踊る捜査網
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事件を巡る時計の針は今、再び時を刻み始める。
6月21日午前10時40分。
警視庁捜査一課、強行犯係第2会議室。
80人以上は軽く収用できる広い室内。部屋の前方にはプロジェクターにスライドを利用した大型のスクリーンと所轄の捜査会議ではあまりお目にかかれないような、大袈裟とも取れる舞台装置が揃っていた。
照明を落とした仄暗い暗闇の中、担当捜査官達からの報告が告げられていく。それぞれスーツを着た若い捜査官や年輩の捜査官、白衣を着た検死官や鑑識員に至るまで、ざっと見積もっても40人近くは室内にいるだろう。
限られた音声以外は厳正なる沈黙。映画館にいるような錯覚に陥ってしまう。
陣頭指揮を執る幹部クラスの管理官はいまだ到着してはいなかった。もちろん花屋敷の旧友である早瀬一郎警視の事である。
昨日の夕方頃、目黒暑管内でドラッグを所持した少年達によるいざこざ…いわゆる傷害事件があったとかで担当区域の管理官である、早瀬警視ともども、何人かの捜査官はそちらの応援に回されているのだった。
花屋敷の上司であり、捜査指揮班長の磯貝警部もそちらに回されていた。
都会の闇は時を待たない。調査や解決の時さえ与える間もなく、常に新しい事件を生み出していくのが現代というものである。俗にお宮入りとも呼ばれる迷宮入りの事件は今では数える程しかないのが実状であり、世界的に見ても日本の警察がいかに優秀であるかは検挙率の高さから見ても明らかである。
とはいえ、未だに誤認逮捕や初動捜査のミスがないとは言えない。そして、無罪の人間を起訴してしまった事例は世界的にも多い方なのである。
多様化する犯罪は今やけして他人事ではない。現代では恨みつらみ、悲しみや憎しみといった湿っぽい犯罪よりも、日々の欝屈とした感情や金銭目当ての短絡的な犯罪、その場の激情に任せてキレてしまったりといった痙攣的な事件の方が呆れるほど多いのである。
常にストレスと隣り合わせで日常茶飯事な感情の先に今の犯罪がある以上、誰しもが起こしうる可能性を秘めているといえる。
警察組織も今や完全にマニュアル化された企業の一つといえるかもしれず、捜査の指揮系統が一次的にせよ変わる事など警察では珍しい事ではない。
慣れてはいるがどことなく気が抜けてきた。薄暗いのをいい事に花屋敷優介は手を口元にあて、思わず軽くあくびをしてしまった。
隣にいる石原智美が『ちゃんと真面目にやれ』とでも言うように肘で軽く脇腹を小突いてくる。
憮然とする花屋敷をよそに真面目な彼女は先程から、黙々と手元の手帳に重要と思われる事柄をメモしていた。
ポリッシャーとワックスでツヤツヤに磨かれたリノリウムの床には、蛇がのたくったように機材のケーブル類が広がっている。
パソコンからプロジェクターへ。そしてスライドからスクリーンへと次々に事件に関する資料が写し出されていく。
大勢の捜査官達はそれぞれに腕組みをしたり、石原のようにメモをとったりしている。花屋敷はいつものように不機嫌ともとれる仏頂面で腕組みをすると、ただぼんやりとスクリーンを眺めていた。
石原や他の刑事達には申し訳なかったが花屋敷にしてみれば、今や退屈きわまりない会議である。
旧友との再会に横槍を入れられたせいもあるが、一番の理由は朝早くからの強行軍にも関わらず、花屋敷の探ってきた過去の事件が洗い直される気配がまったくない事だ。一蹴されたといってもいい。
12年前の監禁刺殺事件。
そして川島由紀子が墜落死した今回の事件。
捜査会議に入る前、花屋敷は黒魔術に関係していると思われる過去の事件の資料を示し、今回の事件ともども、もう一度洗い直す必要があるのではないかと意見具申した。
早瀬の一次的な代理として本部である警察庁からやってきた古井という40才前後の背の低い銀縁眼鏡のキャリアの反応は早かった。
学校という特殊な環境下でおかしな自殺が二度も起きたからといって、そして黒魔術などという耳慣れないキーワードがいくら一致しているからといって過去と現在の事件を結びつける必要は全くないし、関連性は薄いだろうというのが彼の主張だった。
第一、過去の事件の被疑者は既に死亡している。未解決事件ならば私なりに検討するが、今更ほじくり返す事はない、と彼は言ってのけたのである。
花屋敷は開いた口が塞がらなかった。
何か言おうとした花屋敷を古田は片手で制した。
「その必要はないよ」
この一言が決定的だった。反論する暇すら与えてもらえなかった。花屋敷の熱意と執念はこの時点で完全に削がれた。欠伸の一つも出ようというものである。
そして、先程からぼんやり会議を見ている限りでは今回の川島由紀子の事件も、多感な高校生にはありがちな自殺事件として処理されそうな雰囲気である。
これだからガチガチのキャリアは苦手だ。馬が合う人間はいないのではないか。出世と数字にしか興味のない、そうした亡者のような人種は花屋敷のようなヒラの刑事とは何光年も離れた異世界の住人である。
情勢は明らかに花屋敷の気に入らない展開を見せ始めていた。
鑑識からの報告でも特に目新しい事項はなかった。
残された例のノートの筆跡は間違いなく川島由紀子本人のものである事。そして携帯電話の方からも、特に怪しいと思われる人物との電話やメールのやり取りは確認できなかった事が鑑識で確認された。
花屋敷は捜査資料である携帯電話に登録された番号や発着信履歴のリストをざっと眺めてみた。
担任の教師の電話番号だけでなく、校長や教頭や他の教師の名前まであるのが少し気になった。
これに関しては石原も首を傾げたらしく鑑識に質問したが、イヤミなキャリアが再び話の腰を折った。
「彼女は新聞部員なんだろう?取材するのにアポイントを取るくらい今時の高校生ならするだろうさ。つまらない質問はほっといて報告を続けてくれたまえ」
質問者である石原の方など見向きもせず、資料だけを眺めながらヒラヒラ手を振って古井は先を促した。
普段は温厚な石原が、一瞬見せた怒りの表情を花屋敷は見逃さなかった。
眉間がピクリと痙攣する独特のキレ方をするのを、花屋敷は過去に三度見ているが、後でロクな事があった試しがない。他の事件が入っていなくてよかった。
彼女の機嫌が戻るのは今日中は無理だろう。
「カッカするな落ち着け」
とでも言うように花屋敷は彼女を肘で小突いた。今度は彼女が憮然とする番だった。頬をぷうっと餅のように膨らませて彼女はぷいっとそっぽを向く。
反応の仕方がいちいち子供っぽい。刑事などより児童館の保母さんの方がよほど向いていそうだ。
薄暗い室内には明らかに白けた、それでいて早くも諦めにも似たムードが漂い始めている。実際に誰しもが溜め息をつきたくなる展開ではある。
捜査上の不備な点は互いに示し合い、些細な疑問でも質問と応答を繰り返し、情報は共有しあうのが会議の本懐であるはずなのは、警察に限らずどの世界でも同じである。
警察庁のエリート集団とも言えるキャリア組が、所轄の末端構成員である刑事達に煙たがられるのはどうやら給料や待遇といったやっかみ以外に、この辺りにも理由がありそうである。もちろん一部の人間がそうなのだと思いたい。
今回はそうした意味で大当りである。花屋敷の懸案は的中した。嫌な予感ほど外さないものである。
他の刑事達も下手に質問するのは控えるはずだ。階級社会のヒエラルキー…縦の構図は絶対である。
特権階級の命令には従うのが構成員の仕事である。
ムカつく話だが。
「よいしょっと…ほんじゃあ解剖記録の方を見てもらいましょうかな」
周囲の空気など気にも留めず、白衣を着た監察医の山瀬卓三は大儀そうに腰を上げると、表紙にドクロのロゴが入った黒いファイルを白衣の懐から取り出した。花屋敷も彼の診療所で何度か見た事がある。
この変わり者の監察医は神田で開業医として診療所の医者をしている傍ら、ドクロ関係のコレクションという一風変わった趣味を持っているのである。
その中身たるや外国の民芸品やら水晶で出来たドクロだのネックレスや指輪などのアクセサリーに至るまで実に多岐に渡っている。
世の中にはペットボトルのボトルキャップやアニメや映画のキャラクターのフィギュア、プラモデルやぬいぐるみの収集といったように集める行為に至上の喜びを見出だし、それを誰かに披露したがる様々なコレクターがいるものだが、彼もご多分に洩れず自慢の品々を見せたがる。
この明るく笑顔を絶やさぬ老紳士は、そうした悪趣味ともいえるコレクションをなんと診療所の待ち合い室にまで飾っている。
あの不気味なドクロばかりの待ち合い室でよく患者が離れていかないものだと心配になるが、腕は確かな医者であるせいか診療所の経営が左前になったという噂は聞かない。
花屋敷は彼の自宅に限らず診療所にまで溢れた収集品を誇らしげに見せられる度に、この白髪で飄々とした好々爺のような男が何故にそんな悪趣味な嗜好を持つのか理解に苦しむ。理由をぜひ一度聞いてみたい所ではある。
あのファイルもおそらくは彼の私物なのだろう。
「えー、あの人形のように美しい死骸の死因と死亡推定時刻については当初から見積もられていた事項と変わりはありませんな。
屋上から飛び降り、全身を強く打った事による外衝性のショック死、そして脳内出血による失血死とみてまず間違いありません。
まあ、地面に接触する間際まで笑っていたという話ですから意識は当然あったものと見られます。
通常、バンジージャンプやスカイダイビングのような能動的な飛び降りと違い、自殺しようとする人間の投げやりな意識は落下の際に気絶するのが殆どなのですがね。
…いやはや、常軌を逸した恐ろしい話です…。
当然、即死ですな。
ぱっと見て生活反応、胃の内容物の消化状態から死亡推定時刻は夕方の16時42分…目撃証言とも一致するという話ですし、まず誤差はないでしょう…」
タクさんはそこで目を細め、鼻をムズムズとひくつかせたかと思うと、突然クシュンと派手なクシャミを一つした。
「…ああ、失礼。
季節の変わり目か、どうにもクシャミが止まりませんでな。流行りのインフルエンザにでも罹っとらんといいんですがな。
ホッホッ…医者の不養生はいけませんなあ。皆さんも気をつけましょう。
…ああ、そうそう!インフルエンザといえば被害者の川島由紀子さんも風邪を引いていたようですな」
風邪…?…何だ。
何かが引っ掛かる…。
「ほう…無関係でしょうが一応聞いておきます」
いちいちカンに障る尊大な態度で、古井はタクさんを促した。
「喉に若干の炎症が見られました。
昼食を食べた後にでしょうが風邪薬を服用した形跡があります。成分分析の詳しい結果はまだですが家庭用常備薬の成分であるアスピリンやブロムヘキシンといった、まぁ中毒性や副作用等はあまり関係ないような物質ばかりでしたな」
「まぁ、事件には関係なさそうですね…。
…で、そろそろ知りたいのですが、なぜ被害者は笑いながら飛び降り、死後に至っても笑っていたと先生は考えておられるんです?
馬鹿げた目撃証言だし実際ただの錯覚だとは思いますがね。
いくら自殺事件といえど、その辺りを明確に知りたいと世論は願うでしょ?
マスコミへの記者会見で発表する以上、この件に関しては私もぜひ聞いておきたいのでね」
眼鏡の銀色のフレームをくいっと押し上げ、古井はタクさんにそう切り出した。目の奥がにわかに輝き出したように見える。まるで芸能人気取りだ。
花屋敷は溜め息をついた。俗物というのはどこにでもいるものである。
本質とは無関係な所に神経を注げるその行動が理解できない。国家試験一種をパスしたその明晰な頭脳を他に回せばいいだろうに。
「申し訳ありません。
あの珍しい事例に関しては医者としても皆目わからないというのが実情ですな。私もまだまだ修業がたらんようで…。もちろんいくつか仮説はありますが…」
山瀬は僅か言葉を濁す。
「神経症の症状の一つに痙攣性顔面弛緩というものがあります。
これは精神的に追い詰められたり緊張状態が長く続くといったストレスを感じた患者の顔面の筋肉が弛緩し、笑ったようになってしまう…。いじめの原因にも繋がりそうですなぁ。
しかし被害者は大声で笑っていたと言いますし、単純に狂っていたと無責任に判断してしまうにしても彼女が精神科へ通院した経歴はありません。
外部から頭部へ加撃が加えられた形跡…いわゆる他殺の証拠となる陥没痕もありませんでした。つまり飛び降りてしまうほどの精神的な錯乱をきたすような頭部への外傷などの証拠も今の所ない訳です…。
あの症状とも違うしなぁ…アレでもないし…」
タクさん…もとい山瀬医師は自説を披露しながらも、段々低い声になっていき、しまいには一人で考え込んでしまった。
プロの監察医も頭を抱えるこの不可解な謎は未だに解ける気配はないようだ。
「ま、いいでしょう」
古井は面倒くさそうにぴしゃりと場を取り直した。
手元のハンドマイクを引き寄せると古井警視は捜査員全員を見渡した。
僅かの間に目を閉じ、充分に間を持たせてから二の句を告げた。
「本件に対する私なりの見解を述べます。これは同時に本庁からの正式な命令であり、決定事項であると受け取ってもらいたい。
被害者、川島由紀子は自殺した。
今後はこの前提を元に被害者が自殺するに至った背後関係を洗っていく作業を優先して…」
「…申し訳ないが、その必要はありません」
突然の朗々とした声に部屋にいた全員がはっとして入り口の方向を見た。低いが力強く、若々しい声…。
そこには白いロングコートに身を包んだ背の高い男が一人立っていた。
襟足の長い、ストレートの黒髪に全体的に細面な顔の輪郭。鋭角的な細い眉。二重瞼の怜悧な黒い瞳。
黒縁の細い眼鏡を乗せた、整った鼻梁。真っ直ぐ伸びた背筋と何者も受け付けぬような厳格な雰囲気を身に纏った、いかにも理性と論理を重んじる人物といった風情である。男は後ろ手にドアを閉めた。
男は一通り部屋を見渡し、怜悧な視線を中央の古井警視へと向けた。
ついでに花屋敷をチラリと見やる。
花屋敷は思わずニヤリとほくそ笑んだ。男も僅かに目を閉じ、うっすら微笑んだように見えた。
面白い展開になってきた。まずはお手並み拝見させてもらおうか…早瀬!
「突然何だね君は!私の捜査方針が必要ないとはどういう意味だ、早瀬君?」
「どうもこうも言葉通りの意味ですよ、古井さん」
悠然とした動作で男は急な事態に動揺している古井の横へと歩んでくると、古井の手元にあったマイクを手にした。
「な、何をする!」
騒がしく喚き立てる先輩警視などには目もくれず、その男…早瀬一郎はゆっくりと部屋にいる人物達を一人一人見渡していき、まずは深々と頭を下げた。
「この部屋にいる捜査員、鑑識班、検死に携わった関係者の皆さん、まずは遅れてきた事と連絡の不備をお詫びする。申し訳ない。
本日付けで皆の捜査指揮をとる事になった警察庁犯罪捜査研究所、管理官の早瀬一郎です。
以後よろしく。
早速だが、只今の責任者代行の命令と指示は全面的に撤回する。
本庁の都合でコロコロ命令を変えるようで、現場の皆には混乱させたようだが、事後の指揮は予定通り私がとる」
場の雰囲気が俄かにざわめき始めた。そんな中、一番動揺の色を見せたのは、やはりこの男だった。
「ふざけた事を言うな!
私は本庁二課からわざわざ君の代理としてやって来たんだぞ!?
大体この事件は誰がどう見ても自殺じゃないか!
皆、惑わされるな!事件の指揮は私が執る!」
古井は口角泡を飛ばし、もはや半狂乱の体で喚き散らした。まるで駄々をこねる子供のようである。
花屋敷は必死で笑いを噛み殺す。状況を全く理解できない捜査員達には申し訳なかったが、昔と何一つ変わらぬ早瀬の言動に痛快さを禁じえなかった。
早瀬はそんな古井の言動に大袈裟に眉をひそめ、溜息をついてみせた。彼自身もこうした身内同士の見苦しいしがらみなど、うんざりなのだろう。
「古井さん、もう少し捜査員達との情報の共有と本庁上層との定時連絡を徹底してもらいたいものです。
…昨日の夕方頃、ドラッグを所持した少年達による傷害事件があったのをご存知ですか?」
「それがどうした!今回の川島由紀子の事件とはなんの関係も…」
「…ないとでも?
ところが大アリなのですよ…これが。事態は常に変化するものです。臨機応変に対応できぬキャリアに対して上層部がいかに冷たいかは古井さんもご存知でしょう?」
古井は早瀬の思わぬ不意打ちに『関係ない』の『な』の部分であんぐりと口を空けて固まってしまった。
優秀なキャリアを自認する彼もこうした突発的な事態には弱いと見えた。こうなるともはや早瀬に主導権を譲るしかないだろう。
早瀬はマイク片手に机に手を添え、威厳に満ちた動作で室内の隅々に聞かせんとするかのように居住まいを正した。
「今後の捜査に対する認識を統一する意味で全捜査員に聞いてもらいたい。
昨日の夕方、付近の住民からと思われる妙なタレコミがあり、オヤジ狩りと称してホームレスや老人に暴行を働いたり万引きや恐喝などで都内のあちこちを派手に荒らし回っていた少年グループ12人を傷害と銃刀法違反の容疑で検挙した。
現場は目黒区の廃工場。
検挙した少年達の年齢は下は17才から上は21才までいる不良グループで、渋谷で『スカーズ』なるチーム名で呼ばれているらしい近在の高校生やフリーターを構成員とする不良達だ。
駆け付けた目黒区の交番巡査の話によれば、おかしな事に現場には不良達が八人折り重なるように誰かに痛めつけられ、倒れていたらしい。
横にはご丁寧にも彼らが所持していたと思われる、スタンガンや刃渡り15センチ以上はあるナイフや特殊警棒、ピッケルやメリケンサックといった武器が証拠物件を晒すように、まとめて置いてあったそうだ」
早瀬はそこまで話して一度切ると、再びゆっくりと周囲を見渡した。
意図はまるで汲めないが、説明は明瞭で解りやすく、室内は水を打ったように静まり返っていた。
早瀬の話し方には聞き手を引きつける不思議な魅力があった。
隣にいる古井は早瀬の話を聞いているのかいないのか、先程から呆けたように机の一点を見つめている。
オールバックにしていた前髪がほつれ、わずかに垂れ下がった姿がかなり痛々しかった。
「…さて、長い前フリだが何しろ込み合った事情のある事件だ。もう少し付き合ってくれ。
倒れていた残りの不良達四人は痛めつけられ方が特にひどく、前歯を折られた者や鼻を潰され骨折している者もいた。
この四人も発見当時、一カ所に折り重なるようにして倒れており、側にはドラッグがこれまた断罪するかのように置かれてあった。この四人については現在、覚醒剤取締法の容疑で緊急逮捕し、警察病院で厳重な監視下の元に事情聴取を行い、引き続き入手ルートの解明を急がせている。
さて、ここからが肝心なのだが、少年達の話によれば恐喝目的で聖真学園の生徒を痛めつけるつもりが、いきなり現れた男に返り討ちにされたという事らしい。この返り討ちにした謎の男については現在、磯貝警部以下数名に身許を探ってもらっている。
問題なのは少年達が襲った生徒が聖真学園の生徒であるという事だ。
不良の一人から実に有力な話が聞けたのがつい先程の事だ。
聖真学園にはなんでも援助交際をする売春グループが存在しており、川島由紀子はメンバーの一人だったらしい節がある。
また、このグループは客にセックスの際ドラッグまで使用する者もいるらしく全容解明が急がれる」
なんだかとんでもない話になってきた。
暴力に売春にドラッグ…。花屋敷は思わず身を乗り出し、旧友の話に聞き入っていた。
「すみません!ちょっと待って下さい!質問してもよろしいですか?」
その時、隣にいる石原が手を挙げ質問する。
「構わない。何だろうか、石原君?」
早瀬は既に捜査員一人一人の名前まで掌握済みのようである。
石原も俄然やる気が出てきたようで、急がしく動かしていたメモを片手に真剣な表情で立ち上がった。
「襲われた…というか倒れていた少年達が所持していたドラッグですが具体的には何だったのですか?」
「いい質問だ。
発見された薬物はラッシュにスピード、パープルハートと呼ばれるアンフェタミン…いわゆるアッパー系の興奮剤ばかりだった。
これだけならいかがわしいインターネットのサイト等で個人が売買しているケースが殆どだし、入手ルートを探るのはそれほど難しくはないのだが、不良達が求めていた本命のドラッグというのが、その売春グループが所持している可能性がある」
「あ!そうか…。
少年達のそもそもの動機が高校生売春グループにドラッグの所持を告発材料にして恐喝し、それを流す事だとしたら…」
「そういう事だ。
薬物が浮上してきた以上、本件をただの自殺事件として簡単に処理してしまう訳にはいかない」
にわかに室内には緊張が走る。今や誰もが真剣な表情に変わっていた。花屋敷は早瀬のカリスマともいえる人心掌握の仕方に舌を巻いた。
早瀬の真摯な態度からは捜査員と同じ視点、同じ立場で困難な事件に全力でぶつかろうという気概がビンビンと伝わってくる。
そこには階級意識を越えた信頼関係を大事にしようとする早瀬のキャリアらしからぬ人間くささが出ている気がした。
花屋敷の予感は的中した。いい予感もたまには当たるものである。
「山瀬先生、引き続き司法解剖の成分分析の方をお願いします。川島由紀子の直接の死因は墜落死ですが、この事件…どうもきな臭い感じがしてなりません。
…お願いできますか?」
「はいはい、了解致しました。お任せ下さい。
しかし何といいますか…、現場がいよいよ活気づいて参りましたなぁ。
不謹慎ですが、こんなに血沸き肉躍るようなワクワクする展開は久しぶりです。…若い頃の血のたぎりを思い出して、私も頑張るとしましょうかな!」
「なんの。先生はまだまだお若い。共に踊る捜査網を展開するとしましょう」
早瀬はニヤリと笑い、再び部屋にいる一人一人を頼もしげに見渡していく。
早瀬のスカした台詞に微笑む年配の刑事達…。頼もしげに早瀬を見ている石原。捜査資料を改めて反芻し始めた若い刑事達…。新たなデータの打ち込みを始める鑑識班。
ようやく正常に機能しはじめた捜査の網はここに至り、最強のラストカードを引き当てたようである。
「…では早速だが今後の分担を割り振らせてもらう。…今後は些細な疑問も残したくはない。
12年前の監禁刺殺事件ともども、真実を白日の下に曝してやるとしよう。
私も一捜査官として捜査に参加する。現場でのやり方は君達の方が詳しいし先輩であるからこの若輩者を指導してやってくれ。
意見や要望、足りない所は階級の上下に関わらず積極的に具申してほしい。
まずは私の携帯電話の番号だが…」
昼時に近い時間だというのに自動販売器のコーナーには誰もいなかった。
それを確認すると休憩所の椅子にだらりと身体を沈め、早瀬一郎はふうっと大きく溜め息をついた。知らず片手が自然とネクタイを緩めようとしていた事に気付き、慌てて自重する。
「なかなか堂に入った猿芝居だったな」
花屋敷はニヤリと微笑みながら白い紙コップに入ったコーヒーを差し出した。
「ふっ…ぬかせ。ああでもしなけりゃ初動捜査の軌道修正は不可能だったのだ」
所轄の刑事の気安い口調などまるで意に介さず早瀬はカップを受け取った。
花屋敷も大きな身体をどっかりと隣に沈める。
「久しぶりだな早瀬。いつ以来になるかな…」
「最後に会ったのが中田の結婚式だから二年一ヶ月と12日ぶりだ」
細かい事まで実によく覚えているものである。この男は昔からそうだった。
「大学生の分際でヘラヘラと女をはべらせて夜の歓楽街を闊歩していたあの男が今や警察庁のエリートとはな…世の中、何が起こるかわからんから恐ろしい」
「ふっ…驚いたのは私も同じだ。最初に聞いた時は大笑いしたものだぞ。
お前が警視庁の捜査一課、それも私の管轄でもある強行犯係とはな。
てっきり実家の洋食屋を継いで大きな体でトンカツでも揚げているのだと思っていた」
「死体の身許を追い掛けてるうちに親父も呆れ果ててな…店は弟に継がせた。
ヤクザな兄貴はトンカツより東京湾に浮かんだ他殺死体の引き揚げの方が性に合ってるようだ」
「ふっ…お互い因果で報われぬ罰当たりな仕事を選んだものだな」
「まったくだ。
…で、これからどうするんだ?石原は別のセクションに行ってしまったし。俺は一人で留守番か?」
「彼女には面倒だが12年前の事件に詳しい人物に会いに神戸に行ってもらった。お前は私と行動を共にしてもらう」
「俺は構わんが本部であるここをボスが留守にしていいのか?」
「後方支援と本部の指揮は古井さんの方が向いている。本人も了承してくれたし構わんさ。
…さて、花屋敷。これから付き合ってもらいたい所がある」
早瀬はすっかり冷めきったコーヒーを飲み干し、ゆっくりと立ち上がった。
「なんだか嬉しそうだな。恋人にでも会いに行くような顔をしてるぞ」
「ご明察だ。ある意味恋人より会いたい人物かもしれんな。ついでに言えばお前もよく知る人物だ」
花屋敷は怪訝な表情で立ち上がると、空のカップを近くにあったゴミ箱に放り投げた。
「随分勿体をつけるな。
俺も知ってる人だって?誰に会うつもりなんだ?」
早瀬はニヤリと微笑んだ。
「聞いて驚け。今回の傷害事件の犯人の所だ」 |