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花の如く 作者:秋保千代子

第二章

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壱の二「確かに、船に乗っている間は、やることないのも分かるんだけどね」

十六夜の月が北の砦を隈無く照らす。
だから、倖奈は石垣の積み上げられた岩の隙間のその花を見つけられた。
石垣の縁ギリギリに生える木の枝に左手でつかまり、右手を精一杯伸ばす。
「…あと、少し」
指の先が、少し掠るだけでいい。そうすれば、あの小さな花をもっと大きく開かせてあげられる。
「…もう、ちょっと」
藍色の被衣がお下げ髪の上を滑ってずり落ちるのも、左腕が震えだすのも構わずに、腕を伸ばし続けていたところに。
「何してるんだ、お前?」
背後から声がかかる。
ビクッと震えた拍子に左手が開く。
「きゃあああああ!!」
伸ばした右腕は花を通り過ぎて、崖下に突き出される。
それに吊られて、体もがくんと落ちて行く。
「あああ… あれ?」
だが、落下はぷつりと止まった。
右腕はぶらんと垂れ下がり。
反対に左腕は斜め上に引き上げられている。
その力が、倖奈が崖下に落ちていくのを食い止めたようだった。
「…痛い」
左肩の、そこからずぽりと腕が抜けそうな感覚に、呻く。
「あ、悪い!」
声が聞こえ、すぐさま、さらに強い力でぐいと後ろに引かれた。
その力は、倖奈の体が地面に対して真っ直ぐになったところでふっと消えた。
はたりと、左腕が落ちる。
地にへたりこんで、溜め息を吐き出したところに。
「大丈夫か?」
声が降ってきて、倖奈はゆっくりと首を回し、顔を上げた。
月影の下に見えたのは、男の顔だった。
短い髪を夜風になびかせて、緩く口端を釣り上げた男。
倖奈ははっとして、肩まで落ちていた被衣を被り直した。
それから、もう一度彼を見上げる。
烏帽子は被っていないのに、身は胴丸で包み、腰には太刀を下げている。
彼の後ろにも、同じような出で立ちの若い男がいた。
「…あなたたちは?」
ぎゅっとお下げ髪の先を掴み、倖奈が掠れた声で聞くと。
その男は苦笑いを浮かべた。
「…深夜の警邏担当部隊だよ。それくらい分かるだろ?」
倖奈は瞬く。
すると、彼は大袈裟に首を振った。
「…で、お前は何をしてるんだ?」
倖奈はもう一度瞬いて。
「花を」
と呟いた。
「花?」
男が眉を顰める。
「こんな夜中、冷えているっていうのに… 花を摘みに来たとでも言うのか?」
くしゃりと唇が曲がる様を見て、倖奈は縮こまった。
だが、彼はすぐに笑い直す。
「夜は周りが見えない分危険が多い。だからあまり、うろうろしてるなよ。特に、石垣」
「石垣? どうして?」
緩く首を傾げると、相手はさらに相好を崩した。
「石垣が、魔物の出る草原と砦の境目だ。一番危険に決まっているだろ」
「そう…なの?」
何度も瞬くと。彼は吹き出した。
「…は、ははははは!」
「史琉隊長…」
後ろに立った男――こちらは倖奈の正面の男より幼い顔立ちだが、その出立ちも腕の太さも逞しい――が揺れた声を上げる。
「いや… びっくりしたからさ」
後ろの男に言い、彼は自分の目尻を指先で掻いた。
そして、倖奈の目の前に右手を出してきた。
倖奈はきょとんと彼の顔を見上げた。
すると、彼はまた吹き出した。
「ほら、手を貸せ。立たせてやるから」
素直に右手を重ねると、ぐいっと引き上げられた。
「戻れ」
端的に言い切られる。
それから、ゆるりと手が離れた。
倖奈はこくんと頷く。
彼も頷き、後ろに立っていた男に目配せすると、石垣をずっと歩いて去っていった。



縁から下を覗きこむと、深い青にそのまま引き込まれそうな気持ちになる。
「落ちるなよ」
軽く右腕を掴まれて、倖奈ははっと顔を上げた。
「…気を付けるね」
引き攣りながら笑う。史琉も微かに笑った。
「確かに、船に乗っている間は、喋ってるか何か眺めてるかくらいしかやることないのも分かるんだけどね」
「…刀を振り回す場所が欲しい」
ぼそり、と律斗が呟く。倖奈は目を見張り、史琉は吹き出した。
「…おまえらしいよ」
そう言って、凭れかかっていた縁から身を起こし、頭を掻く。
「それは俺も思ってからな。やっぱり船頭に頼んでみようかな」
「…そうしてくれ」
律斗がほっとしたような息を吐く。
そこに。
「校尉、律斗さん…」
ひょっこりと、背の高い少年が寄ってきた。
「どうした、颯太」
史琉が笑う。倖奈も見向く。
――この人、柳隊に新しく入った人だって言ってたっけ。
倖奈よりずっと背の高い彼の顔を見ようとすると、顔を上向かせる羽目になった。
史琉や律斗も程度の差はあれ同じようで、顎をぐっと上げている。
「校尉。船頭さんがお話をって… 呼んでらして」
「お。まさに渡りに船」
史琉が笑う。
「どこにいる?」
「船室にいらっしゃいます」
「分かった、行くよ」
言って、史琉が一歩踏み出す。
「向こうが話があるって言うんだから、何か言われることがあるんだろうけど… お願いもしてくるさ」
「何をですか?」
颯太は首を横に倒した。
「甲板で稽古させてくれってね」
「ええ? そうなんですか?」
「律斗が鬱憤貯めてるんだよ」
「俺のせいばかりにするな」
律斗が目を吊り上げる。史琉はからりと笑った。
「じゃあ、颯太を鍛えるって名目も作っておくよ」
「オレ… ですか?」
颯太は眉尻を下げた。
「ああ」
史琉は笑みを深くする。
「今のうちに鍛えてもらえ。お前にも腕を磨いてもらいたいからな」
「そう… ですか?」
「お前の度胸は買ってる。腕が上がれば最高の兵だ」
史琉が言うと、颯太はびしっと背を伸ばした。
「…オレ、校尉の期待に応えられるように頑張ります!」
「よし、その調子」
にっと笑うと、史琉は颯太の肩を叩いた。
「じゃあ、船頭に会いに行ってくるよ」
「行って来い」
律斗が頷く。
史琉は一度振り返り。
「お前も一度、船室に戻れ。美波が気にしてるからな」
倖奈に微かに笑いかけてから、真っ直ぐ歩いていった。
その背中をぼんやり見送る。
「…戻らなくていいんですか?」
はっとなったのは、上から声が降ってきたから。
見上げれば、頭の天辺よりもさらに高いところから颯太が見下ろしてきている。
「…戻ります」
小さな声で呟いて、倖奈も歩き出した。
揺れる床をしっかり踏みしめて進んで。甲板と船室を区切る簾の前で一度振り返った。
先ほどの場所にまだ律斗と颯太は居て、律斗は腰にさげていた太刀を手にとって、何かを話していた。
直垂を着た二人に対し、颯太の小袖に袴だけという姿は、どこか馴染んでいなくてそれでも何かに懸命なことが伝わってくる。
――あの人も、史琉に嫌われたくないとか思っているのかな。
思い、倖奈は唇を噛んだ。
不意に胸の底に冷たい風が吹き抜ける。
――嫌われるかも、なんて考えたこともなかった。
はあ、と溜め息を吐いて、倖奈は簾を潜った。



そのうち、夜更けに月が昇る日頃になった。
御簾を上げ、外を覗く。冷たい風が頬を掠っていった後に漸く浮かんだ月がどうにか足元を照らしてくれるのを確かめてから、倖奈はまたこっそりと部屋を抜け出した。
今夜の目的地は、南西の生垣沿いの林の中。昼間、目を出したばかりの蕗を見かけた所。
だが、そこに辿り着く前に。
「やっぱり」
林の入り口、膝ほどの高さの岩の上に、男が座っていた。
「ほっつき歩いてたな」
倖奈は黙って、足を止めた。
被衣を深く被り直して、胸の前をぐっと閉じ押さえる。
男はにっと笑うと立ちあがり、ゆっくり歩み寄ってきた。
「別にとって食うわけじゃないよ」
くすくす言う笑い声に、倖奈はそっと見上げた。
頼りない月と星の明かりの下で、男も目尻を下げて見下ろしてきた。
「俺が誰か、分かってるよな」
言われ、倖奈はゆっくり首を縦に振った。
「この間の夜に、石垣で助けてくれた人」
「そう」
「確か、この砦にいる兵士の… 隊長さん」
すると、相手も満足そうに頷いた。
前の夜とうってかわり小袖に袴という軽装だが、腰には太刀を下げている彼は。
「柳隊の史琉だ」
と名乗った。
倖奈はきょとんとし、彼は笑った。
「おまえは、いっつも時若の後ろにいる子だろ?」
言われ、倖奈はさらに目を丸くした。
「わたしを… 知ってるの?」
「顔くらいはね。砦にいる人間全員知ってるよ」
それから、ふわりと唇の端を上げる。
「名前は?」
「…倖奈、よ」
史琉は唇をその形に動かして。
「そうか」
と言った。
「で、倖奈」
史琉は首を傾げ、倖奈の顔を覗きこんできた。
「なんで夜中にほっつき歩いてるんだ?」
倖奈は黙って俯いた。
「年頃の娘が夜歩きとは感心できないな」
「どうして?」
「どうしてっておまえ…」
史琉の呆れたような声が響く。
「危険だろう?」
「危険?」
「何も感じないのか?」
倖奈は首を横に振った。
「感じない」
被衣を微かにずらして、見上げる。
「それに」
史琉の眸を真っ直ぐ覗き込んで、言った。
「あなただって出歩いてるじゃない」
「俺は男だからいいんだよ」
「男だから?」
倖奈はもう一度きょとんとなった。
「…おまえ、いろいろ分かってないだろ」
史琉はがっくりと肩を落とす。
「兎に角。今夜はもう寄り道しないで真っ直ぐ戻れ」
言って、史琉は倖奈の肩をぽんぽんと叩いた。
「本当なら送って行ってやりたいところだが、生憎、【かんなぎ】たちの棟にはあまり近寄らないよう牽制されてるんでね」
「牽制?」
――誰が?
倖奈は呟いたが。
「…それ以上訊くなよ」
史琉は曖昧に笑った。
「じゃあな」
そっと背中を押され。
倖奈はしょんぼり歩き出した。
20歩進んでから振り返る。
彼は変わらずそこに立っていて、にこりと手を振ってくれた。
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