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海を見ていた
作:オリオン


   題「こっそり一人で泣く話」


   第一話 海を見ていた…


 山から見下ろされた小さな漁村。
 漁港には、両腕を伸ばした形で堤防が伸びていた。その堤防には、古ぼけた蜜柑箱が一つ置いてある。
 誰が置いたのかは知られていないが、なぜ置いてあるのかは村の誰もが知っていた。
 日が昇り、夜明け前に出港した漁船が、ひと仕事終えて続々と帰港する。

 気が付くと、古ぼけた蜜柑箱の上に一匹の猫が座っていた。
 かなり年をとったその猫の名は、ドン。キジトラ柄の雄猫だ。名前の由来はさだかではない。昔、その辺りの野良猫のボスだったから、とか、いつもド〜ンと構えているからだとか、説は色々だ。ただ、一つ言えることは、体型は名前と合っている。

 ドンは、心地よい潮風を体に感じながら、蜜柑箱の上にいた。
 やがて、漁船のディーゼルエンジンの音が、低く響き渡る。ドンがそちらを向くと、漁師達が敬礼した。
 ドンは、「そんなことをしても何の御利益もないよ」とばかりに大欠伸をする。
 ドンに対する敬礼は、最初は一人の漁師が冗談半分に始めた。そのうち、ドンに敬礼すれば大漁になるとか、海が荒れないなどと噂が広まり、誰もがドンに敬礼するようになっていた。

 魚の水揚げを終えた漁師たちは、ドンの所に集まった。この港の守り神とも言うべきドンにお供えをするためだ。
 ドンの目の前には、脂の乗った新鮮な魚や海老が置かれる。そして、漁師たちはドンを拝んだ。
「だから、俺には御利益なんて無いって!」
ドンが喋れればこう言うだろう。だが、喋れないのだから欠伸でもするしかない。

 やがて、ドンの信者たちが帰ると、ドンのお昼寝タイムが始まる。海鳥の鳴き声を子守歌にして、ドンは眠った。だらしなく間延びしたその顔は、とても気持ち良さそうだった。


 しばらくすると、ドンの蜜柑箱の上に一羽の海猫カモメみたいなやつが飛来した。
 彼は、毎日のようにここへやって来る海猫のニャー助だ。
 このニャー助は、羽を痛めて飛べなくなった時期があった。餌が捕れないニャー助は、ドンへのお供え物を分けてもらって食い繋いでいた。
 今は飛べるようになっているのだが、ドンに受けた恩義を忘れずに…と言うのは嘘で、ただ単に餌をたかり来ていた。

 空から降り立ったニャー助は、ドンの寝顔を伺っていた。
 そして、ドンへのお供えの中で一番おおきな魚を咥える。さらに、それでドンのおつむをピタピタと叩いた。
 ドンは、サッと起きると、ネコパンチをニャー助に放った。
 しかし、既にニャー助は空の上にいた。
羽ばたきをしながら、上空からドンを見下ろすニャー助。
 ドンの目の前で、これみよがしに魚を飲み込む。ドンも昔は睨みが利いていたのだが、今では目ヤニの方が利いているので迫力に欠ける。
 ニャー助は、勝ち誇ったように一声鳴いた。そして、そのまま飛び去った。

 ドンは、ニャー助の姿を名残惜しそうに追っていた。

 実は、ドンはニャー助にかまってもらいたかったのだ。だから、魚を食べずに寝たふりをしていた。
 ドンは、いつもニャー助が帰った後に魚をパクついていた。
 そして、今度こそ本当にお休みの時間だ。

 やがて、夕日が沈む頃。茜色の海をバックに猫のシルエットが起き上がる。
 ドンの一日の終わりだ。彼は、近所のお婆さんの家を寝床にしている。

 次の日、いつものようにドンは古ぼけた蜜柑箱の上に座った。いつものように潮風が心地よく、波音が気持ちを落ち着かせる。今日はよく晴れて、海がキラキラと輝いていた。
 そして、しばらくすると、低音で響くディーゼル音が聞こえてきた。いつものように漁船が帰って来たのだ。
 そして、ドンの前には漁師からのお供えものがいつものように並んだ。
 ただ、いつもと違うのは、ドンがこの時点で目を瞑って寝ていたことだ。

 海鳥の鳴き声が聞こえた。青い空に、飛行機雲が伸びて行く。
 静かな時が、ゆっくり流れた。


 その静寂を破ったのは、海猫のニャー助だ。
 ニャー助は、いつものようにドンのお供え物の中から一番おおきな魚を咥えると、それでドンの頭をピタピタと叩いた。
 しかし、ドンは何の反応も示さなかった。何度もその行動を繰り返すニャー助。しかし、ドンは目を瞑ったままだ。


 やがて、ニャー助はある事実を悟った。
 そして、魚を元の場所に戻すと、悲しげに一声鳴いて飛び去った。
<完>



   第二話 蛍

 それは、真理が母親と一緒に池袋へ買い物に行ったときのことだった。夜の七時頃の帰り道、道路は渋滞していた。
 川越街道を成増に向かってノロノロと進んで行く。
 真理は、助手席から退屈そうに夜景を眺めていた。 

 そんな時、運転席の母親が真理に話しかけた。
「見てごらん真理、蛍がいるよ。珍しいね」
母の指摘を受け、真理は正面を見る。
 すると、車のフロントガラスに一匹の蛍が止まっていた。
 無事に着地したものの、どうしていいのか判らないらしく、妙に落ち着きがない。その姿が、とても愛らしかった。
「こんな所にもいるんだ…」
 しみじみと呟く真理に答えるように、蛍は腹部を光らせた。
「本当に変な蛍ね。オレンジ色に光っているわ?」
 母の声は、真理の耳には届いていなかった。真理は泣いていたのだ。涙が溢れて、蛍のオレンジ色の光がぼやけていた。
「どうしたの真理?」
 母の声に反応を示さない真理。
 彼女の思いは、すでに遠くにあったのだ。

 一年前の康太との思い出の中に…。


 真理と康太が出会ったのは、真理が夏休みに祖父母が住む島に泊まった時のことだった。康太の家が祖父母の家の近所だったのと、康太と真理が同い年だったために、二人はすぐに親しくなった。

「海が綺麗ね」
 康太は、真理を小高い丘の上に連れて行った。
 潮風が心地よく吹き抜けるその場所は、静かで綺麗な海が見渡せ、緑豊かな山々に囲まれた村落が一望できた。
 日の当たる南向きの斜面には、蜜柑の木が栽培されている。
「あそこで蜜柑を作ってる爺さんの長〜い話を聞いてやると、持ち切れないほど蜜柑をくれるんだよね」
 康太が、蜜柑畑を指差しながら教えてくれた。
「そうなんだ」
「ただ、話がとても長いから、時給に直すと蜜柑じゃ割に合わないかもね」
 おどけて話す康太に、真理は笑顔を見せた。
 坊主頭で日に焼けている康太は、その笑顔を見て気を良くし、さらに話を続けた。
「ほら、いま漁港に入ろうとしている白い船が見えるだろ?」
 康太の指差す方を見て、真理は頷いた。
「うん、見えるよ」
「あれは親父の魚船なんだ」
「康太君のお父さんは漁師さんなんだ?」
「ああ、将来は親父みたいな漁師になると決めてる」
 未来を見据えるかのようなしっかりとした眼差しの康太を見て、真理は溜め息をついた。
「いいな、康太君は…。将来やりたいことが決まっていて…。わたしなんか、何をしたいのかさえ分からない…」
 康太は、真理を励ますように言った。
「例え今は迷っていても、求め続けてさえいれば何かが見つかるよ。まだ準備段階なんだぜ。今はさ」
 真理は、康太の言葉が嬉しかった。
「そうだよね」
 気を取り直した真理に、康太は話しかける。
「ところでさ、凄く綺麗なものを真理に見せたいんだけど、今夜でられる?」
「夜じゃないと駄目なの?」
「ああ、ぜったいに昼間は無理。でも、無理にでも見ないと後悔するぜ」
 康太があまりに熱心に誘うので、真理はついて行く気になった。
「じぁ、いいよ」
「なら、今夜九時に家の前に迎えに行く」
「わかった」
 真理は、今夜の冒険がどんなものになるか待ち遠しかった。

 夜になり、祖父母が寝静まった頃、真理はこっそり家から出て来た。
 家の前には、康太が既に待っていた。
「ついてきて」
 いきなり懐中電灯を渡すと、康太は先にたって歩き出した。
 真理は、慌ててついていく。
 二つの小さな明かり以外は、星と月だけの中で、だんだん小道に入って行った。素足に草が当たり始めると、真理は急に不安になってきた。
 康太には好感が持てる。しかし、実際は会ったばかりでよく知らないのだ。それなのに、二人っきりで夜道を歩いている。しかも、だんだん山奥に入って行くようだ。すでに、真理一人では引き返せないくらい遠くに来てしまっていた。
 そんな時、康太が、一本の大木の前で立ち止まった。
「ここだよ」
 目の前の大木を指差して言う。
 真理は、何の変哲もない大木を見上げていた。
「これが綺麗な物…?」
 拍子抜けしている真理に、康太は話しかけた。
「まあ、見てなって。とりあえず、そこら辺に座ろうや」

 二人きりの、静かな時間が流れる。
 夜風が心地よく、星が瞬いていた。
 しばらくすると、真理が何かを発見した。
「あそこ…光ってる…」
 その言葉を合図にしたかのように、大木のあちらこちらが光り始めた。青白い小さな光が、まるでイルミネーションのように輝いていた。
「蛍の光だよ。この木には、何故かたくさんの蛍が集まって来るんだ」
 康太が真理に説明する。
 その美しい光景に見とれながら、真理は呟いた。
「でも、蛍の光の色って、寂しいね」
 真理の言葉に、康太は同意した。
「そうだな、俺が蛍だったらあんな色よりオレンジ色だな! 見てる人の心が暖かくなる蜜柑みたいな色!」
 力強く言い切る康太に、真理は反論した。
「そんな蛍は見たことないよ」
 康太は、それでも言い張った。
「もし俺が生まれ変わったら、オレンジ色に光る蛍に絶対なってやる!」


 その二週間後、康太との楽しい思い出を胸に、真理は島から帰京した。
 そして、その一か月後、康太を不幸が襲った。
 大嵐の夜、父親と一緒に船の様子を見に行った康太が、高波にさらわれて行方不明になったのだ。


 フロントガラスに止まっていた蛍が飛び立った時、真理は過去の思いから戻って来た。
 オレンジ色の光が、東京の夜空を舞う。その蜜柑みたいに暖かい色を目で追いながら、真理は心の中で叫んだ。
「会いに来てくれたんだね康太君…ありがとう」
<完>



   第三話 L H


   狩人

 夜の森を一人で歩く。これは、大人にとってもかなり心細く、怖い事だ。
 ましてや、十才の子供なら、その恐怖は計り知れない。

 カイは、途方に暮れていた。進むべき道を見失ってしまったのだ。もう、八時間も森の中を迷っていた。
「日が暮れぬうちに帰って来るんだぞ!」
 出掛ける前に祖父から忠告を受けたにもかかわらず、カイは森の奥へと入り過ぎていた。
 大きなつぶらな瞳は、三時間も前から潤んでいた。泣かないようにギュッと目を瞑る。しかし、それは逆効果だった。頬を伝わって、ポロリと涙が落ちた。
「うぅぅ」
 悔しいとは思いつつも、涙を堪える事ができなかった。暗闇、森の中、空腹。 既に限界点に達していた。 
 そんな少年に追い打ちをかけるかのように、不気味な声が聞こえて来た。
「誰? 誰?」

 蒼白い月の光が、木々の隙間から差し込んでいた。 
 カイの他には、誰も存在しないように思えた。
 カイは、森の中で叫ぶ。
「誰! 誰かいるの!」
 答えるものはなかった。ただ、蒼い静寂が広がっているだけだ。
 カイは、先ほどの声は気のせいだと思い始めていた。確かに、恐怖と不安からくる幻聴としか思えない。
 カイがそう思ったのも束の間、あの声は再び聞こえて来た。
「誰? 誰?」
 カイは、恐ろしくなって走り出した。
 先の見えない暗い道を、泣き叫びながら走っていた。


 ―誰? 誰? 誰? 誰? ー


「なんだ、夢か…」
 一人の若者が、浅い眠りから覚めた。
 彼は、成長したあの少年、カイだ。カイは、夜の森に一人でいると、必ず子供の頃のあの経験を思い出した。それに、あの時の恐ろしい風景に、今居る場所はそっくりだった。
「俺も修行が足らないな」
 彼は、自嘲気味に笑った。

 蒼く静寂とした世界。大古の森は、眠りについているかのようだった。
 月の光も、あの時の事を思い起こさせる。
 カイは、ビーバーの毛皮で作った帽子を目深に被り、じぃっと何かを待っていた。大木の根元に腹這いになり、身動き一つしない。 
 そして、目と耳に意識を集中させていた。

 ーカサ、カサ、カサ、ー
 落ち葉を踏む微かな音が聞こえて来た。
 カイは、祖父から譲り受けた古いライフルを構えた。なるべく音が立たないように、ゆっくりと撃鉄を起こす。狙いは、細い獣道に定まっていた。肌寒いくらいの気温にもかかわらず、カイは汗をかいていた。
 やがて、落ち葉を踏みしめる音が大きくなる。
 そして、暗闇に光る二つの目が、カイに迫って来ていた。
 カイは、獲物が充分に近付くのを待った。チャンスは一度きり、失敗は許されない。
 二つの光る目の中間に、ライフルの照準を合わせた。
「引金は引くな。絞るんだ」
 カイは、小さな頃から祖父に教え込まれた言葉を、呪文のように呟いた。
 ーガキッー
 撃鉄が落ち、石を叩く。火花が散り、黒色火薬に点火した。
 ーバーンー
 一発の銃声が響き渡った。立ち昇った煙が、まるで薄い膜のように視界を遮っていた。火薬の臭いが鼻につく。
 煙が消え、視界が戻る。  
 そこには、カイには信じがたい光景が待っていた。
「嘘だろ!」
 二つの光る目が、そこにあったのだ。そしてそれは、凄い速さで距離を詰めていた。
 今度は、カイの方が獲物になる番だ。相手は、人間が素手で闘えるような動物ではない。いわゆる猛獣だ。
 カイは立ち上がると、一本のロープをナイフで切った。すると、カイの体が樹上に向かって引き上げられた。カイが上へ向かう代わりに、大きな岩が樹上から降りて来る。
 カイは、あらかじめ岩を枝の上にロープで引き上げておいて、緊急の場合に備えていたのだ。
 一方のロープの端に結ばれた岩が地面に激突すると、もう一方のロープの端に捕まっていたカイは高い枝の上に避難していた。
 樹上の安全な場所から見下ろすと、二匹の猛獣がこちらを見上げていた。夜行性の猛獣の光る目は四つだった。
「くそ!騙された!」
 カイは舌打ちした。
 どうやら、猛獣たちは二匹で並んで一匹に見せていたようだ。つまり、二頭がそれぞれ片目を瞑っていたのだ。カイの発射した弾丸は、目と目の間の急所を撃ち抜くつもりが、二頭の間を通り抜けただけだった。 
 恐ろしいほど頭のいい獣だ。
 カイは、安定した枝に腰掛け、弾の装填を始めた。
 まず、銃口から火薬を入れる。これは、一発分を薄紙に包んである。それを、棒でグッ、グッと銃口から押し込む。次に、鉛玉をやはり棒で銃口から押し込む。
 弾の装填を終えて銃を構えるカイ。しかし、猛獣の姿はそこには無かった。

 月明かりに近い場所で、カイは一晩過ごした。ヤツラが木を登って来る可能性もあるので、良く眠れなかった。カイにとって、久々の最悪の夜だった。


 次の日の朝、大木から下りたカイは、昨夜の猛獣の追跡にかかった。
 森の朝は、とても心地よかった。木漏れ日が、朝靄に反射して光のカーテンを作っている。小鳥達のさえずりと樹木の湿った薫りに、カイの心は癒された。

 猛獣が通った痕跡は、森の奥へと続いていた。
 足跡、金色に輝く体毛、踏み分けられた草。ヤツを見失うことなく追跡する。 
 
 二頭は並んで同じ方向に向かっていた。

「やはり、あそこに行くのか…」

 カイは、水の流れる音を聞いていた。音のする方向は、明るい光りが差し込んでいた。
 そこは、森が途切れているのだ。カイは、明かりに誘われるように進んだ。

 ゴゥゴゥと、水の音が大きくなって行く。森の先には、大きな川が流れていた。

「やはり、ここを渡ったか…」
 猛獣達は、川を渡っていた。そうすれば、自分達の痕跡を消す事ができる。

 川は広く、深い。しかも、まるで罠でも仕掛けてあるかのように流れが急な場所がある。人間が泳いで渡る事は難しい。

 遠い対岸の美しい風景。森の緑が目に鮮やかだ。
カイは、その風景の中に、黄金色の美しい獣を見た。
「カーン」
 カイが、ひとこと呟いた。

 その美しい獣は、森ライオンと呼ばれるものだった。
 遥か遠くの赤道付近の大陸には、大きな猫科の猛獣が住んでいて、その動物がライオンと呼ばれている。森ライオンは、色や姿が似ているためにこう呼ばれていた。ただ、本当のライオンは雄にタテガミが生えるが、森ライオンは雄も雌も生えない。体格も一回り小さい。体毛以外なら豹の方が近かった。

 カイは、森ライオンに銃口を向けた。

 しかし、森ライオンは動じない。むしろ、トパーズ色の瞳を綻ばせて笑ったように思えた。射程距離外だと知っているのだ。

 その猛獣の名はカーン。ヤツは、カイを無視するかのようにのんびりと森の奥へ消えた。


   親友と恋人

 鉄道は、人類の移動距離を飛躍的に伸ばし、物資の流通の恩恵をもたらした。
 ここ、エルクノーズ駅が出来たのは三ヶ月前。
 それ以来、町は大きく発展した。

 しかし、良い事ばかりではない。町ができ、人が増えれば、森が消え、家が建つ。動物は棲みかを追われ、トラブルが起きる。

 森ライオンが人や家畜を襲うのも、起こるべくして起きているのだ。

 さて、エルクノーズの町には、大きな雑貨屋があった。当時の雑貨屋は、何でも商った。薬、家財道具、武器、衣料品、食料品などだ。当然、そこには毛皮も含まれる。

「カーンのヤツに出くわしたんだって?」
 雑貨屋の店主は、冴えない顔をしたカイに話しかけた。
 カイは、ビーバーの毛皮を陳列棚の上に荒々しく乗せた。店主の話題に対応したくないらしい。
「ビーバーの毛皮12枚! 確認してくれ!」
 無愛想なカイの態度を気にもとめず、店主は話しかけた。
「カーンのヤツもついに千ドルの懸賞金が付いたぜ! エルクノーズの畜産組合が出すそうだ。あの畜生もついに列車強盗犯なみの賞金首になった訳だ!」
 カイは、ニコリともせずに答えた。
「そいつはめでたいね。ヤツにお祝いでも送るか」
 店主は、すかさず後を受けた。
「鉛玉のプレゼントだろ?  ご贈答用に良いのが入ったんだ」
 どうやら、店主は世間話から商談に切り替えるつもりらしい。後ろの棚に飾ってあった鉄砲を持ち出して、カイの目の前に差し出した。
「最新式のライフルだぜ!  台座はクルミ材で照準も見やすい。三十口径の後装式。これがたったの七百ドルだ」
 カイは、黒光りする真新しい鉄砲を眺めていた。そして一言で答えを出した。
「高すぎる」
 客がそっけない態度でも、雑貨屋の店主は食い下がる。
「特別にカーンを仕留めてからの後払いでもいいぜ!    店と銃の宣伝になるからさ!」
 カイは、それには自分が背負っている古い鉄砲を叩く事で答えた。『こいつで充分』こう言いたかったのだろう。
 カイは、まだ何か言いたげな店主に背を向けて、足早に店を出た。

 雑貨店を後にしたカイは、友人のアルを訪ねた。アルとは子供時代からの付き合いで親友と言えた。

 アルの家は、エルクノーズの町からかなり離れた場所に在った。馬でたっぷり五時間は走る。
 頂きに万年雪を乗せた山々を右手に見ながら、カイは馬車を進ませた。
 少し埃っぽい田舎道を登って行くと、目指す場所は、丘の上にあった。

 丘の上からの景色は、開けていた。アルの家は、草原の真ん中にぽつんと建っていた。
 煙突から、煙がゆっくりと立ち上る。どうやら、留守ではないらしい。カイは、馬車を進ませた。

「おい! アル!」
 カイは、家の外に出てきたアルに呼び掛けた。
「カイ! 久しぶりだな」
 アルも大声で答えた。
 アルは、声の大きさに比例して、体の大きな男だ。髭が顔半分を覆い、いかにも山男といった風情だ。年齢は、どう見ても四十代だった。しかし、実際は、カイと同じ二十七だ。

「カイ、聞いたぞ。カーンに食われそうになったんだって?」
 馬車で近付いて来たカイに、アルは心配そうに尋ねた。
 カイは、いかにも「心外!」と言った表情でそれに答えた。
「そんなデマを流したのは誰だ?」
 アルは、慌てて返事をした。
「なんだ、嘘なのか?」
 カイは、お人好しのアルをからかうのが大好きだった。アルは子供の頃から変わらないヤツだ。
「ああ、食われそうになったのは嘘だ。本当は食われたんだ。足の先から頭までな。ここに居る俺は幽霊だよ!」
 アルは、カイを馬車から抱き降ろした。
「こいつ! 幽霊が偉そうに馬車なんか乗ってんじゃね〜ぞ!」
 アルは、カイと抱擁を交してから付け加えた。
「何にしても、無事で良かった」
 アルの一言は、身よりの無いカイの胸には響いた。
「ありがとう、アル」

 薪が、石造りの暖炉の中で赤々と燃える。
 アル家の食卓は、客人をもてなすためにいつもよりも賑わっていた。

「おい! シンディー! 何してんだ。お前がいないとカイが寂しがるだろ」
 アルが、大声で叫んだ。
「おい、おい、寂しがって無いよ!」
 カイは、慌てて否定した。先ほどとは逆で、今度はカイの方がアルにからかわれた。

 その時、二人の会話に割って入ったのは、女性の声だった。
「兄さん声が大きいよ。狭い家なんだから小さな声でもちゃんと聞こえる」
 パイが乗った大皿を両手で抱えて現れたのは、アルの妹のシンディだ。
 彼女は、赤毛のお下げ髪の小柄な少女だった。鼻の辺りのソバカスが、本人の背丈を抜きにしても、彼女の印象を幼くしていた。

 シンディは大きなパイをテーブルの真ん中に置いた。
 こんがり焼けたパイは、食欲をそそる匂いがしていた。パイを切り分けようとしていたシンディに、アルは話しかけた。
「広い家に住みたいか?」
 いつもと違う兄の真面目な問掛けに、シンディは戸惑った。
「なに、兄さん。私の言った事を気にしてんの?」
 アルは、妹の問掛けにすぐに答えなかった。少し間を空けてから、意を決したように口を開いた。
「別にそう言う訳じゃないが、周りがどんどん豊かになっていくと、自分だけ取り残されている気になっていくんだ。特に鉄道が通ってからは、遠くまで作物を運べるようになって、何処の農家も増産してる。俺みたいに土地を借りての小作農では、食べるだけで精一杯だ。だから、土地を買う事に決めた!」
 兄の発言は、シンディにとっては意外だった。なぜなら、そのプランを実現させるための大切なものが欠けていたからだ。
「兄さん、土地を買うにはお金が必要よ」
 アルは、妹の当然の疑問に答えを用意していた。
「もちろん、それは考えてある。土地を買う資金は、カーンを仕留めてその賞金を貰う」
 アルの告白は、シンディに衝撃を与えた。
 今まで、森ライオンのカーンを狙って何人の狩人が倒れたことか!しかも、アルは根っからの農民で、鴨くらいしか撃ったことがない。
「兄さん、馬鹿な事はやめてよ!」
 妹の忠告に、アルは耳を貸さない。
「兄さんに向かって馬鹿とはなんだ! これでも寝ないで考えた結果だぞ!」
 アルは、テーブルを叩いて抗議するが、シンディも引き下がらない。
「寝ないで考えるから、ろくな事が浮かばないのよ!  カーンは、カイでさえも仕留めるのが難しい相手なのよ! 兄さんが敵うはずがないでしょう」
 アルは、髭面をニヤリとさせた。
「カイには悪いが、秘策があるんだ」

 今まで二人の会話を黙って聞いていたカイは、ここで口をはさんだ。
「なんだいアル?その秘策ってやつは?」
 カイが興味を示したことに気を良くしたのか? アルは上機嫌で答えた。
「カーンが家畜を襲う場所にはパターンがあるんだ。俺はそれを分析した。だから、次にヤツが襲う牧場を知ることができる。つまり、カーンを待ち伏せして仕留めるのさ」
 アルの説明を聞いたカイは、黙ってしまった。だが内心は、アルの考えに呆れていた。狩猟は素人のアルが、カーンの行動パターンを読める筈がない。

「なんだよカイ! 俺の作戦に何か問題があるのか?」
 アルの問いかけに、カイは渋々答えた。
「問題は…アルが一人でカーンを仕留められるのかな? って事」
 カイの言葉に、アルとシンディは沈黙してしまった。
 二人は、てっきりカイが協力してくれるものと思っていたのだ。
「どうして! カイ! 兄さんはあなたの親友でしょ?」
 カイは、申し訳なさそうに少しうつむいた。
「すまない、アル、シンディ。実は、祖父の教えなんだ。『森の中だけで狩りをしろ。決して人間のテリトリーで動物を殺すな』この事をきつく言われた」

 食卓の雰囲気は、途端に暗いものになった。
 だが、アルは気を取り直したように喋りだした。
「カイ! お前の助けなんぞいるものか! まあ、アドバイスしたいなら聞いてやらない事もないがな」
 陽気に喋るアルのお陰で、その場の雰囲気は明るくなった。
「しょうがない! ど素人のお前に狩りのイロハを教えてやるか」

 笑顔で語り合うカイとアルの横で、シンディは作り笑いしかできなかった。


   月下の悲劇


 それは、静かな夜だった。見渡す限りの草原に、月がぽっかり浮かんでいた。

 アルは、草むらの中でヤツが現れるのをじっと待っていた。事前の調査で、ヤツがこの牧場を襲う事は確かだった。
 だが、いつ来るのかは正確には把握していない。
「今日も無駄だったか」
 溜め息まじりにアルが呟いたその時だ。
 遠くの岩の上に、二つの影が動いた。

 影は、やがてはっきりと形を成した。その姿は、間違いなく森ライオンだ。

「いよいよか」
 アルは、ライフルの撃鉄を起こした。
 二頭の森ライオンは、ぴったり寄り添って歩いていた。

 アルは、思わず苦笑した。何故なら、その二頭は一頭だけだと思わせるために、それぞれが片目を閉じていた。四つあるはずの光る目が、二つしかないのだ。  アルは、この手口を既にカイから教わっていた。それに、この月明かりだ。二頭の間抜けな様子はすっかり照らし出されていた。
「頭が良いと言ったところで、所詮は獣だな」
 アルは、正面から進んで来る二頭の獣に狙いを付けた。森ライオンは、意外なほどのんびりとしていた。

 カーンに掛けられた賞金はいただいたも同然と考えていたアル。しかし、ある疑問が浮かんで来た。
 カーンのヤツは並外れて体がでかい筈だ。だが、眼の前の二頭は、ほとんど同じ大きさだった。
 その時だ。アルのすぐ後ろで、低い獣の唸り声がした。
 グルルルッ
 それは、地響きの音にも似ていた。
 アルの背筋に冷たいものが走った。

「すまない、シンディ!」
 それが、アルの最後の言葉だった。

 冷たい風が、草原を吹き抜ける。どんよりとした雲が低く立ち込め、葬儀の参列者の気持ちを代弁していた。

 勇敢な男、アルは死んだのだ。畑を耕し、家族を守った男は、土に還った。

 埋葬を無事に済ませたシンディは、一人になると悲しみがこみあげて来た。テーブルの上につっぷし、声を震わせて泣いていた。

 カイが到着したのは、ちょうどその時だった。森でカーンを追っていた彼は、親友の訃報を知らなかったのだ。

「シンディ」
 ためらいがちに声をかけるカイ。
 シンディは、その声で泣き止むと、顔を上げた。泣きはらした目が痛々しい。
「何しに來たの! よくこの家の敷居が跨げたわね!  貴方さえ兄の側に居てくれたら、死なずにすんだものを! 兄を殺したのは貴方よ! 親友だったのに」
 シンディから噴き出す怒りの言葉は、カイの胸に突き刺さった。何も言う事ができず、ただ用件だけを口にする。
「アルの部屋を見せてもらってもいいかな?」
 シンディは、無言で頷いた。
 カイは、アルの部屋を探って知りたい事があった。  それは、次にカーンが現れる牧場だ。
 カイは、祖父から教わった森の掟を捨て、牧場でカーンと対決するつもりだった。それは、カイが狩人を辞める事を意味していた。

 アルは、驚くほど念入りにカーンのことを調べていた。ノートにびっしりと書かれた文字が、彼がどれ程カーンの賞金が欲しかったかを物語っていた。それはつまり、シンディとの新しい生活に繋がる。
「何であいつの言葉を真剣に受け止めなかったのだろう?」
 資料に記されたアルの文字が、曇って見えなくなっていった。

 暫くして、カイがアルの部屋から出て来た。
 シンディは、椅子に座ったまま放心状態だった。
 カイは、心配そうな眼差しをシンディに送った。そして、話かける。
「シンディ、俺のことは恨んでくれていい。ただ、アルのためにも強く生きて欲しい」
 シンディは、何の反応も示さなかった。
 仕方なく、カイは小屋を後にした。
 カイは、その足でアルが殺害された現場に向かった。
 現場には、三頭の森ライオンの足跡があった。
 二頭は、並んでアルに近付いていた。こちらは囮だ。
 そしてもう一頭の足跡は、アルの真後ろから近付いている。この足跡は、他の二頭の足跡より遥かに大きい。
 間違いなくカーンの物だ。
 カイは、暫くその場で考えていた…。

 現場検証を終えたカイは、アルの墓に向かった。
 そこでカイを待ち受けていたのは、シンディだった。
 シンディは、いきなりカイに抱きついて来た。
震える彼女をカイは抱き締めた。暖かさと柔らかさが胸に伝わった。
「兄さんがいなくなって、その上カイまでいなくなったら、私は本当に独りぼっち! お願い、行かないで! もう、あんな悲しい思いは嫌!」
 カイは、彼女の耳に囁いた。
「昔、まだ俺が小さかった頃、夜の森で道に迷った事が有る。その上、周りに誰もいないのに、『誰? 誰?』と問いかけて来るんだ。その時は、心細くてとて恐かった。シンディ、君にはそんな思いはさせない!  俺は必ず生きて帰る! カーンも仕留める!そして、君を幸せにする!」
 力強いカイの言葉に、シンディは少し安心したようだ。顔を上げると、カイに質問した。
「夜の森で貴方に『誰? 誰?』と問いかけて来た者の正体は判ったの?」
 カイは、シンディに微笑みかけながら答えた。
WhoフゥーWhoフゥー実は、梟の鳴き声だったのさ」

 カイの言葉に、シンディは久しぶりに笑顔を取り戻した。


 満月だった。

 カーンは牧場を襲うために、二頭の仲間と共に森の奥から人里に出て来た。

 カーンがもっと若い頃、彼の世界は平和だった。人と獣が調和していた。お互いがお互いを尊重していたのだ。

 それが崩れたのは、白い人間が来てからだ。白い人は、森を切り開き町を造った。音と光りを出す道具で次々とカーンの仲間や獲物を殺して行った。
 先に住んでいた人々も住みかを追われた。

 カーンは、白い人に復讐を誓った。白い侵略者を追い出して、元の平和を取り戻すために、白い人と白い人が連れて来た家畜を殺し続けるのだ。

 そして今日も、間抜けな白い人の匂いがした。
 カーンは、二頭の仲間を囮に使い、自分は大きく回りこんで、白い人の背後に出るつもりだった。

 カーンは、体を低くして進んだ。時々、風の匂いをかいで相手の位置を確かめる。

 ところが、獲物が近くなった所で、白い人の匂いが消えた。カーンは、変に思いながらも先に進んでみた。

 匂いがしていた辺りには何も無かった。
 ただ、近くに家畜の糞が積み上げられているだけだった。
「カーン、さよならだ」
 その言葉が、カーンが聞いた最後の言葉になった。
 家畜の糞の山から発射された弾丸が、カーンの頭を撃ち抜いたのだ。
 森ライオンの巨体がゆっくりと倒れた。

 カーンの仲間の二頭が駆け付けたが、突然のボスの死と敵の位置が判らないために混乱した。
 結局、スゴスゴと森へと帰って行った。

 辺りが静かになると、糞の山からカイが出て来た。
 カーンに近付くと、その死を確かめる。
 弾丸は、目の少し上に命中していた。その穴に、人指し指がすっぽり入った。

 カイは、その場であお向けに寝た。もう二度と狩りをすることは無いだろう。そう思うと、何だか寂しくもある。

 目の前には、真ん丸の月が在った。

   完


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