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新しき日常
 嵐のような週末が去ってゆき、また普通の日常が戻ってきた。

 いつもと同じ通学路を歩いてゆく。周りを見回すと、校門前で朝の挨拶を交わす学生たちの姿が見えた。

(「ねむ…」)

 茜はこらえきれない眠気を欠伸で表現した。風邪を引いてあれほど寝ていたというのにまだ寝足りないらしい。

「おっはよーーー茜」

 ひときわ肺活量のある、よく通った声が聞こえ、茜はふり返った。

「あ、おはよう楓子」

 茜の高校での一番の親友とも言える楓子はいつもと変わらず、お下げに眼鏡といった風体でそこにそこに立っていた。

(「ああ…これが現実なんだ」)

 金曜日にあったことを思うとこうして彼女と会えていることは奇跡に等しいことなのかもしれない。そう思うと表情が和らぐ。

「…朝っぱらから何二ヤついてるの?」

 あまりにも不自然な表情だったのか、怪訝な顔で楓子は茜の顔を覗き込んだ。

「いやっ!なんでもないのよ!何でも…」

 内心焦りを隠しきれない様子で茜はわざと目線を楓子からそらした。

「…ん?そういえば見慣れない顔がございますなあ」

 楓子の視線が茜の後ろに向けられる。そこにはいつもなら居ないはずの人物が、気だるそうな風体で立っていた。

 その人物ー海棠温かいどうはるは、茜と同じく欠伸をかみ殺すと、焦った表情の茜に向かって一言言い放った。

「あっ!あの…これはね…」

「先行くぞ」

「ち…ちょっと!!」

 なにやら勘繰っている様子の楓子を置き去りにして、茜は必死に(はる)の後を追う。



 教室に着くなり、温は茜と一緒に登校したことなど忘れ去ったかのように、教室の隅のほうにある自分の席へと移動した。「じゃあ」とか「またな」とかいう言葉は一切なかった。

 茜はため息をつきつつ席につくと、学生鞄の中身を机の中に移し変えた。そしてふいに手提げカバンの中身を見る。

 そこには本当に普通のPCと何らかわりない、アスタルテ社製のPCが入っていた。本当は専用のバッグにいれたほうが良いのだろうが、デスクトップのPCしかない我が家にそんなものがあるはずもなく、こうして比較的丈夫そうな手提げに入れて持ち歩いているのである。

(「次の休みの日に電化量販店にでも行こう」)

 そう考え、机の横についているフックにぶら下げておいた。

「あ・か・ね・ちゃーーーん」

 薄ら寒くなるような猫なで声で名前を呼ばれた茜は、無視しようとして黒板に書かれた1限目の授業内容を確認した。

「数学か…」

 朝から憂鬱になる教科だ。何故月曜日の朝から難解な数字と顔を突き合せなければならないのだ。

「おーーーい、茜ちゃん!?」

 気がつくと楓子の顔が目の前にある。眼鏡と地味な髪型のせいか目立たないが、それなりに整った顔立ちをしており、舞台栄えのする華やかな表情をわずかながらに覗かせていた。

「・・・・・・・・・・・何よ」

 彼女の言いたいことになんとなく察しのついていた茜は、憮然とした表情で視線をそらす。

「この週末何かあったのかな、海棠くんと」

「…」

 なかったと胸を張っていえたらどれほどいいだろうか。

”銃を持ったいかつい男たちに銃撃されつつビルの中から脱出してきました”

「・・・・・・・・」

 事実をありのまま述べようとすると、どうしても無理がある。一体どこの脱出ゲームだ、と自分で自分にツッコミを入れたくなった。

「黙り込むってことは、怪しいなぁ」

「なっ!何もないわよ」

「じゃあさ、なんで今日一緒に登校してきたの?」

 茜は言葉に詰まった。そして、そっと教室の窓際の席にすわる温のほうに視線をずらした。他人の気持ちなどお構い無しに、またしても欠伸をしていた。

「それはーーー」

 そのとき、茜にとっては神のお助けともいえる第一声が教室に響いた。

「おらー席につけー。ちゃっちゃとHR始めるぞ!」

 その担任の一言により、茜は友人からの質問攻めをかわすことができたのだった。



 1限目は数学。

 小テストの直しを終えていた茜は、自信満々の表情で教師にノートを提出した。何人かの生徒が教師にひたすら泣きながら懇願していたが、数学担当の教諭ーー林野は提出物の期限が厳しいことでも知られていて、ひたすらに首を振るのみだった。

 温はというと、ノートを提出しないまま、窓から外の景色をボーっと眺めていた。

(「あれ…?」)

 出しに行かないのだろうか、と様子を窺っていたが、彼がノートをとうとう提出することはなく、数学の授業に突入した。

(「…ということは…」)

 提出の必要がない、つまり、小テストの結果が…、

(「満点だったってこと!?」)

 呆れた様子で茜は温を呆然と見ていた。

(「そういえば、数学得意って言っていたものね」)

 机の引き出しから教科書を取り出すと、いつものように授業が始まる。

 少しだけ低い教師の淡々とした声に、生徒がノートにシャープペンを走らせる音だけが響く。期末テストも近いせいだろう、いつもより緊張した雰囲気が流れていた。

 茜はというと、この週末に起こったことで頭がいっぱいだった。

 あれは、昨日の夜ーー


「なるべく単独行動は控えた方がいい」

 茜が知っているすべてのことを話し終えた後、しばらく熟考していた温はこう告げた。

「ーえ?」

「茜の言っていることが事実なのだとしたら、単純に警察に連絡すればいいってものじゃない。もしかしたらもっと大きな組織が動いているかもしれないし、危険だ」

「でも…」

「これは推測でしかないけれど、そのAIを世界中のあらゆる国家が狙っているとしたら?」

「…」

 つまりは、警察といった国家権力をあてにすることはできない、そう言いたいのだろう。

「多分、『アヴァロン』の管理会社関係者が逮捕されているのも偶然じゃない。もっと複雑な『仕組み』が働いているんだと思う。このAIはそうさせるだけの力を十分に秘めているんだ」

「でもーー」

「とにかく、明日からは一緒に登校しよう。下校もだ。なるべくうちで夕飯食べていったほうがいい。うちに来るのがベストな選択肢なんだが…」

 

(「何だか頭が混乱してきた…」)

 とにかく今まで起こったことを整理しよう、と机の引き出しからルーズリーフを取り出し、シャープペンシルを走らせた。

(「先ずは、空兄あきにいが私にサイを送り付けてきたことが発端なのよね」)

 ルーズリーフの中央に四角を書き、『SIKE』と文字を入れた。そしてその横に『茜』と、自分の名前を入れた。

(「で、それを手に入れようとした柴崎が私を下校中に連れ去った…と」)

 右端に『柴崎』と書き込み、『茜』の文字へと矢印を引っ張った。

(「そういえばーーあの時こう言ってたっけ」)


『…正直に言えば、我々はそのAI自体に興味はない。ただ、取引の材料としたいだけだよ。…物事を円滑に進めるためにね。平和ボケしているこの国に住んでいたら分りにくいかもしれないが、このAIには世界中の様々な国家が注目しているんだ』


 とすると、柴崎の率いている組織自体はSIKEを利用することを目論んではいない、ということになる。

(「ーーーつまりは、誰かに依頼されてやったってことーー?」)

 『柴崎』の名前の上に『?』マークを書いた、そして矢印を引き、その下に『依頼された?』と書き記しておく。

(「で、あの時『アヴァロン』の管理システムにサイキ以外の誰かからのハッキングがあったのよね」)

 SIKEいわく、独立したネットワークからのハッキングらしく、ある地点でプツリと消息が途絶えたのだという。

(「そういえばーー」)

 SIKEが一時柴崎に奪われた時、何かが起こった気がした。実を言うと、そのときの記憶がいまだに曖昧で、(もや)がかかったようにうっすらとしかわからない。理解できるのは、SIKEが管理者権限を奪取して運搬用のエレベーターを動かしたことだけだ。

(「そしてーー」)

 謎の青年、アオイ。不思議な雰囲気をまとった人物だった。おそらく一癖も二癖もあるに違いないと、茜はそう思った。

 何かしら諮ったようなタイミングで茜の前に現れたことといい、怪しい人物ではある。

ーーーそれに…。

「…はら、糸伊原!」

 教師に名を呼ばれ、茜は即座に身を強張らせた。慌てて黒板を見ると数学担当の林野が青筋をたてながら、こちらを睨んでいた。

「テスト前だっていうのに、ずいぶん余裕なんだな」

「え…?」

「(9)の問い2、前に出て解いてみろ」

 ほら、と黒板を指し示された茜はしばらくの間頭の中が真っ白になっていた。


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