いただきます
むしゃくしゃして書いた
「さあ料理もそろったことだし、食べようか、いただきます!」
七朗は幸せだった。
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七朗は平凡な20代後半の会社員だった。
ある日突然神様に異世界にいくように言われ、気が付いたら見知らぬ土地に立っていた。
そこはいわゆる剣と魔法のファンタジー世界だった。
街にたどり着いた七郎は、冒険者ナロウとして第二の人生を歩むこととなる。
ギルドのチンピラに絡まれ、薬草を採取し、少しずつこの世界に慣れていった。
初めは失敗も多かった。
その都度記憶喪失なんです、教えてくださいと他人に教えを乞うた。
ナロウにはいまどきの若者には珍しい謙虚さがあった。
特にギルド受付嬢は、記憶喪失のナロウに親切にアドバイスをくれた。
冒険者としては例外的に物腰が柔らかいナロウを、面白がって面倒を見てくれた。
現在泊まっている宿も受付嬢の紹介である。
その宿には女手ひとつで切り盛りする豪快な女将と、陽気な看板娘がいた。
二人とも受付嬢の紹介ということでナロウを気にかけてくれていた。
看板娘は幼さの残る、えくぼの可愛い娘だった。
時折仕事をサボってナロウと話をした。
ナロウの話す見たことも聞いたことのない土地の話、想像もつかない便利な道具、美味しそうな料理の話にケラケラ笑いながら嘘だ!というのがお約束だった。
ナロウはこの世界に安心できる居場所を見つけた。
転機が訪れたのは数か月がたった頃だった。
いつものように街の近郊で採取をしていたナロウの耳に悲鳴が響いた。
駆けつけるとそこにはモンスターに襲われている馬車があった。
護衛や商人が必死に戦った後らしく、ほぼ相撃ちのようになっていた。
ナロウは無我夢中で残りのモンスターを退治すると生き残りを探した。
怪我を負っている女戦士と、馬車のなかで震える獣人の女の子を見つけると、肩を貸しながら街へ戻った。
宿で女戦士を手当てすると、お礼とともに境遇を語り始めた。
依頼を受けパーティで商人を護衛していたが、突然モンスターの群れに襲われたとのことだった。
他に生き残りはいなかったか?と聞く女戦士に、ナロウが首を振ると、寂しそうに笑った。
獣人娘との関係については、あれは輸送途中の奴隷だと言う。
獣人娘は助けてくださってありがとうございます、ご主人様と言った。
困惑するナロウに、所有者が居なくなった奴隷は、助けてくれた人に仕えるのが慣習だとひざまづきながら上目づかいで語るのだった。
ナロウはどぎまぎしながらよろしくと言った。
女戦士は仲間もいなくなってしまったので新しくパーティを組みたいがよければどうだとナロウを誘った。
ナロウもソロでの活動に限界を感じていたため、二つ返事で了承した。
ナロウ、女戦士、獣人娘の3人パーティを結成し、ギルドに申請した。
受付嬢ははじめ、私というものがありながら!と怒っていたが、ナロウがおたおたしだすと冗談ですよと笑った。
パーティを組み始めたナロウ達は順調にギルドでのランクを上げていった。
斥候の獣人娘、主戦力の女戦士、遊撃のナロウの役割がうまくかみ合い、瞬く間に初心者から中堅パーティへと駆け上った。
ほんのちょっと前にはひよっこだったのにねえ、と受付嬢は懐かしむようにつぶやいた。
ナロウは皆さんのおかげですと言った。
ぜひ恩返しをしたい、ついては宿屋でパーティのようなものをするので来てくださいと受付嬢を誘った。
冒険だけでなく、女扱いも上手になったわねぇという受付嬢に、女戦士と獣人娘はただ苦笑いを浮かべた。
宿屋では女将と看板娘がごちそうを作って待っていた。
女将、看板娘、受付嬢、女戦士が席に着くと、ナロウは自らも席に座った。
ちなみに獣人娘は、奴隷が席を同じくすることはないと頑なに座ろうとせず、ナロウの後ろで給仕をすると言い張った。
見渡すと、女たちが笑顔でナロウを見つめていた。
ナロウは咳払いをすると、宴の始まりを宣下するのであった。
冒頭の場面である。
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「えー、みなさんのおかげでなんとかここまでやってこられました。」
「今後ともよろしくお願いします。」
「さあ料理もそろったことだし、冷めないうちに食べようか。」
「いただきます!」
ナロウは照れ隠しをするように、普段はしないいただきますを手を合わせ元気よく宣言しお辞儀をした。
顔を上げると、女たちはそろって変な顔をしていた。
『ねえ、それなんなの?いただきますって』
女戦士が怪訝そうにナロウに訊く。
「ああ、これは僕のいたところの習慣なんだ。感謝の気持ちを示して手を合わせてから食べるんだよ。ほら、冷めないうちに食べようよ、美味しそうだよ。」
『あなた記憶喪失って言ってたじゃない』
受付嬢が首をかしげる。
「ああ、そうなんだけど、なぜか最近ちょっとだけ思い出したんだよね、うん。」
『ええ?、ナロウって奴隷だったの?』
看板娘が素っ頓狂な声を上げる。
ナロウは嫌なこと思い出すような表情で語る。
「はあ!?違うよ、あー、でも会社の奴隷っていう意味ではそうだったのかも、社畜だったしね、ハハハ。」
おどけるナロウ。
『そんな!嘘ですよねご主人様!!』
獣人娘が絶叫する。
「え、ちょっとどうしたのみんな。そんな怖い顔して、なんか変なこといった?」
皆の様子にあわてだすナロウ。
そんなナロウを睨みながら女将が決定的な一言を放つ。
『・・・つまりあんたは嘘をついていて、本当は逃亡奴隷だってことだ。』
その瞬間ナロウの体は吹っ飛んだ。
壁に当たりずるずると尻をつく。
「ゴホッ、ゴホ!いきなり何をするんだ!!!僕がなにしたっていうんだ!!!」
ナロウが涙目で見上げると、そこには鬼の形相をした女戦士がいた。
『何をしたかじゃないよ!お前逃亡奴隷だったのか!』
「何のことだよ、奴隷って言ったのはたとえ話だよ、会社にいたころの話だって!」
『じゃあなんでいただきますなんていうんだ!?そう言って手を合わせて感謝するのは奴隷の決まりだろうが!主人からご飯をお恵みしてもらったときにいうセリフだ!!』
「え、そんなこと知らなかったよ。獣人娘はいつも僕が寝た後ごはん食べてたし。」
『そう考えると初めの頃からおかしかったのも納得できますね。』
受付嬢が静かに口を開くと、皆顔をそちらに向けた。
『おかしいとは思っていたんですよ、妙に礼儀正しいし、目立ちたくないなんて言っていて。逃亡奴隷だったとしたら腑に落ちますね。』
したり顔でうなずく。
『問題は逃亡奴隷はかくまった人間も連座で罰を受けるってことですよね。』
受付嬢の言葉に女たちは凍りつく。
『てめえ、ふざけんなよ!!』
看板娘の蹴りがナロウの顔面に決まる。
もうナロウは「知らなかったんだ、本当に知らなかったんだ」とうわごとのようにうずくまるだけである。
『おいおい、どうすんだよ!街から逃げるか?』
女戦士は焦っている。
『宿を捨ててはいけないよ!』
女将は怒鳴る。
『こいつのせいで!こいつのせいで!死ね、死ね!!』
看板娘はナロウに蹴りを入れ続ける。
思案顔だった受付嬢が口を開く。
『こうなったら多少強引ですけど、こうするしかありませんね。』
女たちは騒ぐのをやめ受付嬢の言葉を待つ。
『最初から奴隷だったことにしましょう。ナロウが女戦士と獣人娘を助けたのではなく、女戦士がモンスターを全部撃退して、生き残った奴隷2人を引き継いだってことにすればいいのです。無茶な話ですが、ギルドにお金を積んで根回しすれば何とかなります。
受付嬢はさっぱりとした顔で微笑んだ。
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数か月後、ナロウは崖の下で倒れていた。
数時間前、冒険で森に来ていた一行は、異常種に出会ったのだった。
逃げないと死ぬ!そう判断した女戦士は、ナロウを異常種のほうへ突き飛ばし、獣人娘とともに反対方向へ駈け出して行った。
ナロウを生贄にしたのである。
ナロウは1人で必死に逃げたが、崖へ追い詰められてしまった。
異常種はゆっくりと近づきナロウへ爪を振り下ろす。
咄嗟によけたナロウだったが、体制を崩したところに体当たりを食らって、崖から落ちてしまったのである。
落下の途中で大きな傷を負っており、もう長くはなさそうだった。
「どうしてこんなことに・・・」
呟きにこたえるものはいない。
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逃亡奴隷とされてからの生活はひどいものだった。
仲間から一転奴隷になったナロウは、床で寝て素手でご飯を食べる生活をおくっていた。
女戦士からは良く殴られた。理由などない。ただただ殴られた。
時に獣人娘にも殴られた。
同じ奴隷でありながら、待遇には大きな差があった。
看板娘はナロウを蹴ることで快感を覚えるようになっていた。
以前のように仕事をサボっているときは、お話をするのではなくナロウを蹴っていた。 女将はそれをみても何も言わず、仕事へ戻るのだった。
受付嬢は最初から最後までナロウを無視した。
まるでそこには誰もいないように振舞った。
目線すらない、完全な無視である。
ナロウにはこれが一番こたえた。
街の人間の扱いも一転した。
親切だった店のおじさんも、ナロウのお使いの際に釣銭を良く誤魔化すようになった
ナロウが抗議すると、どこが間違っているんだと殴られた。
必死になって計算を説明すると、今度は生意気だと殴られた。
ただナロウで憂さ晴らしをしたいだけだと気付いた時には、顔は原型をとどめていなかった。
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ナロウはどこで間違ったのか?
七朗は異世界にいても日本の常識を捨てきれていなかった。
マナーが良いと評判の日本人の振る舞いは、異世界でも通じる筈と無意識に思っていた。
人の悪意に鈍感だった。
たまたま初めにギルド受付嬢の保護下にあったため周りが手出ししなかったのを勘違いしてしまった。
保護を外されたら七朗になすすべはなかった。
日本であれば、きっとわかってくれる、いつかは理解してくれる人がいる。
騙すより騙されるほうが良い、そんな生き方でも良かった。
しかし異世界では通じなかった、それだけのことである。
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消えゆく意識の中で七朗は懐かしい感覚を覚えていた。
神様に呼び出された時と同じものである。
七朗は恐怖した。
もう一度、もう一度異世界に飛ばされるというのか。
七朗は祈った。
神様、もう異世界は嫌です、存在を消してくださいと。
七朗には異世界でもう一度やり直す気力は残っていなかった。
果たして七朗はまた異世界に飛ばされるのであろうか?
それは神のみぞ知ることである。
ちょっとだけ後悔している