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花の如く 作者:秋保千代子

第一章

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弐の八「随分【神気】の強いお嬢さんじゃな―とは思っとったが…」

ぶわり、と風が吹き抜ける。
「なんだ…?」
驚き嘶いた馬の手綱を、颯太は引いた。
その背側では律斗が前のめりになり、がしりと颯太の肩を掴んだ。
風が吹き抜けた後には、白い花びらが舞い、それを被った魔物はほろりほろりと溶けていく。
「…【かんなぎ】がいるのか?」
律斗が首を傾げる。
北の側から魔物を攻めていた兵たちからも、戸惑ったざわめきが起こる。
まだ動いていた魔物は呻きながら消えていき、既に刀や矢で倒された死骸も崩れていく。
颯太の馬の後ろに、さくさくと草を踏む音が寄ってきて振り向くと、馬に乗って時若が来ていた。
「なんだ、これは?」
律斗がもう一度、首を傾げる。
時若は、眉を寄せ、唇を歪めて。
「知るか」
黒く長い髪をかきあげて、吐き捨てる。
そのまま振り向くのにつられ、律斗と颯太も振り仰ぐ。
視線の先には、薄紅色に染まった丘が見えた。

「…何よ、これ?」
満開の桜を見上げて、美波は茫然と呟いた。
冷たい北風に乗って、次から次に花びらが落ちてくる。
その花びらを同じように仰ぎ見ながら、周りの人波もさざめき続けていた。

子どもは、まだギャーと声を張り上げていた。
丘からは、親と思しき女が泣き叫びながら駆けてくる。
「ほら、行きな」
史琉がそっと背を押すと、その子は一段と声を大きくして、トコトコ歩き出した。
ふわふわ揺れる花びらに包まれて、親子は向かい合うと、わっと泣いて抱き合った。
それを見て、微笑んでから。
史琉は膝をついた。
すぐ前の草の中に、倖奈は埋れていて。
その彼女を、両手でそっと抱き上げる。
瞼はぎゅっと閉じられていても、胸が上下していることにほっと息を吐く。
「大したもんじゃのう…」
後ろから声がかかる。
振り返ると、シロが笑って立っていた。
「魔物の… 瘴気に触れるだけで、それを浄化できるのか」
史琉は瞬いた。
「…どういうことだよ」
「そのまんまの力じゃよ」
シロは笑みを深くする。
「さっき街で会った時から、随分【神気】の強いお嬢さんじゃな―とは思っとったが… おそらく、身のうちの【神気】を触れた【瘴気】に対してぶつけて、それを浄化しているんじゃろうな。相当な力がないとできぬぞ」
史琉は眉を顰めた。
シロは表情を崩さずに。
「魔物だけでなく、魔物が残した傷も消しておるだろう?」
史琉は瞬いて、左頬に手をやった。
「傷が消えてる…」
魔物の爪で切った傷がなくなっている。
それだけでなく。
踏まれて苦しかった胃も、軽くなっている。
だが、若竹色の直垂には先程吐いた血がべっとりと付いていたし、地で強かに打った背中はズキズキいっている。
史琉は頬から腹に手を動かして、それから倖奈を抱きなおした。
シロは笑い。
「【神気】の証しが、この花ということか」
ぐるり、と周りを見回す。
「神気を分け与えて花を咲かす――んじゃろうな。始めて見た」
当たりは季節が一月以上進んでいて、濃い香りに包まれている。
だが、色のくすんだ空にはとても不釣り合いで。
どこか、禍々しい。
史琉は倖奈を抱く両腕に力を込めた。



ゆっくりと瞼を持ちあげる。
何度も何度も瞬いてから、倖奈は首を回した。
辺りは濃い青に包まれていた。明かりも人の声も無い。
どうやら、自分は横に寝かされているらしい、と気が付いて、起き上がろうとした。だが、腕も頭もひどく重い。
「…あれ?」
出てきた声も掠れている。
なんでだろう、と思いながら、どうにか身を反転させて起き上がる。
それでも、頭は重く、立ち上がるのも一苦労だった。
ああ、これが“だるい”というやつだな、と倖奈一人頷いた。
それから周りを見まわして、ここが北の砦にある自室だということに気付く。
丁寧に部屋の真ん中に布団が敷かれ、その中で寝ていたらしい。
着ている長着は変わらず藍色の物だが、袷が緩められて、腰の帯も少し解けている。三編みもぐちゃぐちゃになっていた。
どうしてここで寝てるんだろう、と首を傾げる。
その動きをするのにも、知らず緩慢になる。
それでも。
――どうしてこうなっているのか、誰かに聞かないと。
「美波… 居ないかなあ?」
三編みは直すことを諦め、それでも、袷はきっちり重ねて帯も直す。
それから布団を這い出て、手を付いたまま縁側に向かう。
格子戸を押し上げて、外に顔を出して見回すと、右の端が少し欠けた月が東の空に浮かんでいた。
きょろきょろとしても、同じ棟に寝室を持つ仲間の【かんなぎ】の姿は見えない。
その代わりに。
「おー。お目覚めじゃな」
軽い声が聞こえ、はっと振り向く。
西側の立木の影からは、ひょこっと少年が顔を出した。
「…あなた?」
倖奈は眉を顰めた。
顔を出したのは、背の低い身の細い少年で、その足元には月明かりでも分かるほど真っ白な犬がいた。
「…昼間に、街で会った人?」
「おお、覚えておってくれたか」
彼はにやりと笑い、ひょこひょこと寄ってきた。
髪は角髪に結わえられているのは昼間と変わらないが、身にまとう衣装は変わり、小袖に袴を穿いていた。
だが、その袴は彼に長過ぎたようで、裾が無理矢理括られている。
そして、その色合いや織には見覚えがあった。
「その服…」
「これか? 史琉に借りたんじゃよ。わしのは洗濯してもらっておるのじゃ」
倖奈は瞬いて、彼の顔を見つめた。
「いつ… 史琉と知り合いになったの?」
「今日じゃよ。今日の今日、お互いに顔を知って、名を知って、魔物相手に共闘したぞ」
彼は笑い、足に寄りそう犬の頭を撫でた。
「わしはシロと呼ばれておる。こいつは次郎。で、お主の名は?」
倖奈は一瞬躊躇ってから。
「倖奈」
と答える。
口の中でそれを繰り返してから、シロと名乗った彼はにっこり笑った。
「お主、大したもんじゃな」
「…え?」
倖奈は首を傾げる。
シロは次郎と呼んだ犬を撫で続けながら言った。
「史琉が倒し損ねた魔物。あれを消した。それだけでなく、史琉が魔物の力で負った傷を治し、南の方で史琉の仲間が戦っていた魔物も一気に消し飛ばしたそうじゃぞ」
倖奈は緩く首を傾げた。
何度も何度も瞬いて。ようやく昼間の光景が脳裏に蘇る。
史琉が踏まれて、血を吐いていた。魔物の足が自分と抱きしめた子供の上に降ってきて、同じ目に遭うことを覚悟して。
その後は。
「…知らない」
呟く。
「おや、困ったもんじゃな」
シロはにやりと笑った。
「聞けば、今までも普通に蕾に力を分け与えて、咲かせておったのだろう? それを知らぬとは言わせぬ」
月明かりを真正面から受けながら、彼は縁側にへたり込んだままの形の倖奈の正面に上ってきた。
「それだけの【神気】。何にも使わずに眠らせてきたのか?」
「…だって、何もできなかったのよ?」
倖奈は眸を揺らして身を退いた。
「術具を作ろうとしても、そのために用意された道具に触っただけで、それらはみんな壊れたわ。結界を張ろうとしても、思った場所に出来なくて…」
「それはお主の力が強すぎるからじゃろう?」
シロは首を緩く傾け、身体を前に進め。
「お主の力を受け止められるほど、道具が強くなかった。結界を張った範囲が広くなりすぎて、それの存在を確認できなかった」
にいいと笑う。
「違うかのう?」
倖奈はぐっと唇を噛んだ。
シロはさらに笑い。
「まあ、わしから見れば、お主の力は昼間のように瘴気に直接ぶつけて使うのが本筋じゃろうな」
ぬっと首を突き出した。
「二度と魔物が生まれぬように、そこにある瘴気を全て浄化させる。その証しとして花を咲かせる。…これほど有益な使い方は無かろう?」
倖奈は大きな眸をさらに見開いて、彼を見返した。
「瘴気を… 浄化?」
「そう。消し去るんじゃよ」
彼は瞬きせずに言う。
息を詰めて、翠色の眸を見つめ返すと。
「…何してるんだよ?」
苦笑いを含んだ声がかかった。
がさ、と草を踏む音を立てて、別の梅の木の陰から史琉が出てきた。
「…なんじゃ、お主か」
振り返ったシロは、ぶう、と頬を膨らませた。
「なんじゃ、はないだろうに」
史琉もまた、昼とは変わり小袖に袴、腰に刀という姿でいる。そして、巻いている襟巻に少しだけ首を埋めて。
「…一応、俺の客人ってことで砦に入れてやってるんだから、大人しくしといてくれよ」
苦笑いする。
それに大袈裟に溜め息をついて見せて。
「それはつまらんのう。こんなに好い月なのに」
ほれ、とシロは空を指さした。
「…関係ないって」
史琉はまたふっと笑い。
「とっとと戻れ。不審者扱いでぶった斬ってもいいんだぜ?」
「物騒じゃのう…」
シロは肩を竦め、とん、と縁側から降りた。
「まあ、本題は済んだから素直に戻るかのぅ」
足元に立った次郎の背を叩き、にっこり笑う。
「では、おやすみなさい。倖奈」
ひらひらと手を振って、彼は立木の間の影に紛れていった。
それと入れ替わるように、史琉が歩み寄ってくる。
がさ、と草を踏んで、彼が正面に立った時、倖奈はほうと息を吐いた。
「史琉」
名を呼んで、手を伸ばすと、それを荒れた指先が掴んできた。
「体調はどうだ?」
訊かれ、倖奈は緩く首を振った。
「よく分からない… だるい… のかな?」
「…そうか」
史琉は微かに笑い、右膝を縁側に乗せてきた。
それから倖奈の腕を引き、自分の懐に体を寄せる。
とん、と頭を彼の胸に乗せて、倖奈も微笑んだ。
何があったのかと尋ねる前に。
肩をぎゅうと掴まれて、さらに彼に身を寄せる。
「…ゆっくり休めよ。明日は予定通りに出るんだからな?」
「うん」
頭の上に振ってきた声に頷くと、すっと体が離れた。
「俺も戻るからな。本当に、ちゃんと休めよ」
どこか困ったような笑顔に。胸の奥が、ずきん、と鳴った。
それでも。
「おやすみ、は?」
言われ。
両手を彼の頬に伸ばす。
そっと添えて、目を閉じて、顔を近づける。
触れ合った唇はどちらもひやりとしているのに、重なった吐息は熱い。
「…おやすみなさい」
唇の上に熱さを感じる中で呟くと、さらに熱いものが一瞬だけ触れてきた。
それから、また身を離される。
「おやすみ」
史琉は笑うと。
ざっと踵を返し、真っ直ぐに元の木の影に隠れた。
倖奈はしばらくぼんやりと、そこを見つめたままでいた。
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