果てしなく阿呆な物語 <秘境の湯>
「もうすぐ、冬休みだね」
悪友が言った。
「ん? そうだけど?」
奴の意図を汲みかねて、俺は曖昧な返事をする。
「スキー、行かね?」
冬だしな。
「いいんじゃない?」
「女の子も誘ってさ」
そういうわけかい!
と、内心、突っ込みはしたものの、断る理由などあるはずもない。俺が同意すると、行動力ある悪友は、あちこちに声を掛け、気づけば数人が集まっていた。その中には、俺的に可愛い子リストナンバーワンの彼女が、いる。
ナイスだ、悪友。
机の上には、奴が集めた旅行会社のパンフレットが並んでいる。
「どこがいい?」
「安いとこ」
見も蓋もない、俺。現実主義と言ってくれ。
皆でパンフレットをぺらぺらめくり、好き勝手に候補を挙げていく。
「あ、ここ!」
俺の脇で、彼女が嬉しそうに可愛い声を上げた。
彼女は温泉自慢の宿を指差していた。でっかい岩に雪に覆われた露天風呂。『秘境の湯』と書かれている。どのへんが秘境なのか、いまいちピンと来ないけど。
だがしかし。
問題は、そこではない。
露天風呂だ……。
露天風呂だ――。
露天風呂だ!!!
湯煙の中の彼女。
ほんのり桜色の肌。
見たい。
見たい。見たい。
いや、見ちゃまずいだろう。
そんな、俺の心の葛藤をよそに(いや、葛藤が伝わってもまずいんだが)、彼女は尚も嬉しそうに続ける。
「この温泉、お猿さんが見られるんだって」
目がきらきらしている。
どのへんがポイントなのか俺には分からないけれど、つられて俺も温泉に浸かる猿をイメージしてみた。
猿が温泉に浸かる。
まぁ、あるよな。そういう写真、見たことあるし。
「きっと、可愛いよね。一緒に入れるのかな?」
「いや、それは無理なんじゃない」
あ、現実的なことを言ってしまった。せっかく、彼女が楽しそうなのに。
「えー」
案の定、彼女は不満顔。慌てて俺は言い繕う。
「ほら、野性の猿って、結構、危険だからさ。万が一、お客さんが怪我でもしたら宿の人は困るじゃん。だから、宿の風呂には猿が入れないようになっているんじゃないかなぁー、と」
「そっかー」
残念そうだが納得する彼女。ごめんね、君の夢を壊して。
しかし。
「じゃあさ、お猿さんだけが入れるお風呂なら、どこか近くにあるかな?」
まだ、諦めきれないらしい。
「うん、そうかもね」
このへんは曖昧に答えておこう。
「そうなると、お猿さんを脅かしちゃいけないから、気づかれないように、息を殺して、そーっと見ないと駄目だよね? 『お猿さんのお風呂です。そっと、ご覧下さい』って感じに看板があったりして……」
そっと、ご覧下さい?
板壁の隙間から、猿の入浴シーンを覗く自分の姿をリアルに想像してみた。
………………。
ごめんなさい。
俺はまだ、人間としての尊厳を捨てたくありません。
許してください。
結局、彼女ご推薦の宿は却下された。
猿のせいではなく、お値段の都合で、だけど。
追記
『猿の見られる温泉』は、温泉に浸かっている猿を見ることが出来るわけではなく、裏山に猿が住み着いているから、運がよければ宿から猿を見ることが出来るかもしれない、という意味だったらしい。
分かりやすく書けよ、パンフレットの広告係。
半分くらい実話です。
あまりにも阿呆らしい会話だったので、脚色して文章にしてみました。