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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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壱の三「…うまくいかないなぁ」)

簾を潜った先の船室では、時若が今日も本を読んでいた。
――砦でも毎日毎日本を読んでいたけれど。
この旅の船にも、持ち込んだらしい。
左脇に数冊積み上げ、手元のそれの文字を追っていた。
だが、倖奈が声をかけるより早く。
「何処に行っていた」
彼が声をかけてきた。
「…甲板に」
答えると、彼は唇を歪めて振り向いた。
「…ここでも変わらず何もせずに過ごしているのか、お前は」
「何もしないで…」
倖奈は眉を下げた。
「そうだろう」
時若がぎろりと睨む。倖奈は竦み上がった。
「砦でも、砦に移る前も、お前は何も為さなかったじゃないか。結界を作れるわけでもなし、魔物を消すわけでなし…」
そこまで言って、時若は溜め息を吐いた。
「まあ、魔物を消す、というのは、この間まで考えつかなかったことだったがな…」
倖奈は黙って、顔を伏せた。
「だからと言って、怠惰に過ごしていた事実が変わるわけでないし、今も同じように過ごしているならろくでなしのままだ」
時若の声は鋭く空気を揺らす。
「書を読んで、その力を活かす手立てを探せ」
「…でも」
倖奈は俯いたまま、ぽそりと呟いた。
「本を読んでも… 分からない、し」
文字として言葉として頭に入ってきても、何も分からないのだ。
そう、言おうとした時に。
「読めば分かるようにできているのに、何故読んでも分からないというんだ」
時若が言い放つ。
「本当に、ろくでなしめ」
恐る恐る顔を上げると、彼はもうこちらを見ておらず、元のように手元の書に視線を動かしていた。
その彼の横では、美波が座っていた。
ぼんやりとした眸は、倖奈の背とは逆側の窓に向けられていて、こちらを振り向く素振りすらない。
倖奈は細く息を吐いた。
「美波?」
呼ぶと、漸く彼女は顔だけこちらに向けた。
「何?」
真っ直ぐな黒い髪がさらさらと流れる。
その動きを見つめながら、倖奈は首を傾げた。
「…調子が悪いの?」
すぐに、美波の眉が跳ねた。
「…どうして、そういう事言うの?」
倖奈は少し身を引いて。
「…史琉が」
とだけ呟く。すると、美波は目を見張って。
「ふぅん」
それから微かに笑った。
「史琉ってば、わたしの心配してくれるんだ」
そう言って、またそっぽを向かれる。
「まあ… 彼ってば、いつでもわたしだけでなくて、皆の心配してるもんね」
と、そのまま美波が呟く。
「倖奈もその中の一人だし」
すると。
「あれは心配じゃない、お節介だ」
と時若が顔を上げずに息を吐いた。
倖奈は何度も瞬いて、首を振った。
それから、立ち上がる。
「どこに行く?」
やはり顔を上げないで、時若が尋ねてくる。
「…甲板に。まだシロがいるかもしれないし」
すると、時若のきつい溜め息が響く。
倖奈はすっと裾を捌いて、身を返す。
簾の前で一瞬止まり、もう一度部屋内を振り返り。
「美波も外に出ないの?」
問うと。
「潮風で髪がぱさぱさになっちゃうんだもん。出たくないわ」
はぁ、と彼女は肩を竦めた。
そのまま、部屋には沈黙が落ちた。



そう、確かに。
「いろいろ分かっていないだろ」
そう言われたのだ。
――何を分かっていなければいけないの?
その疑問をそのまま口にしたら。
「お前は馬鹿か」
時若は、明らかに侮蔑を含んだ声で言った。
北の砦の【かんなぎ】たちの過ごす棟にある書院。
部屋は三方を棚に囲われ、その棚にはぎっしりと巻き物や冊子が詰め込まれている。
床にも何冊も散らばっており、その隙間に彼は座り込んでいて。向かいで倖奈は肩を竦めて、項垂れていた。
「お前は【かんなぎ】だ」
時若は、手元の書物から視線を上げることなく言った。
「知るべきこととは、己の力とそれを活かす方法だけだ」
「己の力」
倖奈にあるのは、蕾が花開くのを手伝うだけの力だ。少なくとも、この時はそう思っていた。
「活かす方法…」
だから、花が咲くとそれが魔物を退ける力を持つと知った時、少しでも沢山の花が咲くようにしようと考えた。
なのだが。
「…相変わらず、お前は自分の力を効率良く使う術を調べようとは思わないのか」
時若の言葉に、倖奈はぐっと唇を噛んだ。
だが、時若はやはり書物から顔を上げることはなく。
「ここには何百の書物がある。それを片端から読めば、同じ力のことが出てくるだろう」
「…真桜様や他の長老方は見つけられなかったって言っていたわ」
「だからお前が探さぬという理屈にはならん」
そのまま、二人黙り。しばらくは、時若が書を捲る音だけが響いていた。倖奈はその間も項垂れていた。
やがて、ぱたり、と書が閉じられる音が鳴り。
「それで?」
時若が溜め息をついた。
「いろいろ分かっていない… とは、誰に言われた」
倖奈は、微かに目を見張って顔を上げて。
「史琉」
淀みなく答えた。すると。
「あの阿呆も、たまに、まともなことを言うと思えば…」
時若の鼻筋がますます歪んだ。
「言う相手がおかしい。何故、お前に言う。…いや、むしろ問題は」
きつい溜め息を吐いて、時若はぎろりと睨んできた。
「いつ、どこで奴に会った」
倖奈はぐっと唇を噛んで黙り込んだ。
「ほっつき歩くなと言っているだろう、いつも!」
時若はまだ睨んでくる。
「余計な奴の余計な話を聞く必要はない」
しばし睨みあった末。
「…奴と口を利く必要はない。馬鹿が移る。お前も今以上戯けてどうする」
と、時若が先に視線をずらした。



次の日も、甲板には眩い陽の光が溢れていた。
それを裂く一筋の光を見つけ、何事かと目を細める。
見つめた先には、抜き身の刀。
それを持ち、黙々と振り下ろしていたのは顔見知りの男だった。
――稽古、させてもらえることになったんだ。
昨日の会話を思い起こしながら。
「律斗」
倖奈が呼ぶと、彼は動きを止めて振り向いた。
その顔は顰められていて。
「…何の用だ」
声も低い。倖奈は首を横に振った。
「…別に」
「なら声をかけるな」
あからさまに不機嫌になって、彼はくるりと体を元の向きに向けた。
「…シロなら前の方に居たぞ。とっとと行け」
「…史琉は?」
訊くと、彼はぴくりと肩を揺らした。
「知るか」
「…そう」
倖奈はもう一度首を振って、ゆっくり歩き出した。
波につられて船が揺れる。
それに引き摺られぬように、殊更ゆっくり進んでいく。
だが、船の中ほどで見つけた人影にはっとして立ち止った。
縁を掴み、陸を見遣っているのだろう後ろ姿。背を伸ばし、短い髪を潮風に揺らす彼の名を呼ぼうとして、躊躇った。
だが、さきにその影は振り向いて。
「倖奈?」
目を丸くして、それから笑いかけてきた。
「…史琉」
ほっとして、ぎこちなく笑う。
手招きされ、それにするりと応じ、横に立った。
「この辺がどんなところか、聞いてたんだ」
そう言う彼の隣には、船頭がいた。
「さすが、船の通る場所のことは何でもご存知だよ」
中年のその男は、にこやかに笑うと、陸を指差した。
陽を背にして見る陸は、なだらかな線を描いている。
「あの辺りはずっと砂浜が続いているんですよ」
「砂浜?」
被衣を風に持って行かれぬように掴みながら、倖奈が言うと。
船頭は頷いた。
「長い長い砂浜です。でも、砂浜と言っても同じ光景が続くわけではありませんよ。砂丘があったり、岩があったり、ね…」
言って、振り返る。
「そろそろ船旅にお疲れではないですか?」
「そんなことは… ないです」
倖奈が呟くと、船頭はほっとしたように笑った。
「先に進んだところに大きな港があるんです。東の国府のお膝元でしてね。そこで少し長めに停泊する予定ですから、ゆっくりされるといいでしょう」
そう言って、彼は去っていった。
二人甲板に残され、ぼんやりと砂浜だという辺りを見遣る。
「…久しぶりだな」
不意に手が伸ばされてきて、倖奈は目を瞠った。
頬に固い、荒れた指先が触れる。
「…構ってやれない」
「…うん」
低く耳の奥に滑り込んでくる声に倖奈は首を振った。
「…うまくいかないなぁ」
見上げると史琉は、緩く笑っていた。
そのまま、指先は倖奈の唇を掠めて、離れて行く。
「…体調には気を付けろよ」
そう言って、彼も踵を返した。
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