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ガーナートのダルシエス

作者:光太朗

 奇跡の妖精ダルシエス
 優しい妖精ダルシエス
 もしもあなたが出会えたら
 もしも願いを聞かれたら
 思いを言葉にしてごらん




「クリスマスがしたい」
 キリルの提案は予想外で、かつ予想どおりでもあった。ミルシャは怒鳴りつけようと息を吸い込んで、思い直してゆっくりと吐き出す。できるだけ落ち着いた声で、けれど冷たく、返した。
「馬鹿いってんじゃないの。あんたがいってるのはパーティーのことでしょう。ああいうのは金持ちがやることよ。教会でお祈りすれば充分だわ」
「でも」
 キリルはなおも食い下がろうとしたが、言葉が続くことはなかった。なんでもない、と首を振り、ミルシャから手を離す。外出用の赤いコートが冷たい空気をはらみ、静かに下りた。
 ミルシャはため息を吐き出した。弟の栗色の頭に手を乗せて、その顔をのぞき込む。真っ白な顔は、こうして外まで見送りに来たことで、さらに青白くなっていた。
「姉ちゃんは、今日も明日も明後日も、お仕事よ。キリル、こんなに寒いんだから、家のなかでおとなしくしてなさい」
 できるだけ早く帰ってくるから──加えたかった言葉を飲み込む。プレゼントだって用意するわと、本当はそういいたかったが、約束もできないのに期待を持たせるわけにはいかなかった。
「わかったよ。……ねえ、でも姉ちゃん、もしダルシエスがいたら……」
「いいかげんに、夢を見るのはやめなさい。奇跡の妖精、存在そのものが奇跡で、物語よ。だいたい、あの歌は……──」
 いいかけて、ミルシャは黙った。この町には、歌として伝えられる物語がある──奇跡の存在に憧れる気持ちは、わからないでもない。
 だが、キリルはもう八歳だ。夢を見ていい年齢ではない。ミルシャが八歳のときには、まだ一歳のキリルを連れて、右も左もわからず、それでもなんとか生活をしていかなければならなかった。子どもではいられないはずなのだ、お互いに。
「おとなしくしてるのよ」
 それは、この姉弟間において、行ってきますと同じ意味だった。キリルはうなずいて、返す。
「行ってらっしゃい」
 振られた手に小さく微笑んで、ミルシャは冬の町へと歩きだした。


 ガーナートの町は決して大きくはなかったが、それでもある程度の規模はあり、東西に大都市が控えているため、訪れる旅人は多かった。主に商人が町に立ち寄り、一夜の宿をとっていく。ミルシャの仕事は、そんな旅人たちの世話だった。
 幼いころは、宿の掃除ばかりをやっていた。十二歳のころからは荷物持ちや身の回りの世話も任せられるようになり、十五歳になったいまは、給仕をすることも許された。賃金は格段に上がり、いまではキリルを町医者に連れていくこともできる。うまくいけば、もっと良いものだって食べられるようになるはずだ。ミルシャはこの仕事に感謝していたし、やりがいも感じていた。
「ミルシャ! お客様のいいつけだ、ここに書いてあるものを揃えてきな。寄り道するんじゃないよ」
 宿につくなり、女主人にメモと布袋を渡された。歯切れよく返事をして、ミルシャはさっさと表通りへ飛び出す。客の買い物は好きだった。自分で買い物にも行かないような客は、駄賃をはずんでくれることが多いのだ。
 町は、様々な光と飾りで彩られていた。メモにある買い物を済ませるには少なくとも三つの店を回らなければならず、ミルシャは、道中にあるウィンドウの誘惑と戦わなくてはならなかった。
 きらきらと輝く洋服たち。リボンのあしらわれたカバン、ふわふわの靴。飾りのついたクリスマスツリーに、ビンいっぱいのキャンディ。
 弟の言葉が、耳に張り付いている。
 クリスマスがしたい──それは、ミルシャだって同じだった。けれど、ミルシャはクリスマスというものを忘れてしまった。幼いころに両親を亡くし、それからは働いてばかりだ。それでも家族がいたころは、ささやかながらもあたたかいパーティーをしていたはずだ──それとも、幻想だろうか。忙しい日々は、どこまでもどこまでもミルシャを追いかけて、彼女の記憶すら奪っていくかのようだった。
「お母さん、これ、開けてもいい?」
 男の子が、自分の顔よりも大きな箱を抱えて道を行く。見上げる先には、優しい眼差しの母親。ミルシャは思わず、二人の姿をぼんやりと目で追っていた。
「今夜のお祝いのときにね。今日はごちそうよ。なにかわかる?」
「ええと……チキン! ホットパイも、あるかなあ」
 男の子が声をあげ、母親は柔らかく笑った。どうかしらね──そんなやりとりを残して、人混みに消えていく。
 ミルシャは瞳を伏せた。改めて見るまでもなかった。イブの町は、幸せな家族であふれている。きっと、そこにそうしているだけで、彼らは幸せなのだ──それが、家族というものなのだから。
 もう一度、ウィンドウに目を戻す。キリルの好きそうな、色とりどりのチョコレートをじっと見つめた。値段の札がぶら下がっていて、凝視する。すぐにため息が漏れた。
 ケーキは無理でも、せめて、なにかを。弟のいうクリスマスはできなくても、それでも、なにかを──しかし、そんなものは夢のまた夢なのだろうか。
「しけた面してんなあ、お嬢さん」
 突然聞こえた声に、ミルシャは文字どおり飛び上がった。内容に驚いたのではない、その声があまりにも近くで聞こえたからだ。
 耳を押さえ、あたりを見る。町の景色はなにも変わらず、ただミルシャを追い越していた。
「……?」
 気のせいだろうか。いいつけられた買い物の存在を思い出し、慌てて歩き出す。しかし、声は追ってきた。
「おいおい、聞こえてんだろ。声をかけられたらこんにちは、って返すもんじゃないのかねえ」
 今度はもっとはっきりと聞こえ、ミルシャは足を止める。振り返り、息を飲んだ。
 悲鳴を上げなかったのが不思議なぐらいだった。小さな小さな存在が、ミルシャの目の高さにいた。手のひらぐらいの背丈に、透き通った羽根──金色の髪は、結われてなお、足まで伸びている。
 妖精だった。
 絵本でしか見たことのない、奇跡の生き物だ。
「あ、あなた……」
「あんたを知ってるぜ、ミルシャ=ランドゥース。おっと、こっちも名乗ったほうがいいのかな? といっても、実のところ名前はないんだがね。見てのとおり、妖精さ」
「……妖精……本当に?」
 ミルシャは、信じられない思いでその生き物を見た。たしかに、その現実離れした姿は、妖精でしかあり得ない。口調は丁寧とはいいがたく、いたずら小僧のような顔をしているが、羽根が生えていて飛んでいるのだから、そうなのだろう。人間にすれば、キリルと同じぐらいの年齢だろうかと、ちらりとミルシャは考えた。だがそんなことは、考えたところでわかるはずもない。
 ミルシャは、ゆっくりと周囲を見回した。だれもこちらに注意を払う様子はなく、やはり幸せな家族で溢れている。自分にしか見えていないのだろうか。
「妖精が、あたしになんの用?」
 おそるおそる、聞いた。妖精は鼻を鳴らし、腕を組む。
「夢がないねえ、ミルシャ=ランドゥース。イブの日に妖精に出会えて、いうことはそれだけかい? 仕事なんかやめて、早く帰ったらどうだい。願いごとをいったっていいんだぜ。叶えてやるかどうかは、オレさまの気分次第だがね」
 ミルシャは、眉をひそめた。その物言いは、聖なる存在というよりも、邪悪なそれを連想させた。願いごとをいえば魂をとられるのではと、そんなことまで考える。
 ひやりと、額になにかが触れた。続いて、むき出しの手にも落ちてくる。雪だ。踏みしめられた雪の絨毯に、新しい白が重なり始める。
「悪いけど、忙しいの」
 急がなければならないと、ミルシャは歩きだした。おかしななにかに時間をとられている場合ではない。
 妖精と名乗ったそれは、それ以上追ってはこなかった。ただ背後で、あきれたように息をつく気配がした。


 叱られることを覚悟していたのに、遅れてしまったことについて女主人はなにもいわなかった。ただ、お客様がお待ちだと、部屋の番号を教えられた。
 買い物の内容は、他愛のないものだった。シャンパンと、果物と、本。それから、レースのついた赤いハンカチ。ハンカチは、店に入るなりすぐに差し出された。事前に頼んでいたのだろうか。
 部屋のドアをノックしようとして、躊躇する。三階の部屋はどこも大きく、特別な客のためのものだった。長く働いているが、ミルシャもひとりで入るのは初めてだ。緊張に胸をふるわせ、深呼吸をする。
 宿に入る前に雪は落としたが、コートに汚れがついているといけなかった。丁寧に払って、しわを伸ばす。上着は脱ぐべきだろうかと考えたが、それよりも早く渡すべきだろう。意を決して、ノックした。
「失礼します。おいいつけのものを、揃えて参りました」
 震えることなく、自然な声が出た。そのことに誇りすら感じ、ミルシャは背筋を伸ばして返事を待つ。やがて、どうぞ、と声が届いた。失礼にならないよう、そっとドアを開ける。
 部屋の奥では、紳士然とした男性がソファに腰をうずめていた。丸い眼鏡をしていて、それだけで裕福なのだとわかる。彼はミルシャを一目見ると、相貌を崩した。
「ありがとう、ミルシャ。ここに置いてくれるかい?」
 それはひどく優しい笑顔で、ミルシャは思わずどきりとした。金持ちというものはもっと高圧的なものだと勝手に思っていたのだ。嬉しくなり、軽い足取りで示されたテーブルの前に立つ。布袋から、ひとつひとつ品物を取り出した。シャンパン、リンゴ、本──
「ああ、いや、そのハンカチはいいんだ。君が持っていてくれ」
 最後にレースのハンカチを取り出すと、男はそういってミルシャを制した。わけがわからず、ミルシャは戸惑う。いいといわれても、確かにメモにあったはずだ。
 彼はゆったりとした仕草で立ち上がった。ミルシャを追い越し、ドアへ向かうと、鍵をかける。振り返り、静かに笑った。
 その優しい表情のなかに、なにか別の色が潜んでいる気がした。ミルシャの知らないなにかだ。背筋が寒くなる。得体の知れない、いやな予感。
「あの……?」
「詳しくは聞いていない? 私が最初なのかな。そのハンカチは、君へのプレゼントだ。ほかにも、たくさん、お金をあげよう。君が欲しがるのなら、クリスマスのプレゼントだってね」
 男が、眼鏡を外した。身を堅くするミルシャの手をつかみ、甲に唇を落とす。
 瞬間、漠然とではあったが、ミルシャは理解した。これはつまり──買われたのだ。ミルシャそのものを。
 宿で働く女性たちが、客に呼ばれたまま一晩帰ってこないことは、たびたびあった。しかしミルシャは、そのことについて深く考えたことはなかった。考えないようにしていたのかもしれない。まさかこんなことが行われていたなんて、想像もしたくなかったのだ。
「だいじょうぶ、緊張しないで。私は優しいよ」
 男が笑う。その笑顔が優しいものだとは、もうミルシャには思えない。
 とっさに、手をふりほどこうとした。しかし、無駄なあがきだった。笑っているというのに男の手は力強く、ミルシャを離そうとしない。もう片方の手が腰を引き寄せ、瞳に剣呑な光が宿った。
「拒絶するんじゃない。こんな奇跡が何度もあると思うな。君は転がり込んできたチャンスに、喜ぶべきだ。たった一晩で君の元に入る金がどれほどのものか、想像できるかい」
 奇跡──その言葉に、妖精の姿がよみがえる。どうして、こんな目に遭うのだろう。悪い夢なのだろうか。
 脳裏に、キリルの笑顔が浮かんだ。
 そうだ、お金さえあれば、ケーキも、チョコレートも、おもちゃも買ってあげることができる──キリルのいう「クリスマス」を、することができる。ミルシャの心臓が、ぐらりと歪んだ気がした。
 簡単なことだ。決して、悪いことではない。
 少しの間、目と意識とを、閉じていればいいのだ。きっと、それで終わる。
 ふとミルシャの力が抜けたのがわかったのだろう、男は目を細めた。
「いい子だ」
 唇が寄せられる。生まれて初めて、そこに知らない男のものが重なった。息ができない。なまあたたかいものが侵入してきて、口の中を舐め回される。
「────っ」
 意識を閉ざすことなど、できそうもなかった。たまらない嫌悪感。泣きそうになる。
 けれど、ここで泣いてしまったら、きっと良いことにはならないだろうと、ミルシャでも想像がついた。ただ、じっと堪える。震えていた身体が、次第におさまっていった。もうどうしようもない。ほかに、選択肢などない。
 不意に、男が顔を上げた。ミルシャの肩を抱いたまま、怪訝そうな顔をする。ぼんやりとした頭で、ミルシャは男の顔を見た。彼はドアを振り返り、いらだちと驚きの入り交じった顔で、じっとそこを見つめていた。
 ノックの音が聞こえて、ミルシャは理解した。気づかなかったが、きっと何度か叩かれていたのだろう。男が低い声を出す。
「なんだ、あとにしろ」
 最初に感じたような優しさは、もう欠片もなかった。ドアの向こうからは、困ったような声が聞こえてくる。
「もうしわけありませんが、ちょっとこちらの手違いがありまして。その子を出していたけますか」
 女主人の声だった。もやのかかっていたミルシャの視界に、光が差す。手違いと、そういった。なにかの間違いだったのだろうか。
「どういうことだ、今更──」
「ですが、問題があったのでは、お客様にもお詫びのしようがございませんし……」
 柔らかいが、有無といわせぬ響きを持っていた。男は鋭く舌打ちをする。ミルシャを一瞥すると、黙って肩を押した。ミルシャはよろめき、考えるよりも早くドアに駆け寄る。振り返るのも恐ろしくて、そのまま急いで部屋から出た。
 しかし、そこには、女主人の姿はなかった。代わりに、小さな生き物が、怒ったような顔をしてミルシャを見ていた。
「あ、あんた──!」
 妖精が、唇の前で人差し指を立てる。ミルシャは慌ててドアを閉めて、妖精の手をひっつかんだ。階段をかけ降りようとして、思い直すと、そっと静かに降りていく。裏口からこっそり宿を出ると、一目散に通りから離れた。
「おい、まず礼だろう! どういうつもりだ、ミルシャ=ランドゥース!」
 立ち止まると同時に、妖精が小さな身体で吠えた。ミルシャは呼吸を整え、それから妖精をにらみつける。まだ頭は混乱していて、わけのわからない苛立ちに支配されていた。
「どういうつもり、はこっちがいいたいわ! たくさんお金をもらえるはずだったのに、あんたのせいで台無しよ! 助けたつもりなんでしょうけど、そんなこと、だれも頼んでない!」
 声にして怒鳴って、それからはっとする。こんなことがいいたかったのだろうか。だが、もう遅い。興奮のあまり、ぼろぼろと涙がこぼれ出た。なにをしていたのか、なにをしたかったのか、自分で自分がわからない。
「オレさまだって、好きであんなことしたと思うなよ! まったく、とんだ貧乏くじだ」
 妖精は怒っていたが、それでも最後は愚痴のように、小声でつぶやいただけだった。ミルシャが雪の上に座り込むと、それに合わせて降りてくる。逡巡するような間を挟み、小さな手でミルシャの頭をそっと撫でた。
 ミルシャは、両手で顔を覆った。どうすればいいのかわからない。今更、宿には──ましてや、あの部屋には戻れないだろう。今後も働いていけるのだろうか。また、同じようなことがあるとして、それでも。信頼している女主人は、なにもいってはくれなかった。それとも、あれは、ごくあたりまえのことなのかもしれない。
「……あなた、ダルシエスね」
 ぽつりと、ミルシャはつぶやいた。この町に伝わる歌だ。奇跡の妖精、ダルシエス。
 妖精は答えなかったが、否定しないこと自体が、肯定に思えた。ミルシャは赤くなった手で涙を拭うと、顔を上げた。願いをいってもいいのだと、彼はいったのだ。妖精というのが奇跡の存在ならば、すがってもいいはずだった。
「お願い、聞いてくれるでしょう。あたしじゃ、もうダメだわ。キリルに──弟に、どうか、家族をちょうだい。クリスマスにはちゃんとパーティーをしてくれて、プレゼントもくれて……特別な日じゃなくても、夜には一緒に食卓を囲める、あたたかい家族。裕福じゃなくてもいいの。弟に、家族を、あげて。お願い」
 これ以上泣くまいと、ミルシャは全身に力を込めて、そう告げた。妖精は眉ひとつ動かさず、黙って聞いていた。
 自分はもう汚れてしまったのだと、思った。自分では、弟を幸せにできない。知っていたことだ。だが、突きつけられてしまった思いだった。
 妖精は、鼻を鳴らした。
「それで、あんたはどうするんだ、ミルシャ=ランドゥース?」
 その問いは、予想していないものだった。ミルシャは両手を握りしめる。寒さで感覚のなくなった手のひらに、血がにじむほどに。
「ひとりなら、生きていけるわ。仕事を変えたってやっていける。──わかるでしょう、あの子が重荷なの。邪魔なのよ」
 声が震えてしまわないよう、細心の注意を払った。なるほどね、と妖精はうなずく。
「あんたのいいたいことは、よくわかった」
 そういい残して、妖精は飛び上がった。金色の髪が舞い上がり、まばたきした次の瞬間には、もう姿を消していた。
 なにごともなかったように、雪が降り続けていた。いつのまにか、日が暮れようとしている。
 立ち上がろうとして、力が入らないことに気づいた。願いは、聞き届けられたのだろうか──だとしたら、自分は、本当に。
 雪をすくい上げ、その手で自らの頬を叩いた。冷たさと熱さとがじんわりと広がる。
 確かめなければならない。
 ミルシャは、立ち上がった。

 
 ミルシャの家は、ガーナートの裏路地の、ずっとはずれにある。あちらこちらがぬけ落ち、かけた石造りの家屋で、四角い建物には複数の人間が割り当てられて暮らしていた。聖夜だというのに、相変わらず裏路地には酒ビンが転がり、仕事を持たない酔っぱらいが静かに眠っていた。慣れた足取りでそれらを避けて、ミルシャは家の前に立つ。階段を上った二階の小さな一部屋が、ミルシャとキリルの家だった。
 見上げた窓に、灯りがついていることに驚いた。妖精は願いを叶えなかったのだろうか。それとも、あの場所に新しい家族がいるというのか。まったく別の人間がいるのかもしれない。
 確認せずに、姿を消すわけにはいかなかった。ミルシャは建物に入ると、そっと階段を上っていく。扉の前で、耳を澄ました。
 声は聞こえない。気配、はあるような気がした。キリルのそれかどうかまでは、わからない。
 ためらったが、結局、ミルシャはノブに手をかけた。できるだけ音をたてないよう、気づかれないように、少しだけ開ける。ちらりとでもなかをのぞくことができれば、それで充分だった。
「姉ちゃん、お帰り!」
 しかし、予想に反して、キリルの元気な声がミルシャを迎えた。ミルシャは拍子抜けしてしまって、言葉も返せない。では、あの妖精はなんだったのか。やはり、願いなど叶えることはできなかったのだろうか。
「た、ただいま、キリル」
 どこかばつの悪い思いで、小さく返す。やっと、ケーキどころか、プレゼントもなにも用意できていないことに気づいた。どっと後悔が押し寄せる。
 しかし、キリルは上機嫌だった。にこにこと笑って、ミルシャの手を引く。どこかいたずらっぽい笑みを浮かべて、部屋のなかを得意げに示した。
「見て! クリスマスだよ!」
 目に飛び込んできた光景に、言葉を失った。
 飾り気などなにもない、殺風景な部屋は、いまや別世界になっていた。
 窓際に、小さなクリスマスツリー。がらくたを寄せ集めて作られたそれは、黒や灰や茶しかなかったが、それでもたしかにツリーだった。様々な部品がロープやリボンでくくりつけられ、ヒイラギの実で彩られている。
 なにも敷かれていなかった床には、ちぐはぐの布が絨毯として置かれていた。捨てられていた服の類を拾い集めて、縫い合わせたのだろうか。そのほかにも、クリスマスを意識したであろう飾りが、あちらこちらからぶら下がっている。
 テーブルの上にはチキンが乗っていて、シャンパンのビンすらあった。チキンは、ターキーとはいかないが、それでもかなりの大きさだ。どこかで買ってきたのだろう、赤いリボンがついている。
「あんた、これ……」
 やっとこのことで、ミルシャは声を出した。キリルがひとりで用意したのだろう。これだけのものを作り上げるのは、どれほど大変だったろう。
「まだあるよ。はい、姉ちゃんに、プレゼント」
 はにかんだように笑って、キリルが黄色い箱を取り出す。ほとんど頭が働かなかったが、それでもミルシャはリボンをほどいた。
 出てきたのは、淡い水色の手袋だった。
「あんた、どこに、こんな金……! チキンだってシャンパンだって、どうして──!」
「ちゃんと、お小遣いを貯めたんだよ。姉ちゃん、自分ではなんにも買わないのに、ぼくにはお小遣いをくれるから。使わないで、とっておいたんだ。この日のために」
 そういったキリルの手には、傷跡が見て取れた。どうしていままで気付かなかったのだろう。何日もかけて用意したはずだ。慣れないことばかりをして、裁縫だってなんだって、簡単にはいかなかっただろうに。
 ミルシャは胸を押えた。なんといえばいいのかわからない。
 クリスマスがしたいといった、キリルの言葉が蘇った。
 では、こういうことだったのだ。最初から、このつもりだったのだ。彼のなかにはこの計画があって、だからこそ、あんなことをいったのだ。
「キリル……」
 ミルシャはひざをついた。キリルに手を伸ばす。けれど、抱きしめてはいけない気がした。自分は、いらないとまでいったのに。弟が邪魔だと、新しい家族を与えてやってくれと──それなのに、この小さな弟を、抱きしめてもいいのだろうか。
「姉ちゃん」
 ためらうその手を、キリルが取った。寒さでがさがさになった手のひらに、頬を寄せる。
「大好きだよ」
 ミルシャは、キリルを抱きしめた。様々な感情が湧き起こる。ごめん、と謝らなくてはならなかった。ありがとうと、いいたかった。
 けれど、その二つの言葉を、ミルシャは飲み込んだ。
「大好きよ」
 それで、じゅうぶんだという気がした。二人で、たしかに、家族なのだから。
「あのね、それとね……」
 キリルが背伸びをする。ミルシャは首をかたむけて、キリルの口元に耳を持っていった。キリルは小さな声で、そっと囁いた。
「ぼく、会っちゃったんだ。妖精ダルシエスに。それで、お願いしたんだよ、今年はクリスマスがしたいって。姉ちゃんとお祝いして、チキン食べて、いっしょに過ごしたいって」
「……ダルシエスに?」
 ミルシャは、目をまたたかせた。そうして、納得した。
 彼の行動を思い起こす。そのひとつひとつに、思わず吹き出した。
「あの妖精、願いなんて叶えられるのね?」
 冗談めかしてそういうと、すぐに不機嫌な声が飛んできた。
「──どういう意味だ、ミルシャ=ランドゥース! オレさまは立派にキリル=ランドゥースの願いを叶えたぞ! 歌のとおりだろう、文句あるか!」
 いつの間に現れたのか、最初からそこにいたのか──ダルシエスは憤然と腕を組み、怒り心頭の様子でミルシャを睨みつけていた。ミルシャは慌てて口を押え、ごめん、とつぶやく。
「そもそも、この準備だって、オレさまがいてこそだ。こんなチビひとりでここまでできるわけないだろう。オレさまが入れ知恵して、それでやっと、この完成度だ。もっと感謝しろ」
 妖精といっても、不思議な力でなにもかもを解決するというわけにはいかないのか──ミルシャは、「願い」のできばえにくすぐったいような気持ちになった。自分の知らないうちに、二人は出会っていたのだろう。そうして、妖精のいうとおり、彼は立派に願いを叶えたのだ。
「友だちなんだ」
 キリルが笑って、妖精を抱く。嫌がる素振りを見せながらも、まんざらでもないようで、妖精は顔を赤らめてキリルの腕のなかに収まっていた。
「奇跡の妖精ダルシエスがついてたなら、もっといろいろできたでしょう? キリルにはプレゼントはないの?」
 ちょっとしたいたずら心で、そういってみる。キリルは、そんなことは思いもしなかったという顔で目をまたたかせ、妖精は目を三角にした。
「そらきた! だから、その名は嫌いなんだ! だれがつけたんだか、勝手に歌にしやがって! そもそも、おまえら人間はあの歌を誤解してる。あの歌はなあ……」
「ねえ、ダルシエス、ケンカはやめよう?」
 キリルが妖精の頭を撫でるだけで、彼は一気におとなしくなった。鼻を鳴らして、そっぽを向く。ミルシャは笑ってコートを脱ぐと、食卓についた。
「せっかくだもの、クリスマスしようか」
「うん!」
 キリルも、ミルシャの向かい側にすわる。それから、胸に抱いていた妖精を、テーブルの上でそっと離した。憮然としながらも、妖精もそこに腰を下ろす。ミルシャのいないときには、こうして二人で時間を過ごしたのだろう。
「あのね、ダルシエス。君と二人でいて、ぼく、わかったことがあるんだ。それで、聞いてみたいことがあるんだけど──」
 キリルがいって、ダルシエスの顔をのぞき込む。ミルシャにも、わかったような気がした。そっとキリルに目配せをして、ふたりでうなずく。
 ガーナートの町に、古くから伝えられる歌。それには、二つの解釈があった。願いを叶えてくれる奇跡の妖精の物語と、もうひとつ。
 ミルシャとキリルは、この歌をよく歌っていた。二人には、すぐにわかったのだ。
 なにごとかと身構える妖精に、思わずミルシャは笑った。キリルも楽しそうな顔をして、それから息を吸い込んだ。
「ダルシエスのお願いごとは、なあに?」
 ふたりの声が重なる。妖精は、目を見張った。
「お、おまえら……」
 真っ赤な顔をして、黙ってしまう。
 ふたりは、知っていた。きっと、町に暮らすだれもが、本当は知っていた。奇跡を願い、すがることはあっても、勘違いなどしていないのだ。
 伝えられるのは、優しい妖精の物語。 
 ミルシャとキリル、ふたりの目がじっと見つめて、妖精はとうとう、つぶやいた。家族が欲しいと、とてもとても小さな声で。




 奇跡の妖精ダルシエス
 優しい妖精ダルシエス
 もしもあなたが出会えたら
 もしも願いを聞かれたら
 思いを言葉にしてごらん




 ミルシャとキリルと、ダルシエスと、三人の家族のあたたかい聖夜が、更けていく。窓の向こうでは月がちらりと微笑んで、彼らの笑顔を照らした。









読んでいただき、ありがとうございました。心から感謝致します。
少しでも良いものが書けるよう、精進致します。

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