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鬼のユメ
作:狐狸川ゆうら



幕間・凪ノ参 上段


 京が目の前で倒れた。
 何が起こったのか一瞬分からなかった。
「京!!」
 全てがコマ送りのようにゆっくり見える。宙に舞う京の髪の一筋が、手を伸ばせば掴める程にはっきりと目で追う事が出来た。
 俺は…たった今まで、どんな事が起ころうが冷静で居られると思っていた。
 それがどうだ?なんだこのザマは。
 体の震えが止まらない。
 俺の体に覆い被さるように京の体がある。力なくグッタリとしているその様を俺は歯が鳴る程の恐怖で見詰めている。
 どうしよう。
 どうしたらいい?
 考えが纏まらない。纏まるどころか、拡散して広がっていってしまう。
「京…京…」
 情けない程に掠れて震える声、意思の伝達が遅くなった両腕は、酷くノロノロと動く。
「京…!」
 俺は京の頭を胸に抱きかえ、指先をその頬に這わせた。
 京の頬は滑らかな陶器のように白く、氷の様に冷たくなっていた。
 世界が回る程の眩暈と共に、全身の血がザァっと音を立てて引いていく。
「ダメだ…嫌だ…いやだ!!」
 京を失う?
 冗談じゃない!!そんなの、俺は認めない!認めてたまるか!!
「京!目を開けろ!!俺を見てくれ…!!」
 俺は京の体を仰向けにするように抱かかえ直す。その時、掌に独鈷杵の硬く冷たい感触が触れた。
 京の背中に突き立てられた異物。
 ザワリと髪の毛が逆立つのを感じた。怒りが制御出来ない爆発となって、身内の中で荒れ狂う。
「…幸人…キサマ」
 唸るように出した言葉は、己の仕業に怯えて座り込んでいる義兄の幸人に向けられた。
 吐き出す息さえも、怒りで熱く感じる。
「京に何の罪がある!?お前に、一体、京が何をしたって言うんだ!?俺が憎いなら、俺を刺せ!!何故、京を傷つける!?」
「あ…僕は…」
「何だよ!?お前も退魔師の端くれだ、分かるだろう!?コレが京にどんな影響を及ぼすのか、知らないとは言わせない!」
「え…きょ…う…さんは……?」
「寝ぼけたコト言ってんじゃねぇ!!コレは京の体だけじゃなく、魂まで傷つける。…ズタズタに引き裂くんだよ!」
 握り締めた独鈷杵を、俺は力任せに地面に叩きつけた。
 幸人に魔を消し去る能力はない。せいぜい、道具に移された義父の力が対象物を動けなくする位だろう。
 しかし、それはあくまで通常の状態の魔であればの話だ。
 今の京は弱っている。それも、すぐにも消えてしまいそうな位に。そんな状態で少しでも攻撃を受ければ、致命傷になるコトだってないとは言えない。
 幸人の青くなった顔はますます血の気を失い、紙のように白くなっている。
「僕は…僕は…そんなつもりじゃ…」
 両手で顔を覆い隠し、肩を震わせて泣き始めた。
 泣こうが、喚こうが今更この状況は変わらない。
 京の存在は今や風前の灯火よりも儚いのだから。
 力なく地面に横たわる京。
 不本意だが怒りは一度吐き出してしまえば、それなりに収まるものだ。
 しかし、それが一体何になるというのか。
 結局、俺は何も出来ない。
「京…」
 京を助けるには、今の俺の体では力不足だ。
 どうしたら良いんだ…!!
 京の胸に額を押し付けるように抱きしめる。
「なっさけないわね。それでもアンタ男なの!?」
 突然、空から女の声が降ってきた。
「男が二人もいて、揃ってメソメソしてんじゃないわよ!情けない!!凪、アンタは少しマシだと思ってたのに、コレじゃ興ざめだわ。やっぱり京をアンタに任せてなんか置けないわ!」
 怒りも露に罵る甲高い声。
「…その声は、芳華ほうか?」
 俺はキョロキョロ周囲を見回す。
「全く、腑抜けになるのも大概にしなさいよ?私に式を付けられてるのに気付かないなんて、どうかしちゃったんじゃないの?」
 空から舞い降りたのは、赤く鮮やかな羽を纏った極彩色の鳥。その口からヒステリックな芳華の声が流れ出していた。
「着いて来なさい。私が京を助けてあげる」
 芳華は俺の返事など聞かず、式を鳥から人型へと変化させる。
「…悪趣味だな」
 うんざりと俺は思わず呟いた。
 その人型の姿には見覚えがあった。思わず溜め息が漏れる。それは嫌というほどに見てきた俺の昔の姿だったからだ。
 式は無表情に京を横抱きに抱えると、すぐさま歩き出す。
「懐かしいでしょ?さぁグズグズしている暇は無いわよ。いらっしゃい」
 正直言って、昔の自分の姿であれども京の体に俺以外の手が触れているのは穏やかな心境とは言い難い。が、大体、今はそんな事を言っている場合ではないのだ。
 式は一瞬、幸人の傍で足を止める。
「…幸人くん、泣いている暇があるなら手伝いなさい。凪がどんなに喚いても構わないわ。一緒に来なさい」
 昔の俺の顔が無表情で、芳華の声をしゃべる。それだけでも気持ちが悪いと言うのに、よりによって京にこんな真似をした幸人に手伝えとぬかした。
「芳華!ふざけんな!!こんなヤツ居たって何の役にも…!」
 式を通した芳華の鋭い視線が俺の方に向けられる。
「今はアンタも変わりないでしょ?ツベコベ言ってんじゃないわよ。私のやる事に一々口出さないで貰おうかしら?」
「………っ!!」
 情けない事だが、反論できない。
 昔の俺だったら、芳華如きにこんなでかい口を利かせやしないのに。歯がゆい思いが俺を一層イライラさせる。
「幸人!聞こえたんだろ!?グズグズすんじゃねぇ!」
「えっ…あ……」
 赤く腫れ上がった瞼。驚いたように目を見張り、視線は式と俺の間を行ったり来たりを繰り返す。
 怯えた小動物のような幸人の顔は、俺を更にイライラさせた。
「モタモタすんなよ!」
「凪、アンタも相当ウザイわよ?あんまり私を怒らせないで頂戴。二人ともサッサと動いてよね!」
 芳華はスッと俺たちに背を向けると、有無を言わせぬ迫力で俺たちに先を促した。
「チッ…」
「は、ハイ…」
 無言で暗くなった山道を歩く。一体、芳華は何処に向かおうと云うのか?
 俺たちは山道を降りるのでもなく、上がるのでもなく、どうやら平行に山腹を移動しているように思えた。道幅は更に狭まり、もはや獣道の類と一緒だ。
「オイ、何処まで行くんだ?時間がないのはお前も分かっているだろ?」
 小走りに式の元へ行き、京の様子を窺う。
 しかし、悔しい事に昔の俺は背が高かった。今でも同学年と比べれば俺は背の高い部類に入るが、流石に百八十センチを越えた男の腕に抱かれた京の様子を伺い知る事は出来ない。
「芳華!京は大丈夫なのか?早く、早く…手を打たないと…」
「分かってるわよ!足元でそうキャンキャン騒がないで!!準備はもう整えてあるわよ。もう少しだから、大人しく歩いて頂戴!」
 苛立った声音でそう言い放つと、芳華は歩くスピードを少し上げた。それだけで、俺には今の状態がどれ程までに深刻なのかを知ることが出来た。
 再び目の前が真っ暗になる程の絶望感に包まれ、ガクガクと足が震える。
 もし…もしも、このまま京を失ったら…?
 突如、体が中に浮いたようにフワリと軽くなった。頭の中がジンジンと痺れ、締め付けられる痛みと共に胃液が込み上がって来る。
 京を失う事は、俺にとって全世界を失う事だ。俺の存在理由、俺の生きる理由、俺がこの世で全てを賭けて守りたいただ一つの存在。
 きっと初めて京と出会った時、俺の運命は全て決まったのだ。
 俺は京の為だけに在る。
 今までも、これからも、ずっと…京だけの為に。
 京が消えるのなら、俺も共に消えよう。
 京が居ない世界など、俺にとっては何の意味も成さない。
「京…」
 ふらりと吸い寄せられるように、力なく垂れ下がる京の手に触れた。
「京、聞こえるか?俺は、何時までもお前と共にある。消して、一人になどしない…」
 芳華の操る式がピクリと片方の眉を上げた。
今生こんじょうの別れじゃあるまいし、ナニ情けない事言ってんの?少しは私を信用して欲しいものだわ。…私だって、この十三年、のんべんだらりと暮らして来たわけじゃないのよ。仙道流当主の座は伊達じゃないって事、証明してあげるわ!」
 不機嫌に歩くペースを更に上げる。
「あと直ぐそこよ。覚悟してなさい!さぁ、始めるわよ!!」












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