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ワルプルギスガーデン 作者:フジムラ

ワルプルギスガーデン

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23/31

裁慧士郎

        §

 眼帯の魔女エステルに連れられ、朱鷺乃ときのは無限回廊を抜けることができた。敵対していた人物だが、彼女無しでは、あの空間からは抜け出せなかっただろう。

 アスキスの事が気がかりで仕方がない。目の前で何本もの剣が突き立てられるのを、朱鷺乃は何もできず、ただ見ているだけしか出来なかった。

「死んじゃいないよ。連れて来いってのが指示だったからね。生きてさえいればどうなっててもいいとは、あの子もずいぶん雑な受け取りかたしたもんだけど」

 エステルの言葉に不安が増す。彼女の言葉を信じるなら、父を手に掛けたのはアスキスの師匠だったらしい。

 追い求めていた真実に近付けたはずなのに、まるで嬉しさを感じない。置いてけぼりの蚊帳の外。ただ不安だけが大きくなる。今は胸に抱いた仔猫の温もりだけが、朱鷺乃の支えだった。

 応接室に通される。途中の廊下は歪んでおらず、歩けばちゃんと壁に突き当たる。窓がないのでどことも知れないが、まともな場所ではあるようだ。

「貴女も心配ですわね、ものみ?」

 突然人の姿になって振り回したというのに、話したい時には元の姿に戻っている。気まぐれな仔猫は、朱鷺乃の言葉に首を傾げるだけだった。

 人の気配にものみは朱鷺乃の膝から飛び降り、ソファの影に隠れた。入室してきたのはジジ。あれほど凄惨なことをやってのけたのが嘘のように、茫洋とした表情をしている。

「所長が会ってくれるって」
「アスキスは無事ですの!?」
「……無事。あの子はあれくらいじゃ死なない」

 無事でもないだろう。そうは思っても、重ねて問うのも躊躇われた。
 鈴音に反応し、ジジがソファの影のものみに目を止める。目の前でアスキスが串刺しにされたのを覚えているのか。ものみは毛を逆立てて威嚇している。

「……クリームパン、ありがとう」

 小さく呟く表情は変わらない。それでも朱鷺乃には、少し寂し気に見えた。

 会うのは何年振りだろうか。相棒と共に父の元を訪れ、夜通し冒険譚を披露する彼は、幼い朱鷺乃の憧れの存在だった。父の膝の上、眠い目を擦りながら夢中で聞き入ったものだ。父が彼らに出資していたのも、半分以上彼らと興じる馬鹿話が目的だったのだろう。長じてからは子供相手の法螺話と思っていたが、アスキスと出会ってからの数日で、その認識も覆ってしまった。

 黒いスーツを着たさばきは、朱鷺乃の記憶の中の姿と変わらず、若々しいままだった。

「久し振りだな。御尊父の事は大変残念に思う。弔問には出向けなかったが、私で力になれることがあれば、何でも言って欲しい」
「お心遣い感謝します。古い友人にそう言って頂けて、父も喜んでいると思いますわ」

 自傷したと聞かされていたが、看護師の話が大げさだったのか。顔色が悪く、精彩に欠けるように見えるが、動作に不自由は感じられない。

「……裁さん、御身体のほうは平気ですの?」
「問題ない。以前と違い、小さいとはいえ組織の長をしている。それなりの立ち居振る舞いを求められるものでね」

 苦笑を浮かべる裁。昔は見せなかった取り繕った表情だ。

「お父様にお送りになった“鍵”の事なのですが――」
「組織内の問題に君を巻き込んでしまい申し訳なく思う。紅劾に送ったのは、組織外の信頼できる人間に、しばらく預かっていて欲しかったからだ」

 入れ違いで父の死を知り、傷で動けない自らに代わり、早急に回収するために人を送ったという。

「――使いの者が手荒な真似をしたのは許してほしい。腕は立つが、社会性は乏しいものでね」
「言って下さればお届けしましたのに……」
「私は、君の御母堂には快く思われていないからな」

 それは事実だ。母は裁達のような客を家に招くのに難色を示し、会うのはもっぱら別荘に限られていた。自傷した理由を話していないことを除けば、一応の筋は通っているようにも思える。

 語られない部分は飲み込み、納得した振りで鍵を返すべきだろうか。父を死に追いやったのがアスキスの師だとして、法的に追求できるとは思えない。犯人が分かっただけでも良しとし、引き下がるべきだろうか。

 違うように思う。父が死ななければならなかった理由は分かっていない。自分の好奇心に巻き込んだ形のアスキスは、傷付き囚われたままだ。問題は何一つ解かれていない。

「これは何の鍵ですの? 私には知る権利が、知らなければならない義務があると思いますけど?」

 整った顔からは、どんな種類の感情も読み取れない。長い沈黙の後、裁は口を開いた。

「場所を変えよう。現物を見たほうが話が早い」

 エレベーターに乗り地下へ向かう。話をしていた部屋も地下だったようだが、エレベーターは止まることなく、さらなる深みへと降り続ける。

 どれだけ降りたのだろう。扉が開くと、目の前には幾つものタンクが並び、その間をパイプやコードが走る、工業施設のような空間が広がっていた。

 裁が設置された端末を操作すると、壁に見えていた一面のシャッターが上がり、ガラス壁が現れる。ジンベエザメでも悠々と泳げるほどの巨大な水槽。満たされているのは水ではないのか、微かに桜色に染まっている。分厚いガラス壁と満たされた液体の向こうに、浮かんでいる何かがぼんやりと見える。

 鳥――か? 左の上体のみの翼持つもの。アスキスが見えると言っていた、無名都市の空に浮かぶものか。揺蕩っているようにも、自ら動いているようにも見えるそれをもっと観察しようと近づくと、裁に肩を掴まれ制止された。

「あまり見ないほうがいい。厳重に取り扱っているが、相性によっては取り込まれることもある」
「これは……いったい何ですの?」
「神とも呼ばれる存在。我々人類の敵だ」
「……神?」
「10年前起きたスペインの大震災を覚えているか? あの災害を引き起こした本当の原因はこれだ」

 子供の頃のニュースだがおぼろげな記憶がある。3万人近い犠牲者を出した大災害だ。地震が少ない土地であったことや、予測が出来なかったことから、巨大隕石の衝突や地震兵器の可能性まで、当時は様々な説が流された。だが多すぎる犠牲者の前に、不謹慎な憶測は封印され、語る事さえ半ば禁忌とされたと覚えている。

「この存在、ハスターの顕現により巻き起こされた悲劇。だが預言に記された神は30柱。まだ続きがある」

 吐き気がする。気分が悪くなってきた。水槽に浮かぶものに中てられたのか、裁の話の内容のせいなのかは分からない。

「これに対処するための情報を、引き出すのに必要な物。それが“鍵”だ」

 にわかには信じがたい話だ。だが、水槽の中に向けられた裁の視線には、病的なまでの執着が込められていた。


 用意された部屋のベッドで横になる。頭を整理しきれない。いったい自分はどうすべきなのか。

 トイレで吐いていたのを心配してか、ものみが掌を舐めてくれる。少し気が楽になり喉をくすぐってあげた。

「優しい子ですわね。貴女はどう思う?」

 聞かれたものみはベッドから飛び降り、落ち着かない様子で部屋を歩き回っている。隣室を気にしているようなのでドアを調べると、鍵は掛かっていなかった。

 裁の書斎だろうか。書架に並ぶ本が見える。灯りのスイッチが見当たらないのでドアを大きく開けると、微かな金属音――鎖の鳴るような音がした。

 机の上に置かれた黒い本。ずいぶん古い物のようだが、奇妙なことに鎖を巻かれ、錠を掛けられている。

「ものみ?」

 仔猫は毛を逆立て殺気立っている。暗い部屋のどこかで、床を這いずるものの気配がした。

        §
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