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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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弐の一「さすがは東の国府のお膝元」

「今年は少し遅いようですね」
そう言って指差された先には、見事な桜。
「遅いんだ…」
舞う花びらが空気を薄紅に染める。目を細めて、史琉は笑った。
「もう咲いてるんだって感じだけどな。弥生に入ったばかりの今だったら、北の地はまだ蕾の時期だよ」
「…そうだな。やっぱり、南の方が先に暖かくなる」
隣を歩く律斗も頷く。
「お陰で助かる」
「そう言えば律斗さん、襟巻無くなりましたね」
一歩退いて、荷物を背負って歩く颯太が瞬く。律斗は振り返って、ギロリと睨み上げた。
「…余計なことは言うな」
「す、すいません!」
颯太は首を竦めた。ふん、と鼻を鳴らして、律斗は前に向き直った。
そのまま、小川沿いの道を歩き続ける二人を、颯太はじっと見た。
すっきりと鍛えられているとはいえ背は低い方になる律斗に、中肉中背の史琉に、二人とも容姿は目立たない。
しかし。
――格好良いな。
すんなりと、そう思う。
颯太は独り、口の端を緩ませて、じっと広げた右掌を見下ろした。
掌には、この数日の稽古でたこが出来てしまった。
稽古で刀を合わせてくれたのは専ら律斗だったが、その横でずっと見守ってくれ、声をかけてくれたのは史琉だ。
戦い方について、教わることは様々あった。腰の入れ方から始まった基本の全てに、斬り込むこと、突き込むこと、相手の攻撃を受けること…
しごかれるだけしごかれて、二人が本当に強いのだと納得した。
今、この瞬間にも分かる。何気なく歩いているように見えて、足の運びに無駄はないし、腕も体の横で遊んではおらず、何かあればすぐに腰の太刀を握れるように気を張っているのだろう。
勿論、体だけでなく、物の捉え方でも兵としての立場を貫いているのが、何となくだが伝わってきていた。
――出発の時の、凱とのことはびっくりしたけど。
理由はあるのだろうと、微かな納得が得られている。
――オレもあんなふうになれるかな?
そう思うと同時に。
――お前の度胸は買っている。
史琉の声が耳の奥で響く。
「よし」
拳を握り、荷物を背負い直す。
――まずは、都までのお二人のお伴をちゃんとこなすところから始めないとね!
「頑張るぞ」
言って、それから後ろを振り返る。
――あの人たちも、ちゃんと都に行くんだろうなぁ…
彼らのずっと後ろを、桜萌黄の狩衣を着た時若と市女笠を被った美波が続く。さらにその後を紺色の被衣に隠れた倖奈と、腕を頭の後ろで組み足元に犬の次郎を連れたシロが歩いてきていた。
船に乗っている間、彼らとは話す機会はほとんどなかったと颯太は息は吐いた。
――何を考えてるのか、イマイチ…
つい、と足を止め、じっと彼らが追い付くのを待つ。やがて追い付いた四人に合わせて、また足を進める。
「賑やかね」
美波は笠から垂れる薄絹を少し上げて、笑みを向けてきた。
「さすがは東の国府のお膝元。…北の国府より人が多いみたい」
「そうですね」
颯太が頷くと。
「同じ国府の街と言うのに… こうまで違うのか」
時若は憮然と呟いた。
「あら、時若、気に入らないの? 賑やかで素敵じゃない」
美波はころころと笑った。
「…煩い」
ぎっと眉を上げて、時若は足を速め、ずんずん進んで行った。
ふふっと美波が笑う。
「気に入ってないんだわ。北の国府が一番じゃないと嫌なのね」
そう言って、彼に合わせて歩みを速める。
「あ、待ってくださいよ」
釣られ、駆けだそうとして、颯太ははっと振り返った。
「行きましょうよ」
言うと、シロはふわわ、と欠伸をした。
「そんな急がんでもいいじゃろうに」
「いや、置いていかれちゃいますから」
「そうかのう…」
目の端に浮かんだ涙をごしごしと指先で擦って、シロはまた欠伸をした。
「この陽気じゃ… 花見でもゆっくりと」
「バカ言ってないでくださいよ」
唇の端を下げて、がっくりと視線を落とすと。
被衣の襟を掴んで見上げてくる、倖奈の大きな眸と目が合った。
颯太は息を呑んで、それから咳ばらいをした。
「じゃあ、俺たちだけ行っちゃいましょうか?」
「うん… 置いていかれても困るし」
倖奈が小さく頷くのを見てから、颯太はずんずんと進んだ。
「あ、おいこら、本当に置いていくな」
シロの慌てたような声が後ろから聞こえて、颯太は、はぁと溜め息を吐いた。



船から小舟に乗り換えて遠浅の浜に上がり、そこから人の多い幅広の通りを桜を眺めながら歩き抜け、船頭が一行を導いた先には、きちんと手入れされた生垣に囲まれた大きな屋敷だった。
「荷の入替えが多いので… 三日は停泊する予定です」
先頭の彼は振り返り、微笑んだ。
「その間、皆様はこちらの屋敷でお寛ぎください」
「ここは?」
史琉が問う。
「この辺りで、商いをしている方の屋敷でして」
近隣の物産を集め、流すことを一手に担う商人で、国府の長たる東の帥とも付き合いが深いのだという。
その商人夫婦と息子夫婦とその娘四人姉妹が暮らしている屋敷がここで、荷を運ぶことを生業にする船と、彼らとは長く深い付き合いが続いていると言った。
「船にお客様がいるときは、いつも宿をお借りしているのです」
と、船頭は門の脇に居た小柄な男に声をかけた。
男は、船頭を見、それからゆっくりと史琉たちの顔を順に見ていった。
「北の国府の校尉… 様方で」
「そうだ」
船頭が頷く。その横に立って、史琉も笑みを男に向けた。
背が低いだけでなく、肩も細く頬もこけた男は微かに目を細めてから、袴の裾を捌いて、奥に走っていった。
それから、初老の男を連れて戻ってきた。
「ようこそ、お出でで。さあさ、中へどうぞ」
灰色の髪を丁寧に結い、縞模様の織の小袖と袴を着た男は丁寧に腰を折った。
門を潜り、生垣と同じく手入れの行き届いた庭を眺めながら、一行は母屋の南に面した部屋に通された。
屋敷の主だと名乗った男と向かい合って銘々、腰を下ろすと。
「船頭様よりご連絡を頂いてより、お待ちしてました」
主人は落ち着いた声で、ゆっくりと話した。
「…船の中から、連絡をとれるのか」
「ええ… 伝書鳩、という便利なものがありまして」
「成程」
にこにこ笑う男に、史琉もにこりと笑い返した。
「その話をしましたところ… 東の帥様がですね、是非に校尉様にお会いしたいとおっしゃってまして」
眉を下げた男に、史琉は首を傾げた。
「俺に…?」
だが、すぐにさっぱりと笑い直す。
「分かりました。御取次いただけますか?」
「ああ、ありがとうございます。では、早速…」
商人はささと腰を上げて、簀子を歩いていく。その先からは家人と話しているらしい声が響いてきた。
史琉も立ち上がったが、その右隣に腰を下ろしていた律斗は顔を顰め。
「…俺たちは北の帥の使いだぞ」
ぼそりと言った。
「余計なことはしないほうがいいんじゃないか?」
「…だから会うんだよ」
史琉は、すっと腰を落とし耳打ちした。
「都では、北のことだけでなく通った土地のことも話すことになるかもしれないだろう… 向こうはこっちを都への売り込みに利用したいんだよ」
律斗は長く溜め息を吐いた。
「…そういう男だということか」
「会わない方が後々余計な手間を増やしそうだろう?」
「…そうだな」
律斗も唇を歪めながら、立ち上がる。史琉はまた立ち上がり、振り向いた。
「悪いな、颯太。付き合ってくれ」
「あ、はい!」
颯太も慌てて立ち上がる。
史琉は唇の端を上げて頷いて、残る4人の顔をぐるりと見まわした。
「お前らは、ここで大人しく留守番してろ」
すると、時若は眉をはね上げて。
「俺はお前の部下じゃない、命令など…」
と食いかかろうとしたが、その横の美波がぱっと顔を上げて。
「出かけてきてもいい?」
と微笑むのに、ぐっと黙る。
史琉も苦笑した。
「買い物は止めておけよ」
「どうして?」
「買っても、その物を都へは運んで行けないからな。お土産は帰り道まで我慢しろ」
美波はぷぅと頬を膨らませたが。
「…街の様子を見てくるのも、良い経験かもな」
史琉が言うと、美波はまた明るく笑った。
「ああ、わしも出かけて良いか」
シロがのそりと手を上げると、史琉は溜め息を吐いた。
「…日暮れまでには戻れよ」
「おお、そうしよう」
シロはからっと笑って、ぴょんと跳ねあがって、さっさと出て行った。
その後ろを、次郎が白い尻尾を振ってとことこ歩いていく。
「…じゃあ、行ってくるぞ」
史琉もとっと床を鳴らして部屋を出ると、律斗、颯太と続く。
すぐに美波も立ち上がり。
「じゃあ、行きましょう。時若」
「…一人で行け」
「嫌よ、迷子になったら困るじゃない」
くすりと笑われ、時若はぎりと奥歯を鳴らして立ち上がった。
「見物だけだぞ」
「分かってるわよ」
はあ、と溜め息を吐いた時若が先に部屋の外に進む。
倖奈も慌てて腰を浮かせて。
「美波!」
名を呼んだ。すると、彼女は唇を突き出して振り向いた。
「…何?」
倖奈は息を詰めた。それから首を振る。
「…何でもないわ」
「そう」
素っ気なく言って、美波はすっと部屋を出て行った。
ふわりとした着物の裾が壁に隠れて見えなくなってから、倖奈は長く息を吐いた。



屋敷を出て、街のさらに奥の方、小高くなった所に大仰な門構えの国府がある。
商人が取次のために奥へ向かっているの間、三人はまた別の部屋で待たされていた。
「あのぅ… 基本的なことで質問が」
颯太が律斗の袖を引っ張る。律斗は無精無精振り返る。
「なんだ」
「…東の帥って誰ですか? それと、校尉って…どういう位なんですか?」
ああ、と律斗は呟いた。
「東の帥というのは、この東の国府の総取り纏めの役職のことだ。帥という役柄の名がそれぞれの国府の長を指すというのが正しいな」
「…北の国府だと」
「理久様が、北の帥様だ」
「…はぁ」
颯太はぱちぱちと瞬いた。
「偉ぶる奴らは、人を名じゃなくて、その役職とかあだ名で呼びたがる」
律斗がぼそりと続ける。
「今、東の帥と呼んだら、今現在その職にある人を呼んでいることになる」
「そこは何となくわかります」
「史琉を北の校尉と呼ぶのも同様だ」
颯太が頷くと、律斗は言葉を続けた。
「校尉は、軍団の中の上位者を指す役職だ。あちこちの軍に校尉がいるが、彼ら全員が校尉と呼ばれる。区別するために『どこの』と言うのを付けるんだ」
「だから… 北の校尉って言われたんですね」
颯太はうんうんと頷いた。
「北では、皆、名で呼び合うからな…」
律斗は正面に向き直ると、ぼそりと呟いた。
「俺は都から来たばかりの時、逆に戸惑ったが…」
と、口を噤む。ととと、と廊下を向かってくる足音が聞こえ、3人とも振り向く。
すぐに戸口からは商人が顔を出し。
「東の帥様がお会いになるそうです。どうぞ、こちらへ」
告げる。
史琉は頷き、すっと立ち上がる。
「…行くぞ」
「…は、はい」
律斗と颯太もそれぞれ立ち上がった。
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