神戸にて…
帰ってくれんか…。
いまさら警察がワシに何の用があんねん。
お嬢はん…わざわざ東京から来てくれはったのになんやけどな、ワシはあの12年前の事件の事は正直、もう思い出しとうもない…。
もう警察にも刑事にも懲り懲りなんや…。
出来る事ならこんな老いぼれの事なんぞ、放っておいてほしい…。
ワシみたいな一介の時計技師の人生なんぞ、そりゃあ世間の人に言わせれば、平々凡々たるもんやけどな…それでもあの事件が起こらなんだら、ワシの人生は今よりもう少し違っていたかもしれん…。
ワシの人生はあの事件をきっかけに狂い始めたようなもんなんや…。
こうして街の小さな時計屋を営んで、いろんな人に助けてもらいながら、今もなんとか食い繋いどる…。
人の人生いうもんは時計とは違うやろ…。この柱時計みたいにネジや歯車といった部品を交換したり、ゼンマイを巻き直してやれば、再び元どおりに動き出すようなもんとは違うのや。
………。
あの学園で、また事件が起こったのはワシも知っとるわい。テレビやら新聞やら、そりゃようけ騒いどるよってな…。川島由紀子さんいうたか…まだ若いのに、ほんま痛ましい事や…。
マスコミっちゅうのはあの頃からなんも変わっとりゃせん!どこよりも先に話題をさらおうと、根掘り葉掘り人様の恥をほじくり出して、火のない所からでも平気で煙を出そうと躍起になりよる…。
12年前はワシなんぞ、事件の第一発見者やっちゅうだけで、連日のように取材やらなんやら、無茶苦茶にされたもんや…。
人には知られたくないプライベートな部分まである事ない事書き立てられてな…なんも悪い事なんぞしてへんのに、被害者の家族や、世間の人達から白い目で見られてな…。
警察の人も何人も来て事情を聞いていきよった…。
その度にワシらは窶れていくような思いやったわ。
ワシの…ワシの女房はあれから身体を壊して…。
うぅっ…。
………。
今さら何を話せっていうねん…。今のワシの人生は抜け殻みたいなもんや…。
女房も、もうおらん…。
娘夫婦もこんな所にいたくない言いよって、孫を連れて海外へ行ってしまいよったわ…。
…………
…真実が知りたいやと!?
…何を、偉そうに!
…アンタに何がわかるっちゅうねん!
殺人事件いうのはな、終わりなんてないねん!
被害者が死んで…、殺した犯人が捕まったか自殺したからといって…犯人が裁判所や警察だのといった司法の手で裁かれたからといって終わりやないねん!
被害者の家族や関わった人間、真実やら真相やら知りたい思う人間にとっては…一人一人の気持ちに決着がつかん限りは決して終わりなんかないんや!
マスコミやら、名探偵を気取った人間は何も知らんと『真実は一つ』なんて、平気でぬかしよるけどな!
そんなんは何も知らない人間の戯言じゃ!やかましいわい!
そないな言葉はみだりに口にしたらあかんもんや!
…………
……。
怒鳴ってスマン…。
お嬢はんかて、今さらあの事件を調べるからには、なんぞ理由があっての事やろう…。
お嬢はん…ワシはこの時計屋で静かに時を刻んどる、この時計達と同じや…。
ただ動いてるだけのもんなんや…。どうかそっとしといてんか…。
…………。
…何やて!
おい!お嬢はん、あんた…今、なんて言うた!?
武内先生は自殺したんじゃないかもしれん、やと!
…あんた、本気でそないな事、思うてるんか?
いや、しかしな…そない言うたかて、あの事件はもう終わっとる事や…。
アンタも刑事ならわかるやろ…科学捜査やら何やら、ワシにはようわからんけど、検死の人やら鑑識の人やらも言うとったわ。
あれは自殺や。気が狂った哀れな男が作り出したイカレた殺人事件や。
…なぜ自殺しなければならなかったのかって?
そりゃ自分の罪が怖くなったからと違うんかい?鬼の目にも涙っていうやろ。
いくら酔っ払ってたから言うたかて、女子高生を一人監禁して、あまつさえ殺しとるんやで?人間らしい感情が少しは残ってたんのと違うか。
それか、長い監禁生活で頭がおかしなったとかな。
…………。
わかった…ワシの負けや。そこまで言うからには、あの事件はまだ終わってないいう事なんやな…。
…何を聞きたいんや?
そのかわり、いまさら昔と変わる証言なんぞ、何一つできひんと思うで。
…………
…あの時計塔の事が知りたいんか?
ほほぅ…。そないな事を知りたがった刑事は、この12年間でお嬢はん、あんたが初めてやわ。
ええやろ…。この老いぼれに何ができるか知らんけど、あの時計塔は今は亡き、名のある建築家の遺した傑作の一つや。話したる。
ワシも技師やし、あの時計塔の建築にも関わった一人や。今はワシ以外、殆ど残ってへんやろうけどな…。事件の事は知らんけど時計なら専門分野やさかい、話せる事はあると思うで。
…ちょっと待っておくんなはれ。
…………
…あったあった!待たせて申し訳ないな。古いもんで探すのに手間どったわ。
お嬢はん、これはあの時計塔の設計図や。
…この図面を見てみ。
…あの学園の時計塔はな、建築物としては歴史も浅いんやが、割と結構な来歴を持ってんねん。
本当の名前を『虚実の塔』いうてな、細長くて小さいもんやが、何を隠そう元々は札幌の時計台をモデルにして作られたもんや。
施工されたのが1992年というからこりゃ相当に新しいものやろうな。イギリスのビッグベンやら、我が国では札幌の時計台、香港の旧九龍駅にも立派なレンガ作りの塔時計があるけど、あの学園の時計塔はそうした世界中の塔時計の中では一番新しいのと違うかな。
あの時計塔の時計機械は、鳩時計と同様の振り子時計で、時打重錘振り子式四面時計いうねん。
動力には重りを利用しとるんや。この仕組みの時計としては、この国で原型のまま正確に作動しているのはオリジナルである札幌の時計台と、あの虚実の塔ぐらいのものやろうな。
時計機械を納めている時計塔の内部は5階建てになっていて、外周を螺旋階段が巡ってるいう訳や。
外から見える文字盤は5階の位置にあり、鐘と鐘を打つ為の槌、そして時計歯車の動きを四本の針に伝える装置がある。
4階には時計機械の本体が据えつけられ、3階まで吊り下がった大きな振り子に振動が伝わり、大小様々な歯車が静かに時を刻んどるという訳やな。
内部は1階の機械室にある部品を搬入する小さな手動式のエレベーターで縦に繋がっとる以外は、塔の中は機械だらけや。
せやから外側からは白い壁があるばかりで内部は全く見えへん。
…このエレベーターか?
ここはひどく狭いで。錆だらけやし、今は使えなくなっとるんとちゃうか?時計の部品以外は一人しか入られへんからな。
ほんでや、時計歯車と鐘を打つ為の動力となっているのは、ワイヤーで繋がれた二つの重りや。
時計歯車用の重りは2階まで、槌用の重りも2階まで吹き抜けの天井まで下がっとる。
重りは中に玉石を詰めた箱状のものでな、打鐘用の重りが50kg、運針用の重りが150kgというから、こりゃ相当な重さや。
あの男は…死んだ武内先生は、あの塔の頂上で50kgの重さのかかるワイヤーで首を吊り、ぶら下がっとったという訳や…。
巻き上げは週に2回、人力で行っとる。これはオリジナルと変わらんわ。
時計塔が当時のまま動いてるとしたら、今でも誰かが1階の機械室で時計を合わせて巻き上げとんのやろうな。あれは仕組みは簡単なもんやし、力もそれ程いらん。あれも用務員の仕事の一つやからな。
…ん?その仕組みは誰と誰が知ってるか、やと?
はて…あれから12年も経っとる訳やしな、当時は生徒達も知っとったくらいやから、あの頃から学校におる人間なら誰でも知っとるんとちゃうか?
…………
武内先生の事か…。
…今だから言えるが、あの先生は少し変わった先生やったな…。
眼鏡に隠れた目をいつも伏し目がちにして学者然とした先生でな…正直、陰気な感じのする先生やった…。…けどホンマは優しい先生やったで。
学園を農園みたいな優しい風景にしたい言うて、噴水の周りに花を植えたり、鶏小屋を作ったりな。
生物の先生だからっちゅう訳やないんやろうけど、動物や植物がホンマに好きな先生やった…。
休みの日には作業服みたいなツナギを着とったし、よう知らん人からは用務員と間違えられとった。
…………
いじめか…嫌な言葉や…。武内先生の周りには確かにそんな噂もあったわ…。
『ニワトリ臭い!』だの、『ダサくて汚くて臭いオヤジ』やら何やら、生徒の中には糞味噌にけなす者もおったようや…。
よほど我慢できない事があったんやろうな…。
でなけりゃ、武内先生みたいな人のいい先生があんな事せぇへんやろ…。
死んだあの生徒もよく笑うええ子やったがな…。今ではもう何が正しくて何が間違っとったのかは正直、ワシにはわからん…。
殺された山内洋子君か…。あの悪夢のような光景は今でも忘れもせん…。いや、悪夢の方がまだマシや。
そういえば同じ学年に双子の兄もおったな…。
そうや、隆っちゅう名前やったな!思い出したわ。
…ほぉ、彼は今、あの学園で教師をしとるんか?
…人の人生っちゅうのは、ホンマに奇妙な偶然の連鎖やなぁ…。そういえば洋子君といつも一緒におった仲のよい生徒が二人おったな。
確か、三年生のコと、同じ二年のコやったはずや。
…おお!そうそう!思い出したわ!
確か同じ学年のコは校長先生の娘さんだったはずや。あのコはなんて言うたか…ええと…間宮…、うーん…思い出せへんなぁ。
三年生のコ…?
はて…確か親の仕事の都合だか何だかで学校には来んようになった生徒やったはずやが…。
…………
七不思議…?なんや、あの学園にはそんな噂もあるんか?けったいやなぁ…。
ワシはあれからすぐに学校は辞めてしもたから、そんな噂は知らんな。
…………
あの時計塔の名前か…。
『虚実の塔』いうのはな、生徒一人一人が己の真実を見据える学園であってほしいっていう願いを込めて、あの学園を建てた建築家が名付けたものなんや。
元々は近松門左衛門の芸術皮膜論からきとるっちゅう話や。
簡単に言うと『芸術や真実は虚構と事実の微妙な間に成立するもの』という文学における表現上の見解だそうや。
芸術とは写実だけでなく、適度な誇張と添加、省略を行う事が必要とするっちゅう説やな。
ワシら技術屋にはさっぱりなんやが、あの学園もミッション系とはいえ学園には違いないやろ?
正餐室やら教会堂やら、大理石を使った斬新なロマネスク様式の建築デザインなんかはひどくモダンやけどな、造り自体はしっかりしとるし、学園には向いてる考え方やと思うで。
…そうや!思い出した!
今は学園資料館になっとるそうやが事件現場となった石作りの、2階まで吹き抜けのあの部屋の天井にはな、ちょっとした面白い趣向がしてあるのや。
設計に携わったワシらにもあんなもんに何の意味があるのやら、未だにわからんのやけどな…。
…お嬢はんもあの場所に行って、見てみたらええ。
おそらくアンタも首を傾げるはずやで。
…あの高い天井にあるステンドグラスをこしらえたのも、あの時計塔を設計した建築家や。
…いわば彼の遺作っちゅう事になるのやろな。
建築家の名前まで知りたいんか…?アンタも物好きな刑事やなぁ。
あの虚実の塔を建てた建築家の名前は…来栖征司や。日本のあちこちに、あの時計塔みたいな変わった建物を建てたいう話や。
………
…もう行くんか?
なんや、お嬢はん…色々と申し訳なかったな…。
あの事件はまだ終わってへんのやろ…。
ワシは化け物なんぞ信じてへんが…あの薄気味の悪い時計塔からは何や…、陽炎のような妖しい妖気さえ漂っとるようや…。
どうか気をつけていきなはれや…。 |