魔王と呼ばれた少年の話
ある異世界の片隅で、少女は本を抱えてうきうきしながら家路についていた。
何と言っても、今最も有名な作家の書いた最新作だ。お店に並んでいた最後の一冊に間に合ったから、その嬉しさもひとしおだ。
家についてさっそく、取る物も取らず椅子に座って夢中で読み始める。中身は充分期待に応えるものだった。
その少女の好きな甘い恋物語から、切ない恋愛、悲劇の物語まで。あの作家の人気作のみを収録したこの本は、私の一生の宝になるに違いない。
そして本の真ん中くらいまで読んだところで、過去作の収録のはずなのに、見覚えの無い作品が入っているのに気づいた。新作だろうか?
えー、人気作のみって触れ込みだったから買ったのに……それほどの自信作ってことなのだろうか?
少女はそのタイトルとあらすじを確認した。
『この話は、誰もが知っている、魔王と呼ばれた少年ラビラスと、その妻とされるフユカの話を、私なりに解釈した話である。エッセイに近いかもしれない。この本に収録するのは間違っているかもしれないが、私は新作の為に彼らの取材をするうちに、どうしても大勢にこの話を聞かせたい衝動に駆られるのを抑えられなかった』
ラビラスとフユカ。知ってる。大昔に現われた、一人で何千人と殺した十代の少年と、そそのかしたといわれる異世界の少女フユカだ。全ての悪役のモデルとか、全ての悪女の元祖とか言われてる。その二人を、この作家さんの解釈で……? まあ、気にならなくもない。
少女は黙って読みすすめる。
『今やご存じない人のほうが多いかもしれないが、大昔は魔力が不安定で、局地的に魔力の目が生まれることがよくあった。それは異世界の門となり、よく異世界の物をこちらに送った。無機物であったり、魔物であったり、人間であったり。おそらく異世界では神隠しと呼ばれていると私は考えている。そして、その魔力の目でこちらに来たのが、フユカだった』
少女は笑った。魔力が制御できていないなんてどんな時代だ。今はもう、お偉いさんが魔術師を養成して全世界の魔力を制御しているのに。
『そしてラビラス……彼の幼少期の資料は少ないが、当時の環境と照らし合わせると見えてくるものがある。彼が生まれた頃は飢饉が相次いでいた。何時の頃かは分からないが、おそらく棄てられたと思う。何せ、十代半ばには荒くれ者が集う山の頭領となっていたのだから。そしてその集団の仲間になるには、親がいないことが絶対条件だった。当時から、そこは子棄て山として有名だったのだから』
初めて聞いた。いつも大人や友達が噂するのを聞いて、絶対木の股から産まれたんだと思ってたのに。
『そして二人は出会った。多くの彼らの物語では、八割はフユカが誑かしたとなっているし、二割は好色なラビラスが見初めたとなっている。実際は判らないが、私はラビラスの一目惚れだったのではと思う。あの山付近は、めったに女子供が近寄らないとも聞いたからだ。そしてそれは他の若い男達にとっても同じだと思うが、それなら頭領の物になるのが自然だろう。あまり女のいない場所での生活。悲劇が起きないはずがない』
少女は慌ててページを捲った。
『ラビラスがどんな手段で頭領になったのかは知らない。だが、団体の一番上となるからにはカリスマがあったのだろう。私はそのカリスマは、傍若無人な様が威風堂々としているように見えるようなものだったと思っている。つまり、いい物ではなかった。私がこのように書くのも、取材のために呪われた地と言われる山を訪問した際に、ある洞窟からその集団にいた物好きな人間が、当時を記録したと思われる紙を発見したからだ。……普通なら考古学的な意味でも、もっと事件になると思うのだが、あの魔王に関係した物だからとろくに研究もされないとは、ただただ迷信染みて嘆かわしい。とにかくその資料によると、ラビラスはカリスマもあったが、問題も多かったことが分かった』
そうなんだ。確かに凄い発見……かもしれないけど、小さい時から「悪いことしたらラビラスが来るよ!」 と脅された身としては、そんな評判の人間なんか今さら……って感じかも。
『ある日、山で保護され当時の基準では何不自由ない生活をしていたフユカが、男達の一部から恥辱を受けた。資料によれば、異世界出身なのを囃し立てられ、頭領と寝たなら自分ともどうだ? とからかわれたという。ラビラスとフユカについては、恋人であっただろうとは思うが、具体的な進展については分からないし、さして重要でもないと思われるので省く。とにかく資料によれば、意外にもフユカはすぐにはラビラスに訴えずに、何日かそのセクハラに耐えたという。何かの計算か、それとも異世界出身ゆえの引け目か……。しかしある日、他の部下からの訴えでラビラスが気づいてしまった。自分の女に侮辱を与えたと知ったラビラスは、恐ろしい手段に出た。その日の夕食に毒を盛って、容疑のかかった人間全員を殺した』
少女はごくり、と唾を飲み込んだ。分かってはいたけれど、なんて恐ろしい。それにしても、ここまで読む限りは、ちょっと不良だけど、恋に盲目な男なだけにも見える。やったことは許されないことだけど。
『しばらく頭領の部屋では、言い争う二人の声が聞こえたらしい。困惑するラビラスにフユカが一方的に怒っているような感じだったとか。資料によると、書いた男は一度だけ内容を聞いた。それは……
「どうしてあんな事したの!?」
「だってフユカを困らせただろう? 死んで当然じゃないか」
「でも、酷すぎるよ! 殺す必要はあったの? 追放じゃダメだったの!?」
「……フユカに嫌な思いをさせたやつを、殺さずにいられないよ」
「ラビラス!」
だったという。ラビラスが狂っているのは歴史からいっても周知だが、意外にもフユカのほうはまともな感性だったらしい。
そして……これ以後、仲間から頭領の愛人くらいの認識だったフユカは、こいつのせいで環境が変わったと距離を置かれがちになったという』
少女は驚いた。フユカといえば、村の毎年行われる催しの劇でも「あたしフユカ。この世は全部私のもの!」 なイメージなのに。
『休む間もなく、第二の事件が起こった。山にいた、病気の友人を見かねた男が、魔が差してフユカの私物を盗んで売った。異世界人の私物だ、大変な価値があっただろう。――ただ、運悪く、それはフユカの母の形見であったという。泣くフユカを見て、ラビラスはすぐに行動に移した。「盗むのは腕があるから。ついでに原因を作った人間も同罪だ」 と男とその友人の利き手を切り落としたという。友人はもとより抵抗力がなく、傷口が膿んで病死。男は生き延びたが狂った。そしてフユカに言った。「お前が来なければ、こんなことにならなかったのに」 そう言って断崖に身を投げたと言う。もしかしたら狂っていなかったのかもしれない。そしてやはり二人は今度も喧嘩したらしい。
「悲しいけど、でも殺すことはなかったのに。彼だって大事な人のために……」
「この世で一番尊いのはフユカだ。だからそうじゃないのはおかしいんだ」
「……ねえ、じゃあ私がいなくなったら、あの二人の気持ちが分かってくれる?」
「どういうこと? 逃げるの? そんなの絶対許さないから」
「逃げないよ……ここに行くところなんてない。もうきっと、どこにもない。出た瞬間に刺されそう」
他にも色々聞いたが、紙もタダではないので、一番印象に残ったものだけ書いたとある。彼らは何度言い争いをしたのだろうか。何度しても、平行線だったのだろうとはっきり歴史から分かってしまうが』
少女は首をかしげた。二人を面白可笑しく書いた本なんかでは、この時期は毎日酒池肉林で気まぐれに人を殺して楽しんでた、みたいにあるのに。随分違うんだけど。
『そして決定的な事件が起きた。情勢が不安定な地域から逃げてきた一組の婚約者が、フユカを敬いさえすれば安泰といわれるこの集団に逃げ込んできた。夫のほうはともかく、妻のほうは知ってる人も多いだろう。劇などでは必ず初期からいることにされ、二人に振り回されたうえに非業の死をとける悲劇のヒロイン的存在、アンディラ。演じる人間も彼女の役を取り合いがちだと言う。しかし彼女のファンなら申し訳ないが、私の話を読むべきではないかもしれない。何故なら、私の書く話では、彼女は悲劇のヒロインではなく、一人の女だからだ。
……覚悟は決めてもらえただろうか。では続けよう。
夫のほうは理髪師をしていた。フユカはそれを聞いて、腰までの長い髪をばっさり切ってもらった。髪がこちらの世界に馴染まなかったのかもしれない、単に気分を変えたかったのかもしれない。そして短くなった髪をラビラスに笑顔で見せたという。
ラビラスは、彼女の身体を傷つけたとして、速攻で理髪師を殺した。
大昔の髪は女の命というのを真に受けていたのか、単純に髪も人体の一部だからという事なのか。
資料によると、この事件からフユカは笑わなくなったという。そして夫の喪が明けてすぐ、アンディラは行動に移した。フユカをこっそりと呼び出し襲ったという。のこのこ行ってるフユカは、多くの劇にあるように見下していたからか、それとも責任を感じていたのか……どちらにせよ、危機意識が薄い行動だ。この辺りは資料の書き手もあずかり知らぬところで起こったた少し曖昧だが、ただ、凶器を振り回し何事か叫びながらフユカを追いかけるアンディラの姿は、アジト内のほとんどの人間が目撃したらしい。そして何を言ってるかはほとんどの人間が聞き取れなかったという。後から繋ぎ合わせて推理したものによると。
「周囲はお前も疫病神に好かれた被害者だとか言うけど、私はそうは思えない」
「確かにお前のせいで夫は死んだ」
「悪気がない? 事故? それでもいい」
「あの原因のラビラスが好きな相手ならそれだけで関係者だ。お前を殺すことであいつが苦しむなら最高だ」
らしい。』
少女は本を落としかけた。アンディラといえば、女性偉人伝にも出てくる女性なのに……。そりゃあ、まあ、新たな資料で再評価とかあるけど、落ちる評価なら知りたくなかったような……。
『結局ラビラスに見つかり暗殺……というか凶行は失敗。光の無い目でラビラスの背後にいるフユカを見つめながら、凶器を自分に刺して死んだという。そしてこの事件の数日後、フユカは死んだ。
酔っ払って足を踏み外した、暗殺、痴情のもつれ……。多くの話の中で色々と言われているが、私は自殺だと思う。資料によれば、あの腕を切られた男が落ちた断崖を背に言った最後の言葉が
「ラビラス、私が死んだら、大切な人を失う気持ちを理解してくれる?」
だったらしい。そして直後に身を投げ、遺体で発見された。
それからは誰もが知るところだ。ラビラスはそんなので改心しなかった。遺体を前に慟哭しながらも天に吐いた台詞が
「フユカが何をした? フユカを傷つける世界が全部悪い、こんな世界ならいらない」
だったそうだ。そしてこの資料――最後にこれが何かの資料にでもなったらと後書きされて終わっている。書き手は聡明だったのかもしれない。これは洞窟に隠すように埋め込まれ、その後の難を逃れた。
形だけの喪が終わると、ラビラスは基地にいた全員を殺した。それから金目の物を集め、落ちぶれた貴族に取入り、とんとん拍子に出世。戸籍を捏造し、なんと王族にまでなった。そしてラビラスが王族となったあと、不自然な後継者の連続死。ラビラスは王になり、人々が大勢死ぬような法を山のように作った。ここからは市井の話とほぼ変わりない。人を殺したい欲求に取り付かれた少年の様子だ。この時点でも十代後半だったというのだから恐ろしい。
そして世界が怨嗟の声に満ちた頃、正義の人、マリウスが現われる。妹を殺されたマリウスは、復讐心と正義感から、この悪鬼を倒さんと敵の懐に潜り込み、やがて本懐を遂げる。ここまではやはり巷に溢れる話と一緒だ。
二度目だが、やはりマリウスを好きな人は、この先を見ないほうがいいかもしれない。アンディラよりも酷いことになっているからだ。アンディラの時はまだ弁護の余地があるが、マリウスは王家管理の資料にしっかりと載っている事実だからだ。
よろしいだろうか? では書こう。
マリウスは造反。ラビラスを裁判なく死刑と決めた。執行人は何とマリウス本人……と言っても、歴史の教科書にもこのシーンは絵画なんかでよく見るから、驚くことではないだろう。
問題はその後。教科書には「倒した」 と一言。巷の本や都市伝説では、「悪魔と化していたラビラスは脅威の回復力と執念で何度斧を振り落としても効かず、首を完全に切り落とすのに一晩かかった」 などとあるが。
切れなくて当然だ。妹を惨たらしく殺されたマリウスは、復讐から執行に使う斧を錆びたなまくらにすり替え、それで刑を行っていたのだから。
死に切れないラビラスの絶叫は、苦しめられた当時の庶民には最高のショーだったという。そして中々死なない様子は、確かに魔王と思わせただろう。
さぞ無念だったと推察されるが、同じ資料にはラビラスの最後の言葉はこんなものだったとある。
「一体あとどれくらい殺したら、お前を蘇らせることができるんだ。異世界の命は価値が違うのか? 俺の命も捧げるから……」
以上、これが私の知った、魔王とその妻の話である』
少女ははぁーっと息を吐いた。
それにしても、恋愛話が多い作者にしては恐ろしく暗い話だった。まあ、よくある御伽噺を違う解釈でっていうのは嫌いじゃないし、面白かったけど。でも次は明るい話が読みたいなー。
そして次のページを捲ろうとして、母親の「ご飯よ」 の呼び声に、本を机に置いて部屋を出た。食べ終わったら、楽しかった話を再読して気分を変えてから読むんだ。