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鬼のユメ
作:狐狸川ゆうら



第七幕:記憶


 グルグルと、自分が回っているのか、それとも周りが回っているのか。
 ゆっくりと、それでもフワフワと体が落ちていく。
 淡く、霞のかかった世界。
 目を開けても光が明るすぎて…視界が霞んで良く見えない。
「この子は、なんと美しい子だろう」
「生まれながらにこの美しさ…なんと親孝行な」
「とても先ほど生まれた赤子とは思えん」
 誰だろう?この声の人たちは。
「北の方もよぅ頑張った。これで一族も安泰じゃ…」
 この人たちは、一体何の話をしているの?
 ああ、また、世界が回る。落ちていく。
 今度は、何だろう?ゆったりと揺れる小さな部屋。そう、これは牛車だ。簾の向こうに小さく垣間見える外の世界が眩しい。
「ねぇ、かか様、あれは何?」
「牛よ。この車を引っ張って行ってくれるのよ」
 コロコロと優しい声を立てて笑う女の人。頭を撫でてくれる細くて温かい、優しい指。
「かか様、あれは?あれは何?」
 昼から夜へ、移り行く時刻。赤くユラユラとゆれる光の群れ。
「かか様?」
 不安になり、白く細い腕に縋りつく。鮮やかな着物が私の体を覆い、視界を遮った。
 暗闇、複数の人の声、鉄臭い匂いにむせ返りそうになる。
「かか様!」
 不安で心が潰されそうだ。
 黙っているのも恐ろしく、声を出すのも恐ろしい。体の震えが止まらない。
「かかさまぁ!」
 叫び続ける口を無骨な指が塞ぐ。体がフワリと持ち上がり、有無を言わせずに連れ去られる。
 怖い、怖い、かか様!怖い!!
 恐ろしくて体が動かない。
 連れてこられたのは、知らない場所。暗くて、ジメジメした薄気味悪い小屋。
「おい、女の方はどうした?」
「あぁ、ありゃ駄目だ。この餓鬼を庇って向かってきやがったからよ、つい、殺っちまった。気の強い女はこれだからいけねぇ」
「馬鹿やろう!あれだけの器量だぞ!?折角、この餓鬼と一緒に高く売れたモンを!!半値になったらどうしてくれるんだ!」
 なに?この人たちは、何を言っているの?かか様は?
「ちっ、まぁ仕方ねぇ…。この餓鬼だけでも金に換えるぞ」
「おい、餓鬼。お前、名前は?」
 答えようと口を開くが、ひゅうと空気が音を立てるばかり。
 そう…この時、私は声を失った。
 でも彼らにとって必要だったのは、私の体…器だけ。私の名でも、声でもない。
 私は、男たちの手によって貴族に売られた。
 貴族と云う生き物は、時間と暇を持て余している者たちが多いのだろうか?
 彼らは私を生きている人形として扱った。
 しゃべれない私を、彼らは好きなように扱った。
 ある者は私を飾り立てて出世の道具として使い、ある者は私を美術品のように金へと換えた。
 私は…人形。
 心を持ってはいけない、感情を持ってはいけない。
 私は人形。
 人の言うままに動く、人に扱われるままにもてあそばれる。
 私は何も知らない、知りたくない。心の中に蓋をした。人間である自分が目覚めてしまわないように。
 動かなくなるその日まで、私は全てを拒絶して行こう。全てが終わりになるその日まで…。
 しかし、何故そんな事が出来ようか?
 本来の姿を、何処まで偽って行く事が出来ようか?
べに、今日は天気がいいから、少し表の空気を吸ってきたらどうだい?」
 若い貴族。
 私はこの男の親に美術品として買われ、この男に下げ渡された。
「さあ、窓を開けて行くよ。私は今日、宴があるので、少し帰りが遅い。笛の弾き手が足りないんだそうだ。嫌だが、顔を出さない訳にも行かない」
 幸人ゆきひとと名乗る若い貴族は申し訳なさそうに、私の頬に触れた。私は反射的に口元をほころばせる。
「紅、後の事は世話を頼んである。いい子で待っていてくれるね?」
 私は相手の顔を真似る。
 人間は何故、同じ表情をされると喜ぶのだろう?
「じゃあ、行ってくる」
 男は私の唇にそっと触れて、部屋を後にする。
 窓の外は寒々しいほどに殺風景だ。
 花の一つもなく、まだ冬の余韻を濃く残した裸木と枯れ草が一面を覆っている。
 冷たい風が私の髪を揺らした。ブルリと一瞬身震いをする。真冬の様な刺す程の冷たさはないが、お世辞にも春らしく温かくなったとは言いがたい。
 私はひたすらぼんやりと窓の外を見続け、風の音に耳を澄ませる。この日も、何も変わらない一日である筈だった。
 しかし…突然ふって湧いた様に晴天の霹靂は訪れる。
「おい、幸人?こっちに居るって聞いたが、居るか?」
 知らない男の声。
 とても低い、耳朶の奥を振るわせる心地よい響き。
「おい、幸人?」
 窓から部屋を覗き込む人影。
「おい?」
 その男は私に気が付かないようだった。
「居ないのか?…まったく、人に迎えに来る様に言っておきながら、仕方のないヤツだ」
 肩で大きく息を一つ付くと、サッと踵を返して母屋へと足を向ける。
「…ん?」
 ふと、男はおもむろに再び部屋の中を覗き込んだ。私は目を伏せ、息を殺してじっと身を潜める。
「気のせいか…?」
 大きな溜め息が一つ。
 私は男がてっきりもう立ち去ったものだと思い、目を開けて窓の方へと再び視線を戻した。だがしかし、男はそこに立っていた。
 目が合った。
 鋭く、力に満ち溢れた瞳。
 心臓が、ドキンと音を鳴らす。
「人か?」
 私は動かない、いや…金縛りにあった様に動けなかった。
「誰か、居るのか?」
 男は大きく開け放たれた掃き出し窓に、片足をかけた。
「おい?」
 ひょいと身軽に部屋に上がり込む。常識のある貴族がこんな事をするのだろうか?
 私は体を更に強張らせる。見つかったら何をされるのだろう?
 自然と体が震え、涙が込みあがってくるのを感じる。
「おい、お前…」
 声を掛けられ、恐る恐る視線を上げる。
 ドキン、と心臓が音を立てた。
 眩暈が起きたのかと思うほど、男の瞳に吸い込まれそうになる。
「人形…?いや、お前、人間か?」
 驚いて目を見張る男は、おもむろにその大きな手を私の頬に滑らせた。
 とても温かく、心地がよい。
「…こんなに冷たくなって」
 両手で私の頬を挟みこむと、男は再びまじまじと顔を覗き込む。
「それとも、天女は体温が低いのか?」
 今度は私が驚いて目を見張った。
「名前は?」
 私はゆっくりと頭を振る。
「ないのか?」
 もう一度、ゆっくりと振る。云い様のない、とても悲しい気持ちになった。
 口を動かしてみる。でも、そこから出る音は空気の音だけ。
「…しゃべれないのか?」
 男は真っ直ぐに伸びた眉根を寄せる。私は堪らなくなって目を逸らした。
「悪かった。気が付かなくて、すまない」
 男は私の頭を優しく撫でた。その手が余りにも優しくて、とてもとても優しくて…忘れていた思い出を甦らせた。
 かか様…。
 私は心の中で、今まで閉じ込めた…固く封をして閉じ込めていた、感情があふれ出すことを止められなかった。
 見ず知らずの男に、自分から縋りついたのは初めてだった。ましてやその腕の中で涙を流すなど、考えられない事だった。
 それでも、その男は私を咎めるでもなく、今まで知っている男とは違う抱擁を私にくれた。
「困ったな…泣かれると、どうして良いか分からなくなる」
 やんわりと、受け止めるように私の体を包み込む逞しい両腕。
 生まれて初めて、人の体温が心地よいと思った。今までは、どんなに振り払おうとも絡み付いてくる、蛇のように気持ち悪いものだったのに。
 何で、この人は違うんだろう?
 泣きながら、心の中がジンワリと温かくなるのを感じた。
風凪かざなぎ!居るのか?風凪?」
 この離れへと続く廊下を走る幸人の足音が聞こえた。
 全身が凍りつく。
 私はハッと身を起こし、男から離れようと体を捩った。
「もう少し…このままじゃ駄目か?」
 男は再び私の体を引き戻し、その腕に強く抱き締めた。
「すまない…何て言って良いのか言葉が見つからない。ただ、もう少しこうして居てくれ」
 耳元で囁かれたその言葉は、私の心と体をとろかす魔法。心臓は早鐘を打ち、耳まで熱を持ったように熱い。
「風凪…?」
 ああ、私はきっと壊される。
 ゆっくりと離れの入り口が開かれた。
「幸人、人を迎えに来させておいて行方不明は問題だろう?」
 男はいつの間にか立ち上がり、私は今まで通りに窓へと視線を戻していた。窓と入り口は正反対の位置にある。
「紅…。風凪?」
 幸人は不自然に思ったのだろう、私たちを何度も交互に見比べていた。それを遮る様に、風凪と呼ばれた男は幸人と私の間に動いた。
「さてと、行こうか。…この子、紅っていうんだ?」
「そうだよ。紅、綺麗な名前だろう?」
 幸人は得意げに風凪を見やる。
「そうだな。綺麗な名前だ」
 風凪は私に視線を向けた
 私は何故だかまともに彼の視線を受ける事が出来なかった。
「それにしても、この部屋は殺風景だな。これじゃ余りにも可哀想だ。明日にでも、俺が庭に咲いている椿でも持ってきてやろう」
 え?
「幸人も、花ぐらい飾ってやったらどうなんだ?」
 にやりと風凪は笑うと、窓へと向かい履物を引っ掛ける。
「ほら、モタモタしてると置いてくぞ?」
 風凪はひらりと手を一回振って部屋を出て行った。
 明日、もう一度会える…?
 私は嬉しくて顔が赤くなるのを隠せなかった。そして幸人はそんな私の姿をみのがさなかった。
「紅…」
 幸人は痛みを堪えるように、とても苦しそうな、悲しそうな顔をしていた。おもむろに幸人の手が私の頬に触れる。体がビクリと強張った。
「……っく」
 幸人はキュッと唇をかみ締め、私に背を向けた。
「…今日は、早く帰る」
 私は心の底からジリジリと氷が戻ってくるのを感じた。幸人は今までの誰よりも私に優しくしてくれる。
 でも…結局は皆と同じ、私をそう扱う。
 暗くなっていく部屋で私はまた、自分の心をしっかりと閉じ込める。もう、二度と出てこないように。もう二度と…。
 その夜、幸人は宣言どおり早く帰って来た。
 私の傍に座り、髪を指先で弄ぶ。
「ねぇ紅。今日、風凪と何かあった?」
 私は頭を横に大きく振る。
「本当に?」
 今度は肯定の意味で大きく頷く。
「本当に…?」
 私は再び大きく頷く。
「うそ…」
 小さな声でよく聞き取れない。
「嘘…吐くな…」
 低く、唸るように幸人の口から言葉が紡ぎ出される。
「嘘を吐くな!私を馬鹿にしていのか!?え?紅!!」
 幸人は乱暴に私を押し倒し、馬乗りになってきた。
「風凪に、笑いかけていただろう?私に、あんな顔をしたことなど、一度もない!気付かなかったとでも思ったのか!?嬉しそうに…そんなに明日、風凪に会えるのが嬉しいか!?そんなに嬉しいのか!言え!!」
 私は否定の意味で頭を大きく振る。
「嘘を吐くな!!嬉しいんだろう!?紅!……お前は…どんなに私が優しくしても、どんなに愛していても、私を一度も見てくれない…!!それなのに、それなのに、今日、たった一度、会っただけの男に…!」
 両肩を強く握られ、持ち上げられては、下に叩きつけられる。
「どうなんだ!どうなんだよ!?え?何とか言ったらどうなんだ!紅!!」
 幸人の温和な顔立ちが、どんどん形相を醜く変えていく。
「渡すもんか…風凪に、紅を渡すもんか!!他の誰にも渡さない!!紅は私の物だ!!」
 幸人は私の首をその両手で絞めた。たった今さっきまで私の髪を絡めていた指は、私の皮膚に容赦なく食い込んでくる。
「………っ…ぁ」
 苦しくて、苦しくて、意識が朦朧としてくる。
「お前のせいだ…!!お前が私を見てくれないから…!お前なんか…死んでしまえ!!」
 体の力が全て抜け落ちた。
 コトリ。
 何の音かな?ああ、そうか床に投げ出されたんだ。
 幸人は狂ったように私の体をメチャクチャにしていた。
 なんだ、私の最後はこんな感じだったんだ。こんな風に、死んじゃったんだ。
 幸人は私の体を夜のうちに死体が沢山捨てられている所に持っていった。
 ここは死体の山だ。余りにも多すぎて、既にそこに捨てられているのは人ですらない、ただの肉の塊だ。
 幸人は私の体を無言のまま放り投げると、足早に立ち去った。
 何で、私はこんな事になったのだろう。あの時、かか様が殺されなければ違ったの?あの男たちに売られなかったら、違ったの?それとも、生まれてきたのが間違いだったの?
 悲しくて、悔しくて、恐ろしくて、痛くて…。
 死んでもなお、私の痛みは続き、体に心が縛り付けられている。
 日が上がり、沈む。何度その光景を見たのだろうか?その間でも死体はどんどん増えていく。 私の上にも、何人かが積み上げられている。
 痛みは変わらない、苦しさも。
 人間が憎い。
 私も同じ人間だったのに、何で人間にこんな目に遭わされなければいけないの?悔しい、苦しい…。
 そう、私は人間が憎い。
「う…あ……」
 私はその場にある負の感情に支配され、人とは異なるモノに生まれ変ろうとしていた。
 憎しみに支配され、悲しみに耳を塞がれ、醜く姿を変えていく。
「ぐぅぅ…」
 その時、私の手に、椿の枝が一つ握らされていた事に気が付いた。
『明日にでも、俺が庭に咲いている椿でも持ってきてやろう』
 風凪の声が頭に響いた。
 涙が頬を伝う。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ!私は鬼になどなりたくない!!
 鬼に変わろうとする体、それを拒否する心。強く反発する二つの力。
 私の記憶は、それで失われたのだ。
 とうとう、思い出した。
 ずっと、忘れていた。
 これが私の始まりだったんだ…。












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