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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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壱の四(嫌われるかもなんて、考えたこともなかったのに。)

口付けられた。
そう、端的に事実を告げると。
「まぁ」
美波は、両手を己の頬に添えて大声を上げた。
「大変!」
「…大変?」
倖奈は首を傾げた。
先日時若と向かい合っていた部屋で、同じように倖奈と文机を挟んで向かい合うのは年上の娘。
きらきらと漂う陽気が溢れる部屋で、美波は目尻を下げ、両手を頬に添えて首を振った。
「大変よ! コレは大変なことよ! 倖奈に恋人が出来た、なんて!」
「…恋人?」
倖奈はますます怪訝そうに首を傾げた。
だが。
「なかなかやるわね、史琉って人は」
美波はまだ、頭を振り続けている。
「急に口付けなんて! ああ、でも、ずっと倖奈を狙っていたのかもしれないわ!」
「…美波。何が言いたいの?」
倖奈は眉を下げた。
すると、美波は漸く動きを止め、真正面から倖奈の顔を覗きこんできた。
「あなたって本当にぼんやりさん。でも、そこがいいところよね」
クスクスと美波が笑う。
「【かんなぎ】としてろくでなしと時若に評されても、可愛らしさは十分にあるのよね」
そう言って、きっちり編まれた倖奈のお下げ髪の先にふっと触れる。
「癖のある髪、隠しておいてよかったわね」
「…うん」
「やっぱり、着物の色も派手な紅より大人しいこの色のほうで良かったのね」
ほう、と美波は大きな溜め息を吐いた。
「わたし、エライ。ちゃんとこの子の魅力を磨いていたわ…」
そのまま、妙にうっとりした視線を宙に投げる。
倖奈は首を傾げた。
やがて。
「ああ、やっぱり史琉って人はワルかも。こんな純真な子を狙うなんて!」
美波はすっくと立ち上がると、縁側に駆け出て行った。
「みんなに知らせなきゃ!」
「みんなって、誰…?」
倖奈が呟くと、美波はくるりと振り返って微笑んだ。
「みんなよ。み、ん、な」
独り部屋に残され、倖奈は呆然としていたが、その日の夕刻には彼女が誰に何を触れまわったのかをおぼろげに知ることができた。
何故なら。
「…お前は結局、あの阿呆と会っていたのか!?」
激高した時若がやってきて、怒鳴られた。
「素敵ね。どうやってあの人とご一緒の機会を作ったの?」
妙に瞳を輝かせた、砦で下働きに来ている女子達に尋ねられた。
「お前でも、他人と関わることがあるのですね… 安心しました」
真桜には妙に感心された。
そして。
「…おまえ、本当に、いろいろ分かってないだろ」
当の本人が困り果てた顔でやってきたのだ。
新月の晩。真っ黒な空には、細かな星がさらさらと零れ、北風に揺れていた。
花の時期を迎えた梅の木に凭れかかって、彼は長く長く溜め息を吐いた。
「あんなことを話せば… そういう関係と取られるに決まってるじゃないか」
夜の色を吸い込んだような被衣を風に攫われぬようにぎゅっと襟口を握りしめて、倖奈はその彼の正面に立ち。
「そういうって… どういう関係?」
首を傾げた。
史琉はまた溜め息を吐いて、ずるずると座り込んでしまった。
「ああ… 俺が悪かった。本当に悪かった」
そのまま頭を抱え込んでしまう。
倖奈は何度も瞬いて。それから、彼の前に膝をついた。
「…具合が悪いの?」
「…とてつもなくな」
もう一度、長い溜め息が聞こえて。それから彼はゆっくりと顔を上げた。
「いや… そうでもないかな」
言って、笑う。それから、右手が倖奈の頬に伸ばされた。
「で、おまえ自身はどうなんだ?」
「…わたし?」
倖奈は首を傾げた。
「そう。俺とどうしたいんだ?」
掌を倖奈の頬に沿わせて、史琉も首を傾げた。
「わたしは… こうして会えて、話ができればいい」
頬に添えられた手にゆっくり頭の重みを預け、倖奈は真っ直ぐ史琉を見つめた。
「そうか」
「ダメ?」
「いいや。ダメってことはないさ。…だけど」
史琉は苦笑した。
「だけど?」
倖奈は眉根を寄せる。史琉は溜め息を吐いた。
「だけど… いや、だからか」
史琉はくっと唇を釣り上げた。
「…やっぱり、都合がいいかな」
「何が?」
「恋人っていう関係が、ね。夜中に会うのにうってつけだ」
くすり、と微笑んで囁く。
「…恋人?」
「そうだよ」
倖奈は瞬いて。それから目を丸くした。
「…皆、わたしと史琉をそういう風に思っているの?」
「そうだよ」
「…どうして」
「だから、美波に昨日のことをそのまま話したからさ」
「…わたし、そんなつもりじゃ」
「だからあんなことを話したら… ああ、もういい」
史琉はゆっくりと首を振って、倖奈の左頬に添えた手をすっと離した。
それはそのまま倖奈の背に回され、ぐいと力が込められる。
勢いよく倖奈は史琉の胸の中に倒れ込んだ。
「さあ、これでどうだ」
妙に、勝ち誇ったような声音。倖奈は体を強張らせた。
「いきなりとって食いはしないさ」
笑い声が降ってくる。
倖奈は長く息を吐いた。
「あなたは… 何?」
「本日、晴れて恋人となりました」
今度は右頬に手が添えられる。固い感触の指先は緩やかに、倖奈を上向かせた。
そして見えたのは、穏やかな眸。
「これでいい?」
低く甘い声が耳をくすぐる。倖奈は頬がかあとなるのを感じた。
「…これで?」
掠れた声で応じると、額と額がこつんとぶつかった。
「これでいいなら…」
と、吐息がかかる。
「そういう返事をしてくれよ」
倖奈は息を呑んだ。
もう、見つめるというような状態ではない。
これ以上ないというほどお互いの体は、顔はくっついていて。
倖奈は目を閉じた。
「あなたに逢い続けることができるなら、これでいい」
恐る恐る、呟く。
やがて、唇の上に熱いものが重なる。
「…ん!」
驚いて身を剥そうとするのを、背に当てられたままの腕が引きとめる。
そのまま唇を吸われ、倖奈は目を閉じているのに眩暈を感じた。
やがて、唇が離れていく。冷たい風が唇を撫ぜ、倖奈はゆっくりと目を開けた。
ぼうと見上げると、目を細めて見つめてくる男の顔が見えた。
「夜に仕事がある日もあるんだけどね」
倖奈の頬を撫で、史琉は笑んだ。
「そうでない日は、幾らでも付き合うよ。お前にね」
倖奈は何度も瞬いてから。
「…有難う」
呟いた。



甲板を真っ直ぐに歩み去っていく。
行く先では、まだ律斗が刀を振っている。
そして、横合いから颯太もやってきて、何か話始めるのが見えた。
倖奈は、史琉の背をじっと見つめたまま、立ち尽くしていた。
――嫌われるかもなんて、考えたこともなかったのに。
ずっと史琉は側にいた。
それなのに。
ぐっと唇を噛む。
視界が微かに濡れ始めた頃に。
「冷たい男じゃのぅ」
不意に声がして、びくっとなった。
ぱっと振り向くと、足元に次郎を従えたシロが隣にやってきた。
「好い関係と自分で言っていたわりには… 冷たいのう。ろくに話もできておらんのではないか?」
「…そんなことは」
ない、と言いかけて倖奈は俯いた。
くっとシロが笑う声がする。
「可哀想にのぅ?」
「……」
歯を食いしばって顔を上げると、にぃと笑うシロと目が合った。
「…あんな男は捨てて、わしのものにならんか?」
「…わたしはものじゃないわ」
倖奈が低く呟くと。
「……ぷっ」
シロは吹き出し。それから腹を抱えて笑いだした。
「…シロ?」
「そうきたか! いや、お主、なかなか手強いのぅ」
げらげらとシロが笑う。
不意に、次郎が寄ってきて、倖奈の手を舐めた。
「くすぐったい!」
「おお、次郎も倖奈はおかしなことを言うと思うか?」
シロは腹を抱えて笑っている。
倖奈が見下ろすと、さすがに舐めるのは止めたが、じっと見上げてきていた。
栗色の大きな眸がじっと倖奈の眸を覗き込んでくる。
「…別にわたし、変なことを言ってない」
そう言って膝を床に付いて、次郎を抱き寄せる。犬はじっと身を寄せてきた。
その首元に顔を埋める。白い毛に覆われた体は温かくとも、匂いはまるで違う。
――史琉。
胸の内で叫んだ。
――側にいて。
+注意+
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