二人三脚
来生さんからの仕事の申し出があった翌日の朝。
日課であるコタローの散歩をしながら、さてどうやって仕事を振り分けようか思案する。
彼女の事だから、任せた仕事は責任をもってこなしてくれる。これまでの経緯からそんな誠実感は伝わっている。
今、必要な事と言えば、個別の取引先への見積もりなどの書類をメインに、近々行われる報道機関向けのプレゼンの資料をもう少し作りこみたい。
そう思ったところでふと、以前、彼女がパソコンに向かっている姿が脳裏に浮かんだ。
あれは・・・何かの図表データ、だったかな?
プログラムソース?
確か、部長が渡してた資料を見てたな。
重ねた画面を見比べながらレイアウトを見て何やら難しい顔をしながらもリズミカルに打ち込みをしていた。
見ていた資料は・・・・・・
あ・・・っ!
そうかっ!
「おはようございます」
コタローの散歩を早々に切り上げていつもより早めに出勤したはずだったけれど、事務所にはすでに数人の姿があった。
その中に、来生さんの姿を見つけると早足で自分のデスクに向かう。
「来生さん、おはようございます」
「おはようございます、水瀬主任」
定位置となった俺のデスクの左隣では、来生さんが自分用のパソコンを立ち上げて準備をしているところだった。
「来生さん、早速ですが昨日の件で少し確認してもいいですか?」
「はい。何でしょう?」
「あの、来生さんはスライドショーを作った事ありますか?」
「あ、はい。プロジェクトファイルのようなものですよね。あまり難しくないのであれば」
「もちろん基本的なもので大丈夫です。俺が今進めているモノの作成を手伝ってもらいたいんです」
「え?それってプレゼンの資料・・・ですか?」
「はい。ちょっと納得のいかないところがいくつかあって・・・今、俺のも立ち上げますからちょっと待っててください」
「はい。私、メールチェックしていますね」
「お願いします」
そう言うなり、立ち上がったばかりのパソコンを早速操作を始める彼女。
結構パソコン自体にも慣れているようで、手際よくチェックをしている姿を見ると頼もしく感じる。
「主任。堀内商会の芝崎様より、見積書を予定より早めに届けてほしいとのメールが入っています。
今日なら午後には『現場』の方にいるので、そちらに来てほしいとの事ですが・・」
「大丈夫です。芝崎社長のところはちょうど今日の午後イチに行く予定だったので、午後1時過ぎにお伺いしますと返事をしておいていただけますか?」
「了解しました」
まるで重役と秘書のようなやり取りに初めのうちは俺自身が戸惑っていた。
だけど、彼女のこのメールチェックのお陰でアポイントのダブルチェックができている事になり、明確なスケジュール管理ができるようになった。
「送信完了しました」
「ありがとうございます。それじゃあ、このデータを見てもらっていいですか?」
「はい」
彼女にも見やすいようにパソコンの向きを傾けると、彼女も見やすいようにと姿勢を正す。
まずは昨日まで俺が手掛けていたデータのスライドを流して見てもらう。
大体は出来あがっているとは思っているし、人によっては『こんなもん』だと言うだろう。
だけど、何が悪いのかほんの僅かに引っかかるところがあって、気になってしまう。
それ以外にも自分の中でなんとなく及第点をつけられず、けれど悪いと思われる原因が見つからず悩んでいた。
「そうですね・・・。大体はいいと思います、・・・けど」
どうやら、来生さんも思い当たったみたいだ。
口元に指をあてて考え込んでいたかと思うと、何か言いたげに俺の顔を見た。
「どうぞ言ってみてください。気になるところはどんどん指摘してほしいんで」
「じゃあえっと、その・・・・」
ちらっと俺のパソコンを見るや否や、再び何やら考え込む。
「主任、あの、申し上げにくいという訳ではないんですが、何というか、うまく説明ができないんですが・・・」
戸惑いながらも意を決したのか、画面から目を離し、面と向かって自分の考えを告げる。
「あの、もし差し支えなければ、主任のパソコンって触らせてもらってもいいですか?口頭ではうまく説明できないので・・・」
「え?ええ、もちろん。どうぞ、お願いします」
「それじゃ・・・失礼します」
彼女の言葉に少し戸惑ったが、これも仕事だと自分に言い聞かせて彼女の方にパソコンを向かせると、躊躇いがちに両手を伸ばして俺のパソコンを操作する。
きっと彼女としても『派遣』であり『他社委託』である自分に、『派遣先』の大事なデータを管理しているパソコンに触れる事は遠慮したいと思ったのだろう。
確かに俺の管理しているパソコンのデータを外部に流出されてしまうのは会社にとっても多大なる損失になる。
この場に常務がいれば俺自身もきっと躊躇しただろうが、幸いなことに今はいない。彼女を信頼したいと思ったんだ。
そして、それは思いも寄らない結果を生んだ。
「えっ?」
彼女の手の動きの速さに、思わず驚きの声がこぼれる。
タカタカと小気味よく指が動いたかと思うと、ものの数分でその綺麗な流れは止まった。
「えっと、このような感じですと、このあとの流れがスムーズになるかと・・・・・・」
映し出されたページの動きを再生させて確認をすると、確かに見やすい。
それは、俺が作り求めていたイメージにぐんと近いものになった。いや、もしかするとそれ以上かもしれない。
「あ、なるほど!確かに俺が作ったのより格段に見やすいし動きもいい。
素晴らしいですね、来生さん。プロの方に頼んだみたいだ」
率直な感想を伝えると、彼女の顔がみるみる赤くなる。
パソコンに向かっていた勇姿はどこへやら、次第にうつむいて両手を頬に置いて赤くなった顔を隠していた。
あ・・・あれ?意外だな。
褒められることに慣れていないんだろうか。
でも、褒められたことが嫌という訳ではなさそうな気もするので、褒めて伸ばす戦法は使えると感じた。
自分でも手を伸ばして、再度動作確認してみるけれど、全く持って申し分ない。
「うん。すごくいいじゃないですか、これ。よし、これで行きましょう!
あと、実はまだ編集途中の続きもあるんですけど、それもお願いしてもいいですか?」
「え?こんな感じでいいんですか?」
「もちろんです!是非こんな感じで。
あとはもう俺に遠慮しなくていいので、どんどん来生さんのセンスで進めてみてください。わからない点などあれば、その都度聞いていただければ全部答えますので。
その間に俺、芝崎社長の所に持っていく資料の再確認と、今後のアポ取りとかします」
「わ、わかりました。最善を尽くします」
俺の言葉に、耳まで赤く染めながらも返事を返し、続きの制作を承諾してくれる。
うん。彼女の腕なら大丈夫だ。
今まで何度も自分で手掛けてきたこのテの作業。
これまでは自分の制作である程度満足は出来ていた。
だけど、彼女のプロ並みの腕前を見た以上、それは自己満足の稚拙なものだと思い知らされた。
俺の中に彼女の技術力の確証と大きな信頼が生まれると、次の行動が決まった。
自分用のノートパソコンのコードを伸ばして彼女のデスクに置き、彼女のパソコンと交換する。
基本、会社管理のパソコンなので、画面ロックが発生した時に自己管理パスワードを入力すれば、中身はほぼ誰でも使えるものなのだ。
ただ、自分の中ではやりかけの仕事を彼女に押し付けてしまい気が咎めてしまうところはあるのだけれど、彼女は気にした素振りもなく、自分の机に来た俺のパソコンに向きだすと再びタカタカとリズミカルな音を鳴らし始めた。
それにしても、こんなスキルがあるとは驚きだった。
よくわからないけれど、プログラムファイルや映像編集などの仕事みたいな事をしたことがあるかのような感性の良さ。そして、パソコンに関しては確実に俺以上のスキルはある。
その反面、俺より年上と聞いていたのもあって、ある程度の褒め言葉は大人の余裕でスマートに受け流せるのかと勝手に思い込んでいたのだけど、こんなにも真に受けやすいとは思わなかった。彼女はよく聞く『騙されやすいタイプ』なのかもしれない。
こんなところが山手さんにはツボになっていたのかもと思うと、ここ最近の山手さんの悪戯も納得した。
いや、しちゃいけないんだろうけど・・・
正直、そんなちょっかいが出せる山手さんが羨ましいとも思う。
そして昼休みまで残り30分、といったところで来生さんに任せた仕事はほぼ完成を果たし、あとは部長にチェックしてもらうまでになった。
この仕上がりは申し分なく、部長のチェックも難なくクリアできると思う。俺一人じゃこの短時間でこの完成度は無理だったと思うと、もう少し早く彼女のスキルを理解してあげられれば俺だけでなく彼女にとっても良かったと素直に反省した。
細かい動作の不具合も丁寧にチェックして、完全にスムーズに動くようになったスライドショーに、素直に感動してしまった。元が自分が制作していたものとは思えない程だ。それに、なんだかパソコンに向かっている彼女の姿、生き生きしてた気がしたんだ。
俺もまだまだ『上』には向いてないなぁ。
「こんな凄いスライドショーなら報道機関に向けても問題ないですし、全く恥ずかしくないです。ありがとうございます」
「いえいえいえいえ!しゅ、主任のベースがしっかりしていたお陰ですから!私は何も・・・っ!」
「そんな謙遜しなくても。来生さんの腕がなければ俺一人じゃ本当に最初のままでしたから。正直助かりました。また、よろしく願いしますね」
謙遜する来生さんに素直にお礼を言うと、また謙遜するかと思いきや、一瞬言葉を詰まらせながらも俺の顔を見て微笑んだ。
「私でお役に立つのであれば、喜んで」
ありがとうございます。と返ってお礼を言われてしまう。
その微笑みに、思わずドキッとした。
今まで何度か見た笑顔とはまた違う、満面に喜色を湛えた表情。
ひと仕事終わったからなのか、仕事を認められたからなのか。とても嬉しそうに、だけど、前面には出さず、控えめにだけど。あまり気にしたことはなかったけれど、『奥ゆかしい女性』というのは彼女のような人を言うのだろうかと思う。
奥ゆかしい女性が周囲にいなかったから正解かどうかはわからないけれど・・・。
そんな彼女の微笑みが、俺の中にある『来生優依』という存在にわずかな色を付けていった。
しかし、事務所でのデスク仕事ばかりが俺たちの仕事ではない。外に出て、顧客の対応に直接赴くことが俺たち営業の本来の仕事である。
午後からは堀内商会の社長に新商品の資料を届けるべく、来生さんを連れて外回りに出た。
芝崎社長はいつもは事務所か隣接している自宅にいるのだが、この日は近所の現場に向かったと聞いた。早めにほしいと催促をもらっている資料で、こちらとしてもただ渡すだけではなく、きちんと説明もしたいのもあり、現場に向かうまではよかったんだ。
堀内商会の現場は山の中の谷あいにあり、会社から3つほどの山を抜けた先にある。来生さんを連れて行くのは初めてだ。
作業内容が自動車等の解体作業という事もあり、騒音で問題にならないよう幹線道沿いでありながらも近隣に民家がないような山の中であえて現場を構えたという。道を進むにつれて、金切り声のような音が聞こえだすといよいよ近づいて来たなと思う。最後の坂道を下ると現場が見えてきた。
「もうじき着きますよ」と声をかけながらふと横目で彼女を見た時にその異変に気付いた。
午前中の生き生きとした姿は影を潜め、資料を入れたビジネスバッグをぎゅっと抱いて、どこか小刻みに震えているような、なんだかひとまわり小さく見えたのだ。
それは、どこか外の情報を取り入れないようにしているようにも見える。
金属のこすれ合う大きな音が苦手なのか、車がつぶれていく様子が苦手なのか、はたまた単に山道に酔ったのか・・・。
現場に到着しても、俺が彼女を見ている事にも気付かず、膝に置いていたカバンを強くぎゅっと抱きしめていた。
到着すると同時に金属の潰れる音やガラスがひび割れるような音が車にまで響くと、彼女の顔色は明らかに青白くなった。
「・・・来生さん、大丈夫ですか?山道に酔いましたかね・・・?」
様子を見てあげたくなり、思わず手を伸ばしかけて、ぐっと自制する。
セクハラ問題になるからと、男性社員から女性社員には触れちゃいけないんだった。
「ここは俺だけで大丈夫なので、来生さんは車で待っていてくださいね」
「・・・・・・え?あ、ありがとうございます・・・・・・」
そう伝えると、一瞬顔を上げた彼女の手元から必要な資料だけをスッと抜いて車から降りる。
彼女はその後も外を見ることもなく、ひたすら俯いてカバンを抱きしめ続けていた。
彼女の具合も気になった事もあり、堀内商会への営業は早々に切り上げて現場を後にしたのだが、その後もしばらく来生さんは小さくなったままだったので、3キロほど離れた所にある緑地公園の駐車場に車を停めて、軽く断りを入れて車から降りた。
青い自動販売機の前まで来て、彼女の好みを知らない自分を思い知った。
だけど、すぐに俺の手は一つのボタンを押していた。
「来生さん、一息入れませんか?」
当たり障りのない言葉で声をかけると、ようやく彼女の顔が上がる。
「あ・・・すみません!私・・・」
「いいんですよ。午前中ものすごく頑張ってくれましたし。はい、コーヒー飲みます?」
そう言って、半ば強引に彼女の手に缶を持たせる。
「あ、ありがとうございます・・・」
唖然とした顔で手に持たせた缶を見ていたけれど、どことなく顔がほころんだよう見えた。
選んだのは以前、山手さんと俺に差し入れてくれたのと同じ銘柄の缶コーヒー。
思い返せば、あの時も同じような小さく震える彼女を見たんだ。
あれは確か、常務が突然来た時だった。あれはすぐに回復したけれど、大きな音とか怒鳴り声とか・・・アノ人自体が苦手だったんだろう。まぁ、派遣の女性だけでなく苦手な人は多いだろうけど。
だけど、彼女は俺が渡した缶をじっと見つめて何やら考えこみ、開けようとしない。
・・・あれ?もしかして・・・
「あ、来生さん・・・、すみません。コーヒーよりお茶とかの方がよかったですか?」
これが車酔いだったら胃に負担をかけやすいコーヒーじゃダメだろう。
なんで気付かなかったんだよ、俺!
「い、いえ!そうじゃなくて、大丈夫です!」
「遠慮しなくていいです。俺、やっぱりお茶買ってきますから、それ飲まないでくださいね!」
「そ、そんな・・・!いいですって」
彼女の制止する言葉を受け付けず、俺はもう一度車から降りて自販機にコインを入れた。
「水瀬主任、いいですって!」
一歩遅く降りてまで止めに来た彼女に気付いたけれど、俺はボタンを押した。
「あ・・・!」
「・・・買っちゃいました。コーヒーは俺が飲むので、来生さんはこれね」
そう言って、彼女の手元からコーヒーを引き抜いてお茶の缶を渡す。
茶色い缶を見て、彼女が少しだけ意外そうな顔をした。
「え・・・ほうじ茶、ですか?」
「はい。苦手、ですか?」
「いえ。・・・ほうじ茶、好きです。ありがとうございます」
そう言って、まだ青白い顔で微笑む彼女に少し救われる。
父の介護で、緑茶よりほうじ茶の方が体への負担が少ないと聞いていたのがここで役だったなと思う反面、初めから気づけよと自分にツッコむ。
「せっかく車の外に出たんですから、少し散歩でもします?この公園、この先に展望台があるんですよ」
「・・・はい」
少し気分転換をしようと声をかけると、同意してくれる彼女の歩幅に合わせてゆっくり展望台に向かう。会話らしい会話はないけれど、なんとなくこの雰囲気も悪くない。
向かった先の展望台は山の中腹の崖沿いにあり、少し遠くまで見渡せた。
山と山との間の先に本来見えるであろう景色を想像していたが、今日は少しかすんでいて、思っていた景色はみれなかったけれど、それでも穂積川や平野に広がる田園風景は見えた。
「結構高いところだったんですね・・・。あ、川が見えます」
「穂積川ですね。天気がいい冬の日だと、空気が澄んで海まで見えますよ」
「へぇ。そうなんですね・・・」
展望台から数歩下がったところのベンチに腰を下ろし、コーヒーを開ける。
俺自身、ここから海を見た事は数回しかないけれど、綺麗見える時は圧巻だった。彼女が見たらどう思うだろうか・・・。
柵から身を乗り出すように見ていた彼女も、景色を堪能したのか俺の隣に腰を下ろし、お茶の缶を開けると一口、口をつけてゆっくり息を吐いた。
「冬に、またここに来たいですね」
道、覚えなきゃ。と微笑みながらもう一口、缶に口をつける彼女にどことなくホッとする自分がいた。
「また、俺が連れてきます。ココ、ほどほどに距離のある絶好の俺のさぼり場所なんで、会社にはナイショですよ」
特に深い意味もなくそう伝えると、くすっと笑って「お願いしますね」と言ってくれる。
その笑顔にやっぱり心が落ち着く。
パートナーをつけると言われたときは、正直不安しかなかった。
けれども、今改めて思うと、パートナーがいてよかったと思う。
彼女とならきっと、この先もうまくいきそうだ。
その後、少し陽が傾くまで俺たちはそこで景色を堪能したのだった。