていた。
不意に、そのうちの一人がぐるりとこちらを見た。
眉を寄せ、にやり、と笑って、史琉を睨んできたのは、すらりとした男だった。
視線が噛み合う。史琉も唇を引き結んで、睨み返す。
「鳳樹、だ」
ビリビリと空気を震わせ、男が言った。
背に両腕を回されても、背筋を伸ばし胸を張り、もともと上背のある体をより高く見せる男。釣り目と薄い唇を大きく歪めた、鋭い刃のような空気を纏った彼は、ギロリと見遣ってきた。
「俺の名は鳳樹ほうじゅだ! 憶えておいてくれよ、北の校尉殿!」
後ろから押す衛士を無視して叫んでから。彼はすたすたと歩いていった。
その背を、史琉は無言で見送る。
「…何を言いたいんだ、あいつは」
律斗が呟く。史琉は苦笑いを浮かべた。
「逃げ出して、果たし合いに来るとか?」
その時に。社から、やや気色の違う叫びが響いた。
「一人逃げたぞ!」
衛士の怒鳴り声が響く。
がたん、と大きな音を響かせて、欄干から影が落ちてくる。
「…あいつ」
律斗が目を細める。
「屋敷にいた…」
「そうなんです、門番の人…!」
颯太が声を上げる。
落ちた男は、一瞬こちらを見た。
だがすぐに、頬を引き攣らせて、左腕の薄くて丸い物を抱え直し、だっと走り出す。
身に鎧も付けず、腰に刀も差さない男は軽々と木の根を跳び越え、木立の向こうに消えて行こうとする。
衛士たちの、待てだの追えだのという怒鳴り声が続く。
「…次郎!」
史琉が小さく言う。白い大きな犬は、ざっと駆け出し。
木立の陰に吸い込まれていった。
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