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怪談竒譚

不在通知

作者: 鵜狩三善

 鍵を回してワンルームのドアを開けると、暗い部屋に女の背中が見えた。


「来てたのか」


 出た声はぶっきらぼうなものだった。即座に反省する。昨日の喧嘩の発端にしても、俺のこの物言いだ。


「悪い。またこんな言い方をした。メールでも謝っただろ? 昨日の喧嘩は俺に非がある。いや、昨日だけじゃないか。俺のこういう、お前の気持ちを考えない口が悪かったんだ。反省してる」


 改めて謝罪を口にするけれど、彼女からの(いら)えは無かった。

 少し考えてから、続ける。


「ただ俺としてはさ、お前が今、こうやって俺の部屋に居るっていうのさ、仲直りをしに来てくれたって事だと思いたいんだ。間違ってるか?」


 やはり返事はない。

 暗闇で震える背中がただ見える。細い啜り泣きだけがただ聞こえる。


「こっち向いてくれよ。そうやって膝抱えて泣いてるだけじゃ分からないよ」


 俺はため息をついて、手荷物を床に置いた。靴を脱ぐ。

 手荷物の内訳はアルコールとアイスクリーム。どちらも彼女の好きな銘柄とメーカーで買い揃えた。食べ物で釣れるとは思わないが、それでも謝意を形にして示そうと考えたわけだ。

 今日会えるとは限らないから、ツマミは用意しなかった。だが何、仲直りが成ったらふたりで買い足しに行けばいいだけだ。


「とにかく電気くらいつけよう。もう真っ暗だ」


 玄関口のスイッチを探って入れる。

 だが点かない。カチ、カチとスイッチ音はするが、電気が灯る事はなかった。


「ん、あれ、蛍光灯切れちまってたか。参ったな、買い置きないぞ」


 独りごちてまた様子を窺う。しかし、やはり無反応。

 色々と詫びの文句を考えてはいたが、上手く出てこなかった。無意識に無頓着に、俺の言葉はここまで彼女を傷つけていたのだと思う。


「な、こっち向いて話そうぜ。こういう事言うの気恥ずかしいけどさ、俺、お前の事やっぱり好きだし。いつもの俺たちに戻りたいよ」


 肩を抱きたかったが、隣へ行くのが躊躇(ためら)われた。拒絶されるのが怖かったのだ。


「もう泣かないでくれ。ちゃんと話をしよう。それから、ふたりで電球を買いに行こう」


 返事はない。

 ただ陰々と、歔欷(きょき)の声だけが床を這う。


「駄目か」


 もう一度ため息をついた。


「まだ怒ってるのか。そうだよな」


 湧き上がりかけた苛立ちを丁寧に殺す。きちんと考えてから、ゆっくりと言葉を選んだ。


「……とりあえず一度灯りだけ買ってくる。お前ももう少し、気持ちの整理をしておいてくれないか。戻ってくる頃には泣き止んでてくれると嬉しい」


 近場のコンビニまで、往復十分。あいつもよく承知の時間のはずだった。玄関側の冷蔵庫にビニールの中の物を放り込み、靴を脱いだばかりの靴をつっかける。


「それじゃ、鍵だけよろしくな」


 彼女が部屋に居る時の癖でそう声をかけて、気がついた。


「……そういえばお前、昨日俺に合鍵投げつけて帰ったよな?」


 もう知らない、二度と来ないからと、渡してあった合鍵は俺に全力投球された。それがぶつかった時の体の痛みよりも、心の痛みの方こそをよく覚えている。

 だがそうであったなら。鍵を持っていないのならば。


「じゃあお前、どうやって部屋に入って──」


 尋ねかけたところで携帯が鳴った。無視しなかったのは、鳴り響く着信音が彼女からのメールを知らせるものだったからだ。

 流石に、むっとするのを抑えられなかった。


「なんだよ。この状態でメールってどういうつもりだよ。俺とはもう口もききたくないって意思表示か?」

 怒気に任せた口調になるが、返って来るのは相変わらずしゃくりあげる声ばかり。


「そうかよ。泣きっぱなしのだんまりかよ。いいさ、分かった。読めばいいんだろ」


 何にせよ相手から送ってきたメールだ。読めば少しは彼女の意図も判るだろう。判ればそこを糸口にもできる。そう思って携帯に目を落とす。件名はなかった。


『駅に着いた。鍵開けて待ってて』


 ──え?


 すすり泣く女の背が、急に見知らぬものに変わった気がした。


「ちょっと待てよ。お前、今、駅ってどういう──待てよ。おかしいだろ。待て待て待て。駅なんだよな。これから俺の部屋に来るところなんだよな」


 彼女は駅なのだ。それは間違いない事実だ。

 だから俺が言葉を重ねるのは無駄だ。ただ認めたくなくて時間稼ぎをしているに過ぎない。

 だってあいつがここに不在なのなら。

 それなら俺の部屋で泣くこれは。

 この女は。


「……やめろ」


 そいつはいつの間にか泣き止んでいた。

 膝を抱えていた腕を解き、ゆっくりと立ち上がる。

 俯いたまま、暗い部屋の中で振り向いた。


「やめろ。こっちに来るな」


 じりじりと下がる俺の背に、退路を阻むドアの感触。後ろ手にノブを探すが見つからない。

 そんな馬鹿な。

 いくら手探りを続けても、しかしのっぺりと冷たく平坦なドアの感触が返るばかりだ。ノブは見つからない。振り向けば一瞬で発見できるのかもしれない。だがそうしたら、束の間とはいえこの女から目を離してしまう事になる。

 暮らし慣れた部屋だ。長く過ごした部屋だ。落ち着いて探ればすぐにドアノブは掴めるはずだ。

 探る。見つからない。

 探る。見つからない。

 探る。見つからない。

 見つからない、見つからない、見つからない。どうして見つからない!?

 そうするうちにも女は、這うような速度でにじり寄って来ている。近づいて来ている。

 冷たい腐臭が、土気色の顔が、黄色く濁った目が、見知らぬ爛れた顔が。


「お前──誰だよ!?」


 すぐそこに迫っていた。

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