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地下四階 水と炎 4

 水は単なる重量でしかなかった。

 ダンプカーを衝突させるようなものだ。


 あるいは、鉄の塊で押し潰していくようなものだ。

 グリーン・ドレスの肉体が、水圧に飲み込まれていく。

 彼女のマグナカルタを封じ込める事が出来るだろう。



 膨大な水の流れが、グリーン・ドレスを包み込んでいく。


 このまま、フロイラインは彼女を圧死させるつもりなのだろう。

 反撃の手段を詰んでいこうとしている。


 能力の性質上、グリーン・ドレスは、水の攻撃が相手ならば、攻撃の手段を詰まれていく事になる。

 グリーン・ドレスは、打開策を思い浮かべようとして、考えるのを止めにした。……そもそも、そんな事を考える意味はあるのだろうか。


 思考するのは苦手だ。

 ウォーター・ハウスなら、もっと頭を使って、この状況をひっくり返すだろう。

 そもそも、彼なら、このトラップを見抜いて初めから、打開策を練り上げていたかもしれない。だが、自分にはそれが出来ない。


 もっと、単純な方法があるだろう。

 それに、フロイラインは見失っているみたいだった。

 気付いていないのか。あるいは、忘れてしまっているのか。

 グリーン・ドレスは、壁を蹴った。


 ……私は、シンプルでいいんだ。


 力こそが、全てを支配する誓約なのだという事を教えてやろうと思った。

 自分に法は無いが、唯一の法があるとするならば、強さなのだろう。


 何もかもを、踏み躙りたいという悪なる意志なのだろう。



 まともな人間が考えられるだろうか?


 在り得ない程の重圧の負荷が肉体に掛かっている、水深の中で、まともに動けて、しかも、強化ガラスにヒビを入れて、十数メートル離れた場所にいる相手を、刹那のような瞬間で、異常な打撃を放ってくる相手がいる事など……。


 グリーン・ドレスは動いていた。

 フロイラインの腹に、抉り出すのような拳が叩き込まれる。

 そして、続いて、胸を、顔を、殴打されていく。

 フロイラインは、瞬時、何をされているのか分からないみたいだった。


 グリーン・ドレスが取った戦法は、極めて、シンプルなものだった。


 あらゆる炎の攻撃を無力化された彼女は、極めて単純な思考に行き着いたみたいだった。つまり、緑の悪魔は、フロイラインを撲殺しようと決定したみたいだった。

 フロイラインは、自分が水の能力者で、相手は炎の能力者で、相手の能力を封じ込められていて、完全に優越感に立っていたから気付かなかった。

 フロイラインは、肉体を破壊されながら、ようやく理解していく。


 状況を吟味していく。


 グリーン・ドレスは純粋なまでに、強いのだ。

 彼女は素手で、コンクリートを砕き、鉄骨を両断し、ビルを破壊出来る。

 フロイラインは、自らの従者である空の水兵隊達が、紙屑のように緑の悪魔に引き千切られて殺されているのを確かに目にしていた。けれども、それに対して思ったのは、“ああ、駒が減るのは困るなあ”という事実だけだった。


 そう、言わば。


 実戦慣れ……。

 そう、結局の処、フロイラインは実戦というものを、シミュレーションでしか経験していなかった。他人の死も、所詮、他人の死でしかなかった。


 気付けば。


 気付けば、フロイラインは、全身を殴り続けられていた。

 自らの歯が水の中を流れていき、肋骨のへし折れる音が聞こえてきた。そして、血の飛沫が水を赤く染め上げている。

 それでも、彼女は、『ソリューション』によって、自らの全身を多少、防御していた。背中に、重い衝撃が走り、異常な激痛が駆け巡っていく。

 フロイラインは、自分の状況を理解する。

 強化ガラスの壁に叩き付けられて、ガラスの壁は、彼女を杭のようにして破壊されて、自分は今、空に投げ出されてしまっている事に。

 そして。

 ガラスに映し出される自分は、もはや、助からない致命傷を負ってしまっている事だ。


 …………。

 どうしようもない、ダメージを喰らってしまっていた。

 彼女の顔の左半分は、潰れていた。眼球が無く、殴られた時に飛び散ったのか、引きずり出されたのかは分からないが。とにかく、片目は外れてしまっていた。鼻も潰れて、二つの穴から血を濁流のように流し続けている。


 腹は刳り抜かれていた。各種、臓器が飛び散っている。

 肋骨は肺に刺さっているのだろう。胸元もぐちゃぐちゃだった。

 そして、左肩は砕かれている。感覚がまるで無い。

 水の重圧と、ソリューションによる皮膚の防御が無ければ、間違いなく第一撃で即死していたに違いない。

 圧倒的な暴力とは、これ程までに、何もかもを覆してしまうのだろうか。


 力とは、強さとは。

 …………法も秩序も、何もかもを、突き崩していくものなのか。

 グリーン・ドレスは、空中に投げ出されて、炎で翼を作れないまま、フロイラインに止めを刺せずに、空高く落下していった。緑の悪魔の両眼は、確かに、狂喜していた。


 そして。

 フロイラインも、自分自身が、笑い声を上げている事に気付いた。

 歯が、ぽろぽろぽろぽろと、砂利のように口から零れ落ちていくが関係が無い。

 顔中の至る処から、血が流れる事を止めない。

 全てを投げ打ってでも、緑の悪魔を殺そうと、彼女は誓っていた。

 妙な喜びが、心の中で広がっていた。

 どんな性行為でも、兄であるプレイグとの対面でも得られなかった謎の欲望が、脳内の奥底から、込み上げていた。

 これが、一体、何なのか……。

 フロイラインは、確かめたくなった……。


「分かりましたわ。グリーン・ドレス。私も人を捨てます。どの道、このままでは、私は死んでしまうでしょうが。それでも、何故か今、とても嬉しい。貴方はクラーケンにとっての、想定外なのですね。こんなにも、完成されたお兄様の庭園が、貴方達によって、破壊されていく」


 フロイラインは、兄の愛情が欲しかった。

 心の底から、兄に愛されたかった。

 そう、本当に兄とは分かり合いたかった。


 フロイラインは、理解している。

 何をやって尽くしたとしても、兄は自分を愛してはくれないのだと。

 プレイグにとっては、実の妹も、システムに必要な道具でしかないのだという事を。



 人の感情とは、何なのだろうか?


 グリーン・ドレスとの戦いで感じた、此れまでの人生で体験した事の無い何か。……、それは暴力に対する恐怖であり、そして、その恐怖さえも超えた自分自身が破滅していく事に対する魅力だった。


 何もかもが、調和されて操作された、このクラーケンというシステムを、フロイラインは美しいと感じ続けていた。完全なる服従こそが、自由を得る事だと思っていた。


 けれども、今、欲望の制御が出来ずにいる。

 もはや、クラーケンの事も兄の事もどうだっていいし、何よりも、自らの死でさえもどうだっていい。生も死も、この国では操作されていく。

 ふと、彼女の中で、禁断の何かが過ぎる。

 それは、禁じられた果実のようなものだった。


 未だかつて触れた事の無いような、エロティックな感情が、フロイラインの中から湧き上がってくる。エロス……それは、生きる事を意味する言葉でもあった。

 フロイラインは、心の底から歓喜していた。

 張り付けたような笑みではなく……。

 彼女は今、真に自身が生きているのだという事を実感していた。

 彼女は、“保育場”へと入った。

 そこには、彼女が儀式により産み落とした子供達が、ケージの中に入れられていた。


 ダーマは死んだ。……心残りだった。


 彼女は、保育場の地下へと階段を使って降りていく。

 ずずっ、と、異様な音が響いている。

 そこは、巨大なプールだった。

 中には、無数の巨大な触手を持った生き物が入っていた。

 ぐしゅ、ぐしゅっ、ぷじゅ、ぶじょ、と、奇怪な音を立て続けている。


「うふふふっ、ねえ、聞こえています? 私が母ですわよ? 見ての通り、私はもうすぐ、死にそうな状態。でも、構いませんの。この肉体を貴方に差し上げますわ。そして、他の子達も、貴方の餌に変えて構いません。此処に在るものは、全て、貴方の好きにして構いませんわ」


 しゅるしゅる、と、水の中から、怪物の一部が姿を現す。

 フロイラインの腹が、水の中から這い上がってきた触手によって掴み取られる。

 そして、彼女は水の中へと引きずり込まれていく。


 彼女が“この肉体のまま”残った右目で見た、最後の映像が、無数の牙だった。それは、彼女の肉体を馳走にしようと迫っている処だった。



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