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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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弐の二(誰、と問おうとした声はぎゅっと押し込められた。)

皆が出て行った後、家人にまた別の部屋に案内された。
やや広いその部屋は寝室だと言われ、7人がゆっくりと眠れるようにと配慮されたのだろう、几帳で仕切られていた。
独り、ぽつんと残されて、倖奈はへたり込んだ。
肩を落とし、俯いて。
「…美波も、冷たい」
呟く。
言葉にすると、余計に冷たさが胸の奥を吹き抜ける。
――史琉も側にいてくれなくて。
何やかやと世話を焼いてくれる彼女まで、自分を避けている。
二人が向ける態度は、今まで全く考えてみたことのないもので。
さらに、もともと冷たく接してくる律斗や、怒られてばかりの時若に対しても、苦い思いが浮かぶ。
――嫌われる、なんて考えたこともなかったけど。
睫毛を伏せて、長く息を吐く。それからゆるりと顔を上げ、御簾の向こうの外に目を向けた。
部屋の外、手入れされた生垣に囲われた庭は、市街の中にある屋敷の中にしては随分広いものだと倖奈でも分かるほど広い。
柔らかい緑の中で、雪柳の白い花が生垣を飾り、地には菫が広がり、石楠花や躑躅がそこかしこで出番を待っている。
不意に、それらを間近で見たい気持ちに駆られ、倖奈は素足で庭に降りた。
白と紫がふわりと踊る庭に、表情を緩める。
花を見ると心が躍る。
それは、こんなときでも変わらないらしい。
屈み込み、出番待ちの蕾たちを覗きこんで。
「咲かせちゃうのは… 驚かせちゃうよね」
倖奈は笑った。首を振って、それからもう一度蕾を見つめたところで。
すぐ後ろで、かさ、と草が踏まれた。
はっとして、体を起こし振り返る。
だが、振り返って見た先は、少し高過ぎた。
「…え?」
瞬いて、視線をゆっくりと下げる。
腰より僅かに高い位置で漸く、その音の正体に気付く。
――子ども?
背の低い、髪を緩く二つに分けて縛り、小花柄の小袖を着た女の子が二人。一人は手毬を胸に抱き、もう一人は摘んだばかりの菫の花を握っている。まだ三つ、四つ程の二人は、きらきらした眸を倖奈に向けて。
「おねえちゃん、おはなすき?」
と言った。
倖奈が目を丸くして見下ろしていると。
彼女たちは首を傾げた。
「おねえちゃん、おはなすきじゃないの?」
「すきだからみてるんじゃないの?」
何も隠したものを感じさせない、澄みきった眸に。
「…そうね」
倖奈はクスリと吹き出した。
「好きよ」
言って笑むと、二人もふわりと笑った。
「よかった!」
「おねえちゃん。あっちにもおはなあるんだよ」
言われ、左右の手を一人ずつ引かれる。
戸惑って、周りを見ると。すぐそばの棟の簀子に、小柄な男が立っていた。
「…お客様に申し訳ございません」
声を掛けられ、倖奈はじっと相手を見た。
背が低く、肩も狭い、線が細いせいで余計に目つきがきつく見える男に。
「門であった方?」
倖奈が問うと、彼は顎を引いて肯定し、それから。
「この子たちは…」
と、倖奈の両腕を退く子たちに視線を投げる。
「主の孫の… 姉妹でも下の子たちなんですけど」
細い肩を竦め。
「外遊びが好きなと… 人見知りをしない… 子たちで」
はぁ、と溜め息を吐いた。だが、それに頓着せずに。
「…あそんでくれるの、おねえちゃん?」
右の腕を引く、姉と思しき子が笑う。
「いつもね、みんなあぶないからおうちのそとにでちゃいけないっていうの」
「だからね、おにわでおはなつみしよう」
左の腕を引く子も笑う。
倖奈は目を丸くし、動きを止める。そこに。
「どうぞ、遊んでやってくださいませ」
男が頭を下げる。
「わたしで良ければ…」
倖奈はぎこちなく微笑んだ。
「よろしくお願いします」
男が低い声で応じる。すると、両手を引く力がぐんと強くなった。
「やったあ、あそぼうあそぼう」
「あっちにむらさきのおはながさいているんだよ」
まろびつつ、引かれるままに進む。
「日暮れ前にはお終いにしてくださいね」
背に男の声がかかり、倖奈は振り返って頷いた。



陽はゆっくりと西に傾いでいく。
薄暗くなった部屋の上座で。
「さて… すっかり話しこんでしまった」
東の帥はゆっくりと扇をあおいだ。
その向かって右に商人が座しており、入口に程近い位置には北からの三人。
ゆっくりと全員の顔を見て、ほう、と笑う。
「だが、どうだろう。共に食事でも」
言って、立ち上がり、几帳の後ろに控えていた従者と話し出した。
瞬間、空気が緩み、颯太ははぁと息を吐きだした。
――緊張する…
その横では。史琉と律斗は顔を見合わせた。
「どうする?」
微かに苛立ちを込めて律斗が言うと。
史琉は苦笑いを浮かべた。
「困ったな。シロには日暮れまでに戻れとか言いながら、俺が戻れそうにない」
だが、それをさらりと流して。
「この際だ、お言葉に甘えよう」
落ち着いた声を出す。
「だけど…」
「だけど?」
律斗は目を眇め、史琉はさらに横を向いた。
「颯太、悪い。先に戻ってくれ」
「は、はい」
颯太はぴんと背筋を伸ばし直した。
「遅くなる、と伝えてくれ」
史琉は片目を閉じ。
「くれぐれも夜中には外出するな、ともね」
「はぁ…」
「余計な揉め事を連れてくるんじゃないってね」
くす、と笑った。



日は西の稜線すれすれに近付き、空気は見事に朱色に染まった。
「そろそろ、お部屋に戻らない?」
脇を抜ける冷えてきた風に目を細め、両手に菫を握ったまま、倖奈は眉尻を下げたが。
「いやよ」
「もうちょっと!」
子どもたちは地面を覗きこみ、まだ菫を探している。
倖奈は溜め息を吐いて、子どもたちを止めてくれる家人はいないだろうかと、顔を上げてぐるりと見回す。
すると、建物の簀子からこちらを見る陰がいて、あ、と声を上げた。
「美波」
一歩踏み出して、張り詰めた空気に立ち止る。
「…いつまでそうしてるの?」
低く抑え込まれた声に、倖奈は唇を噛んだ。
「…ほんとに、あなたって子は」
と言って、美波は髪を掻き上げた。
朱色の空気の中に濡れ羽色の髪がふわりと舞う。それに乗って。
「いつの間に、自分で動くようになったの?」
よく冷やされた声が流れてくる。
「…美波?」
倖奈は掠れた声で相手を呼んだ。
だが、美波は目を細めて。
「早くして。夕食なの」
また口を開く。
「時若がいらいらしてるから、早くしてくれる?」
棘の生えた声に、倖奈はこくりと頷いて、振り返った。
「さ、本当にもう戻ろう?」
小袖に小花柄の数以上に砂を擦りつけて、子供たちはまだ笑っている。
「戻ろうよ。さっきも日暮れ前にはお終いって言われたじゃない」
彼女たちの後ろにしゃがみ込み、どうしようかと思った瞬間。
ぬっと影が伸びた。
はっとして顔を上げると。
目が合った。
がっしりした体付きから男と知れるが、その顔は目元を残してぐるりと暗色の布で覆われている。
「だ…」
誰、と問おうとした声はぎゅっと押し込められた。男の掌が口に押しつけられ、勢いで倖奈は尻もちをついた。
甲高い声が響くと同時に、小さな体二つをやはり顔を隠した別の影がひょいっと摘み上げる。ついで、男も倖奈をぐいと持ち上げる。
「さっさとしろ!」
倖奈を肩に担いだ男が鋭く言う。
それと同時に庭を横切って駆けた影が、美波をがしりと捕まえた。
「ちょっと!」
美波が叫ぶ。
同時に、どやどやと人が簀子を庭を駆けてきた。その前に刀を抜いた影が二つ飛んでくる。
「なんだ、お前たちは!?」
「お嬢様を離せ!」
叫ぶ声の隙間に、倖奈は男の舌打ちを聞いた。
「行くぞ!」
ひときわ大きく響く怒声の直後。
男がばっと生垣を跳び越えた。
続いて、子どもを両脇に抱えた大柄な男が、美波を担いだ影が跳び越えてくる。
ぶわ、と雪柳の花びらが散らされ、何度かの悲鳴の後、刀を抜いた影二つも跳んできて。
「ずらかるぞ!」
影たちは、一斉に走り出した。



高い背を僅かに丸めて。
「何て言うかさ… 校尉の仕事って全然楽じゃないよね」
颯太はとぼとぼと歩いてきた。
「部下の面倒も見て、上の人のお仕事もこなして、他の軍の人とお話して、やることばかりだ」
首を左右に伸ばし、さらに溜め息を吐く。
「…疲れた」
呟いてから、はっと背を伸ばす。
「いやいやいや、これくらいでへこたれてどうする、オレ!」
ブンブン、と頭を振って、頬を両手で叩く。
――校尉みたいにいい男になるんだ!
鼻息荒く前を向いたところで。
宿となってくれた屋敷の門が見え。
悲鳴としか思えない叫びが聞こえた。
続いて、生垣の中から外へ、影が幾つも飛び出してくる。小袖に袴、そして一様に顔を布で覆い、腰に刀を差した男たち。
「なんだ!?」
影たちはそのまま、颯太に背を向けて走り出す。
先頭を走る影の肩に、藍色の見なれた着物が見えた。
「倖奈さん…!?」
颯太は瞬き。
「人攫いだぁ…」
と、呟く。
「どういうことだよ!」
ぎっと奥歯を噛みしめてから、颯太は駆けだした。
そのまま、屋敷の門は素通りし、影たちの背を睨み続ける。
両手をぶんぶん振って走って、その影を追いかけた。
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