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ワルプルギスガーデン 見習い魔女の探索行 作者:フジムラ

ワルプルギスガーデン

26/31

狂人の妄執

        §

 物音の正体を確認しようと部屋に足を踏み入れた途端、朱鷺乃ときのを突き飛ばすようにドアが閉まった。部屋にはものみしかいなかったはず。仔猫が飛びついてドアにぶつかったところで、こんな勢いで閉まるはずがない。

「ものみですの? いたた……」

 妙な倒れ方をして、足をくじいてしまったようだ。暗闇の中、手探りでドアを開けようとするも、ノブが回らない。鍵が掛かってしまったのか。

「困りましたわね……」

 壁を伝ううち、見落としていたらしいスイッチを探り当てるが、残念なことに明かりが灯る様子はない。ドア越しにものみが暴れている気配が伝わる。誰かが気付いてくれるのを待つしかないと判断し、壁に背を預け座り込む。

 視覚情報を遮断され、他の感覚が鋭くなったのか。時折ちゃりちゃりと鎖が揺れるような音が聞こえる。窓もない部屋のこと、鎖を揺らすほどの空気の動きは感じられないというのに。加えて、何かを引き摺るような音と、微かな息遣いのようなものまで聞こえる気がする。闇が想像力を掻き立てているだけだ。そう自分に言い聞かせ、膝を抱えて顔を埋める。

 突然、轟音が響いた。強い揺れに書架に収められた本が落ちる気配。しわがれた男の絶叫が響く。

「ガぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁあああッ!!」
「何事ですの?! 地震?」

 頭を抱えて身を固める。幸い書架が倒れ掛かって来るようなことはなかったが、朱鷺乃は奇妙なことに気が付いた。叫び声は室内で響いている。

「ぶガぁああああぁっ! ギぎゃああああああぁッッ!!」

 強い揺れは一段落ついたようだが、微弱な振動が続いている。獣じみた叫びは続き、荒い息遣いが近づく気配がする。何も見えないまま、朱鷺乃は悲鳴を上げ床を後ずさる。

「大丈夫かッ!?」

 ドアを開けさばきが明かりを付ける。闇が追い払われる一瞬、狂乱の表情を浮かべた上半身だけの老人が、内臓を引き摺りながら、朱鷺乃の足に手を掛けようとしている姿が見えた。こぼれた腸が続いていたのは、鎖を巻かれた黒い本。今も微かな金属音を響かせ続けている。

「危険に巻き込んで済まない」

 膝をつき朱鷺乃を気遣う裁の顔色は優れないままだったが、先ほどと違い、声や眼の光に力を感じる。左手に刺さるペンに気付き、朱鷺乃は小さく悲鳴を上げた。

「眠気覚ましだ。アルハザードに意識を奪われないよう、ここ数年、まともに眠っていないからな」

 安心させるように笑顔を見せペンを抜く。昔見たままの、強い意志を感じさせる表情。ハンカチで手当をしながら、朱鷺乃は不謹慎ながら安堵した。

「アルハザード?」
「アブドゥル・アルハザード。今這い出しかけていた、あの亡霊だ。奴は死ぬのがただ怖くて、不死の秘術を完成させた。今度は世界がいつまで続くか不安になって、時の果てまで旅をした。この世の全てを知ろうと手を尽くし、神とも呼べる存在に行き着いた」
「それは……信仰を得たという事ですの?」
「それならまだ話は簡単だったかも知れないな。奴は震えて逃げて怯え抜いて、とうとう正気を手放した。そして、全ての神を殺す事に決めた。そうすればもう何も怖くないって考えだ。何でも小器用に出来ただけの、強欲で小心で哀れな男だってのによ」

 黒い本からは唸り声が響き続ける。

「メンアと組んで仕事していたころ、人工神話編纂局じんこうしんわへんさんきょくの狂人・ディー博士から手に入れたのが、そこの『黒の淵』だ。神がいつどこに顕現するか、何を仕出かすかが記されている。知ってしまった以上、放って置くわけにも行かないと意気込んだが、それが奴の罠だった。憑りついた奴は神殺しの計画を叫び続け、完遂を強要する。あとは狂気へ一直線だ。もはやどこまでが俺の意志で、どこからが狂人の妄執なのか、区別することなど出来ない」

 神というものが地下深くで見せられた存在であり、崇拝か蹂躙を突き付けられたなら、高潔で勇敢な人間ほど抗う事を選ぶだろう。『黒の淵』には忌まわしい感覚しか抱き得ない。狄博士というのも、アルハザードに付け入られた被害者だろうと、朱鷺乃は思う。

「結局はアルハザードの計画通りに、事を進める他にない。封印で抑え付け、最低限の接触で必要な情報だけを得ていたつもりだが、それでもアルハザードの影響を受けている。己の意志を保つには、眠ることも許されない。メンアは結界に籠り切り、フランチェスカは何か含みを持ってやがる。身近に頼れる者はいない。自刃し正気を確信できる内、紅劾こうがいに鍵を送ったが……とっくのとうに勘付かれていたようだな。詫びのしようもない」
「…………」

 確かにそれでは父の死は巻き添えとしか言いようがない。だが、その神の顕現が自分の住む街で起こるならどうだ。他人事だと決め込むことが出来るのか。朱鷺乃には沈鬱な表情で頭を下げる裁を責めることは出来なかった。

「それでも、黒の淵を手放す訳にはいかない。地下に保管していたハスターの屍骸が活性化を始めた。その鍵を――」

 焦燥した様子の裁は言葉に詰まる。続けるつもりだった言葉は、渡せなのか預かっていてくれなのか。振動と狂人の呻きに心乱されながら、朱鷺乃は鍵を握りしめ逡巡を続ける。

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