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Present over the west coast

作者:足軽三郎
善意というのは時として思いもよらない形である。
 クリスマス休暇前の最後の仕事はラジオのDJとの打ち合わせだった。ジーン=柏原=マッコイが担当するラジオの番組とそのリスナーの市場調査、その為に提携している局の人気DJとの打ち合わせと書くと格好いいが、実際はロスの地方局なのでそんなに大きくはない。


「しかしコアよね、ロス在住の中国系移民を対象にした地方局と提携して市場調査って」


「うーん、でもチャイナ系のアメリカ人は西海岸で馬鹿にならない数がいるからね。どこかの誰かがそういうデータを必要としているのよ」


 同僚のイザベラに答えながらジーンはオフィスを見渡した。12月下旬の夕方、しかもクリスマス前だ。既に休暇に入っている従業員も多くオフィスは閑散としている。パソコンの電源を落とすと気が抜けたのかどっと疲れた。


「ジーン、今年のクリスマスどうするの?」


 一緒に会社を出たイザベラが黒ぶち眼鏡のブリッジを指で抑えながら聞いてきた。最近新調したキャメルのコートがよく似合う彼女と肩を並べながらジーンは右手をすっと伸ばし、空を指差す。


「シアトルの空が私を待っている」


「素直に帰省するって言えばいいじゃない」


「詩的になりたい時もあるのよ、できる女には」


 そう軽口を叩いてジーンはイザベラと別れた。「Have a nice Christmas!」とお互いに挨拶を交わして。



******


 西海岸カリフォルニア州の中心都市ロスアンジェルスから飛行機で四時間ほどフライトするとワシントン州シアトル市に到着する。国際線を扱う巨大なタコマ国際空港から車で二時間も走ればシアトル郊外にあるジーンの実家だ。家族に連絡すればまず間違いなく迎えに来てくれるがOne-way(片道)だけのレンタカーを使ってのこの空港から実家までのドライブがジーンは好きだった。シアトル発の世界的に有名なコーヒーチェーンのカフェモカをドリンクホルダーに突っ込み、ハイウェイを走らせる時間は仕事からプライベートへと頭を切り替える儀式みたいなものだ。


(去年は帰らなかったのよね......)


 周囲の車が少ないことを確認してカフェモカを一口啜りながら思い出す。そう、去年は恋人がいたのでクリスマスはロスで過ごしたのだ。今年になってから別れてしまったので残念ながら今はフリー。なので実家に帰れるため悪いことばかりでもないのだが、ううむと思わず唸ってしまう。


 そんなジーンの心中とは裏腹に軽快にレンタルしたホンダはハイウェイを走るのであった。








「「お帰りなさい、ジーン!」」


「ただいま、パパ、ママ!」


 実家に帰ると出迎えてくれた両親と軽くハグをしながら近況を報告しあう。父のハリス=マッコイも母のマユミ=柏原も既に50代半ばだがまだまだ元気だ。しいて言えばハリスが太り気味になってきたのが心配ではあるが同世代の男性と比べればかなりましな方である。


 アメリカの他の家庭と同様、マッコイ家にとってクリスマスは一年で最大の行事だ。結婚して今は東海岸で所帯持ちの兄はともかく、今年大学院を出て地元企業に就職した弟は一緒にクリスマスを祝う予定になっていた。


「とはいってもイヴはトーマスは彼女とだから25日にならないと戻ってこないわよ」


「そ、そーよね......」


 母の言葉にさりげなく傷つくジーン。齢30、この年で未婚でも今のアメリカ社会では特におかしくはないがそろそろ気になる年齢ではあったのだ。高校や大学の同級生の消息は風の噂で聞いているが未婚既婚の割合は半々というところである。


 (同級生といえばロブはどうしてるのかしら)


 リビングの窓からジーンは隣の家を覗いた。クリスマスらしくトナカイの形に刈られた植木越しに見える隣家、それは同級生の一人、より正確に言えば幼なじみの実家だった。ロバート=カニンガム、通称ロブ。最後に会ったのは二年前だ。頭の良かった彼は医大を出て医者になっている。忙しい仕事だとは思うがクリスマスくらいは帰省しているのだろうか?


 というよりむしろ結婚しているのかもしれない、とジーンは考え、父親のハリスに聞いてみることにした。


「ねえ、パパ。ロブってまだ実家出てないの。最後に会った時はあちらの家から病院通いしてたと思うんだけど」


 軽い気持ちでサワークリームがついたチップスを摘みながら聞いただけ。なのにハリスからもマユミからも返事が帰ってこない。二人が顔を見合わせて何やら重い雰囲気になっただけだ。「ちょっと、何、どうしたの?」とジーンが聞くとハリスがようやく答えてくれた。


「うん、何と言うかだな......今、ロブ君はクリスマスを楽しむどころではない状況なんだよ」


「先日ね、私達もばったり玄関先でロブ君に会ったんだけど凄く悲壮な顔して出ていってて。カニンガム家とは昔からのお付き合いだから気になってご両親に聞いてみたんだけど......」


 ハリスの言葉を受けてマユミが話す。彼女が言うにはカニンガム夫妻は少々口ごもりはしたものの、包み隠さずに事情を話してくれたらしい。要領よくその内容をマユミがまとめて話し終わった時、ジーンは何とも言い難い重い気持ちになるのを止められなかった。



******



 病院というのはいつ来ても独特の緊張感がある、とジーンは思う。消毒液の匂いのせいか、はたまた別の薬のせいか。それとも生死を日常的に扱う医師や看護士の緊張感に触れるせいか。どちらにせよ、あまり好ましい感覚ではないと思いながら紙コップに入った薄いコーヒーを飲み干すと人の気配が背後からしたので振り向く。


「Hi、ジーン。Long time no see」


「Sorry、ロブ。お仕事中に」


 二年ぶりに会ったロブは少し痩せたようだった。痩せた長身を白衣に包み縁無し眼鏡越しにブルーの瞳でジーンを認めるとさっと近寄り握手の為に手を差し出してきたのはいいが、目に力が無い。


「いや、いい。どうせ休憩時間だ、君と会うのも久しぶりだし」


 そう言いながらロブはその枯れたようなブロンドの髪をかきあげた。隠しきれない疲労がその仕草一つ一つに滲む。


「昨日うちに着いたのよ。うちの両親から聞いたわ。従妹さんが大変だってこと」


「だろうな、君がわざわざ病院に足を運ぶってことは」


 立ち話も何だからとロブは病院のカフェテリアにジーンを案内した。昼過ぎのカフェテリアには人が少なく、ひっそりとした雰囲気が漂っている。遅いランチでね、と言いながらロブがクラブサンドイッチを頼む一方、ジーンはフルーツだけを頼む。その様子にロブが片眉を上げた。


「ダイエット? そんな必要なさそうだけどな」


「失礼ね。ちょっと食欲が無いだけよ......何だか大変みたいね、あなたも」


「ああ。正直参ってるよ」


「力になれるかは分からないけど、いったい何があったの。大体のことはうちの親から聞いたけど、良かったら話してみて?」


 周囲に人がいないことを確認した上でジーンが聞く。ロブの躊躇いは長くは続かなかった。事情を既に知っている人間ならば仕方ないと考えたのもあるだろうし、正直誰かに今の気持ちを吐き出したかったのだろう。頼んだクラブサンドイッチを頬張りながら「食べながらで悪い」と断った上で話し始める。


「うちの両親が君の両親に話したことの反復になるけどね。ジーン、君、スポーツ見る?」


「あんまり。まあ、最低限くらいかしら」


「そうか。今年のLPGA(女性プロゴルフ協会)の最優秀新人賞受賞者のサリイ=クリストフの名前をニュースで見たことは」


「夜中のスポーツニュースで一、二回見た気はするわ。もっともそれがあなたの従妹だったなんて全く知らなかったけれど」


「わざわざ周囲に広言するようなことでもないさ。そう、サリイ=クリストフは僕の従妹だ。この夏、高校卒業後、彗星の如く女子プロゴルフにデビューしいきなりコースレコードを叩き出した新星(スーパールーキー)、うちの親族こぞって彼女のショット一つ一つに興奮したもんだ」

 ロブの声は低い。ジーンはそれをじっと聞き取る。クリスマスを目前に控えた病院のカフェテリアにはクリスマスツリーが飾られ、ひっそりと話す男女二人を見下ろしていた。


「だが一週間ほど前だ。サリイの運転する車が事故に遭った」


「あなたの家を訪ねる途中とご両親にお聞きしたけどほんと?」


「ああ。ツアーも終わってクリスマス休暇をうちで過ごす予定だった。ポートランドからシアトルまで運転する途中で......ハイウェイの玉突き事故に巻き込まれたんだ」


 そこまで話した時点でロブは顔を手で覆った。ジーンはロブの両親から聞いた話を思い出す。サリイ=クリストフが交通事故で負ったダメージ、それはプロアスリートとしては致命的なものになりかねない程の損傷。


「脊椎圧迫による視神経の異常及び視野狭窄、それを治療するには外科手術により脊椎の損傷箇所を取り除きその後のリハビリが必要とされる。そして事故の発生箇所と治療スキルの点からサリイ=クリストフはシアトルのセントアクロイド病院に入院している。つまり、ここ」


「ご名答だ、ジーン。そしてその手術の担当外科医は僕で手術予定日が三日後、つまりクリスマス本番なんだ」


「だから最近様子が切迫してるわけね。難手術なの?」


「簡単じゃない。だが事前準備がきちんとしていれば十分現実的に成功が見込める手術だ」


 ロブの言葉にジーンは眉をひそめた。それならばここまでロブが難しい顔をする程ではない気がする。だが彼女の疑問はロブの次の言葉で氷解した。悪い方に。


「問題は......患者が、サリイがこの手術を拒否していて執行出来る目安がたっていない点なんだ」


「え、でもそれしか手がないんでしょう!?」


「ああ。だが視力が極端に低下した恐怖と事故のトラウマで正常な判断が出来なくなっている。今のままだと手術が予定日には行えない」


「リスケジュール出来ないの? 彼女の心の準備が整うまで何とか......」


 ジーンの言葉にロブは首を横に振った。縁なし眼鏡の向こうから寄越す視線は鋭くもどこか暗かった。


「他の患者のオペが詰まっている。もし次の機会を待つとしても一ヶ月は後になる、それじゃ手遅れなんだ。損傷が長期化すればするほど回復の見込みは遅れる!」


 苛立だしげにクラブサンドイッチの最後の一切れを皿に放り出したロブの様子にジーンはかける言葉を失った。ジーン自身はスポーツはあまり得意ではないが、アスリートにとって視力を奪われた状況というものがどれ程ショックかは想像に難くない。それにサリイはまだ18歳だ。事故に遭った直後に冷静に判断しろと言っても無理な話だろう。


 ロブを助ける義理も無ければ、サリイに手術を促す責任もジーンには無い。だが、幼なじみがこれ程痛々しく唸っている様子を見て"じゃあさよなら"と言えるほどジーンは薄情な人間でもなかった。


「サリイさん、今は目が不自由なのよね。毎日どうやって過ごしてるの」


「食事や排泄の際には看護士が補助しているから問題ないんだが、それ以外の時間はずっとベッドで過ごしている。耳は問題ないからラジオを聴いているみたいだ」


「ラジオ? でも局を変えるにも目が不自由なら難しいんじゃないの?」


 ジーンがピンときたのは後から振り返れば勘としかいえない。だがラジオという単語が彼女の仕事と被ったのは確かだ。


「ああ、今は時間設定しておけばどの局を何時に聴くか事前に決められるんだよ。いつも決まったスケジュールでプログラミングした局のラジオ番組を聴いて過ごしているんだ」


「ロブ、そのサリイさんが設定しているプログラム、分かる? もしかしたら助けになれるかもしれないわ」


「......なんだって?」


 困惑したような顔になったロブの目をジーンは真正面から見た。そういえば幼い時はこうやって向き合って話していたのに、いつしか背が伸びるにつれそんな機会が無くなったなと思いながら。







 ラジオ番組をサリイの要請でプログラミングした時に使ったメモをロブがまだ机の引き出しに入れていたのは運が良かった。「こんなもんでいいのか」と言いながらメモを渡したロブに礼を言い、そろそろ休憩時間が終わった彼と別れたジーンは病院近くのカフェに移動してそのメモを睨んだ。恐らく事故に遭う前からアメリカ全土を移動するツアーの最中、ずっとラジオを聴いていたのだろう。ここシアトルの局だけでなくニューヨークやマイアミの局の番組も拾いプログラムに入れている。


 (もし、私が担当の局が彼女のラジオ番組のプログラムの中にあればもしかしたら)


 耳だけを頼りにベッドでラジオに耳を傾けるサリイに、もしラジオ番組を通してメッセージを届けることが出来れば......ひょっとしたら手術への覚悟を決めてくれるかもしれない。あまりに曖昧で可能性の低い手段しか思いつかない自分に舌打ちしながらジーンは15分刻みで作成されたプログラムを見落としが無いように眺める。


 (ロスの局も拾ってはいるけど、でもダメだ、私の担当からは外れている。コンタクトする手段がない)


 トータルで20以上もの局を自在に編集しているのだ、大都市ロスアンジェルスの局が一つ二つ含まれていても不思議ではない。だがジーンが直接担当している局の番組はその中には無かった。


 無理か。もとから無謀な試みだったのか。いや、まだ諦めるには早い。


 (ラジオ局というのは横の繋がりが強いのよ。DJのスケジュール合わせや共同番組などで協力しあう機会が多いから)


 最初にラジオ局との仕事を教えてくれた先輩の言葉を思い出した。そうだ、自分の直接の担当は無くてもこのプログラムの中にあるロスの局と提携関係にあったり、下請をしている局が自分の担当ということは有り得る。だからそこまで視野に入れて探さなくてはいけない。


 プログラミング内にロスの局の番組は三つあった。そこが繋がりのある局を自分の記憶のDBから引きずり出す。同時にスマホも駆使してその番組の情報をインターネットから抽出してみた結果......


「あったわ。彼なら頼める」


 一つの突破口をジーンは発見したのであった。



******


 病院のベッドの白いシーツが自分のぼんやりした視界に広がっているのをサリイ=クリストフは黙って見つめていた。彼女の感じているのはダッシュボードに置いてあるラジオから流れる番組だけだ。元々好きだったけれども事故で目をやられてからよりラジオにすがるようになった。


 "サリイ、視力を元に戻したければ手術しかないんだ。クリスマスの日に予定しているから"


 従兄のロブの言葉が甦る。彼女の主治医でもあるロブが言うことが正しいのだろう、とは思う。


 (でもダメだ、痛い思いは......したくないし)


 サリイはギュッと自分のパジャマの袖を握りしめた。視力が二度と戻らないかもしれないと言われたことも怖かったが、視神経にメスを入れるというのは想像するだけで怖かったし何よりこの前の事故でダメージを受けた体は手術という荒療治を反射的に拒否する。


 ゴルフには戻りたい。だけどもう痛いのは嫌だ。今は目もうまく見えないけれど、ひょっとしたら自然治癒で戻るかもしれない。そんな虫のいいことにすがらねばならないほど、白いシーツの上でラジオが生み出す音の世界に閉じこもったサリイは弱っていたのだ。


 (手術、怖いよ。嫌だ、誰か助けて......)


 そう震えながらラジオの世界に逃げ込む。ぼやけた視界を認めたくない自分の臆病さに背を向けて。

 今日はクリスマスイヴ、12月24日だ。きっと奇跡が起きて自分にもいいことが起きる......そんな薄弱な幸運にサリイ=クリストフは縋りついていた。


 ラジオ番組が切り替わる。時報で夜八時だと分かった。この時間帯はロスの局、一番好きな「チャイナシンドローム」の時間だ。中国系アメリカ人のDJ、チェン=スパーキーが送るリスナーからの手紙の紹介に中国の古典音楽を絡めたラジオ番組。どういうわけか子供の時に中国の古典楽器の演奏を初めて聞いた時からサリイはこの東洋の大国に心惹かれていた。


 (4,000年も昔から存在する国なんてfantasticよね)


 いつか中国にツアーで行く機会があれば是非優勝して中国語でスピーチしてみたい。そう願うほど、サリイは中国という国とその文化が好きだった。


 そんなサリイの気持ちとは関係なくいつもどおりチェン=スパーキーの低い伸びのある声がラジオから流れてくる。BGMに使われている名も知らぬ弦楽器の音が耳に優しく響く。何人かのリスナーの手紙がその響きに乗せられるように読まれていく。離婚した直後のタクシー運転手、彼女との結婚を控えた会社員、昔の恋人を忘れられないウェイトレス......様々な職業の人間がそれぞれの悩みを手紙で訴え、チェンがそれを読みながら彼の持ち前の機転とユーモアを生かして答えていくこの番組がサリイは好きだった。


 "じゃあ次はスペシャルなリクエストだ。クリスマスに相応しい奴な"


 残り10分になった時に聞こえてきたチェンの声にサリイはそんなこともあるかな、と頷いた。なんたって今夜はクリスマスイヴだ。スペシャルなリクエストだってあるだろうし、それに答える特別タイムだってあるだろう。


 "なあ、皆。少しだけ目を閉じて考えてほしい。今、皆がクリスマスイヴを楽しんでいる瞬間もそれを楽しめない人がいることを"


 "色んな人がいるだろうよ。わけあって家族に会えなかったり。ケーキを買う余裕がなかったり。家が無くて寒空の下で震えている人もいる......でも俺が皆に言いたいのは病院のベッドで一人震えている女の子のことだ"


 その言葉にサリイは比喩ではなく心臓が一つ跳ねるのを感じた。ドクン、と体の中が痺れそうになる。


 "その女の子は俺達普通の人から見たらある意味天才なんだ。なあ、覚えてるだろ、この夏アメリカ中を驚愕させた超新星(スーパールーキー)、女子ゴルフ界を席巻した女の子の名前をさ"


 サリイは瞬きすら忘れて耳に全神経を集中させた。白く濁った視界の中でもシーツを握るくらいは出来る。自分の脈拍が速くなっているのが分かる。喉が干上がりそうだった。


 "そうさ。俺が言うのはあのサリイ=クリストフだ。あの豪快なドライバーショットと正確なパッティングを備えたチャーミングなサリイのことさ......"


 チェンの声がラジオから聞こえてくる。信じられない思いでサリイは身動き一つしないまま、その声に集中していた。自分が交通事故に遭ったこと、今も病院のベッドにいることなどを熱を込めてチェンが話すとすぐに"チャイナシンドローム"のサイトにリスナーからの書き込みが連なっていき、それをチェンが読み上げていくのが聞こえてくる。


 静かに優雅に流れる弦楽器の音に乗って届くのはチェンに共感し、サリイに声援を送る人々の励ましだ。遠くロスアンジェルスのラジオ番組を通してシアトルの病院へと手術に怯える一人の少女に言葉に込めた熱が伝わる。


 "元気出してください!"

 "怪我なんかに負けないで。あなたのゴルフを見て凄く励まされました"

 "コースでまたプレイする姿を楽しみにしています!"


 クリスマスイヴなのだ。皆、恋人や家族と楽しい夜を過ごしているのに、それなのに、こんなにたくさんの人が自分のことを覚えていてくれて応援してくれている。


「......私、いったい何をして」


 "Hey、サリイ。俺は君の顔が見えない、だから言葉しか伝えられないんだが......もしもこの番組を聞いているならこれだけは覚えておいて欲しいんだ。君がゴルフを通してたくさんの人に喜びと興奮を与えてくれたってこと。そして今、怪我で苦しんでいる君をたくさんの人が応援していること。君がティーグラウンドに立つ日を皆心待ちにしていることを"


 病室に流れるチェンの声、控えめにボリュームを下げた中国の古典楽器の曲がまるで共鳴するかのように病室に広がる。一人部屋とはいえ病室なのでボリュームは下げているのに、その静かな言葉と音のハーモニーは鼓膜以上にサリイの心を揺らした。


 "もちろん俺もその一人だ。Merry Christmas、サリイ。And Thank you、エブリワン。皆の声援がサリイに届くよう心から願っているよ"


 "チャイナシンドローム"の番組時間の終わりだ。ゆっくりとフェードアウトするチェンの声。それを最後まで耳で追いながらサリイはぐい、と目を手で拭った。気づかぬうちに溢れていた涙の熱が心地好かった。



******


「お疲れ様、チェン」


「ありがとう、今日はこれで終いだな」


 DJブースから出たチェンは声をかけてきたスタッフに返事をしながら髪をかきあげた。中国系アメリカ人としてロスに生きる彼がラジオ番組のDJとして勤務して7年になるがそのキャリアの中でも今日はスペシャルな日だったと言える。


 (なんせイヴの二日前に番組内容の変更強いられたからなあ)


 提携しているアメリカ在住の中国人を主なリスナーとしている局からの要請で番組後半を差し替えたクリスマスエディションを急遽作成する羽目になった。選曲もやり直さねばならなかったし、何よりリスナーの反応が心配で生きた心地がしなかった。


「けど好評で良かったな。俺、ゴルフあんまり見ないんだけどサリイ=クリストフってそんな人気あるの?」


「え? チェン、お前、知らなかったの?あんなに番組で応援してたのに」


「ゴルファーだから応援したわけじゃないしな、俺はただ、イヴなのに病院のベッドにいる気の毒な女の子に皆の声を届けただけさ」


 気取るでもなくサラッと答えたチェンはふう、とため息をついて椅子に腰掛けた。ミネラルウォーターで喉を潤しながら先程の"チャイナシンドローム"の出来について考える。
 特定の一人の人間の肩を押すのはどうかな、とは思ったがすぐにその考えを翻した。彼自身はあまりゴルフに興味は無いが18歳の才能ある女の子が病室で震えている図を想像するとやはり寂しいものはあったのだ。


 (イヴの夜くらい、ちょっと羽目外してもいいさ。ロスの俺達から君へのプレゼントだ、サリイ)


 10分後、スタッフに「Have a nice night」と言い残しチェン=スパーキーは局を出た。彼にも家族とイヴを楽しむ権利はある。



******



「そう、手術成功したの。良かったわね」


 クリスマス休暇を終えてシアトルからロスに帰るその日、ジーンは車の助手席に座っていた。アウディのクッションは乗り心地がよく、比較する意味が無いとは分かっていても自分が行きに利用したレンタカーとは雲泥の差だなと思ってしまう。


「ああ。クリスマス当日にさ、サリイに手術受ける気あるかダメもとで聞いてみたら受けると言ってくれてね。ビックリしたけど、オペの準備は終わっていたからそのまますぐに手術室にGoだったよ。オペ自体も上手くいった」


 ハンドルを握るのはロブだ。ジーンがちらりと横目で彼を見るとずいぶん顔が晴れやかになっている。その横顔の向こうでハイウェイの景色が爽快だ。


「全部君のおかげなんだろ、ジーン。いったいどんな魔法を使ったんだ? たった一夜でサリイの気持ちを変えてしまうなんて」


「私は魔法なんて使えないわ、季節外れのハロウィンの魔女(ウィッチ)じゃないもの」


 ジーンは肩をすくめた。だがその口元には微笑が浮かんでいる。


「私がやったのはちょっときっかけを作っただけ。彼女に手術を受ける勇気の翼を与えたのは彼女を後押しする人達の声とそれを最高の形で伝えたDJの力よ」


「......ま、そういうことにしとくよ、敏腕プロデューサー様」


 ロブの声も明るい。それが聞けただけでジーンは苦労した甲斐があったと思えた。なんだかんだいってクリスマスイヴ直前のこの時期にクライアントを掴まえて提携先の局の番組の内容にサリイを応援する時間を組み込んで欲しいと頼み込むのは骨が折れた。最終的にはサリイがプレイに復帰した時には今回の件に触れてそのラジオ番組のイメージアップに一役買ってくれ、という向こうのリクエストを承諾せざるを得なかった。


 (でもまだサリイさんにもロブにもそれは伝えていないのよね。事後承諾になっちゃうけど、まあ大丈夫かな)


 これからサリイにはリハビリが待っている。その回復期間の間にゴルファーが所属するマネジメント事務所とラジオ局で話をしてくれれば問題なく片付く話だ。とりあえず今は一人の女の子が将来を閉ざさずに済んだことと自分の幼なじみが明るい顔になったことを喜ぼう。


「It's enough now」


「ん? 何が?」


「何でもないわよ」


 "それで十分よね"ともう一度心の中で呟き、ジーンはカフェモカの最後の一口を啜った。空港まではまだ時間がある。幼なじみのドライブも休暇の締めくくりとしては悪くない。
だからこの世は捨てたものでもない、Maybe......

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