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鬼のユメ
作:狐狸川ゆうら



第九幕:鳴動


「キ、キ、キ…なんだぁ?チビ。不思議で堪んないって顔だな、え?それとも、悔しくて堪んないってか、え?キヒヒヒ!」
「……!!」
 ムジナの視線は私を通り越して、凪、芳華、幸人くんに注がれている。胃の辺りを激しい嫌悪感が撫で上げる様に駆け抜け、思わずその視線から隠すように皆を背に庇う。
「キ、キ、キ、なんだぁその態度は?え、チビ。まさか、俺から何かを隠そうってんじゃないだろうな?え、チビ?」
 ニタリと口元を歪ませるムジナ。きっと今ヤツの頭の中では、どうやって私を苦しめるかを厭らしく捏ね繰り回しているのだろう。嬉々として私と会話をしている事から、容易に想像がつく。
「…京、アイツは?」
 凪が私の左手を後ろから掴み、その瞳に好戦的な輝きを宿している。チラリと目をやると、芳華もまた同じ目をしていた。
 私は思わず天を仰ぎ見てしまう。
 そう…この状況でこの二人に手を出すなと云う事は出来ない。むしろそんな事を言ったが最後、むきになって掛かって行くに間違いない。
 自然と大きな溜め息が口を吐いて出ていた。
「ムジナ。…私が以前、色んな意味で世話になった妖異だよ。私もヤツの能力は良く知らないけど、カマイタチを使うみたいだね」
「ふうん…」
 凪の反応はなく、芳華の声は何か考え事に耽っている様だった。もしかしたら、私はこの状況が来る事を一番恐れていたのかもしれない。
 凪を失う事など考えられない。勿論、芳華もだ。
 彼らは黙って私の後ろに居てくれる人たちではない。むしろ私の前に出て、闘おうとするだろう。
 しかし、それはきっと自殺行為に等しい。
「キ、キ、キ、面白いな、え?チビ。お前の後ろに居る奴らは、どいつもこいつも…イイ生き方をしてるタイプじゃねぇなぁ?え、チビ。キヒヒ、むしろ、怨み怨まれ妬まれて…キヒヒ!最悪な奴らじゃねぇか?え?」
 ムジナは肩を上下に揺すり、揶揄する様に笑う。そして更に、コートのポケットに深く仕舞っていた右手を出すと、一人一人を指差して、更に面白そうに笑った。
「キ、キ、キ、一番後ろに居る奴、お前は人を怨んで怨んで、それに縋って生きてるな?キヒヒ、いい顔してるぜ、え?それとそこの女、お前は随分、酷い生き方じゃねぇか、え?何人、殺した?キヒ、いいねぇ俺の好みだ。そして…キヒ、そこの坊主。お前、人間とは思えねぇな、え?サ・イ・ア・ク・だ。キヒヒヒ!たまんねぇな!え?チビよぉ!!どいつもこいつもミンナ、怨みに塗れてキャハハハ!どうにもならないクズばっかじゃねぇか!キヒ、ヒャーハッハッハ!!」
「黙れ!ムジナ!!」
 私は挑発だと知りながらも、怒りに駆られて翁の水球から飛び出そうとした。しかし、その腕を凪の手が引き止める。
「だから、なんだ?クズで結構じゃねぇか。俺はそんな事はどうでも良いね」
「あら、奇遇ね。私も一向に構わないわ。大体ね、人間、生きてて怨まず、怨まれず、なんて…そんな馬鹿な事、ある訳ないじゃないの。呆れるわ」
 凪は余裕の笑みを浮かべ、芳華に到ってはムジナを蔑み、見下した表情を隠しもしない。
「キ?」
 ムジナは二人の予想外の返答に、首を殆んど九十度に右へ傾ける。
「ふんしゅー…してやられたのぉムジナよ、ふぇふぇふぇ!」
 翁が笑うのに合わせ、ごぽり、と水球の水が揺れた。ムジナの表情が、見る見るうちにギリギリと醜く歪んでゆく。
「キ、キ、キ、じじぃ…生意気な事言ってんじゃねぇぞ?あ!?お前らもなぁ、俺の言葉にナニ余裕こいてんだ!?お前らみたいなクズはなぁ、ただ震えて俺の餌になりゃぁ良いんだよぉぉ!!」
 部屋の空気がムジナの咆哮と共にビリビリと震え、水球の表面から細かい飛沫を飛び散らせる。
「キ、キ、キ、貴様ら…。キ…キヒヒ、キヒャハハハハハ!!喰ってやる、みいぃんな喰ってやるぞぉ!ギャハハハハハ!!!」
 黒い帽子とコートの立てた襟から辛うじて見えていた目と口元。今やそれらは自らを惜しげもなく私たちの顔前に晒し、ゾロリと並んだ鋭い歯の間から、細長い舌がベロリと己の顔を舐め上げた。
 そして、次のムジナの行動は素早かった。
 体の両脇に腕をだらりと垂らしたかと思うと、体を二つに折らんばかりの姿勢で一気に私たちの後方に回り込む。
 そのスピードは、常人では目で追う事も移動したと感じる事も不可能だ。水球の表面が、ムジナが立ち止まった後に小波立つ。
「キ、キ、キ、まずは、お前からだ!キャハハハハ!!」
 そう言うや否や、ムジナの両腕は水球の表面を貫通して幸人くんへと伸びる。幸人くん本人はムジナの動きに付いて行けず、己の後方から伸びる腕に気が付かない。
「幸人くん…!!」
 私が声を上げた時には、既にムジナの腕が幸人くんの首に絡み付いていた。
「ひっ…!」
 顔面蒼白の幸人くんは、己の身に何が起きているのか分かっていなかった。しかし、人間の中にある動物の本能だろうか、現在の状況がとても良くない事だけは理解しているようだった。
「キ、キ、キ、そうだ、怯えろ、怯えろぉ!キャハハハ!!」
「あ…あ…あ……!」
 怯える幸人くんの双眸からはポロポロと涙が零れ落ちる。死が腕となって絡みつく感覚とは、どれ程の恐怖を生むものだろうか。
 ムジナは幸人くんの体を水球から着実にずるずると引き摺り出して行く。
「ふんしゅー…うんむぅ…!」
 翁は意識を集中して何とか幸人くんを水球の外へ出すまいと抵抗をするが、これだけの人数が中に居るのだ、どんなに頑張ろうとも持つ筈がない。
 何時しか丸かった水球は一方に長い不自然な形へと変貌していた。
「キ、キ、キ、じじぃ!え、どうした?もうこいつの体が出ちまうぞぉ?キャハハハ!」
「ふんしゅー…むうんむぅぅぅ…!!」
 額に脂汗を滲ませ、翁の顔は苦痛に歪む。私はどうすれば幸人くんを無傷で助けられるかを必死で探っていた。もし、私が直接ムジナに攻撃を仕掛れば、間違いなく幸人くんは巻き添えを喰らい、下手をすればその命を落としてしまう。
 どうにかして、ムジナと幸人くんを引き離さなければならない。
 私は凪と芳華へチラリと視線を落とす。
 どちらか…どちらかの協力が得られれば…。
 私は二人へと口を開きかけた。すると、私の予想を凌ぐ事態が起こる。
 水球とムジナの腕の接点が突然、ボシュンと音を立てて水蒸気を上げたかと思うと、翁の水球結界が内側から弾け飛んだのだ。
「キ?…ギヤァァァ!!腕が、俺の腕がぁぁぁ!!!」
 ムジナの本体は後ろへ絶叫を搾り出しながら反り返り、腕はそのまま落下する。
「誰が、ソイツを喰って良いって言った?ナメタ真似してんじゃねぇぞ?あ?」
「その通りね。私のテリトリーで勝手な真似はしないで欲しいわ」
 霧となって舞い落ちる結界の水を全身に浴び、凪と芳華がムジナを見下ろす。
「そんなにコイツを喰いたきゃな、俺の許可を得るこったな」
「あら、それなら私の許可も必要よ?こんな子供の判断じゃ危ないからね」
「何だと?」
「何か?」
 二人の間に見えない火花が飛び散る。彼らは完全にムジナを無視して言い合いをしていた。全く…余裕なんだか単に緊張感がないだけなのか、私でもたまに分からなくなる。
 しかし、これは願ってもないチャンスだ。
 今、ムジナは両腕を失って攻撃の手が出せない。もしここで一気にたたみ掛けられれば、私一人の力でも間違いなく勝てる。
 私は素早く二人の間を擦り抜け、ムジナへと距離を縮めた。怒りと苦痛で歪みきったムジナの顔は、今にも爆発しそうな程に赤く、くっきりと浮かび上がった血管がその凄まじさを物語っていた。
「キ…ギ…おのれ…クズが!クズどもがぁぁ!!」
 血走った目を剥き出し、口の端から涎が流れ出るのも構わずに、ムジナは呪詛の言葉を吐き続ける。
「殺してやるぅ…殺してやるぞぉぉぉ!!!」
 その余りの醜さに、私は思わず目を叛けた。するとその先に、壊れた人形のように動かなくなった幸人くんが座り込んでいるのが見える。
「幸人くん!!」
 虚ろに見開かれた目は、何処を見ているとも定かではない。このままの状態で放置しておくのは危険だ。
 私は内心舌打ちをしながらも幸人くんの手を引き、翁の下へと運ぶ。
「翁!幸人くんを!!」
 今は一秒でも時間が惜しい。ムジナに時間を与えれば与える程、私たちの勝機は減っていく。翁は黙って頷き、幸人くんの体にその手を伸ばした。と、幸人くんの手が突然意志を持って私の手を握った。
「だめだ…駄目だよ!」
「え…?」
 予想もしない出来事に私は驚いた。幸人くんは両腕で私へ縋り、涙を流す。
「駄目なんだ!!もう駄目なんだ!京は…京さんは…もう…傷付いちゃいけないんだ!僕が全ての原因を作った…!僕が…京さんを…」
「え?なに…?どうしたの?幸人くん?」
 更に幸人くんは私の手を痛みが伴う程の強い力で繋ぎとめる。
「僕が、僕が……」
 こみ上げる嗚咽が幸人くんの声を塞ぐ。
「あの時の…僕が、もっと、強ければ…!僕の心がもっと、しっかりしていれば…!!」
 何を言っているのか、私は良く分からなかった。
 しかし、幸人くんの瞳は深い悲しみと激しい後悔の念に染められ、彼の口から紡がれる言葉が一つ一つ私の奥深くに突き刺さる。
「僕さえ…。僕はアイツに喰われたって仕方がない人間なんだよ!…だって…だって…あの時、僕のつまらない嫉妬さえなければ…京さんが鬼になる事なんて…!」
 だからもう、やめて…傷付かないで…ごめんなさい…。そう幸人くんは呟いた。
 くらり、と世界が回った。後頭部から引っ張られる様に力が抜けて行く。
 これは夢ではない、現実だ。いや…私はそもそも目覚めているのだろうか?
 甦った私の記憶、幸人くんの口から吐き出された言葉。
 真に呪うべきは人なのか過ぎ去った運命なのか。
 私の心は激しく揺れ動いた…。












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