1−8
昨日とは打って変わって、太陽がぎらぎらとしている一日がやってきた。
やはりガリレオとは物凄く偉大な人物で、地球が宇宙の中心にあると唱えた天動説を真っ向から疑った業績は計り知れないものだな。地球が成り立っているのは全くもって太陽のおかげであるというのに、どうして地球を中心にしてその他の衛星が周期活動を繰り返していると思ったのだろうか。
結局、人間だれしも自分が中心であると考えるように、地球が天体の中心だと考えたということだろう。
まあ話を戻すと、この異常気象的なバカ暑い日にはおかしなことが起こりそうな気配に満ちていて安穏とした空気とはいえなかったはずであったのだ、ということ。
それなのに俺が身を焦がしてまで心配した昨日の一連の出来事は、まったくもって杞憂に終わったのだった。そしてこのことは喜ばしいことだったのかとひねもす考え込んでしまったのは仕方がない所業であろう。どうせ俺がいくらうんうんと思案に暮れていようが、それでも地球は関係なく回っている。そんなちっぽけな考え事ぐらいどーでもいいのかもしれない。
というわけで、四月十二日水曜日。今日のあいつは朝挨拶を交わしてすぐに俺が知っている小早川ユカリだということに気がついた。
気に食わなければすぐ文句を言い放ったり、人が寝ているところで机に蹴りをいれてきたり、俺が少しおかしな仕草をしたら『ナルチュー男』と言い放ったり、目を合いそうになるとそっぽまで向いてしまったりする彼女だった。
それは入学式以来に見た小早川ユカリの姿だったし、あの時の少しはにかむようなしぐさを見せながらホウレンソウ入り玉子焼きを放り込んでくれたのは、黄泉の国にでも行って見てはいけない幻影を目撃しちまったようなもんだったのだろう。
だがな、小早川よ。
俺はそのおかげで昨日は悶々と過ごしちまったわけで、それはもうあらぬ妄想(性的な意味ではないから)を繰り返し、良く見れば(いや、よく見なくとも)ユカリはスタイルもつらも良い。そして昨日は……なんていうか、ほのかに俺想いの女の子みたいな感じだった。もう、理想的な幼馴染像があったとしたら審査員のお偉さん方がそろって十点を挙げるような完璧さだった。
しかし、あれは悪い夢であって、一時の気の迷いであったのだ。
だからすっかりと正常(迷惑だが)に戻った小早川の事はほーっておかなければならない。
なぜならば、ゴホンッ。
今のこの時点に置いて、新原 沙希がそれ以上に気がかりな存在に成り上がちまったからである。
そう、これまでの彼女の印象だと、誰が話しかけても興味を示さず放課後になると忽然と消えてしまうというものだけだった。あんなことを言われた俺だって当然のごとく二、三度話しかけた。だけど「はい」とか「いいえ」すら言わない後ろの席のお穣さんは何を企んでいるのかまるで分かりはしなかった。
でも、それでも俺はいろいろと問うてみたいとも思ってしまうのだ。
例えば、あの時に言った言葉を額縁通りの意味で捉えると俺の命に危険があるということなのか? あるいは俺と同じような遊戯的雰囲気を感じたかっただけの戯言か? それとももっとこう……ダヴィンチコード的な暗号の比喩なのか?
もうこんなことは何度自分の心の中で反芻したかは分からん。
そしてだ。
今日ここまで彼女に執着するのは、昼休みに廊下を歩いていたらクラスの女子が新原のことについて会話をしていたからである。
『ねえ、あたしさぁ〜、昨日大変なもの見ちゃったんだけど』
『昨日?! な〜に、好きな芸能人の密会現場でも見ちゃったの』
『違うよ。それも覗いてみたいけどぉーもっと大変なもの見ちゃった』
『で?』
『それがね、超常現象みたいなのを見ちゃったのよ』
『えっ?』
それからその女の子は語り始めた。私が中休みにトイレに行こうとしていたら、すれ違った新原 紗希さんが何やらぶつぶつと唱えていたのを聞いて後を付けてみたという話だった。そして彼女がある角を曲がった瞬間に、まるでテレポーテーションを使ったかのように消えてしまったらしい。
そんなことを小耳にはさんでしまった俺は腰を据えて会話をしてやろうときっと馬が合わないであろう小早川の、
「あたし、ハルくんと一緒に本を読みたいな」発言をコペルニクス的転回ばりな鮮やかさで、
「なに言っているのよー、バカナル! あたしにはサッカー部があるから入るわけないでしょー」
なんて、斎藤がしたり顔で言っていたサッカー部に入らないらしいぜー発言のどんでん返しにざまーみろと感じつつも、そう言った彼女が姿を消したのを見計らってから、新原と放課後にじっくり話し合おうなんて考えていたのだった。
だけど、やっぱり彼女はいなくなっていたんだよ。
付けくわえれば、授業終了後にこれまで新原の姿を見かけたことがないし、今日なんかひと際注意を払っていたんだが後ろを振り向いたら既にいなかった。
あー、どうすればいいのかもうお手上げだね。
そうだな。この現象から推測するに、新原 沙希という人物は放課後になると姿、形が確認できない未確認生物になっちまうんだろう。それかシンデレラみたいに魔法が解けてその辺に置いてある花瓶になっちまうとかだな。
「おーい、成瀬君」
「おー?」
この放課後の時間、相変わらず教室周辺をぶらぶらとしていた輩に声を掛けてくれたのは、マクドナルドばりにさわやかなスマイルを解き放つ比嘉だった。
彼とは高校に入ってからの関係であり、この一週間でやっと席が隣同士ぐらいな間柄になれたってとこか。ぶしつけだが彼の先祖は沖縄だろう。
「成瀬君、いきなりだけど大事なこと忘れてない?」
「あー、なんの話だ?」
「例えばさ、約束とかだよ」
「約束?」
「そう」
「なんかあったか?」
「忘れたの?」
比嘉は怪訝そうな顔つきをする。
「なんだよ」
「じゃあこの言葉を贈らないとな」
すると比嘉は、まるで俺の生き写しではないかというぐらいな決めポーズをしてこう言った。
「――約束を守る最上の方法は約束をしないことだぜ――」
「それ、ボナパルト・ナポレオン……」
「そう、先日君に聞かされた時の真似だよ」
あー、それを言われると俺の面目丸つぶれだ。まるで形無しのギザやろーじゃーないか。まあ、まったくもって否定はできない。
「一度だけやってみたかったんだよね。で、僕が言いたいことなんだけど、角川先生が呼んでたってこと。なんか文芸室の鍵がどうたらこうたらとか言ってたよ」
えっ。あーあー、そうだった。
角川の先公と約束をしたんだ。
まったく、こんなにもうきうきしない約束はない。。
だが、文芸室を見学するために鍵を渡してくれるという用事を忘れちまうのはまずいだろう。
「ありがとな、危うくトンズラしちまうとこだった」
「そうだね」
「おー。だから今から急いでいくわ。なぜなら勇気ある人間つーのは皆約束を守る人間であるからな」
ナルシストの手本を見せてやろうと思い、俺は右手の甲で片目を隠して体を斜めに傾けながら言ってやった。
「はいはい、素晴らしいナルシストをどうもー、それよりも早く行ったほうがいいよー」
そう言った比嘉は、サトウキビが似合いそうな笑顔を残して颯爽と去っていた。
でも、ありがとさん。
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