しらす?メダカ?鯉のぼり?
シラス干しだと思ったら、それはメダカだった。
隣家の後藤さんの所に飾られていた変なものをよく見たら、メダカだったのだ。
「あ、おはようございます。後藤さん」
「あら、おはようございます。松木さん」
ちょうど買い物に出かけるつもりだったのか、後藤さんは『えこばっぐ』とひらがなで書かれたファンシーなカバンを持っていた。
「後藤さん。ちょっとお聞きしていいかしら?」
私は勇気を出して聞いてみる。
「あの後藤さんの家に飾ってあるものなんだけど・・・」
「ああ、あれ?」
後藤さんは恥ずかしそうに笑う。
「もうすぐ端午の節句でしょ?だから、うちでも鯉のぼりをあげようかと思って」
「鯉のぼりですか?」
「そうなのよ。でも、うちの主人ときたら近くの池に鯉を取りに行ったのに、全然捕まらなくて、結局メダカなんか捕まえてきて。ホントうちの主人って役立たずなのよ。メダカなんてどうしろって言うのよねぇ。だから、メダカなんておいしそうじゃないし、とりあえず飾ることにしたのよ」
「えっと・・・鯉のぼりって生の魚を飾るものでしたっけ?」
「あら、後藤さんは五丁目の鬼頭さんのお話知りません?」
五丁目の鬼頭さんなら私も知っている。
鬼頭さん自身は面識はないが、家は塀が何処までも続く大邸宅で有名なのだ。
私も何度か野次馬根性で見に行った事がある。
「はい。ここに引っ越してきてあまり日がないものですから」
「ああ、そう言えばそうだったわね。あのね。あれは、何年前だったかしら。端午の節句に鬼頭さんのお宅で生きた鯉が飾られていたのよ。そりゃぁ、ご近所中驚いたわよ。でも、もっと驚いたのはその後。鬼頭さん、株で大儲けするわ、やっていた事業もうまく乗り出して、息子さんもその年に結婚。それはもう世界中の運気を吸いつくしているんじゃないかって思うほど。それで我も我もとあやかろうとこの辺りでは端午の節句に生きた鯉を飾るのよ」
「へー。本当ですか。この辺りじゃ四月中は全部エイプリルフールなんですね」
「もう!本当よ。疑うんだったら鬼頭さんのお宅に行ってみると良いわ。今年も云百万円もするような錦鯉が飾ってあると思うから」
確かに百聞は一見にしかずである。
「そうですか。では、行ってみます。ありがとうございます。あっ、そうだ。そう言えばメダカって絶滅危惧種に指定されてるそうなんですよ。だから、ああやって飾っているのはあんまり良くないかもしれないですよ」
「あ、あら、そうなの。もしかして・・・警察に捕まったりするのかしら?」
「さぁ、そこまでは分からないですけど」
「そ、そうよね。でも確かにメダカじゃ様にならないわよね。ちゃんと鯉じゃなくちゃ。ありがとう。すぐにしまうわ」
そうして後藤さんは家の中に消えっていった。
それにしても錦鯉の鯉のぼり・・・
悪趣味だが、見て見たい気もする。
自然と私の足は鬼頭さんのお宅へ向かっていた。
「へぇ、あれがー」
確かに高そうな鯉がポールに吊るされている。
ぐったりとした高級魚。
きっとあの鯉のぼりは風になびく事はないのだろう。
もう少し近くで見て見ようと鬼頭さんの延々と続く塀をなぞっていくと、塀の向こうから男のすすり泣く声がした。
何事かと私が耳をそばだてると、聞こえてくるのは鬼頭さんのご主人の声のようだった。
「ああ、ハバロッティ、シェラザード、クリスティーナ。ごめんよ。ごめんよ。私が妻に内緒で君達を買ったばかりに。妻の怒りを治められない不甲斐ない私が悪いんだ。許しておくれ。許しておくれよぉ。ああ、何故こんな目に。君達に何の罪も無いのに・・・あぁぁぁ」
鬼頭さんのご主人は情けなく泣き続ける。
だが、きっと来年も奥さんに内緒で鯉を買って、怒られるんだろうなと私は思うのだった。