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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【回顧録・水瀬編】
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懐かしい声





山手さんと中岡さんに促され、その場しのぎの返事をしたものの、いざ来生さんに指示を出すとしたらと想定して、これといった指示の言葉が上手く出てこない自分にイラつきを覚える。


あまり上からものを言いたくはない。

だからと言って下手に出るのはまた違う気がする。

営業先で相手の心情を捕える話法と違い、相手は部下だ。

しかも直属の後輩などではなく、派遣された外部社員というのもネックでもある。

顎で人を使う、アノ人のようなやり方を見習うつもりはない。

かと言って柿本課長のようにスマートに部下に指示を出すにしても、俺がやるのとはまた違う。


・・・人を使うって、難しいなぁ・・・


そんな思いを交錯させながら、玄関のドアを開ける。


いつもなら暗い玄関先が明るいことに違和感も覚えることもなく、そのまま家に入る。

鍵がかかっていなかったことに気が付いたのはずいぶん後だったけれど・・・


「おかえり~」


当たり前じゃないのに当たり前に明るい玄関の奥から聞こえたのは、聴き覚えのある声。

その声を聴いて、どこか安心する。

それと同時にどっと疲れが出てきて、そのまま玄関マットの上に座り込んだ。


「たぁだいまぁー」


その声に甘えるのが好きだった。

そんな幼い子供のような素直な感情が胸にあふれ出る。


「お疲れさま~。今日も大変だったのね。お腹空いてるでしょ」

「うん、まぁハラも減ったけど、もうね、どうしたらいいのかわかんないぐらい頭ん中ぐっしゃぐしゃ」


リビングから聞こえる温かい声に、胸の奥にしまい込んだはずだった蓋があっさりと開かれる。

ああ、この声・・・聴きたかったんだ。

本能的に素の自分をさらけ出せる、この信頼する声にどこか安心したのか、その場で大の字に寝転がる。


「『人を使う』って偉い事、俺がしちゃっていいのかなぁ・・・」


天井を見上げながら思わず本音がこぼれる。

自分がそんなに偉い人間じゃないと自覚しているからこそ、上に立つ人の気持ちがわからない。

はぁもう、どうしたら・・・


「そんなの気にしなくていいんじゃない?だって、サクの大切な『仲間』でしょ?」


声がゆっくり近づいてくる。


「大丈夫よ」


そう言って、俺の顔を覗き込み微笑みかけてくれた人物の顔を夢心地で判断するのと、自分が軽く揺さぶられているのを実感するのはほぼ同時であり・・・


「・・・・・・・・・・・!!」






乗りなれた車の中から、目の前を横切り駐車場を出ていく一台の車を見送ると、それまで必死に隠していた焦りや羞恥の感情が入り混じったものが、ため息と共に一気に零れ落ちる。

まさか、あのタイミングで来生さんが来るとは想定外だった。


本社での会議の後、どうしても気になった仕事を片づけに事務所に戻って来たものの、まさかそのまま寝落ちするとは思わなかった。

そのままなんだか懐かしい夢を見ていた気がする・・・

揺さぶられて起きた瞬間にその内容も消え失せるほど、変な返事をしてしまったとか、情けない姿を晒してしまったとか、羞恥心ばかりが頭を駆け巡って必死に取り繕ったのだけれど、不思議と結果オーライとなった。


事実、彼女が来る前まで煮詰まっていたことが、今ではすっきりとしているのだ。

しかし、まだ最初の一歩目。

実際に彼女と共に仕事をしてみた具合で、今後、良し悪しも出るだろう。


ふと、助手席に置いたカバンから少しだけ覗くパンに視線が落ちる。

パッケージに書かれた『チョコパン』の文字に思わず笑みがこぼれた。


これ、俺のイチオシしのやつだ。

知っていたのか偶然なのかはわからないけれど、彼女の気遣いが素直に嬉しかった。


このわずか一時間にも満たない彼女とのイレギュラーな時間のなかで、改めて彼女について知ることができたのもある意味収穫だったと思うが、その反面、どうしても初日のあの顔が頭の片隅から離れない。

俺が気にしても仕方がないのかもしれないけれど、今でも時々、俺の顔を見た後にどことなく寂しそうな影を宿すことになんとなく気が付いていた。

ここ最近はそんな影も薄くなってきていたから少し忘れていたところもあったけれど・・・もしかしたら、過去に彼女と関わった誰かと俺を重ねていたのかもしれない、なんて思ったこともあった。


あとは・・・俺自身かな。

どことなくだけど、彼女は俺の知ってる人に似ている気がする。


もしかしたら、昔、どこかで会ったことがあるのだろうか・・・

そもそも俺自身、どこで会ったかなんて覚えてはいないし、周囲に彼女と似たような人物はいない。

カバンから彼女からもらった缶コーヒーを取り出しふたを押し開けると、その瞬間、缶コーヒー独特の酸味のきいた香りが鼻腔をくすぐる。

『微糖』と表示されている割には甘めのそれを一口流し込み、ふぅ、と息をついた瞬間、このコーヒーをくれた彼女の顔が脳裏に過る。


それにしても、明日から仕事を頼みたいとお願いした時の笑顔は新鮮だった。

彼女もそれなりに悩み考えてのことだったのだろう。

その反動というか、ギャップからきた笑顔・・・思わずドキッとした。


今日のような笑顔の来生さんを、この先も見れるといいな。なんて、なんとなく思う。


今まで彼女のような真面目な女性と関わることが少なかったせいか、仕事に前向きな女性がこんなに頼もしいと思ったのは久しぶりかもしれない。


そう思うと同時に、俺自身もまだまだ古臭い男尊女卑の考えが植え付けられているなぁと気付き、反省する。

男女の性別など気にせずに仕事を共に行うというのは意外と難しいけれど、気付く事さえできれば、あとは個性だと思う。

相手の良さを伸ばして、戦略にどう生かせるか。

そのためにも、もう少し彼女との距離を縮めることができれば・・・

派遣とか関係なしに、同じ『仲間』としての距離が、もう少し欲しい。


そうだ、『仲間』だ。


その言葉にたどり着いた時、ふっと何かが自分の中にしっくりきた。

よし、明日から・・・やるか!


手に持っていた缶コーヒーをもう一口だけ飲むと、次に浮かぶのは俺を待っているであろう家族の顔。

さすがに今日はこのまま帰ろう。コタローも待ってるしな。


手にしていた缶をカップホルダーに置き、シフトノブを動かすと、愛犬の待つわが家へ向かってゆっくりアクセルを踏み込んだ。






気づけば約一年ぶりの投稿となっております。すみませんでしたm(__)m

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