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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【回顧録・水瀬編】
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5年目の一人暮らし




「ただいま」


たった一人でこの家に住むようになって5年。

唯一の家族となってしまった愛犬のコタローだけが、暗い玄関先で大きな声で出迎えてくれる。

これだけでもずいぶん違うと思う。


「ただいま、コタロー。今日は姉さんがご飯と散歩してくれたんだってね。お?新しいおもちゃもらったのか?よかったなー」


玄関にあるゲージの中を覗き込むと、小さく飛び跳ねながら千切れんばかりにしっぽを振って歓迎してくれるこの姿にいつも癒される。

ゲージを開けると、待ってましたと言わんばかりに飛びついて「おかえり」と言いたげに俺の顔をなめる。

コタローの歓迎がひと段落すると、靴を脱いで玄関を上がった俺の後をついてくるように一緒に家の中に上がってきた。


コタローのような柴犬は、よく外に繋がれて番犬として飼っていることが多いらしいが、うちでは母の意向もあって、当初から室内で飼っていた。

もちろん、トイレを兼ねた散歩は毎日外で済ませ、ご飯と留守番の時は玄関に置いたゲージの中、というルールはあるけれど、基本的に家の中に誰かがいるときはどこで過ごしても構わない。

要はコタローの気分に任せている。

だいたいは俺にくっついてくることが多いが、時々、親が使っていた部屋に入って寝ていることもある。


きっと、コタローも大好きだった両親を思い出しているんだろう。


リビングに入り、床にカバンを置きながらそのままソファーに深く座る。

すると、コタローもソファーに飛び乗り、俺の膝に顔を乗せて体を丸めた。


いつも留守番、ありがとうな。


片手でコタローをなでながらスマホをチェックしていると、タイミングよく着信が入った。

山手さんだ。


「もしもしー」

「よぉ~。もう家にいる~?」

「はい。今帰ってきたところっスよ」

「そっかぁ。今さ、『唯華(ゆいか)』にいるんだけど来るかー?

ってか、ママが呼べって言ってんだけど」

「え・・・?」


ふと、脳裏によぎる女性の顔に胸がどきんとなる。

それと同時に、電話の奥から「そんなこと言ってないわよ~」と言う女性の声が聞こえる。


唯華さん・・・か。

クラブ『唯華』のママである唯華さんは姉と年が近いからか、親近感というか安心感があって、色々と相談できた。

父の容態が落ち着いた頃、何度か相談に乗ってもらっていたこともあり、その後もいろいろと気にかけてくれて。

姉や父にも言えなかった寂しさを、唯華さんは聞いてくれて、受け止めてくれて・・・。

ただそれだけで嬉しかった。


でも・・・


「今日はいいです。もう根っこ生えました」

「そうかー。まぁ、たまにはゆっくり休むのも大事だからなぁ。わかった。ママにはそう言っとくさ」

「お願いしまーす」


山手さんには感謝が尽きない。

母の時も、父が倒れた後も、なんだかんだ言いながらも俺の事情を汲んでくれた。

その一つとしてが、昼間の電話だ。


仕事が忙しくなると、会社を出る頃には面会時間を過ぎていて、何日も父のもとに行けなくなってしまう。

仕事が早く上がれるときは、なるべく父のもとに行って共に時間を過ごしたい。

それを知っているからこそ、今日のようなピンチの時には助け舟を買ってくれるようになったんだ。


父に残された時間があとどれくらいあるかはわからない。

一週間しかないのか、10年以上あるのか。

残された俺ができることはほんの少ししかないけれど、それでも何もできないままだった母の時ような後悔はしたくない。


最期の花見だって、山手さんの功績だから・・・


そんな内情も、もちろん察してくれていた。


「そういえば、今日の電話ありがとうございました。オネエキャラ、なかなかイケてましたよ」

「マジ?俺オネエになれる?んじゃあ今度新規開拓しなくっちゃ♪・・・ってならねぇけど!ふざけんなよコラ」


昼間の山手さんの電話がフラッシュバックする。

今思い出してもなかなか濃かったな。

思わず笑いがこぼれてしまう。


「ははは、なかなか強烈なインパクトでしたよ。次回も楽しみにしてますね」

「はぁ?そんな期待されてもなぁ~。しょうがねぇからまたネタ仕入れとくかー」


次のネタ、あるんだ。

ヤバい。それはそれで楽しそうだ。


毎度『お断り』する相手には悪いけど、山手さんの発案したひと芝居はなかなか効果テキメンで、様々なパターンで俺を呼び出してくれる。

これまでに警察、弁護士、やくざ、モトカノの父親、ご近所の自治会長、親戚のオジサン・・・などなど、その都度相手が一歩引く内容の電話が来て、その後、俺自身が一気に『お断り』をする、というものなんだけれど。


俺一人で断る事ができないわけじゃない。

だけど、中には今日みたいなしつこいのには、山手さんからの『電話』が不思議と効果があるんだ。


山手さんもいつも暇なわけではないとは思うのに、『電話よろしくデス』とメッセージを送ると、だいたい5分以内には確実に『発動』するという優れた性能がある。

初めのうちは連絡するのも遠慮していたけれど、今では接客中かも・・・と思いつつしっかり期待していて。


それにしても、どうして女性はこんな俺なんかよく見えるんだろう。

俺なんかに構っていても時間の無駄なのにな。


確かに事情を明かしていないからわからないだろうけれど、仮に俺に特定の相手ができたとしても、その相手にかける時間や金はいつだって後回しになるだろう。


最優先は父、次に仕事、そして姉、コタロー。

他人の相手なんて、優先項目に入る余地がない。

誰だって『二の次』にされるのなんて嫌だろうし、それで互いに傷つきたくない。

それがわかるからこそ、赤の他人に家族の問題を引き込むつもりもないし、説明すらしたくない。


いっそのこと、俺の事なんて見向きしなくなってくれればいいのに・・・

俺は一人で十分。

この先、死ぬまでそう思うだろう。


「そういやさ、話変わるけど。この間言ってた新しく来た派遣、やっぱドシロートだわ」


どこか不満なのか、少し声のトーンが落ちた気がする。

俺が中岡さんの応援に行ってから一週間後くらいに入ったと聞いた派遣社員。

課長からも、俺のパートナーを探すという話は聞いていたから別段驚きはなかったものの、あえて期待もしていなかった。

俺がいない分、山手さんの教育方針についてこれないようではこの先パートナーとしては無理だと思う。

教育係なんて面倒なもの、ここはこの鬼教官に任せて正解だと思っていた。


「派遣の人なんて経験ない方がほとんどじゃないんですか?」

「まぁねぇ。こっちは経験者が来るもんだと思ってたからさ~。使えねぇ奴の教育なんか早速組まされて頭痛ぇっての」

「ははは。それはそれはお疲れ様です」

「お疲れ様じゃねぇよ。お前が白鳥(こっち)に戻って来た時にはお前の担当になるんだぞ?」

「そうみたいですね。俺もそろそろ一人でいいと思ってるんですけどねぇ」

「何言ってやがる。まだまだアシストいないとテンパるだろうが。まだ付けておけよ」


・・・痛いところを突かれてしまった。


確かに、新規開拓は苦手だ。飛び込み営業もいまだにプレッシャーに押しつぶれそうになる。

人見知りの性格もあって、実は営業に向いてないんじゃないかと何度も悩んだこともある。

その都度、山手さんや課長に励まされてここまで来れた。

一人じゃ無理な営業も、支えがれば何とかなるのを知っているからこそ、山手さんも課長も俺にはアシスタントが必要だと、数年前に男性の派遣社員を一人つけてくれたんだ。


だけど、そのアシスト派遣は、先月契約更新の時にヤマムラテックを去った。

理由は簡単。

他に割のいい派遣先があったからだとあっさり告げていった。


金銭面に関しては、こちらがどうこう言える立場じゃないし、人や契約会社によって違いがあるとは聞いたことがある。彼にとっては割に合わない仕事だったんだろう。

それもこれも、常務が年々派遣に対する待遇を悪くしているという情報もあった。


「はいはい。そうします。じゃあ、俺が戻るまで山手さんが相手するんスか?」

「まぁ、空いてる奴が何とかするんじゃねぇの?俺、明日も直行直帰だから相手しないけど~」

「へぇ、明日出張ですか」

「おうよ。北陸行ってカニでも食わせてもらってくるさ~」

「北陸でカニですか?今の時期のカニは北海道の方が美味いとか言ってたじゃないですか?」

「いいんだよ!食えりゃ!」


互いに言い合って、笑いが起こる。

気を張らずに言い合えるこの先輩にどれだけ助けられただろう。


「まぁ今度の新人はオンナだけど、心配しなくても『婚活』に来た感じはないから気楽に付き合ってやれよ」


え・・・。女の人なんだ。


なんだか急に気が滅入る。

でも、婚活目的じゃないなら一定の距離さえ開けていればいいだろうな。


「そうなんですか。どんな人だろう・・・」

「なっちが言うには独身で、お前より年上(うえ)で、俺の見た目的な感想は『地味』だな。清潔感はあるけど、フェロモンがないっていうか、男いなさそうな干物女子って感じ?」


・・・干物って・・・


「山手さん、それモンダイ発言っスよ」

「いいじゃん、本人居ないんだし。その方がお前も気楽だろ?」

「そうっスね。婚活目的に来られても困りますしね」

「まぁ、努力は認める。あとは戻って来てみてからのお楽しみってことで、帰って来たら任せるからな。

そーいや、中岡の奴、退院したんだろ?」

「はい。昨日退院したって聞きました。今日から数日間自宅療養してから復帰するみたいなので、俺が白鳥(そっち)に戻るのはあと1週間ぐらいだと思います」

「おっけい。それまでにもう少し来生の奴鍛えとく」

「きすぎ?」

「ああ、新人な。『来生優依』ってんだ」


・・・キスギ・・・ユイ・・・


唯華さんと名前がかぶったせいか、一瞬脳裏に唯華さんが浮かぶ。


何考えてるんだ俺は。

唯華さんには、旦那がいるじゃないか・・・

俺、なんか・・・


胸の奥に浮かんだもやを振り払うかのように頭を振ると、コタローが不思議そうに顔を上げるから、何でもないという気持ちを込めて頭をなでる。


「へぇ。まぁ、山手さんの指導なら間違いないですね。指導、よろしくお願いします」

「おうよ」


そこに電話の奥から「山手さ~ん」と呼ばれる声が聞こえる。


「はいはーい!悪ぃ、戻るわ」

「はーい、楽しんできてくださいね。お疲れっス」


電話はそこで終わった。


女性のパートナーか。

俺より年上で地味な人なんて、全くイメージ沸かない。


地味と言われるくらいだから、平岡さんのようなアカ抜けた感じの人じゃないだろうな。

姉さんみたいかな?それとも・・・

いや、どれも違うと思う。


どっちにしても・・・あと一週間後。

俺に初めての女性パートナーができる。


はぁ・・・気が重い。

こんな時は気分を切り替えて・・・っと。


「さーて、メシにでもするかな」


『メシ』の言葉に反応してコタローが顔を上げた隙にソファーから立ち上がる。

冷蔵庫を開けると、可愛らしい柄のついたガラスのタッパーがあった。


姉自身に余裕があるとき、こうしておかずを持ってきてくれるのはとてもありがたい。

それがない時はたいてい冷凍弁当か、レトルトパウチのおかずがメインになってしまうのを知っているのも

あり、姉としても栄養面を心配してくれているんだと思う。


自分でも作ろうとは思うけれど、この時間からじゃ温めて食うのが精いっぱいなんだよな。


「お!今日はハンバーグだ。うまそー」


俺の拳よりもデカい姉さん特製ハンバーグは、温めればすでに食べられるようにソースもかかっていた。

早速レンジの中に入れて温め始めると、その間にキャベツを取り出して大きくちぎってから洗い、皿に盛る。

テキトーかつ簡単なサラダだけど、野菜はしっかり摂るようには心がけている。

・・・雑だけどさ。


簡単に用意した夕食を食べながら、テレビをつけてニュースを聞き流したり、スマホをチェックしたり。

コタローはいつの間にか足元に来ていて、体を丸めていた。


夜も更ける中、いつものようにのんびりとした時間をコタローと過ごす。

これがいつもの俺の帰宅後の日常。

5年間、こうして一人の時間を過ごしてきた。

こんな一人の生活に慣れるなんて、5年前までは思いもしなかったのにな。


それなりに頑張っているよ。母さん。


リビングのローチェストの上に飾られた母の写真に目を向ける。

安心、してくれているといいな。


「コタロー、そろそろ二階うえ行くぞ」


寝ていたはずなのに、俺の一言で飛び起きてトコトコとリビングから階段に向かう。

俺を先導するかのように、先に二階に向かうコタローは迷うことなく俺の部屋に入り、真っ先にベッドに飛び乗った。


そんな姿も当たり前になり、自分のクローゼットから着替えを出すとコタローの頭をひと撫でする。


「俺、風呂に行ってくるな」


声を掛ける俺を見送るかのように、耳をぴくぴく動かして返事をする。

愛想があるのかないのか・・・

そんな姿も可愛いと思う。


コタローなりの見送る姿に安心して、俺も一日の疲れを洗い流すために風呂場に向かったのだった。





ご覧いただきましてありがとうございます。

今回、水瀬君の一人暮らしの様子でした。

周囲に助けられながらも彼なりに一人の時間を満喫できるようになりました。

まだまだ水瀬君サイドの話が続きます。

次回はいよいよ優依との出会いです!


ここまで読んでいただきましてありがとうございました。

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